I.A.H.F

国際アマチュアハンドボール連盟の略称、略記。

茨城県協会

47年11月設立。戦前に活動していた県内関係者が終戦直後から旧制中学に指導を行ない、旧制水戸高校が関東学生リーグへ加盟するなど戦後球史に特筆される動きを示した。その流れを新制高校が受け継ぎ、さらに茨城教員が58年、初の全日本教職員選手権で優勝したことも発展を勢いづかせた。高校、中学での活気は近年も衰えず、国内有数のレベルを誇っている。

茨木高等女学校

第2次大戦直後、いち早く大阪で活動を“再開”した女子チームとして記憶される。47年、初の国体中学女子(旧制)の部で優勝を飾り、新制度後、春日ヶ丘高校となり、翌年の第3回国体高校女子の部でタイトルを保持した。

「居場所」情報

ドーピングの競技会外検査のため、検査対象者が自己の「居場所」の情報を4半期にいちど日本アンチドーピング機構に提供すること。居住地、トレーニング地、競技(大会、試合)地を日次ベースで特定する。

Iボール(i-ball)

ゴールシーンやライン際のボールの位置をより正確に判定するためにボールにチップ(=半導体の小片)を埋め込んだボール。08年の第4回女子ワールドカップ(デンマーク)で使用され、世界選手権などでの使用が研究されている。国内での導入は未定。

IDカード identify card

身分証明書。大会に参加する身元などを認証するため発給され、大規模な国際大会で、このカード所持者の担務別によってADカードが発行される。

IFs

国際スポーツ連盟の略称、略記。国際ハンドボール連盟はIFsの1つ。

IHF

国際ハンドボール連盟の略称、略記。

IHFキャリア carrer

国際ハンドボール連盟が国際公認審判員への経験と資格の過程を示す規程。

IHF「チーフレフェリー」シンボジウム

国際ハンドボール連盟が原則として4年にいちど改訂した競技規則(ルール・オブ・ゲームズ)の説明や伝達を目的に開くシンポジウム(symposium)。「チーフレフェリー」は加盟各国の審判界代表者を指し資格ではない。
(注)国際ハンドボール連盟の競技規則の大幅な改訂は、原則としてオリンピックイヤーまたはその翌年に開かれる同連盟総会でのみ承認され、翌年8月1日から発効(施行)となるのが通例。その期日以前に採用するのは各国の自由。

IHFコーチ・レフェリー合同シンポジウム

国際ハンドボール連盟が加盟国の強化コーチとレフェリーを集めて開くシンポジウム。74年スイスで第1回のあと79年から4年にいちど開かれている。最近では09年7月にチュニジアで行なわれた。

IHFエリートレフェリー elite referee

国際ハンドボール連盟が毎年6月に発表する「レフェリーリスト」で告示される世界最高資格の国際公認審判員。その年の8月1日から翌年7月31日までのシーズンに行なわれる世界選手権(男女シニア)とオリンピックはエリートレフェリーのなかから指名される。2013-14年リストには女性ペア14組(28人)がノミネートされ、太田智子・島尻真理子組(日本)も初めてノミネートされた。

IHFレクチュアラー(インストラクター)

国際ハンドボール連盟が5つの委員会(コミッティ)の事業や活動を加盟国に浸透させるため大陸別に指名する(lecturer)。委員会によってはインストラクター(instructor)と呼ぶ。日本ではアジア大陸への“伝導役”として、審判系で後藤登が任命されている。これまでにコーチ・手法系で水上一、審判系で斉藤実がつとめた。

IHFプレジデントカップ

07年の男女世界選手権から導入された方式。予選(1次)リーグで敗退したチーム(国)による下位順位決定戦。

IHFプロスペクト・レフェリーグループ

国際ハンドボール連盟がエリートレフェリーへの登用を期待(prospect)できると評価して指名したレフェリーのグループ。毎年1回発表され原則として30ペア60人。

IHFレフェリー

国際ハンドボール連盟公認審判員。その資格によって審判着に付けるワッペン(wappen=ドイツ語)の色が異なる。

IHFレフェリーズ IHF referees

国際ハンドボール連盟が大陸連盟から推せんされたレフェリーによる「IHFレフェリーコース」(=後掲)を経たあとに指名する。1ヵ国3ペア6人を上限としており、60ヵ国以上150ペア(300人)前後が毎年発表される。

