A.A

アフロ(Afro=アフリカ)・アジアハンドボール連合組織の略称。両大陸に所属する「アラブ諸国」が加盟している。
アラブゲームズへの参加のほか97年から毎シーズン各国のチャンピオンクラブによるアラブカップ〜男子のみ〜を運営。

エース ace

チームの切り札。抜群の決定力を持つシューターなどを指す

ADカード

アクレディテーション(accreditation)カードの略。大会などで入場の資格を主催者が許可して発給する。提示とチェックを容易にするため、ストラップで吊る写真付きカードの形式が多い。

アディダス adidas

ドイツ・ニュールンベルグに本拠を置く世界的スポーツ用品メーカー。1926年アドルフ(アディ)・ダスラーが創業。名前をそのまま社名とした。2代目のホルスト・ダスラーによって国際スポーツ界事業への積極的な進出が図られた。国際ハンドボール連盟(IHF)もボールの公認など関係が深く、現在は同連盟のゼネラル・スポンサー(ゼネラル・パートナーとも呼ばれる)。

アドヴァンテージ advantage

攻撃側チームが相手の反則をうけながら、そのために試合を中断するよりも、継続したほうが、攻撃側がより有利な立場になるとレフェリーが判断した状況。または、レフェリーのその解釈。攻撃側の違反で、その直後に防御がボールを手にした場合、前の場面の反則にさかのぼることはない。

AF

アジアの諸スポーツ連盟(組織)の略。アジアハンドボール連盟(AHF)はその1つ。IF(国際スポーツ連盟)、CF(大陸スポーツ連盟)、NF(国内スポーツ連盟)などと並ぶ語。日本ハンドボール協会はNFの1つ。

アフリカ・ハンドボール界

08年3月現在国際ハンドボール連盟加盟国が48、大陸別勢力ではヨーロッパと並んで最大多数を誇る。ジュニア層の拡充で将来性は高い。トップレベルの競技者はフランスをはじめ、ヨーロッパ各国の有力クラブに迎えられている。女子の進出も目覚しい。
各種の競技会は、大陸内を7ゾーンに分け、それぞれ予選、その上位国によって行なわれることが多い。最も歴史が古いのは60年創立のエジプト。99年エジプトで、05年チュニジアで世界男子選手権が開かれている。

アフリカ・ハンドボール連盟

略称CAHB。正式名称はフランス語でConfederation Africaine de Handball。75年1月設立。会長はマンソウロウ・A・アレモウ(ベニン)、事務総長はチャールス・オムボウマホウ(コンゴ共和国)。14年1月現在の加盟数は50ヵ国。

アフリカン・ゲームズ

アフリカ競技会。国際オリンピック委員会公認で4年にいちど開かれる国際総合競技大会。ハンドボール(男女)は65年の第1回から行なわれた。大会は休会の歴史を繰り返したが、87年の第4回以降は4年毎開催に安定。

アフリカン選手権

アフリカネーションズチャンピオンシップ。大陸内予選を勝ち抜いた国とシード国による男女の選手権。74年を第1回に最近は2年おきに開催。世界選手権予選を兼ねることが多い。ジュニア選手権も同年スタートしている。

アフリカンクラブカップ

アフリカ連盟加盟の各国チャンピオンチーム(男女)による選手権。79年から毎年開催。アフリカクラブチャンピオンズと報道されることもある。

アフリカンウィナーズクラブカップ

アフリカ連盟加盟各国のカップ戦勝者による大会。85年から毎年開催。

アフリカンクラブスーパーカップ

アフリカンクラブ、同ウィナーズクラブカップの勝者による単発タイトルマッチ。アフリカハンドボール界の発展に貢献した前国際ハンドボール連盟副会長、故ババカール・ファルル氏(セネガル)を讃えて、94年から毎回開催、大会名に同氏の名が冠せられている。スーパーカップ

