毎年(隔年)実施競技

国民体育大会の活性化策として日本体育協会が2015年から採用する方式。
本大会(秋季)の実施競技数を37と限定し、4年ごとに参加を希望する競技を多項目にわたって評価、毎年実施と隔年実施の競技に区分する。
ハンドボールは2015年から22年までの8大会は毎年実施が決定している。

メインラウンド mainround

決勝戦や優勝へつながる大会の最終段階。通常、予選ラウンドが行なわれ、そこで勝ち残ったチームによって争われる決勝ラウンドなどのステージを指す。

マネージャー manager

日本では「主務」と訳されチームやクラブの総務、庶務を担当する人を指す。本来は活動全般を管理する人。トップチームではチーム渉外、管理、広報、用具、スコアラーなど近年は複数のマネジャーで分担、運営より経営感覚が強まっている。日本の「監督」チームマネージャーの役とされる。

マーケティング marketing

本来は商品販売の促進など企業活動での行動だが、スポーツ(ハンドボール)では、その普及、振興を図り、円滑に事業を運ぶための宣伝・広告や愛好者、ファン、サポーターを“市場”(マーケット)に見立てての調査、スポンサーの獲得、有料入場者の確保などを行なうことを表わす。日本ハンドボール協会内でもその重要性が強く説かれている。

マスターズ masters

精通、熟達などの意から転じてハンドボールではOB、OGなど、“若い時代”に愛好した人たちやその人たちによる大会、試合。93年全日本教職員ハンドボール選手権の“シニアの部”として親睦色を打ち出して始められ、年ごとに大会への評価と関心を高めている。ハンドボールの本格的経験の浅いスポーツ愛好者の参加も増えている(=全日本マスターズ大会)。ヨーロッパ・ハンドボール連盟では03年からヨーロッパマスターズが発足している。

「マラソンゲーム」 mararhon-game

あるチームが、あらかじめ定められた条件(飲食など)の下に、休憩なしに連続してハンドボールをしつづけ、その時間を競うエキシビション。原則としてトライするチームは12〜14人、相手の人数は制限がない。世界のさまざまな記録を収集する「ギネスブック」(イギリス・ギネス社の年鑑)が呼びかけたとされる。13年7月時点での最長記録は国際ハンドボール連盟によれば85年8月オランダでの44時間20分。

マーク mark

印(しるし)、模様、符号などの意だが、ハンドボールでは@得点をあげた(マークした)場合や記録の意で用いられる。A標的の意で相手の有力選手や、強力チームに注意をはらうBキャプテンマーク

マッサージャー massager

手で筋肉やヒフを刺激し血行を整える専門的な知識を持った人。現代のスポーツでは血行の変調などを治すため、スタッフとして欠かせない役割を持つ。女性のマッサージャーはマシュウス(masseus)、男性はマッサー(masseur)と呼ばれる。

マッチ match

試合。時に競技(=ゲーム game)。

マッチアップ match up

うまく実力が調和している対戦、あるいは原則として相対する2人の選手の技術的な調和がとれている状態。

マッチデー

試合のある日、試合が予定されている日。

マッチデープログラム

試合日に主催者が観客のために用意するその試合に特定した両チームのメンバーリスト、見どころ、記録資料などを載せたパンフレットやペーパー。

マッチリポート

内外公式試合の記録を一定の用式に記入し主催者が保管する。コピーがチーム関係者、マスコミなどに配布され得点、反則、審判員名、観客数などが公式記録とされる。略称はMR。

マッチバイザー matchviser

00年から日本ハンドボール協会が導入した公式試合における競技運営の管理責任者。1試合に1人が配置される。日本協会が大会ごとに指名する。公認審判員OB・OG、元全日本代表経験者、公認指導者経験者、日本協会役員などが多い。

マイナスポイント

全国リーグなどで競技上の理由以外の理由でチーム(クラブ)に課せられる罰点。選手移籍規程などの違反によるケースが多い。主催者がその都度、点数を決め(マイナス2点が多い)全日程終了時に勝点から差し引く。

的場 益雄(故人)

