U(アンダー)

年令別大会を表わす時の略称、略記として用いられる。U20(20才以下=ジュニア男子)、U18(18才以下=ユース女子)などと使う。

アンダーパス

両手または片手によって腰から下で投げるパス。

アンダーハンドシュート

上体をかがめたり、斜め前に倒すようにして下手(したて)から試みるシュート。

アンダーハンドスロー

低い位置から投げる方法。

アンダープレー

次戦以降の相手を意識して手の内をあまり見せずに試合を進めること。もとはトランプ用語。

運動記者クラブ

新聞社、通信社のスポーツ担当者、放送局のスポーツ番組担当者がスポーツ取材における便宜をはかるための会。北海道、東北、東京、中部、関西、広島、九州など15地域(=06年12月現在)に組織があり、のべ506社、約4550人のメンバーで構成されている。東京運動記者クラブは1924年からの歴史を持つ。同クラブハンドボール分科会の年間表彰は権威がある。15地域の多くにもハンドボール分科会があり、優秀チームや選手選定などを行なっている。

ユニファイド・スポーツ unified sports

知的発達障がいのある人のスポーツ大会で、パートナーと呼ばれる障がいのない人と組んで行なう競技形式。
ハンドボールでは「シュート」「ドリブル」「ターゲットパス」「スポットショット」などの種目がある。

ユニフォーム uniform

揃いの競技用シャツ、ショーツ。両チームの配色とデザインは互いに明確に分かるものとされ、選手は規定の背番号(20p以上)と胸番号(10p以上)をつけ、番号の色はウェアやデザインの色と対比できるように規程される。カラーの濃淡各1着を用意するのが望ましい。公式大会ではあらかじめ届け出られた色以外のユニフォームの着用は認められない。

ユニフォーム広告

ヨーロッパ各国では70年代初期からユニフォームにスポンサー名、スポンサーのロゴ(logo、社名、商品名などを特別にデザインしたもの)などを着けることを認めている。しだいに代表チームにも波及し、90年代の第12回世界男子選手権(チェコスロバキア)では、国際ハンドボール連盟が、全参加国に特定した企業の広告(背面)を提供するまでになった。最大3個所までとされる。日本ハンドボール協会も88年から解禁し、89年オランダ国際に出場の全日本男子が初めて導入した。業種、大きさなどは内外とも細かい規定がある。

ユニバーシアード universiade

国際大学スポーツ連盟が2年ごとに学生競技者のために開く国際総合競技大会。戦前から57年まで開かれた国際学生競技会を前身とし、1959年、この名称に変わった。ハンドボールは60年代から参加を強く要望し、09年ベオグラード大会(セルビア)で開催国要望競技(男女)の1つとして開催が確定していたが、セルビアの経済事情で削減されてしまい、15年の光州大会(韓国)が待望の初大会となる。
日本では夏季大会が67年東京、85年神戸、95年福岡で、91年札幌で冬季大会が開かれている。国際大学スポーツ連盟はユニバーシアードで実施していないスポーツの世界学生選手権を主催、ハンドボールは63年から行なわれ、94年から女子が加わった。原則として2年おき。参加資格は在学生のほか開催前年に卒業あるいは学位を取得した者。年令は17才以上28才まで。
大会の英文名称はWorld University Games of FISU(FISUは国際大学スポーツ連盟の英文略称、略記)。ユニバーシアードはユニバーシティとオリンピアードの合成語。

アンオフィシャル unofficial

組織が関与しながら大会、試合としては非公式となるイベント。国際ハンドボール連盟による「スーパーグローブ」は、アンオフィシャルな世界クラブ選手権といわれる。

アプセット upset

予想外の結果。いわゆる「番狂わせ」をいう。

浦添市(沖縄)

沖縄県本島の南側に位置する人口約10万8000人(05年)の市。04年1月、市の目指す「ハートがかよう健康都市」政策の一環として国内で初めて「ハンドボール王国都市」を宣言した。

U.S.A(アメリカ)

20年代、ヨーロッパからの移住者によって一部の地域で親しまれ、アメリカ陸上競技連盟を通じて1928年に旗上げされた国際アマチュア・ハンドボール連盟のメンバーとなる。36年のベルリンオリンピックにも出場。そのあと15年ほどの空白を経て60年に復活。61年から「全米選手権」を開始、62年に国際ハンドボール連盟に加盟。84年ロサンゼルス、96年アトランタ両オリンピックのホストをつとめたが、国内の普及は進まず、軍隊、大学と少数のクラブの活動にとどまり、06年1月アメリカ・オリンピック委員会(USOC)は組織力、財政基盤など運営力に著しく欠けると厳しい判断を示し、加盟資格を停止され、08年ようやく回復。
国際大会の代表選手は他スポーツからの転向を求めて選定することが多い。97年の世界選手権(熊本)は出場権を得ながら棄権(不参加)だった。国内での名称は「チーム・ハンドボール」。連盟の呼称は「アメリカ・チームハンドボール連盟」、英文の略称、略記はUSTHF。84年に女子代表チームが来日している。