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「高等女学校」ハンドボール界


こうとうじょがっこうはんどぼーるかい

国内女子草創期の主流を成した。小学校に接続した4~5年制の学校で、女子の高等普通科教育を狙っていたが、学校体育のハンドボールは競技スポーツとしても注目された。1940年、42年の2回の全日本女選手権女子の部は倉敷高女(岡山)が連覇、決勝の相手は梅花高女(大阪)、津山高女(岡山)、41年、神戸で在日ドイツ人を中心とする外国人女子チームの相手をつとめたのは成徳高女(兵庫)だった。東日本では静岡高女(現・静岡城北高)、大宮高女(埼玉)などが活躍。女子の球史は、しだいに師範学校や体育専門校に受け継がれることになるが46年に始まった国民体育大会の初期に茨木高女(大阪)の春日丘高をはじめ高等女学校勢の活躍が見られる。