アフターゲーム after game

試合後、飲食をとりながらファン、サポーターが観戦した試合をふり返り談笑するスポーツの楽しみかた。

エージグループ Age group

年代別大会。20才以下の大会で採用されることが多く、2年(才)を単位に7カテゴリーほどに分ける大規模なイベントもヨーロッパでは盛んだ。
日本はすべての単位が学制で組まれ、一貫性と親睦性に欠ける。地域を軸としたそれぞれの年代にふさわしいハンドボールの提供が求められはじめている。最近になって男子18才以下、女子17才以下の各カテゴリーが整備され始めている。

A.H.F

アジアハンドボール連盟の英語略称、略記。

AHF女性理事枠

AHF(アジア・ハンドボール連盟)が2004年から女性役員の積極的登用と育成のために設けた。04年、09年〜12年の2期はグルナーラ・ツルリクハノーバさん(カザフスタン)が専任されている。「女性理事枠」を設けている大陸連盟はAHFだけ(13年9月現在)。

愛知紡績

57年3月に発足した日本で最初の本格的な女子実業団チーム。半田高校(愛知)で鍛えられた選手を中心に、4ヵ月後早くも第9回全日本総合選手権に優勝。67年、会社の事情で休部するまでに全日本総合選手権6回(57〜62年の6連覇)、全日本実業団選手権3回、国体一般女子2回などの栄光に輝いている。

愛知クラブ

50年1月の第1回全日本(総合)選手権女子で優勝した社会人クラブ。第2次大戦前に開かれた2回の女子全日本選手権の勝者は、高等女学校(旧制)勢だった。

愛知県協会

46年12月設立。学生、実業団、クラブ(社会人)、高校、中学、小学生などすべてのカテゴリーで活発な事業を展開、国内最強ゾーンとの定評を得る。国際試合の運営も数多い。愛好者基盤の厚さは国内随一。

AIPS

国際スポーツ記者協会の略称。ハンドボール分科会が設置されている。

味の素ナショナルトレーニングセンター

08年1月東京都北区に完成した国立施設。09年4月施設の名称権を「味の素」が取得(13年まで)、その名が冠されている。「味の素トレセン」などと俗称される。

秋田県協会

57年5月設立。全国レベルの高校界を主体に発展。01年ワールドゲームズのビーチ種目が史上初の世界選手権(男女)となり、本荘市(現・由利本荘市)を会場に成功させている。

A級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格の最上級カテゴリー。国際競技を含むすべての競技を審判することができる。定年は満50才。

シェイク・アーマド・アルファハド・アル・サバハ

アジアハンドボール連盟会長、アジアオリンピック評議会議長(会長)、国際オリンピック委員会委員、国内オリンピック委員会(NOC)連合代表、元国際ハンドボール連盟副会長。01年クウェート情報相、03年石油相代行となり、のちにエネルギー相。05年には石油輸出国機構(OPEC)議長を務めている。61年8月クウェート生まれ、クウェート王族のジャービル系、現クウェート首長の甥。

オールコート・アタック

オールコート・プレスと同意語のディフェンス方法。僅少得点差をつけられている防御側チームが、ディフェンスラインを上げ、マン・ツウ・マンで攻撃側をマークする。試合終了近くに採られるケースが多い。アルジェリアが80年代に、大半の時間をこの作戦で通し注目された。サウジアラビアも得意としている。日本ではかく乱戦法、捨て身のシフトと考えられ、“多用”は少ない。プレス・ディフェンスと同意語。

オール・ラウンダー all-rounder

攻・守分業のプレーヤーや作戦が多くなるなかで、両面を備えた選手。
シューター、パッサー両面をこなせる選手や、どの攻撃ポジションでもこなせる選手を指す場合もある。
ユーティリティ(utility)・万能選手なども日本では同意語として使われる。

