Dエリア・Dゾーン

サイドラインの片方に近接した観客席から見ると、ゴールエリアが「D」の字に似ていることから俗称的にコーチや選手間で使われる。

ダッシュ dash

全速力で突進すること。

大同特殊鋼

62年、大同製鋼(=前社名。本社・名古屋市)の社内で愛好者がチームづくりを進め、64年正式創部。当初は県内での活動が主だったが東西学生界で活躍した選手を迎えトップゾーンに進出、72年地元での全日本実業団選手権で初の全国タイトルを手にしたのを皮切りに国内最強チームへ飛躍、76年発足の日本リーグ初代チャンピオンとなるなど70年代の全国制覇は23回、「大同時代」を築きあげた。14年3月までに全日本総合選手権13回、日本リーグ17回の優勝を飾っている。野田清蒲生晴明、末松誠(現・監督)をはじめ国際的プレイヤーも数多く送り出している。

大学定期戦

大学チームがリーグ内、地域内を問わず、他大学との友好を目的に組む試合。第2次大戦前にも在京の大学間で行なわれていたが、リーグ戦の試合を兼ねるケースが多く、“独立”した定期戦の資料はほとんどない。
最古とされているのは46年第1回の早稲田大学関西学院大学。48年関東・関西両学連の交流をきっかけに慶應義塾大学−京都大学、明治大学−立命館大学、立教大学−同志社大学、法政大学−関西大学などのカードがスタートした。
現在では上智大学−南山大学のように両大学の全スポーツの総合定期戦に組みこまれる展開もみられ、日本体育大学−成均館大学、名古屋大学−ソウル大学など国際(日韓)定期戦も生まれた。東京大学−京都大学のOB戦は「11人制の部」が続けられている。

代表監督

代表チームの監督。ヘッドコーチ、ナショナルトレーナーなど統一した名称はない。代表選手を選抜することからセレクター(selector)と呼ぶ国も多い。有力国はフルタイム契約が常識で、任期はその都度決められる。国籍は問われない。

代表選手

代表チームに選抜された選手を指すが、近年はオリンピック、世界選手権大会の選手に限定して呼ぶ傾向が強い。日本では「全日本代表」が通称。資格はその国の国籍を持つ者で、外国籍選手を加えた場合、公式選手権に参加できない。

代表チーム

ナショナルチームに同じ。その国の協会が公式国際試合のため選抜し編成するチーム。日本協会は「全日本」を通称とするが、最近は「日本代表」と呼ぶケースも目立っている。英語名は「JAPAN」。男子は66年、女子は67年から試合の有無に関わらず“常設”されている。選手は国内で活動する者に限らず外国リーグに籍を置く選手も招集される。
ヨーロッパでは大半の選手が日ごろは外国協会や外国リーグ所属という編成も見られる。代表チームには国内のリーグやクラブに在籍の外国人選手は加えられない。オリンピックへの参加はその国のオリンピック委員会が承認してはじめて「代表」となる。コーチングスタッフの国籍は問われない。

大日本体育会

42年から第2次大戦後まで日本のスポーツ組織を統括した団体。前身は1911年(明治44年)創立の大日本体育協会。日本ハンドボール協会は38年5月に加盟した。日本体育協会に改称されたのは48年、現在に至っている。

ダービーマッチ derby match

同一地域、地区の強豪同士の試合。サッカー界から伝わってきた言葉で、イングランドのダービー地方で行なわれる試合はいつも激しく観客を沸かせたことから生まれた。ヨーロッパスポーツの“共通語”といえる。日本リーグではオムロン(熊本)−ソニーセミコンダクタ九州(鹿児島)を「九州ダービー」と呼べる。競馬のダービーはイギリス人の名で、まったく関係がない。

段階的罰則適用

相手に対する反則がフリースローによって罰するだけでは不充分とみられるケースで適用される。
対象となる反則は、相手の身体に対するものと、スポーツパーソンシップに反する行為が多い。
前者は相手を押す、抱えこむ、つかむ、突く、たたく、相手の身体にぶつかる、足を掛けるなど、後者はプレーの遅延行為、フリースロー時にボールを渡さないなどがあげられる。

デッド dead

競技中断。一時停止の状況。ボールが観客席に飛びこむ、物がコートに投げこまれるなどで生じる。対比はボール・イン・プレー

ディフェンス defence

防御。防御の役割の選手のこと。基本は相手にシュートを射たせない「詰め」(=チェック)にある。シュートを射たれた場合は、空間でボールのカットを狙う、CPGKの連携でシュートコースを狭めるなどを図る。防御システムはゾーン、マン・ツウ・マンに大別され、ゾーンのシステムは「6:0(一線)」「5:1」「4:2」「3:2:1「変形3:3(3:2:1)」などが代表的。数字はGK側から付けられる。アサインド・マン・ツウ・マンはAの項。

