WADA

世界アンチドーピング機構の英文略称、略記。2000年設立、モントリオール(カナダ)に本部を置く。国際ハンドボール連盟も加盟している。正式名称はWorld Anti Doping Agency 。

「若い力」

国民体育大会のセレモニーなどで親しまれる「スポーツの歌」。同大会の第1回(46年)後、参加者全員での歌をとの声があがり、公募が図られたが、当時の社会事情から難しく、47年6月、新風社同人の佐伯孝夫が作詞、同年9月、高田信一が作曲、第2回(47年)大会から式典で用いられるようになった。同大会に限定された歌曲ではない。

和歌山県協会

48年4月設立。戦前に講習を受けていた人や和歌山師範のOBたちが高校、中学に普及。指導者に恵まれてのスタートとなった。さらにその芽が社会人層へつながり、地道な活動を展開している。

湧永製薬

69年4月、ミュンヘンオリンピック実施に呼応するかのように「国際レベルの活動」を目標に大阪(本社在住地)に誕生した実業団チーム。以後、つねに国内最上位の成績と全日本代表選手を輩出、トップチームの指導者(監督)も数多く、日本の頂点強化をあらゆる面で支えている。76年から本拠地を広島県甲田町(工場所在地)に移し、練習環境などの充実とともに78年から地元・甲田町の児童にハンドボール指導を行なう活動を始めた。企業と地域のスポーツを通じての交流として、国内スポーツ界でも極めて早期に着手した行動で高い評価を得ている。
チーム名は湧永薬品―ワクナガ薬品―湧永製薬(82年から)と変わった。08年3月までに日本リーグ8回、全日本総合選手権14回、全日本実業団選手権15回の優勝を飾っている。

ウォールハンドボール Wall handball

手で小さなボールを壁(ウォール)に2人(シングルス)、4人(ダブルス)の競技者が打ち返しあいながら得点を争う競技で我々が愛好するハンドボールとはまったく異なる球技だ。アメリカのYMCAを中心に19世紀末から発展、アメリカでハンドボールといえばこの「ウォール」を指す。ウォールは前方だけの1面から四方を囲んだ4面まである。日本での歴史は古く1927年に東京YMCAでの初の専用コートが設けられた。89年に「日本ウォール・ハンドボール協会」(東京都江東区東陽、http://www.jwha.jp/)が発足している。戦前、「掌球」と呼ばれた時代がある。
このスポーツから「ラケットボール」(racket ball)が生まれたといわれる。素手でボールを打つハンドボール系ゲームには「ペロタ」(pelota=スペイン語)、「ファイブス」(fives)などもある。

腕章

@キャプテンのユニフォームに義務付けられているマークA取材記者、フォトグラファー、テレビの技術要員らがつけるマークなど。

ウォーミングアップ Warming-up

試合や練習前の準備運動。身体を暖め、ほぐすためランニングや柔軟体操、軽いキャッチボールなどを行なう。対比はクーリングダウン

ワッペン wappen(ドイツ語)

紋章。@式典や遠征(移動)用のウェアなどに縫い付けられるチーム伝統のデザインによるもの。A内外の公認レフェリーのグレードを表すもの。現在は「IHFゴールデンワッペン」が最上級。エンブレムともいう。

早稲田大学

日本ハンドボール協会創立への歩みと合わせるように学内でチーム発足の準備が進められ38年4月創立した名門。学生界中心の活動に加えて、関西などへ転戦、ハンドボールの普及につとめ、40年7月には慶應義塾大学と当時の朝鮮各地へ遠征している。41年春、ライバルとして追いつづけてきた日体、慶應と並び3校同率で東京学生(現・関東学生)リーグに初優勝、上位校として定着した。
戦後はいち早く復活、47年春からリーグ3連覇を飾り、50年代まで国内トップゾーンをリードする実力を誇った。7人制統一後も、学生界の王座をつねに目標とする伝統の精神を受け継ぎ、90年春からの4連覇など強い存在感を示しつづけている。04年春に女子チームが活動を始めた。13年秋までの栄冠は全日本学生選手権4回、関東学生リーグ27回。創立75周年となった13年は関東春季・秋季リーグ、全日本学生の3冠を飾った。

渡邊 和美(わたなべ・かずみ、故人)

72年、日本人(アジア人)初の国際ハンドボール連盟理事となり3期12年をつとめたあと同連盟監事、監事補に推された。60年代、大崎電気工業社長としてハンドボール界との接点ができ、日本ハンドボール協会副会長、全日本実業団連盟会長を歴任し球界の国際化と実業団の充実、発展に貢献。88年11月64才で他界。

渡邊 佳英(わたなべ・よしひで)