オールスター

大会で活躍した優秀選手をポジション別に主催者やファン投票などで選出、原則として表彰する(時にプレス発表だけのケースがある)。通常7人で「ベストセブン」と同意語。

オールスター(ズ)ゲーム

大会などで活躍した選手による試合。往年の名手を選抜して行なう試合もある。日本では「東西対抗」が多く、ヨーロッパではチャリティを目的とした試合や、興行本位のエキシビションも増えている。
日本の「学生東西対抗」「一般東西対抗」「高校東西対抗」(いずれも男女)、全九州−全関西などの地域対抗はほとんど休会となり、現在は日本リーグが不定期ながら開催しているだけ。

アマチュア、アマチュアリズム

アマチュア(amateur)は、現代では経験の浅い人、趣味としてハンドボールを楽しんでいる人などの意味で使われ、素人(しろうと)という解釈もある。
70年代までは、スポーツ(ハンドボール)を愛好する人の理念として重きをなした。国際、国内組織ともに厳正なアマチュアリズムをうたいあげ、スポーツで得た名声をいかなることにも利用しないとする姿勢を求めた。違反者は資格をはく奪されるケースもあった。古くは、余暇のたしなみとしてスポーツを愛好する“富裕層の文化”とされた。
その思考は、トップゾーンの競技者のフルタイム化、大会運営などへのコマーシャリズム導入、テレビ放送の活況などでしだいに崩れ、旧態のアマチュア規定は国際ハンドボール連盟日本ハンドボール協会ともに消滅。現在は「競技者資格規程」が設けられている。対比はプロフェッショナリズム。国際オリンピック委員会(IOC)がその憲章から「アマチュア」の字句を削除したのは74年。

アメリカ(パンアメリカン)ハンドボール界

73年に設立されたPATHF(パンアメリカン・チームハンドボール連盟)によって組織されている。08年3月現在加盟国は24。第2次世界大戦前はベルリン・オリンピックに参加したアメリカだけの活動だったが、50年代ブラジル、60年代カナダ、70年代キューバなどと各地域で中心となる国の活動で勢いづいた。現在はアルゼンチンの台頭もあり、13年の世界女子選手権(セルビア)で初優勝したブラジルを一番手にアルゼンチンなど南米勢が優勢。キューバも復調しつつある。南米ハンドボール連盟(COSBA)も組織されている。アルゼンチンは1920年代に活動の記録がある伝統国。

アームバンド arm band

腕章。ほかの選手の動きと識別できるために着けるもので、キャプテンは上腕に着けることがルールで規定されている。(キャプテンマーク)。このほかマスコミ関係者(特にコートサイドのフォトグラファー、テレビスタッフ)にも特定の腕章が配付されるケースが多い。

アナウンサー

テレビやラジオ放送でのアナウンサーとは別に、試合場で選手紹介や得点者を伝える運営スタッフとしてのアナウンサーを指す場合が多い。プロスポーツの影響をうけてショーアップしたアナウンスメントや場内解説が増えている。

アナリスト analyst

情況を分析し解説する人。競技面、運営面などハンドボール組織内での重要度は高まってきている。

アンデボル Andebol

ポルトガル語でハンドボールの意。「アンドボル」「アンボル」と変化する国もある。

アンチ・ドーピング Anti-Doping

ドーピングに反対、撲滅(ぼくめつ)を目指す。「ドーピング防止運動」と呼ばれる。競技力を上げるため、競技者が薬物を不正に用いることを防止するため、60年代から世界的に展開されている。国際ハンドボール連盟も70年の総会で通達。

青森県協会

51年4月設立。80年代にスタートした「県ハンドボールフェスティバル」を軸に、社会人愛好者の拡大を目標にした事業などを積極的に手がけ、ビーチ競技にも熱心に取り組んでいる。

青山師範クラブ

国内最初のタイトルイベント、37年の第1回関東選手権に出場した4チームのうちの1つ。第一師範を経た流れは現・東京学芸大学へ受け継がれている。中学(旧制)年代のチームは全国優勝(40年)もした。