戦前、文理科大学の学生時代から競技、審判などのかたわら球界運営にたずさわり、戦後すぐ活動復活に力をつくした功労者。41年から68年まで日本ハンドボール協会理事をつとめ、11人制時代の技術史研究も手がけている。82年3月70才で他界。

松ヤニ

50年代に東ヨーロッパの室内競技で指の滑り止めに用いられはじめた。パス技術の高度化によるキャッチングのミスをなくすために無害の工業用接着剤の「松ヤニ」を利用したとされるが、発生の正確な資料はない。日本には60年代後半持ちこまれ、70年の第7回世界選手権を目指す全日本男子が使用、一気に拡がった。日本のメーカーによる製品の開発と販売は85年。ボールが痛みフロアが汚れるため、使用禁止の大会や施設も少なくない。

メディア media

報道機関、広告代理店など情報伝達の媒体を指す。メディア対策は、日本ハンドボール界の“宿命的な課題”の1つ。

メディアオフィサー

大規模な大会で主催者側のメディアに対するあらゆる対応を行なう責任者。日本ではこれまで97年熊本で開かれた第15回世界選手権で木野実が担当したのが本格的な第1号で、唯一のケース。

メディカルコミッティ Medical commitee

国際ハンドボール連盟コミッションの1つ。略称MC。日本から西山逸成が09年5月まで、そのあと坂本静男がメンバー。委員長はフランソワ・グナミアン(コートジボアール)。日本ハンドボール協会では強化本部強化委員会内に医科学委員会として設置されている。

メディカルスタッフ

チームに帯同する医療チーム、大会運営で設けられる医療、救急チーム。ドクター、マッサージャー、看護士などから成る。

メディテラニアンゲームズ

地中海競技大会に同じ。

ミート meet

大会、競技会。「対戦する」の意もある。

明治大学

いわゆる「戦前6大学」の1校。41年4月に大学体育会ハンドボール部として発足するが、38年5月、初の「東京学生リーグ」に、バスケットボール部が体力強化のためチームを編成して参加した前身を持つ。そのメンバーに初のハンドボール愛好者を加えて同年秋季リーグに優勝、以後も関東学生界の強豪として活動。関東学生リーグ優勝3回。第2次大戦中、短い期間だが女子チームを設けた。

明治神宮競技大会(明治神宮体育大会)

日本政府の主催で24年から43年まで東京・明治神宮外苑の競技施設(注・現在の国立競技場など)を会場に毎年あるいは1年おきに開かれた総合競技会。ハンドボールは日本ハンドボール協会設立(38年2月)に先がけて、37年11月第9回大会に陸上競技の1種目で参加、この競技を第1回全日本選手権とした。39年の第10回大会での東京学生リーグ紅白戦を経て、40年の第11回大会は初の女子全日本選手権と中学男子の部などを加えて行なわれたが、そのあと3大会は実施されなかった。
大会の正式名称は26年から明治神宮体育大会、39年から明治神宮国民体育大会、42年から明治神宮国民錬成大会と変わった。第11回大会の中学の部には新京商業(関東州)が参加するなど、参加資格は日本全域にわたっていた。40年代に入って、朝鮮神宮体育大会でもハンドボールは採用されている。

メンバー member

クラブ、チームを構成する人。組織に加盟しているハンドボール団体。組織の役員。

メンバーフェデレーションズ

国際ハンドボール連盟に加盟している各国のハンドボール組織、団体。1ヵ国1組織に限定される。09年5月現在166。

メンバーリスト memberlist

名簿。選手名簿、登録者名簿、審判員名簿、加盟チーム名簿など。公式的な性格を持つ。

ミドルバック middle back

攻撃フォーメーションのセンターと同意。

三重県協会

50年4月設立。高校界を主体に発展。62年、県下の中学校チームを母体にした女子実業団・田村紡績の発足が大きな刺激となり、さらに本田技研鈴鹿(現・ホンダ)の躍進でいっそう活気ある展開となったが、同チームは09年3月で日本リーグを離脱、今後に不安をのぞかせてもいる。

南アジア・ハンドボール連盟

01年12月、インドを中心に結成された。2013年にはパキスタン、バングラディシュ、ブータンなど8ヵ国がメンバー。11年9月、初の「南アジア・ビーチゲームズ」を開きビーチハンドボールも実施された。

