バロンマーノ Balonmano

スペイン語でハンドボールの意。「マノ」と延ばさない国もある。

バーゼル Basel

国際ハンドボール連盟本部のあるスイス北部の都市。

Bグループ

世界選手権が実力別グループ制を採用していた当時のカテゴリー。77〜92年に男子は8回、女子は7回行なわれたあと廃会。日本は男子が87、92年、女子が89、92年の各2回出場している。

ボール

使用球、試合球。男子は重さ425g〜475g、外周58cm〜60cm。女子と少年(中学生男女)は325g〜375g、54cm〜56cm。小学生(男女)用は重さ255g〜280g、外周49.5p〜50.5pと規定されている。
1935年に翻訳された「競技規則」では、男子は400g〜450g、58cm〜60cm、女子は350g、55cmとされ、半世紀間、あまり大きな改訂は行なわれなかった。国際的には空気圧は明示されていない。
材質の革は単色とされてきたが、テレビ時代に即したカラフルなボールが容認されている。 ビッグイベントは手縫いが提供されるが、練習などでは廉価な機械縫いが使われることが多い。松ヤニ不要の表面皮も開発されつつある。規格に合ったボールは公認球とされる。
ビーチ競技用は滑りにくいゴム製で男子は外周54〜56cm、重さ350〜370g、女子は50〜52cm、280〜300g。混成競技は男子用を使う。
2014年から日本のメーカー「モルテン」が国際ハンドボール連盟の公式球となり、同連盟主催のすべての選手権で独占使用される。

ボール・イン・プレー

一般的に試合中(競技中)のこと。

馬場太郎(故人)

69年「日本ハンドボール協会機関誌第70号」に「ハンドボールの発祥はデンマーク」との論文を特別寄稿、それまでのドイツ起源説をくつがえし、話題となった。桃山学院大学教授(当時)。
国際ハンドボール連盟もデンマーク説を採って公式見解としている。
馬場氏は関西ハンドボール界のパイオニアの1人で、日本協会副会長(49〜56年、62〜68年)などもつとめた。82年81才で他界。

梅花高等女学校

草創期の大阪ハンドボール界にあって本格的な活動を展開していた女子チーム。現・梅花高校(大阪・豊中市)。

バランス balance

均衡。つり合いのとれた攻守のチーム力。個人の精神・技術・体力など総合的な力。

バー bar

正式にはクロスバー

「バルセロナルール」

86年スペイン・ハンドボール協会が「スピーディーなプレー継続」を主眼にバルセロナでのセミナーで提案したルール。失点後のプレー再開をゴールキーパースローからとするなど4項目で、支持する協会もあったが、国際的に正式な検討、採用には至らなかった。
日本協会は海外動向を見誤り87年4月から2年間、強引に採用し混乱を招いた。

バックス backs

11人制時代の防御を主とした5人の総称。略称と略記はBK。3人をハーフバックス(HB)、2人をフルバックス(FB)と呼んだ。
7人制主体となった初期、1人をハーフバック、2人をフルバックスとしたが、すぐに全6人による攻守展開となり、この言葉はほとんど使われない。

バックコート

センターラインによって二分されたコートの攻撃側にとって後方のゾーン。つまり「自陣」となり、ディフェンスするコートとなる。この場合、相手側のコートは「フロントコート」と呼ばれる。

バックパス

@保持したボールを後方の味方に送る動作あるいはプレー。反則ではない。ただし自陣のゴールエリア内にいるGKに故意に返し(パスし)GKがそのボールに触れた場合は相手ボールのフリースローとなる。(以前は7mTが課せられた)
A背面からのパス。

バックアップ

防御で前列の守備者の後方で、走りこんでくる相手を防ぐ二重、三重の壁。カバーとほぼ同意。

バウマン Hans Baumann(故人)

ハンス・バウマン。国際ハンドボール連盟の第2代会長として50年から71年まで長期にわたって敏腕を発揮、第2次大戦後のハンドボール界の拡充につとめた。オリンピック競技としての復活に力をつくしたが、ミュンヘン・オリンピックの1年半前の71年2月、66才で他界された。56年に来日。スイス国籍。同国代表選手の経歴を持つ。

バウマン・トロフィ

ハンス・バウマン会長(=前掲)の遺徳を永く伝えるため国際ハンドボール連盟が2年毎に、世界でもっともハンドボールの普及と発展に功績のあった国(協会)へ授与するトロフィ。72年から始められ、日本ハンドボール協会は98年に第13次受賞国となっている。