アピアランスマネー appearance money

大会の主催者などが、参加したチームや選手に支払う「出場手当」。内外ともに金額はほとんど公開されないが、ヨーロッパのトップチームの場合、1シリーズ100〜500万円といわれる。日本協会は97年熊本世界選手権直後、東京で開いたメダル国エキシビション「ワールドドリームゲーム」で各国に支給した。

アラブクラブ選手権

中東と北アフリカ諸国の男子クラブチームによる選手権。1976年アラブ・ハンドボール連盟が結成されたのを機に始まり、休会となる年度もあったが、12年までに28回開かれている。2013年から女子が「アラブ女子ウィナーズカップ」の名でスタートした(男子のウィナーズカップは96年が第1回)。

アラブゲームズ Arab Games

アラブ諸国による国際競技大会。61年に発足したが、休会−再開を繰り返し、これまでに5回開かれただけ。ハンドボールは男子だけすべて実施されている。

アラブ選手権

アラブ諸国の代表チームによるタイトルマッチ。98年に始まったが99年の第2回以降中断。

アラブハンドボール連盟

アラブ諸国による組織。サウジアラビアに本部を置き、同国のアブドール・ラーマン・アームド・ドハファルが事務総長。

アラブ湾岸(GCC)女子国際大会

アラブ諸国の女子による国際大会として13年9月クウェートで開かれた。第1回にはカタール、バーレーン、オマーン、アラブ首長国連邦、クウェートの5ヶ国で参加、毎年あるいは2年おきに開催を申し合わせている。イスラム系女性スポーツの振興を示すイベントとして注目される。GCCは81年に6ヶ国で設立された国際政治会議「湾岸協力会議」の英語の略記。

アリーナ arena

観客席を備えた屋内球技場。ヨーロッパでのハンドボール常打ち場ではドイツのケルン・アリーナ、ハンブルグのカラーライン・アリーナが有名。日本では03年のアテネ・オリンピック予選を開いた神戸グリーンアリーナが代表的。

荒川清美(故人)

日本ハンドボール協会理事長・専務理事を67〜83年度の8期16年間つとめ、財団法人化を実現させた。そのあと副会長、参与などに就任、98年78才で他界されるまで球界運営につくす。全日本監督、日体大監督(教授)など指導者としても優れた手腕を発揮。日本体育協会日本オリンピック委員会アジアハンドボール連盟理事などを歴任した。

新井友彦(あらい・ともひこ)

日本人で初めてヨーロッパカップに出場した選手。
90年湧永製薬から研修派遣されていたメドベスチャク・ザグレブ(当時・ユーゴスラビア旧国家)の一員として、第16回ヨーロッパウィナーズカップ1回戦の対ハポエル・ラマトガン(イスラエル)戦に出場。筑波大学出、1967年埼玉県生まれ。

アジア・ビーチ選手権

世界ビーチ選手権の本格化により04年1月オマーンで男子が、同年7月日本(千葉県富浦)で女子が行なわれ、原則として2年おき開催。

アジア・ビーチゲームズ

アジア・オリンピック評議会(OCA)による最新の総合競技イベント。第1回は08年10月18日からインドネシア・バリ島で行なわれ、、14年タイ(プーケット)、16年ベトナム(ニャチャン)に確定している。実施対象はビーチハンドボールのほか、サッカー(フットボール)、バレーボール、トライアスロン、ジェットスキー、サーフィングなど。

アジア・チャレンジトロフィ

アジア・ハンドボール連盟による発展途上国のための大会。
国際ハンドボール連盟が各大陸での展開を呼びかけ00年から軌道に乗っている。
アジアは10年、中央アジア地区で男子が初めて行なわれた。12年から勝者が「IHFトロフィー」へ進出する。

アジア・クラブリーグ選手権

アジア各国のクラブによる選手権。98年10月ヨルダンで第1回(男子のみ)が行なわれ毎年順調に開催されている。参加クラブは中東勢が圧倒的で、日本のチームはこれまで1度も出場していない。