南アジア大会

1984年に始まったアジアにおける地域総合競技大会の1つ。ハンドボール(男子)は10年の第11回大会(ダッカ・バングラディシュ)から実施されている。 英文の表記はSouth Asian Games. 略称はSA・Games。

ミニ・ハンドボール(フランス版)

国際ハンドボール連盟が奨励する少年少女のためのハンドボール。年齢は7才〜12才を対象としているが統一的なルールを制定するまでには至っていない。ヨーロッパの標準とされているのが「フランス・ミニ」で1チーム5人(1人はGK)、コートはサイドラインが18m〜25m、アウターゴールラインは15〜18m、ゴールは高さ1.7m、幅2.4m、ボールの外周46〜48p、競技時間は10分3ピリオドまたはハーフ6分あるいは8分とされる。
これとは別に、ヨーロッパ・ハンドボール連盟は、小学校教材用の「ハイスコア・ハンドボール(仮称)」を考案中である。
国際ハンドボール連盟のガイドラインでは年令は5、6才〜10、11才、1チーム5人(1人はGK)制あるいは6人制(1人はGK)、コートの標準は(20〜24m)×(12〜16m)、ゴールエリアは5mの半円、ゴールは高さ1.6m、幅2.4m。

「ミニ国体」

国民体育大会のブロック予選を兼ねた国内8つのブロックにおける総合競技会。74年に東北ブロックが東北総合体育大会を始めたのをトップに81年に全ブロックが出そろい、すべてハンドボールが実施されている。北海道は各スポーツの「国体全道予選」がこれにあたる。

ミスハンドボール Miss Handball

女子国際大会でもっとも観客に強い印象を残した選手を選び贈られる賞。近年はあまり選考されない。

三菱化学メディエンス(株)

日本で唯一の世界アンチドーピング機構(WADA)認定のドーピング検査機関。世界で34機関あり(09年6月現在)、13番目の認定をうけた(88年)。東京都板橋区にあり国内における検査のすべての検体は同所に運びこまれる。06年までの社名は三菱化学B.C.L。英文略称、略記はMCMC。

密室試合

治安上、観客を集めずに行なわれる試合。日本では75年モントリオール・オリンピック女子アジア大陸代表決定戦日本−イスラエルの2試合を日本ハンドボール協会が苦慮の末、この方法で報道関係者のみを入場許可して強行、大きな話題となった。現時点でも会場名を日本ハンドボール協会は公表していない。
ヨーロッパ・ハンドボール連盟では紛争事態での試合を一方の国での連戦や第三者国での開催で切り抜けるようになっている。ドアークローズドゲームノースペクテーターズマッチなどに同じ。

宮城県協会

48年6月設立。4ヵ月後仙台で行なわれた初の東北選手権で優勝した仙台教員のメンバーがその後、県内の普及に力をつくした。全国レベルの高校男女が育ち、国際舞台で活躍する選手を輩出している。

宮崎県協会

64年4月設立。11人制の足跡はなく、室内スポーツとしての将来性への着目から高校界へ普及が進められた。近年は一般層への充実を目標とし、03年全日本マスターズを主管、成果をあげている。

宮ア 大輔 (みやざき だいすけ)

史上最高とも言われる実力・人気抜群の選手。高校(大分国際情報高)時代からスピードにあふれた攻撃力で将来を期待された。日体大に進んだが、01年9月日本ハンドボール協会の海外研修生に選ばれて休学、バルセロナ(スペイン)へ渡りトップクラブでトレーニング、実戦を積み、同国下部リーグのBMポゾブランコに所属して活動した。
帰国後、03年から大崎電気と契約、日本リーグを舞台とする。秀れたジャンプ力を活かした空間からの多彩なシュート、切れ味豊かなエリア周辺の自在な攻撃、パッサーとしての展開力などで国内を代表する存在となり、09年秋から宿願のスペイントップリーグ(ASOBAL)のBMアルコベンダス入り、主軸として活躍。ロンドンオリンピック出場へ万全を期すため1シーズンで日本(大崎電気)に復帰。
日本代表のデビューは01年5月のオーストラリア戦(京都・田辺)。06年民放テレビの「スポーツマンbP決定戦」で各競技の代表的な選手を制して優勝(チャンピオン)し、一躍、全国のスポーツファンや聴視者の注目を浴び、ハンドボール界の枠を超えての人気アスリートに躍り上がった。08年1月東京での「北京オリンピック再予選」はイベントの異常さと“宮ア人気”が重なりあってのフィーバーだった。173cm、74kg、1981年6月大分生まれ。