現在の日本ハンドボール協会会長(03年就任、歴代8人目)。故・渡邊和美(=前掲)の長男で現・大崎電気工業会長。全日本実業団ハンドボール連盟会長、日本ハンドボール協会副会長などを歴任、97年熊本に世界選手権を招致−成功させる原動力となり、国際的な評価を得た。アジアハンドボール連盟理事、同第一副会長などをつとめ、00年、亡父(=上掲)につづいて国際ハンドボール連盟理事となり、現在(13年9月)4期目を迎えている。97年熊本選手権を前に同連盟の競技・組織委員会(COC)の委員に加わった。48年7月東京生まれ。

ヴェストファーレン・ハレ westfalen-halle

1925年、ドイツ西部の工業都市ドルトムントに完成した多目的室内スポーツ場でニューヨークの「マジソンスクエアガーデン」と並ぶ世界の代表的施設。52年2月ホテルを隣接するなどの工夫がこらされリニューアルオープン、多くのスポーツの世界選手権会場となった。ハンドボールも65年の女子、82年の男子両世界選手権を開いたほか、全盛期のグンマースバッハが、ヨーロッパチャンピオンズリーグのビッグカードで使用し、つねに13000人収容の観客席を満員にするなど伝説的な名門ホールとなった。国際ハンドボール連盟は75年11月、設立50周年を祝って記念試合を開いた。現在はドイツリーグのビッグカードで使われる。
現代のヨーロッパにおける代表的なハンドボール大会場には、ケルンアリーナ、カラーラインアリーナ(ともにドイツ)、ザグレブ・スポルティーバドーム(クロアチア)、オスロ・スペクトリューム(ノルウェー)、グローブ・アリーナ、スカンジナビュウム(ともにスウェーデン)などがある。各施設独自の事業を推進する新しい傾向がめだち、パリの多目的総合室内競技場ベルシィは84年からフランス協会とのタイアップで国際トーナメントを運営している。

フィールチェア・ハンドボール Wheelchair handball

車椅子ハンドボール。

ホイッスル whisle

笛。レフェリーをホイッスラー(笛を吹く人)などと洒落て呼ぶことがある。レフェリングにあたっては、ペアが同一種類の笛を使用することが望まれる。練習でコーチなどが用いるケースも多い。

ホイッスル・ファール

カード(イエロー・レッド)やハンドシグナルなどが用いられることなく、レフェリーのホイッスルだけで示される「一般的な反則」。

ワイルドカード wild card

参加チーム数に制限のある大会で、主催者がその裁量で出場を決められるチーム。本来の参加資格は有しないが実力、人気、話題性に富んだチームが多い。オリンピックや世界選手権などでこの制度はない。トランプの自由札から転じた用語。テニスなど個人競技から始まり、一般的に参加数の10%以内とされる。2012-13シーズンのヨーロッパチャンピオンズリーグでは、ワイルドカードから勝ち上がったHSVハンブルグ(ドイツ)が初優勝を手にした。

ウィング

攻撃陣型で両サイドラインに近い位置でプレーする選手。「サイド」と同意語。俊足の選手が多く、その力量によって攻撃範囲が広がり多彩となる。ウィングの機能を活かした戦法はウィング攻撃、サイド攻撃と呼ばれる。

ウイニングラン

優勝や勝利を祝ってチームが試合後、場内を周回し、観客などの声援に応えること。ヴィクトリーランに同じ。ともに和製英語。

ヴィスランデル Magnus Wislander

マグナス・ヴィスランデル。スウェーデンが生んだスーパースター。国際ハンドボール連盟による「20世紀世界最優秀男子選手」に選ばれた。「ハンドボール選手になるために生まれた」といわれるほど、少年時代から抜群のセンスを示し故郷イエテボリのクラブで活躍。85年の世界ジュニアで準優勝の原動力となり、その年、代表チームにデビューした。初出場の86年世界選手権で主戦メンバーの負傷から第一線に抜てきされ、天分を存分に発揮、一躍スターダムへ駆け上がった。
このあと8回の世界選手権(優勝2回)、4回のオリンピック(2位3回)の主軸としてゲームメイク、ポスト、フローターをこなし、91年ドイツのキールと契約、03年までに12シーズンにわたり、同クラブの人気、実力を高めた。03年引退。64年2月スウェーデン生まれ。

ウィメンス・クラブハンドボール・アソシエーション

男子の「グループ・クラブハンドボール」に並ぶヨーロッパの女子有力クラブによって08年4月結成された。設立メンバーは14ヵ国24クラブ。英文の略称、略記はWTA。

ワールドオールスター(ズ)