ビーチハンドボール

1990年代前半、イタリアのティレニア海沿岸で若者たちの遊びから考案され、92年7月組織化された新種目。レジャー性が強く急激に愛好者を増やした。1チーム4人、コートは27m×12m、ボールはゴム製、得点も攻撃手段で異なり、2セット(各10分)別々に優劣を決め、1対1の場合は特別ルール(ワン・アゲインスト・ゴールキーパー)で決着させる。93年イタリアで初の国際大会が開かれるなど急速に普及、国際ハンドボール連盟は世界選手権(男女)の2年おき開催を定着させたほか2013年からワールドゲームズの正式競技となった。アジア、ヨーロッパ、全米、アフリカの大陸選手権もすでに行なわれ、ビーチ専門の競技者も増えてきた。各国では海浜にこだわらず「砂場でのハンド」としても盛んになりつつある。国内は千葉県協会が推進役となり、全日本選手権も99年から行なわれている。

ベストディフェンダー

その大会で最も防御面で貢献したコートプレーヤー。

ベストゴールキーパー

その大会で最も活躍したGK。外国では「敢闘賞」「残念賞」のニュアンスで選出されるケースが多い。ベストゴールキーパーは原則として「ベストセブン」のGKに推される。

ベストスコアラー

その大会で最も多く得点した選手。「得点王」と同意語。得点はフィールドゴール7mスローによる合計が原則。プレスなどへの発表はその内訳が明記されることが多い。

ベストシューター

日本リーグが採用している「最優秀シュート率選手」。フィールドゴール数の上位選手10人の得点をシュート数で除し最高率(アベレージ)となった選手。第31回(06〜07)までの史上最高率は、男子が松本義樹(湧永製薬)の86.7%(81年)、女子が橋詰とぬ(イズミ)の82.9%(99年)。外国ではアベレージではなく、1試合平均得点を割り出すケースが多い。

ベストセブン

オールスターと同意語。大会を通して7つのポジション別にそれぞれ各1人を選出。「オールスターチーム」と呼ばれることもある。

ベンチ bench

正式にはチームベンチ。長い腰かけ状の選手席。大会によって入れる人数が異なる。最近は個席(1人ひとりの椅子)が望ましいとされる。個席はベンチとは呼ばない。ベンチの公式位置はセンターラインから3.5mの位置に始端を設置するとされている。
競技に出場せず待機している選手を「ベンチ」あるいは「ベンチウォーマー(ベンチを暖める人)」などと呼ぶことがある。

ベンチワーク

和製英語。監督やコーチの采配。選手起用を指すことが多い。

ビハインド behind

得点をリードされている状態。

ベイジン(Beijing)オリンピック

08年8月8〜24日に、中国の首都ベイジン(北京の英語読み)で開かれた夏季大会。日本のハンドボールは男女とも不参加。ハンドボールの優勝は男・フランス、女・ノルウェー。

ベオグラード・ユニバーシアード09

セルビアの首都ベオグラードで09年7月1日から12日まで開かれる第25回夏季ユニバーシアード。男女ハンドボールの初実施が決まっていたが、同国の財政事情で08年10月大会規模縮小となり、ハンドボールは削除された。15年光州(韓国)での第28回大会でハンドボール(男女)は初めて行なわれる。

ベルリン(Berlin)オリンピック

ハンドボール(男子11人制)が初めて行なわれたオリンピック。1936年8月、6ヶ国が参加、ドイツが金、オーストリア銀、スイス銅メダル。日本は、まだ、球界が組織化されていず不参加。
この大会でハンドボールが採用されたのはドイツの国技であったことが、最大の要因といえる。各国思いおもいのハンドボールと類似球技は、統一ルールも出来、国際組織は整えられていたが、一気にオリンピック実施となったのは“ドイツの力”以外の何ものでもない。世界選手権(男子のみ)は11人制、7人制とも2年後の38年開始だ。11人制には10ヶ国が参加するなど、順調な発展を印象づけたが、オリンピックでの実施は、このあと72年まで“空白”となる。女子の初オリンピックは76年モントリオール

ビッグカード bigcard

有力チーム同士の対戦あるいは対戦予定。優勝争いに影響する対戦を指す場合もある。

ビッグネーム bigname

大選手、名選手。時には強豪チームや名門大会を指す。

ビブ bib

前かけ、胸あての意。コートサイドで取材するマスコミ(特に映像、画像)関係者を識別するために配付、着けてもらう。通し番号が付されている。同様の目的で腕章(アームバンド)、帽子(キャップ)などがある。

ビヨルク Gosta Bjork(故人)

ゲスタ・ビヨルク。国際ハンドボール連盟初代会長として46年創立から50年まで在任。スウェーデン国籍。ハンドボール、アイスホッケーの名手として鳴らし、スウェーデンオリンピック委員会事務総長としても活躍した。55年、55才で他界。

