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「僕はここに来るべきだと確信していた」リュック・アバロ記者会見


11月16日、東京で行なわれたリュック・アバロのジークスター東京入団記者会見。

フランス代表とクラブチームで数多くのタイトルを手にしてきたハンドボール界の文字通り「スーパースター」が日本にやってきました。

その衝撃は、かつてHONDA(当時は本田技研)にステファン・ストックランやフレデリック・ヴォルが加入した時に匹敵します。

37歳になったとはいえ、今夏の東京オリンピックでも、まだまだ充分一線級であることを証明しており、当然ヨーロッパでもプレーを続けることは可能だったはず。

そんなアバロが、なぜ新天地として日本リーグを選んだのでしょうか。

この日の記者会見からは、その理由が本人の口から語られました。また、スーパースターでありながら、飾らない人柄も感じられました。

以下、会見でのアバロのコメント、質疑応答の様子を一部お届けします。

「ミナサンコンニチハ(日本語で)。

ここにいられてとてもうれしいです。もっと日本語でしゃべりたかったけどできなくてすみません。

私のキャリアの新しいページが今回開きます。このような素敵な人たちに迎え入れてもらえてとてもうれしいです。昨日(11月15日から練習に合流)はいい練習時間を過ごせて、すごくモチベーションになりました。これからチームに貢献して、成長して、さらに日本球界の発展に貢献したいです」

―今回の移籍を決断した理由は? また、東京オリンピックの時に見たのではと思うが、日本代表への印象を。

「若いころから、フランス代表としてタイトルをたくさん取ったあとはヨーロッパから出たいという希望がありました。

そして、どの国に行くかと考えた時に、日本のハンドボール界に成長の意欲があることがわかって、それが自分の(ヨーロッパの外で挑戦する)タイミングと今回マッチしました。

単純に、あとは日本が好きで、前から惹かれていたということもあります。

2つ目の質問ですが、オリンピックの前は(当たったら)日本に負けると思っていました。

なぜかというと、開催国として迎える側にある、発展しようとしているチームは、時に奇跡を起こす可能性があるからです。

日本球界全体でいうと発展のポテンシャルがあると思います。この数年で強豪に勝てるようになるのでは。エジプトの世界選手権でも見せたように。でも、レミイ(土井レミイ杏利)がやめちゃうとダメなんだけど(笑)。ポテンシャルがある国だと思っています」

笑顔を交えながら、率直に思いを語っていたアバロ

笑顔を交えながら、率直に思いを語っていたアバロ

 

―今回の決断は、家族やフランスの仲間、関係者からはどんな反応で受け止められたか。

「いい質問です(笑)。みんな結構寂しかったみたい。やっぱり日本は遠いので。自分自身も出発1週間ぐらい前にすごく寂しくもなりました。大切な人たちから離れるのが。

でも、これは説明しづらいけど、僕はここに来るべきだと確信していたので。家族やチームメイト、仲間はすごく決断を喜び、応援してくれています」

―自分の殻を破りたいと以前(のインタビューの時)に言っていた。日本に来てそのためにどんなことをしたいか。

「チームを優勝させることです。今までは代表とクラブ両方での目標がありました。これからはもっとクラブに集中できるから、昨日の練習でも(チームのみんなに)言ったのですが、自分が光るよりも、クラブを優勝させたいということが一番です」

―ハンドボール、それ以外の両方で、やりたいことがあれば教えてください

「まずは日本語を勉強することですね。自分が居心地がいいのも大事ですが、チームのみんながそうであることも大事なので、そのためには言葉が必要だと思います。そして、日本ではまだハンドボールがメジャーではないので、日本リーグと、ジークスター東京の両方を広めるのに貢献したいです」

―(日本でプレーしたいと土井に連絡した)ファーストコンタクトの時期はいつごろだったのか

「確か東京オリンピックの3週間ぐらい前。ハンドボールをやめたいと考えていた時期でした。私はなにかをやるときに100%でコミットするので、とても犠牲が多かったんです。17歳からずっと代表とクラブでプレーしてきたので。

(それで環境を変えたいと考えて)シャンベリー(フランス)時代にレミと同僚で、私とフランス代表のチームメイトのティモテ・エンゲサンを通して、レミイに(日本でプレーしたいんだけど、と)メッセージを送ったんです」

―どうやって世界的な選手としての実力を身につけたのか。もう1つは日本の子どもたちはどうやったらアバロ選手のようになれるか、アドバイスがほしい

「私はハンドボールを楽しむことから始めました。ハンドボールだけでなく、なにかをする時にはいつも楽しむことを大事にしています。

そうやって楽しんでやっていくことで自分の実力が上がっていきました。

ハンドボールが職業になってからは、すごく頭を使って、一番になるためにはどうすればいいかを考えるようになりました。でも一番になるというのはあまりいい表現ではないですね。『いつもベストをつくすことを考えている』というのが言いたいことです。

あと、じつは僕自身はあまり戦うことは好きではないんです。『だれよりもいいプレーをする』よりも、『自分のベストを出す』ことがモットーです」

―19日の試合(ホーム・大同特殊鋼戦)に出場する予定とのことだがコンディションは? 試合ではどういうプレーを見せたい?

「自分はすごく高く跳ぶ選手です。ただ、19日の試合でそれが出せるかどうかは、まだわからないです(笑)。ただ、チームとしてプレーしたいので、自分がシュートを多く決めるより、チームが勝つことのほうが目標。試合で多くゴールを決めるわけではないけど、それでもチームが勝つような、集団として強くなることに貢献したいです」

 

終始、笑顔を交えながら、日本でプレーするに至ったきっかけ、そして、ここでなにを成し遂げたいのかをしっかりと語ったアバロ。

契約はまず今シーズンの単年ではあるが、「東京を強いチームにするには短い期間では足りないので、長くここでプレーして引退することになるということも十分ありえる」とも話しており、今後に大きな期待を感じさせてもくれた。