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東京オリンピック1940


とうきょうおりんぴっく1940

第12回オリンピックとして40年9月21日から10月6日まで東京市(当時)で行なわれる予定で準備が進められたが、日中戦争が激しさを増し日本政府は38年7月15日「返上」を決め“幻の大会”となった。ハンドボールは曲折はあったものの38年1月、この大会での実施(男子11人制)が決定し、会場は世田谷区の駒沢に建設を計画された「紀元2600年記念総合競技場」が有力だった。こうした動きに応じるため、38年2月2日、日本ハンドボール(当時は送球)協会が設立された。さらに同年3月15日から5日間、横浜市日吉の慶応義塾大学グランドに、初の候補選手29人を招集、史上特筆されるべき強化合宿を行った。「返上」の“悲劇”はその118日後にもたらされた。長野県松本市で予定した2回目の強化合宿直前といわれる。
【東京オリンピック第1次合宿強化合宿(1938年3月)参加者名簿】酒井将(コーチ、日本送球協会)、重田光雄(コーチ、日本体育会体操学校)、阿部二郎(コーチ、文理科大学)入江信太郎、中島伝平、崔東淳、南利喜松、三宅義信、金鐘元(以上日本体育会体操学校)、外山准二、樋口兼一、後藤真彦、長妻喜重、横山健一、安藤絋雄(以上慶應義塾大学)、庄司房夫、山口時次、山田栄二(以上明治大学)、大須賀伝芳、阿部二郎、伊東明(以上文理科大学)、近藤憲弘、宋丙堂(以上、早稲田大学)、尾上朝権(東京YMCAクラブ)、竹村、安井、中川(以上3氏フルネームと所属不明)。

【お願い】この合宿には30人が参加し写真も現存していますが、上記26名以外の4名の姓名などが不明です。ご存知の方はこちらまでご一報ください。