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日本のハンドボール①~送球の普及~


にほんのはんどぼーるいち そうきゅうのふきゅう

1922年(大正11年)7月24日、東京代々木で開かれた大日本体育学会体育夏期講習会で東京高等師範学校教官・大谷武一によって「ハンドボール」は日本に初めて紹介された。大谷は直前までアメリカ・ヨーロッパの体育スポーツ事情を視察、ドイツでこのスポーツを知った。
そのあと、学校体育の教材として各地に伝えられたが、競技スポーツでの発展は遅れた。28年、国際アマチュアハンドボール連盟が設立された際に、日本陸上競技連盟の名によって加盟、36年ベルリンオリンピックでの採用(男子11人制)と40年東京オリンピック決定で、にわかに関心が高まり1938年2月2日日本ハンドボール協会が誕生した。
当時ハンドボールは「送球」と名付けられ組織名も正確には「日本送球協会」である。「送球」の名は48年夏まで続けられる。不幸にも戦火の高まりから東京オリンピックは返上となり、ハンドボールの将来は厳しいものとなったが、在京の学生勢の情熱とドイツの国技であったことが作用して、灯は守り通され、戦中は女子の公式大会が続けられた。