BK

バックスの略称、略記。現在はほとんど使われない。

B級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格のカテゴリーの1つ。国際競技以外のすべての競技を審判することができる。

ブレザー blazer

選手団、チームの全員が着用する上着。ブレーズ(blaze)=炎から転じたもので、赤又はオレンジ色以外の色の場合本来は「ブレザー」と呼ばない。

ブロック block

@地域、区画などの意。国内では北海道、東北、関東、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州の9ブロックに分かれている。日本体育協会の区分に準じている。学生リーグは伝統的に近畿とせず関西を名乗る。
A対戦表などで1つの固まりを示す。右側のブロック、などと使う。
B妨げるの意。相手攻撃陣のシュート走りこんでくる動きの阻止など防御面のプレーと攻撃路やシュートコースを生むため防御側の動きを封じてその進路に立ちはだかるなど攻撃面のプレーがある。

ブーイング booing

競技の進行への不満や不承知−レフェリーの判定、声援しているチームとの反対側の選手の行動、声援を送るチームの無気力などに発せられる声。対戦側の選手紹介で浴びせられるのは、その選手の実力を評価するニュアンスもある。7mスロアーやGK(ゴールキーパー)への“威かく”にも使われる。世界共通のユーモラスでフレンドリーな姿勢として受け容れられる。

ボディコントロール

身体のこなしかた。ボディワークともいう。

防御

ディフェンス全般を指す。守備、守り。防御のシステム。

ボンヘッド

この言葉の出所は詳らかではない。凡失=考えられない単純なミス、過失とヘッドワーク=頭脳運動を合わせたものか。スポーツ界独特の表現(?)。
またはボーンヘッド(bonehead)、判断の悪いまずいプレーのことか。

ボスマン判決

ヨーロッパサッカー界の裁判がハンドボールなどヨーロッパスポーツ界にも影響した事件。ベルギーのプロサッカー選手ジャンマルク・ボスマンが95年6月ヨーロッパサッカー連盟とベルギー協会を相手どり「契約満了後も選手を拘束する規定はプロ選手の行動を妨げ損害を与える」として損害賠償(約1億円)訴訟を起こし、同年12月、ヨーロッパ連合司法裁判所はボスマンの主張を認めた。この判決は「ボスマン判決」と呼ばれ、サッカー界だけにとどまらず、ヨーロッパのスポーツ選手は、契約満了後、移籍金をともなわず自由にほかのクラブへ移籍できるようになり、ドイツ、スペイン、フランスなどのハンドボール界や“旧東ヨーロッパ勢”の選手に効果が及んだ。

バウンスパス bounce pass

ボールをフロアにはずませて味方へ送る技術。デンマーク女子の人気選手アーニャ・アナセンは思い切りボールを叩きつけ高くはね返るところを自身がジャンプしてキャッチ、そのままシュートするパフォーマンスをあみ出した。最近ではゴール内にボールをはずませ、シューターが飛びこむ空間攻撃としてこのパスは用いられはじめている。

バウワー Bert Bouwer

ベルト・バウワー。05年4月から08年3月まで全日本女子に史上初の外国人監督として招かれた。オランダ代表、同ジュニアなどの監督を歴任。現役時代はオランダ代表、ドイツリーグでも活躍した。52年1月オランダ生まれ。

没収試合

重大な違反をおかしたチームの成績を、それまでのスコアなどと一切無関係に没収し、敗戦とする試合。
無資格選手の起用、チームの遅刻、試合のボイコット、ドーピング違反、組織決定の違反、目にあまる粗暴な行為などで適用される。成績への影響にとどまらず、出場停止、罰金なども課せられる。
日本では無資格選手の起用や登録手つづきのミスなどのケースが多い。社会的要因ともいえる交通渋滞での試合開始予定時間への遅刻、開始時の人数不足(最低5人)などで没収となる試合もあり、メンバー不足は増える傾向という。予め届出のあった場合は「不戦敗」として扱われる。没収試合のスコア処理は1−0、2−0、5−0、7−0、10−0、12−0など主催者や大会規定によってまちまちだ。

ブックメーカー

スポーツの結果にマネーを賭ける「スポーツベッティング」の運営を行なう会社。ヨーロッパ各国では政府公認と未公認の非合法機関があり、後者は八百長などを仕組み、しばしば社会問題となる。ハンドボールでは11〜12年シーズン、フランスのトップリーグで人気クラブとスター級選手が巻きこまれるスキャンダルが起きている。公認ブックメーカーによるハンドボールの国際大会のオッズ(倍率)は周到な資料によって割り出されているといわれる。