世界選抜チームに同じ。

ワールド・チャンピオン(チーム)

世界選手権での優勝チーム。その参加選手を指すこともある。

ワールド・チャンピオンシップ

国際ハンドボール連盟が主催、公認する世界選手権。男女シニア、男女ジュニア、男女ビーチのほか、05年から男女ユースが加わった。

「ワールドドリームゲーム」

97年6月、東京で熊本世界選手権の優勝国(ロシア)、3位国(フランス)、4位国(ハンガリー)と日本(15位)の4チームによって行なわれた2カードのエキシビション。2位国のスウェーデンは参加しなかった。

ワールドカップ

スウェーデン協会が2〜3年毎に開く男子の国際的な招待トーナメント。国際ハンドボール連盟新生(46年)の功績を評価されて同協会のプライベートトーナメントにこの名称の使用が許されているもの。71年から06年までに11回開かれている。05年からデンマーク協会によって「女子ワールドカップ」が毎年行なわれている。日本は男女とも1回も参加していない。

ワールドゲームズ

国際スポーツ連盟連合と国際ワールドゲームズ協会の主催によって85年から2年にいちど開かれる国際総合競技大会。非オリンピック競技・種目によるもので、ハンドボールは01年(秋田県)からビーチ競技がデモンストレーション競技として参加、2013年正式競技に昇格した。初参加となった01年8月の秋田県本荘市(現・由利本荘市)の競技は男女各6ヵ国の出場で、当初、第1回世界ビーチ選手権を兼ねるとしたが、その後取り消された。秋田のあと05年ドイツ(デュイスブルグ)ではインビテーション競技となり、09年7月台湾(高雄)でも行なわれ、日本は女子が参加(7位)。

ワールド・ハンドボールマガジン

国際ハンドボール連盟が国際スポーツ記者会ハンドボール委員会とのタイアップで編集・発行している英文の広報雑誌。84年7月に第1号が発刊され、96年から年3〜4回の発行となり、2003年12月に第50号を数えた。国際ハンドボール連盟や各大陸ハンドボール界の動向を豊富な写真とともに掲載している。発行部数は推定6000とされったが、11年以降e-book化が進んでいる。誌名の略称は「WHM」。

ワールドマスターズゲームズ

世界マスターズ大会。中高年のための親善・交歓色の強い国際総合競技大会。参加資格は男子35歳以上、女子30才以上だが、競技ごとに年令別グループが設けられる。85年トロント(カナダ)で第1回が開かれ、ハンドボールはコペンハーゲン(デンマーク)での第2回で採用されたが、そのあと見送られている。09年第7回大会が滋賀県に決まれば実施の可能性もあったが招致はならなかった。17年の第9回はニュージーランド(オークランド)の予定でハンドボールの実施は未定。主催は国際マスターズゲームズ協会(英文略称IMGA、95年設立)

ワールドミリタリーゲームズ

軍隊スポーツワールドゲームズに同じ。国際軍隊スポーツ連盟が95年から4年にいちど開く大会で15〜20競技に100ヵ国以上の参加がある。ハンドボールは第3回まで採用されなかったが、07年10月ヒデラバード(インド)での第4回大会で初実施(男子のみ)、11年のrio(ブラジル)は見送られた。15年の第6回は韓国紙聞慶市の予定。

ワールド・ハンドボールフォト・コンテスト

ワールドハンドボールマガジン(=前掲)の編集委員会が年1回、世界のフォトグラファーが撮影したハンドボール競技写真のなかから最優秀作品を選び表彰するコンテスト。92年から始められ、01年の第10回で秋田のビーチハンドボール(ワールドゲームズ)を写した日本の佐々木直人(秋田さきがけ)の作品が最優秀賞を獲得、04年には故・北村善夫(日本ハンドボール協会編集委員会)が入選した。

ワールドプレーヤー・ルーキー・オブ・ザ・イヤー

国際ハンドボール連盟が選出する男女の年間最優秀新人選手。2009年度から表彰。

ワールドプレーヤー・オブ・ザ・イヤー

世界最優秀選手に同じ。

ワールド・トレーナー・オブ・ザ・イヤー

国際ハンドボール連盟が男女代表チームで実績をあげた指導者(トレーナー、コーチ=日本では監督)を毎年各1人を選出。2009年度から表彰。

ワークショップ work shop

ヨーロッパ各国のハンドボール組織が活発に展開している意見・情報交換などを行なう各分野の研究会。

リスト wrist

手首。モーションをつけず手首の返しと強さでパスを行なうなど攻撃の多彩さを強める。スナッププレーはその特徴を活かした展開の総称。
一覧表を示すリスト(List)はLの項。