アジア学生選手権

08年6月益山(韓国)で開かれ日本、韓国、中国、台湾、イランなどから代表(単独校)が参加、女子で東京女子体育大学が3位に入った。13年に「東アジアU-22選手権」へ発展している。

アジア・ユース選手権

世界ユース選手権発足にともなって05年に男女とも設けられた。2年おき開催を原則とする。
世界ユースの参加資格(年令)が男子は19才以下、女子は18才以下とされているため、1年前にその予選を兼ねて行なわれる場合、アジア選手権は男子18才以下、女子17才以下になる。
男子は88年シリアで開かれた「第1回アジアジュニア選手権」がユース年代で行なわれ「第1回アジアユース選手権」とされていた。

アジア・ジュニア選手権

男子は88年から、女子は90年から原則として2年おきに開かれている。男子は06年の第10回を広島で、女子は98年の第5回を大阪で行なっている。年令は曲折を経て現在は男子21才以下、女子20才以下に落ちついた。世界選手権の前年にアジア選手権が予選を兼ねる場合、年令規定はそれぞれ1年下げられる。

アジア・ハンドボール界

38年に本格的な活動を始めた日本のあと、各国での芽はなかなか生まれなかったが、60年韓国、70年クウェート、80年中国などが次々と国際ハンドボール連盟に加盟。92年旧ソ連のアジア圏5ヵ国が転入したことで激戦模様が濃くなり、タイにおけるアジア大会実施で、東南アジアへの普及も着実だ。その一方、国際舞台進出をかけた大会で中東勢のレフェリングが公正を欠くなど、中東−極東の“対立”が問題となり、北京オリンピック男子予選は1度成立しながら全試合無効となる大混乱が生じもした。女子は極東勢が主体だが、韓国がオリンピック2回、世界女子選手権1回の優勝を飾っているのは特筆される。イスラム教諸国における女子の活動も盛んとなり、北京オリンピックアジア予選(カザフスタン)にカタールが初めて登場した。新たな動きとしてビーチ競技に力を注いだあとインドアを手がける国が増えた。オマーンがその好例。

アジア・ハンドボール連盟

略称AHF。正式名称はAsian Handball Federation。74年テヘラン(イラン)で設立された。本部はクウェート
会長はシェイク・アームド・アルファハド・アル・サバハ(クウェート)、事務総長はモハムド・シャイフィク(パキスタン)。日本協会会長・渡邊佳英が第1副会長(6選=2013年)を務めている。14年2月現在の加盟は40の国と地域。

アジア・ハンドボール選手権

AHFが組織する大陸内最高の大会。男女の選手権(男子は77年、女子は87年から)は男子が91年、女子が91年と04年日本で行なわれている。同ジュニア選手権(男子は88年、女子は90年から)が、原則として2〜4年おきに開かれる。各国クラブチャンピオンによるアジア・クラブリーグ選手権が98年から毎年行なわれているが、日本は1回も参加せず、極東勢の関心は高まっていない。04年からユース選手権、ビーチ選手権(いずれも男女)が行なわれている。

アジア大会 Asian Games

国際オリンピック委員会(IOC)公認で4年にいちど開かれる国際総合競技大会。51年に第1回が行なわれ、ハンドボールが憲章に採用されたのは74年、実際に競技が行なわれたのは82年、女子は90年。日本は男女ともすべての大会に代表チームを送っているが優勝はまだない。日本では58年東京、94年広島で行なわれ、広島大会はハンドボールの男女が実施された。14年は仁川市(韓国)で開かれ、このあとは開催年がオリンピック前年(19、23、27年…)となり、19年はハノイ(ベトナム)。86年から冬季大会も開かれている。