IHFレフェリーコース

国際ハンドボール連盟が国際公認審判員を集めて開くコース(course、講座、課程)。47年デンマークで第1回、そのあと2年おきに開かれてきたが、77年(第16回)以降、性格や内容が変わっている。現在は「IHF−PRC(=競技規則・審判員委員会)コース」と呼ばれ、大陸連盟から推せんされた公認審判員によるコースとなり、この課程を経て初めて「IHFレフェリー」に指名される。

IHF「トレーナー・コーチ」シンポジウム

国際ハンドボール連盟が、加盟国の主として頂点強化担当者を集めて開くシンポジウム。66年スイスで第1回が開かれ、そのあと4年ごとに行なわれ、最近では07年ドイツで第10回が催された。(74年は休会)。

IHFトロフィ

国際ハンドボール連盟の途上国振興策として2011年から始まった事業。
すでに08年ごろから大陸別の「IHFトロフィ」が行なわれたがアジア、アフリカ両大陸以外は定着せず11年に大陸代表を集めての「IHFインターコンチネンタルトロフィ」として再構築。同年11月カザフスタンで第1回女子が4大陸代表によって開かれ、13年11月メキシコで第2回女子・第1回男子が各5大陸代表の参加で行なわれた。アジアは中央アジア、南アジアの2地区でこのカテゴリーが活発に動いている。

IHF倫理委員会 IHF Ethic Committee

13年9月の国際ハンドボール連盟総会で新設が決まった委員会。英文名称はEthic Committee、同略称はEC。初代委員長はギョラン・ペターソン(スウェーデン)。

IHFオリンピック予選会

オリンピック出場国はアテネ大会までは各大陸代表、開催国のほかは直近の世界選手権の上位国とされていたが、北京大会(男女各12ヵ国)から、世界選手権枠を1ヵ国に減らし、残りは、新たに国際ハンドボール連盟直轄の予選会で決定する方式に改められた。予選会は男女12ヵ国を3組に分け各組1、2位がオリンピック・チケットを握る。12年のロンドン・オリンピックも同様とされる。予選会のアジア大陸代表枠は男女とも各1ヵ国。OQTに同じ。オリンピック世界最終予選とも呼ばれる。

井 薫(いい・かおる)

日本の代表的な女子トップゾーンの指導者。中央大学卒業と同時に60年郷里・熊本県に発足した実業団・大洋デパートの監督に迎えられたあと立石電機(現・オムロン)監督。全日本代表監督としてモントリオール・オリンピック(76年)にチームを導いたほか、73、75、86年の世界女子選手権全日本監督。現在は熊本県体育協会副会長。01年に著した「光と影」(博文舎・刊)はハンドボールを通じて見た旧ユーゴスラビアの民族模様と平和の素晴らしさを説いた内容で好評を得た。08年4月から熊本県サッカー協会会長をつとめていた。38年5月熊本生まれ。

一貫指導システム

競技者の育成を学制別に進めるのではなく日本ハンドボール協会が主体となり、年令別(エイジグループ)に組織的、計画的な指導を行ない、「上」へつなげていこうとするシステム。05年度から「年令別強化指定選手(男女)」を選抜、コーチングスタッフも編成されている。文部科学省の「スポーツ振興基本計画」でもこのシステムの構築に期待をかけている。

生野高等女学校

球界草創期に女子界の強豪として大阪で活躍したチーム。現・大阪府立勝山高校。

イレシュ Katica Iles

カティツァ・イレシュ。ユーゴスラビア(旧国家)が生んだ女子最高プレイヤーの1人で82年立石電機(熊本)に迎えられ、男女を通じ日本でプレーした初のヨーロッパ・トップ選手となった。73年の世界女子選手権優勝メンバー、同選手権出場4回、モスクワ・オリンピック(80年)銀メダルチームの主将。日本では83年末までプレー、83年、全日本女子のコーチとして外国人で初めての起用もされている。内戦で消息が心配されたが健在が確認され、クロアチア・オリンピック委員会などでの活動が伝えられた。46年3月オシェイク生まれ。