ブレーキングスルー breaking-through 

相手守備網を前に突破口を開く攻撃手段。「カットイン」「カットアウト」で切りこみ、固い壁を崩す。そのままシュート(得点)へ結びつけるプレーもあり、鋭いフットワークとフェイント力が決め手になる。

ブライトン宣言

94年ブライトン(Brighton、イングランド)で開かれた第1回世界女性スポーツ会議であらゆるスポーツ活動における女性への差別を撤廃し、全面的に女子が関わることを可能にするとした宣言。01年日本オリンピック委員会が批准、加盟団体に早期の対応が望まれ、日本ハンドボール協会は03年史上初の女性委員会を設置。2013年度執行部に初の理事として東海林祐子さんを専任した。女子レフェリーは13年度国際2名、A級8名を含む386名。

ブラジル

2年後にリオデジャネイロオリンピックを控える。1950年代、フランス人によって紹介されスポーツクラブ、大学で普及、54年アメリカ大陸で初の国際ハンドボール連盟加盟国となった。大陸内ではアメリカ、キューバなどに男女ともなかなか勝てなかったがヨーロッパとの交流がさかんとなり全体のレベルが上がった。女子は90年代、男子は2000年代に大陸タイトルを飾るようになり、女子は男子サッカー選手のように有力選手がヨーロッパのクラブを活躍の場としはじめた。13年の世界女子選手権(セルビア)優勝の快挙はヨーロッパに籍をおく選手が主力を担いその活躍によった。オリンピック出場は男女各4回。男子代表は97年世界選手権と08年ジャパンカップで来日。男子代表のグスタボ・ナカムラ・カルドン(82年生まれ)など日系選手も多い。ビーチ競技がさかんで一時はこの競技の発祥地説も流れたほどだ。5回の世界選手権のうち男子は3回、女子は2回の優勝を飾っている。

日本ではクラブ、チームの意味を持つハンドボール愛好者の集団。教育現場での「部活動」は球界を支えている。その一方で競技力志向、勝利至上主義が強すぎ、スポーツをエンジョイするという面に欠けているとの指摘もある。中学、高校の部は少子化もあり、部員の減少に悩み、複数校合同や、外部指導者の導入など新しい動きも目立つ。
企業の部は、経営事情から廃部、休部、活動縮小などに見舞われ、頂点強化路線へ影響を与えている。
すべての部をめぐる状況の変化は「クラブ」の時代到来を急がせてもいる。

ブンデスリーガ Bundes Liga(ドイツ語)

ドイツリーグ。男女とも1、2部で構成、2部は南・北ゾーンに分かれる。男子は1921年からの全ドイツ選手権の伝統を継ぐ名門大会。50年代、総当り戦を採用しこの名称となったが、現在のノン・アマチュアカラーによる組織は77年からを指す。すべてのリーグ記録は77年をスタートにしている。92年の東西両ドイツリーグ合併で、サッカーを追うプロ・リーグ路線のカラーがいっそう強く打ち出され、03年からはドイツ協会を離れ独立した機構となった。
07年から5シーズン、トヨタ自動車の現地法人がタイトルスポンサーとなり、10-11年シーズンまで「トヨタ・ハンドボールリーグ」が正式名称となった。。ヨーロッパ連合(EU)内の選手は外国人選手扱いしないという積極策で、各クラブとも国境を越え有力選手を次々と契約「ワールドリーグ」の異名をとるほどの質量を誇る。
日本人では旧組織時代の近森克彦をはじめこれまでに橋本行弘、茅場清、河田浩貴、植松伸之介、梶原晃、石黒将之らがプレーしている。女子も加藤典代、谷口尚代、金城晶子、田中麻美、内林絵美らが活躍。男子は18クラブ2回総当り、10000人近い収容力の大アリーナ、大ホールを使う試合も多い。01〜02シーズンから年間総観客数が100万人台に上り、07〜08年シーズンに1,501,315人(1試合平均4906人)のいずれも史上最多をマークした。

文理科大学

日本ハンドボール界草創期から第2次世界大戦直後まで国内最高のレベルを示した強豪チーム。東京所属。37年10月、国内初の公式大会・第1回関東選手権を前に、学内各スポーツから選手(部員)を募ってチーム編成、この大会は2位に終わったが、1ヶ月後の第1回全日本選手権(兼第9回明治神宮体育大会)では同一メンバーながら「大塚クラブ」を名乗って優勝、史上最初のチャンピオンチームとなった。第2次世界大戦をはさんで48年の第1回東西学生王座決定戦で栄冠を飾るなどしたあと49年、学制改革によって東京教育大学、さらに77年からは筑波大学と変わった。

バイロー bylow(s)

規約、補則、付則、細則。財団法人の日本ハンドボール協会は「寄付行為」がこれにあたる。