アジア「地域」競技会

アジア・オリンピック評議会が公認する大陸内の地域総合競技会。1959年に始った「東南」を“最古”に、84年からの「南」、93年からの「東」、95年からの「中央」、97年からの「西」の5大会がある。各大会とも2〜4年おきの開催。ハンドボールは「中央」で第1回から実施されているが大会そのものが05年以降に開かれていない。「南」では10年から実施。日本などの「東」と中東勢の「西」は定着していない。

アジアナショナル・サーキット

日本ハンドボール協会が01年と02年、近畿地区にアジア各国とオーストラリアの男子代表チームを招いて開いた国際大会。2回とも韓国が優勝。03年以降は行なわれていない。

アジア・オリンピック評議会

略称OCA。正式名称はOlympic Council of Asia。82年設立。その年のアジア大会で初めて男子ハンドボールが実施された。4年にいちどのアジア大会を主催。前身はアジア競技連盟(略称AGF)。

アサインド・マン・ツー・マンディフェンス

防御側チームが相手の強力シューターあるいは配球源のゲームメーカーに対して特定のマークをつけるディフェンス方法。アサイン(assign)は割り当てる、指定するといった意味。エースを持つチームはあらかじめ相手のこの作戦を想定し、対応策を採り展開の妙味を増す。最近は「マンマーク」とも呼ばれる。

アシスト assist

記録用語。味方へ出したパスがシュートに成功、得点となった場合の「ラスト・パス」に対して与えられるが、国際ハンドボール連盟日本リーグは、公式記録として明確な規定がなく、集計(発表)されても、あくまで参考の域を出ない。

アシスタントコーチ

ヘッドコーチの補佐役。攻撃コーチ、防御コーチ、GKコーチなど多彩なコーチ編成のチームもある。
一貫指導体制のなかでは傘下にあるジュニア、ユースチームのコーチをアシスタントスタッフと呼ぶ場合も多い。

ASOBAL

スペインハンドボールリーグ機構(Asociacion de clubes Balonmano、スペイン語)の略称、略記。
ドイツ、フランスと並んで「ヨーロッパ3大プロリーグ」とも呼ばれる。

アタック attack

一般的には攻撃全般を指すが、攻撃側選手との間合いを詰める防御や、積極的なパス・カットを狙う姿勢にもこの表現が使われるようになっている。

アタッカー attacker

攻撃者。シューターとほぼ同意。

オーストリア協会

25年創立という世界で最も古い歴史を持つ協会。11人制時代はドイツとともに、国際ハンドボール界のリーダーとして活動した。ベルリンオリンピック(男子11人制)銀メダル国。70年代以降は7人制主体とノン・アマチュア化の波に乗り遅れ、精彩を欠いている。女子の強豪ヒポ銀行(現チーム名はヒポ・ニーダーオーストリヒ)は、東ヨーロッパの有力選手を集めて、ヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝8回を飾り、一部の選手にオーストリアの国籍を取らせ、女子代表の力を支えるといった強引な手段も採ってきた。男子代表、ヒポ銀行ともに79年に来日している。

アウェイ away

本拠地を離れて相手のホームに向かうこと。そこでの試合はアウェイゲームと呼ばれる。ヨーロッパの主要試合はホームとアウェイ各1試合の2試合制が常識。日本リーグも95年からホーム・アンド・アウェイ制を原則としている。

アウェイゴール

ホーム・アンド・アウェイで1勝1敗あるいは2引き分けとなり、2試合の合計得失点差もタイとなって、次のラウンドへ進むチームを決めなければならない場合に採用される。アウェイ(敵の本拠地)であげた得点数を比べ、勝者を決める。
(例) Aチームのホーム A28−22B
    Bチームのホーム B25−19A
アウェイゴールはB22−19AとなりBの勝ちとなる。アウェイでの得点を2倍で計算する大会もある。これでも同点の場合は第2戦後、延長(extra times)あるいは7mスローコンテストで決着させる。

アワード(ズ) award(s)

授賞、授与。日本リーグや学生リーグなどの優勝チームや各個人賞の表彰式はアワードセレモニー。