ディフェンダー defender

@チーム内で防御を中心につとめる選手。DFと略称、略記される。
A選手権保持チーム。

ディフェンディング・チャンピオン

ディフェンダーのAに同じ。「今」のチャンピオンチーム。

デレゲーションリーダー

代表団、派遣団の統括責任者。団長。チームリーダーの呼称よりも、訪問国に対して代表者の存在を明らかにできる。

デンジャラスプレー

過度な反則行為、危険行為。ジャンプした選手を空間で下から突きとばすようなプレー。失格追放が課せられるケースが多い。ヨーロッパではしばしば両チーム選手の乱闘の引き金となる。

デンマーク

室内ハンドボールが19世紀に早々と愛好されていた伝統国。この時代の「室内」は大きなマーケットの倉庫などを指すもので、しだいに体育館が建ち、1904年には学校スポーツ用にルールブックが発行されている。国際ハンドボール連盟は、この国を「近代ハンドボール発祥国」として認めている。最初の試合は1897年ニーボリー(Nyborg)とされる。
競技スポーツとしての本格化、組織化には時間がかかり、代表チームによる初の公式国際試合は35年3月のスウェーデン戦。すでにこの頃は「国技」として定着、デンマークの体育館はハンドボールのサイズが基準といわれる。第2次大戦後は女子の球技として人気が高まり、愛好者の増大とともにトップレベルの向上が進んだが、世界選手権などでは東ヨーロッパ勢の壁を崩せなかった。96年アトランタオリンピックに初出場初優勝、00年シドニーオリンピック、04年アテネオリンピックも金メダルを手にし、3連覇の金字塔を打ち立てたが、北京オリンピックは参加資格を得られなかった。国内女子リーグは上位クラブのプロ化が進み、外国人スターも多く最高レベルの試合を展開、人気を集めている。日本人選手ではこれまでに稲次彩、松尾香代、山下美智子、田中美音子早船愛子らがプレーしている。

デモンストレーション demonstration

ハンドボールの宣伝、技術、戦術の実演、ルールの説明などのために行なう試合、あるいは試合形式。試合時間は規則にしばられない。

ディビジョン division

各国のリーグ戦で導入されている技量などによる区分。第2次大戦後、ヨーロッパ各国は愛好者の増大によってクラブのエントリーも多くなり、一斉にこのシステムを採用した。
日本では47年秋から東西の学生リーグが1・2部制としたのが最初。日本リーグは男女とも79年に2部を設けた。ヨーロッパのトップリーグは1〜3部が標準で、それ以下は別の組織名称がつけられることが多い。

ディスクォリファイ disqualify

@失格。重大な反則に課せられる。
Aチームが予選で敗れるなど本選への参加資格を失うこと。予選を突破できなかったこと。

ドイツ

自他ともにハンドボールを「国技」と自負し伝統を誇る“王国”。1915年、この国で女性のため考案された球技・トーアバル(Torball)を原型とし、19年、類似の球技などをまとめてハンドボールが生まれたとされる。デンマークの「室内」(=前掲)に対して、ドイツはフィールド(屋外)スポーツ。20年ドイツ体操連盟が「ハンドボール規則」を制定、各地で試合が行なわれ、21年全ドイツ選手権(男女)が始められた。代表チームによる初の公式国際試合は25年9月13日の対オーストリア戦で、同時に世界初の公式国際試合ともなった。36年ベルリンオリンピックの実施で「ドイツのハンドボール」は揺るぎないものとなる。第2次大戦後は、国土が東西に分割され、国際舞台での活動はドイツ民主共和国(東ドイツ、ハンドボール組織の略称DHV)がドイツ連邦共和国(西ドイツ、DHB)となる。72年ミュンヘンオリンピックにハンドボール(男子室内)を36年ぶりに復活させたのは王国のパワーといえた。07年1月第20回世界選手権のホストを務め、のべ75万人(1試合平均8154人)の観衆を集める空前の盛況を生み、その熱狂の中で代表チームが優勝という快挙を遂げた。
90年劇的な東西統一でハンドボール界もDHBとしてすぐに合体、クラブ数4539、愛好者80万3373人(13年資料)と世界最高の質量を誇る。
国内最上位リーグは東・西が92年から合流、伝統的なブンデスリーガの名で活況を続けている。56年、前年の第4回世界11人制選手権で優勝した西ドイツ男子が来日、日本ハンドボール界にこの上ない刺激を与えた。東ドイツも79年女子代表、81年男子代表が来日した。