市原 則之(いちはら・のりゆき)

日本スポーツ界のリーダーの1人。大学、実業団で活躍のあと日本協会強化セクションに入りロサンゼルス・オリンピック代表チーム(男子)監督。日本オリンピック委員会(JOC)強化委員を経て、97年から同委理事、99年常務理事に選出され「ゴールドプラン」構想の展開に尽力。07年4月から総務委員長、08年北京オリンピックでは日本選手団副団長。09年から専務理事を13年3月の定年まで務めた。05年から日本トップリーグ機構専務理事。ハンドボール界では専務理事、日本リーグ機構会長、日本協会副会長を歴任。国際シーンでは09年5月から2期東アジアハンドボール連盟会長。41年10月広島生まれ。

池渕 智一(いけぶち・ともかず)

国際公認審判員。パートナーの檜崎潔と06年から国際ハンドボール連盟が始めた若手発掘プログラム(グローバル・レフェリートレーニングプログラム)に参加、同年の世界女子ユース選手権でデビュー、11年世界女子選手権に指名され、11年世界女子選手権にノミネートされた。

インドア

通常の7人制室内ハンドボールの通称だがビーチ競技との区別で用いられることが多くなった。

インドア・ハンドボール

屋内で行なう7人制競技。冬の長い北欧では1930年代からハンドボールといえば、この種目を指した。国際アマチュア・ハンドボール連盟も34年8月ストックホルム(スウェーデン)で開いた第3回総会で競技規則を正式制定している。日本には35年に伝えられたが、36年のベルリンオリンピックが11人制のため抄訳ですまされた。38年ドイツで初の世界室内選手権(男子のみ)。
日本で最初の競技は52年12月3日、大阪府立体育会館開館記念試合(大阪クラブ6−2関西学生選抜)。全日本総合室内選手権は54年12月、大阪でスタートした。
(注)34年の国際7人制競技規則による試合時間は10分ハーフと25分ハーフの2つが示されている。

イン・フライト・シュート

ビーチ競技でのスカイプレー。成功すれば2点が与えられる。

インストラクター

IHFレクチュアラーに同じ。

インターシティ

都市の代表チームによる定期的な大会、対抗戦。「神奈川県6市対抗」「青函対抗(青森市−函館市)」など。

インターカレッジ

大学チームによる選手権大会。全日本学生選手権が国内では代表的。

インターコンチネンタルカップ

カタール、サウジアラビアなど石油産出国の富豪がスポンサーとなって国際ハンドボール連盟を動かし98年に突然始められた2年ごとに開く賞金付き男子大会。各大陸選手権の優勝国と主催者推せん国、開催国などによる参加で行なわれる。第1回(98年、カタール)は3ヵ国とカタールだけのエントリーだったが、第2回(00年、サウジアラビア)、第3回(02年、ロシア)はオセアニアを除く4大陸代表が揃い、看板に近い内容となっている。賞金総額10万ドル。優勝賞金5万ドル。優勝国は98年アルジェリア、00年スウェーデン、02年ロシア。それ以降開催されていない。日本は参加したことがない。

インターフェアレンス interference

妨害のこと。ハンドボールではこの表現の反則はないが、チャージングなどは、この系統に属する違反。衝突したプレーに対してヨーロッパの新聞、雑誌がしばしば用いる。

インターハイスクール

高校チームによる選手権大会。全日本高校選手権。「インターハイ」が通称。

インターナショナルクラブマッチ

クラブチームによる単発の国際試合。公式的なニュアンスが強い呼称で、レフェリーを第3者国から招くのが望ましいとされる。

インターナショナルマッチ

代表チームによる単発の国際試合。レフェリーを第3者国から招くのが通例。

インターナショナルマッチデー

ヨーロッパハンドボール連盟が外国人選手の往来が激しく、各国代表チームが試合を組みにくくなり、ベストメンバーを揃えられない状況が強まっているため、各国合意の期間(主に3ヵ月ごとの週末3〜4日)を設定し、その日時にインターナショナルマッチ(=前掲)を編成するよう奨めているもの。インターナショナルマッチウィークと呼ばれることもある。