ミックスドゾーン mixed zone

大規模な国際大会で設けられるチーム関係者、選手とマスコミ関係者が接触できる区域。厳重な警備で一般関係者などと完全に区別されていなければならない。オリンピックでは84年ロサンゼルスから実行。

モチベーション motivation

競技(大会)や練習に向けて意欲をかきたてるような要素。動機づけ。

ムスタファ Dr.Hassam Moustafa

ハッサン・ムスタファ。体育学博士。現在の国際ハンドボール連盟会長。歴代5人目。00年の総会でヨーロッパ大陸以外から史上初の会長に選任、13年に4選。エジプトの強豪エル・アリイクラブでプレー、75年から9年間、エジプト代表のコーチ、92〜96年エジプト・オリンピック委員会事務局長、96〜00年エジプトハンドボール協会会長。国際ハンドボール連盟では92〜00年理事、コーチ・手法委員会委員長、06年からASOIF(夏季オリンピック国際スポーツ団体連盟)理事。97、01、03、08、13年に来日。44年7月エジプト生まれ。

「むささび」シュート

全日本代表・野田清ミュンヘンオリンピック代表)が、立教大学時代から研究し実戦に持ちこんだサイドからのアクロバティックシュート。ゴールエリア上の空間にボールを持って頭部を下に逆立ちするような姿勢で飛びこみ、放つシュート。69年の全日本ヨーロッパ遠征で国際的な注目を浴び「ノダ・シュート」と名付けられ、その後、71年日本でのスウェーデン招待シリーズで日本のマスコミが「むささびシュート」と呼んで一般化した。日本スポーツ史上でも記憶にとどめられる攻撃技術。現在ではオーストリアのラウル・サントスがこのテクニックを見せる。「むささび」はリス科の哺乳動物。木から木へ飛び移る空間のさまが野田選手のシュートのイメージに重なった。

M.V.P

most valuable playerの略。大会(時には試合)で優秀な技量を発揮し、自チームに価値のあるプレーで貢献した選手。最優秀選手。

モントリオール(Montreal)・オリンピック

76年7月17日から8月1日までカナダで初めて行なわれた夏季オリンピック。女子ハンドボールが初採用され日本は5位入賞。大会途中、アフリカ勢(ハンドボールは男子チュニジア)がニュージーランドラグビーが人種差別のある南アフリカへ遠征したのを不服として帰国してしまった。

モスクワ(Moskva)・オリンピック

東ヨーロッパで初の夏季オリンピック。80年7月20日から16日間にわたって行なわれた。ハンドボールは男子東ドイツ、女子ソ連が優勝したが、各試合ともラフなプレーが多く、関係者のマユをひそませ、この大会を機会に国際ハンドボール連盟は改めてフェアプレーの強調とクリーンな展開を呼びかけた。
大会は80年2月、開催国ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻を非難してアメリカが不参加(ボイコット)の強硬手段をとり、日本(日本体育協会、日本オリンピック委員会)も同調、80年5月、不参加を表明した。男子ハンドボールは前年のアジア大陸予選を突破、代表選手も決定していたが出場は成らなかった。選手の球歴に「代表」の名を残している。

ミュンヘン(Munchen)・オリンピック

72年8月26日から9月10日まで西ドイツ(当時)で開かれた夏季オリンピック。ハンドボールが36年ぶりに復活、16ヵ国による男子7人制(室内)が行なわれ、日本は11位と健闘した。オリンピックでの採用は、国際的な普及を促進させ、ハンドボールはヨーロッパのスポーツから世界のスポーツへ飛躍することになる。大会途中パレスチナゲリラが選手村を襲い、犠牲者の出る事件があった。