D級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格カテゴリーの1つ。各都道府県大会の競技を審判することができる。満18才以上に申請の資格がある。

ドクター

一般的に医師。チームに帯同して救急の対応にあたる場合や大会主催者が負傷などの手当てのため配置する。故障の早期発見や回復状態チェック、ケガの予防などメディカルスタッフの充実は近代スポーツでは欠かせない。

ダブルドリブル double-dribble

ドリブルしたボールをいったんつかんだあと再びドリブルすること。反則。

ダブルエリミネーション方式 double-elimination

1つの大会で2回敗れるまで出場資格が確保されるシステム。大会運営面から最近はほとんど行なわれない。

ダブルヘッダー double-header

2頭だての馬車の意から転じて、2つのチームが同じ日に2試合を戦うこと。
日本では午前中1回戦、午後2回戦のような日程を指すことが多い。日本リーグはA対B、C対Dの2試合を同一会場で変則的なダブルヘッダーを組む。第1試合がエキシビション、第2試合が本来のカードというような場合は、ダブルヘッダーとはいわない。

ダブルポストプレー double-post

ゴールエリア周辺に2人の選手を配してパスを通し得点を狙う攻撃。ポスト

ダブルスカイプレー double-sky

コート上からゴールエリア空間の選手にパスし、その選手がさらに空間に飛び上がった選手へパスしてシュートに結びつける離れ技。最初の受け手のジャンプ力、滞空力がカギになる。華麗な“空中攻撃”だが、失敗すると2人がゴールエリア内に倒れるなど帰陣が遅れ、捨て身の攻撃ともいえる。

ドアークローズドゲーム

ノースペクターズマッチと同じ意味。一般の観客を入場させないで行なわれる試合。騒動が予想される時などの緊急手段。「密室試合」

ドリブル

ボールを片手でフロアにはずませながら前進する技術とそのプレー。時間をかせぐため、ドリブルの得意な選手がボールを確保する場合も多い。ドリブルで単身持ちこむシュートは「ドリブルシュート」。

ドリームセブン

日本リーグが2005年の30周年記念行事として歴代の競技者の中から選考委員会によってノミネートした各7人。内外スポーツ界では「クロニクルプレーヤー」と呼ばれることが多い。
男子・GK 橋本行弘(ホンダ)、CP 佐藤要二(本田技研鈴鹿)、蒲生晴明(大同特殊鋼)、山本伸二(湧永製薬)、西山清(日新製鋼)、呉龍基(中村荷役)、岩本真典(三陽商会―大崎電気)
女子・GK 山口文子(オムロン)、CP 加藤美起子(日本ビクター)、松下仁美(ジャスコ)、李相玉(大崎電気)、前田重子(日立栃木)、林五卿(イズミ―広島メイプルレッズ)、田中美音子(大和銀行―Skovbakken=デンマーク―ソニーセミコンダクタ九州)。

ドーピング doping

選手が競技力や身体の能力をアップするため薬物を使用すること。健康を害す懸念とともにフェアプレーの精神にもとる行為、反社会的な行動として禁止の運動が世界的に展開されている。
ドープ(dop)はアフリカで祭などの最中に強く濃い酒をのみ、元気づける風習を指すがスポーツ界では競技への意欲を昂揚させるため興奮剤を服用、効果をあげるのは30年代から行なわれていたともいう。
国際オリンピック委員会は67年に全面禁止を決定、各国際スポーツ組織もならった。国際ハンドボール連盟は70年に厳しい姿勢を打ち出し啓発を進めたが、使用の風聞は絶えなかった。83年の第3回世界女子選手権Bグループで2ヵ国2選手の違反がのぞき、このうちルーマニアGKが最終検査でも陽性と判定され、出場した1試合が史上初めてドーピング違反による没収試合(10−0)となり、選手は2年間の出場停止処分をうけた。その後も違反や疑惑があとを絶たず、ほぼ毎回の世界選手権で陽性反応が検出、熊本世界選手権では1人が陽性と判定(3ヵ月出場停止)。
日本ハンドボール協会は90年代に入って「アンチ・ドーピング規定」を設け、日本リーグプレーオフなどで検査を行なっている。国民体育大会では03年から導入された。

ドロー draw

@大会の組み合わせを決める抽せん
A引き分け。

ドローミーティング

大会の組み合わせを決める抽せん会議。

デュオ duo

二重唱、二重奏などの音楽用語だが、最近は「コンビ」「ペア」の意味でスポーツ界でも使われる。