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兵庫の「戦前ハンドボール活動」


ひょうごのせんぜんはんどぼーるかつどう

1922年に紹介された「日本のハンドボール」は、30年代後半まではほとんど活動の記録(資料)に欠けるが、35年1月、40年の東京オリンピック(結果的に返上、未開催)の招致有力と、36年ベルリン・オリンピック実施の動きに敏感な反応を示したのが、神戸市を中心とするスポーツ関係者といわれる。陸上競技関係者とバスケットボール愛好者を軸に「神戸送球倶楽部」が結成され「オリンピック参加」を目標に掲げる。
神戸にはドイツ人、ヨーロッパ系の人たちが仕事で居住しており、ハンドボールは身近だった。「神戸送球倶楽部」は37年12月神戸市内で在阪神ドイツ人チームとの親善試合を行ない、この動きをきっかけに39年7月神戸に早稲田大学を招いて兵庫県協会結成記念試合を行ない、40年2月には兵庫県体育協会主催で「兵庫県選手権」が開かれている。48年4月に発足した協会(=前掲)とは“別の歴史”としていい。さらに同年ヒットラーユーゲントとの交流、41年成徳高等女学校(現・成徳学園)が在神戸ドイツ人女子との親善試合を行ない、この試合は史上初の女子国際試合となる。神戸大丸百貨店にチーム発足の記録もある。兵庫県・神戸市の「戦前史」は、日本ハンドボール史にとっても貴重といえる。