陰性

ドーピング検査の結果、違反の反応が現われなかったこと。対比は陽性

インビテーション競技

総合競技会で正式競技には採用されないが、主催者、開催国などの要望によって実施される競技。09年までのワールドゲームズのビーチ・ハンドボールが好例。

インターセプト inter cept

相手のパスを横取りすること。その回数(チーム、個人)を記録化する動きがヨーロッパではのぞいている。

IOC

国際オリンピック委員会の略号、略記。

「IOCプレジデント」カップ

89、91年の2回、韓国ハンドボール協会により開かれた国際女子大会。88年ソウル・オリンピックの成功を祝って当時の国際オリンピック委員会会長ファン・アントニオ・サマランチ(スペイン)がハンドボールなど数競技に「プレジデントカップ」を寄贈したことで行われた。93年の第3回大会からは「ソウルカップ」と改称、2年ごとに実施されている。最近は「韓国国際」としてソウル以外でも開かれることがある。

石川県協会

46年12月設立。47年に第2回国体が開かれることがきっかけとなった。50年代に入って全国トップレベルの高校女子チームが次々と生まれ、その動きを軸に中学、社会人(実業団)でも最上位で活躍するチームが国内をリードするまでになっている。

イスラム女子競技会 Islamic Countries Women Sports Games

宗教上、日常上のさまざまな規律から発展が制限されていたイスラム教国の女性だけの国際総合競技大会。93年10月に第1回が世界注目のうちに開かれ、97年第2回、01年第3回、05年第4回といずれもテヘラン(イラン)で行なわれた。10年に予定された第5回(テヘラン)は中止となっている。毎回20ヵ国を超える参加がある。いずれもハンドボールが行なわれ、実力でトルクメニスタン、カザフスタンなどが、イラン、ヨルダンなど中東勢をリードしている。第3回と第4回の勝者はアゼルバイジャン。07年7月の第9回アジア女子ジュニア選手権にイランとカタール、同7月のアジア女子ユース選手権、同8月の北京オリンピック女子アジア予選にカタールが登場した。

一線ディフェンス

ゴールエリアラインに沿い防御側6人が並び一線状となるためこの名がある。「6:0ディフェンス」も同じ。身長で攻撃側(相手)より有利な場合、長身のディフェンダーを有する場合などで多用されるセットディフェンス。「待ち」のディフェンスでもある。

移籍

愛好者、競技者が所属チームを変更すること。一般愛好者は規定にしばられるケースは少ないが公式競技会への参加機会が多いトップレベルの競技者は内外とも精細な規定が協会、連盟、リーグなどで設けられている。トランスファー(Transfer)に同意。国家代表選手(ナショナルプレーヤー)としての移籍は前の国籍での試合から3年間出場していないことが条件となる=スリーイヤーズルール。

入れ替え戦

上部の下位チームと下部の上位チームが、次回からの所属をかけて行なう試合。各地学生リーグで伝統的に採用されている方式で日本リーグも採用している。ヨーロッパ各国リーグは自動的な入れ替えが通例で、日本でもこの方式の一部を採り入れ、2チームの入れ替えのうち、最下位の自動的転落(入れ替え)を行なうケースが増えている。

岩本真典(いわもと・まさのり)

06年10月、日本リーグで史上初のリーグ通算1000得点を達成。09年3月現在1079点に達している。熊本市立商業(現・千原台)高校―早稲田大学―三陽商会(93〜00)―大崎電気(01〜)・日本代表でつねに攻撃陣の主力をつとめ198cmの長身・左腕から放つ強打と絶妙の配球力で存在感を示す。世界選手権出場2回、01年秋田ワールドゲームズでのビーチ競技で国際ハンドボール連盟から「ミスター・ビーチハンド」に選ばれている。01年から大崎電気のフルタイム契約選手として活躍のあと、09年から監督に就任。70年9月熊本生まれ。

岩手県協会

49年9月設立。盛岡を中心に発展。高校男女で全国トップレベルのチームが育った。一般(社会人)、高専など各層で有力チームも多く、堅実な発展を遂げている。日本リーグの開催に積極的で一般ファンの開拓を図っている。