【vol.5、14年2月号】ソウル五輪・開催国の成功に学ぶ
2020年、東京にオリンピックがやってくる。その準備期間はすでに6年半となり、強化策、集客プランの策定も「待ったなし」の状態と言っていい。そこで今回は、隣国・韓国が1988年、ソウルに招いたオリンピックで、女子金メダル、男子銀メダルという快挙を成し遂げた要因と大会の準備などについて、その快挙を陰で支えた鄭亨均氏(東アジアハンドボール連盟会長、肩書は掲載当時)に聞いた。(聞き手・山本浩二)※内容は掲載当時
集客と強化とは連動したもの
─ソウル・オリンピックから26年、再びアジア、とりわけ隣国の東京にオリンピックがやってくることになった。それが決定した時の感想は?
「とてもうれしく思いました。あの日は日本の関係者、友人にすぐに電話をかけ祝意を伝えました。アジアでオリンピックが行なわれることは、日本だけでなく、韓国はもちろん、アジアでハンドボールを志す若い選手たちに刺激を与え、一歩前進できる原動力になります」
─まず、集客について聞きたい。1988年のソウル・オリンピックでは連日満員の盛況を見せていたが、ヨーロッパでは当たり前のファン層もアジアでは貧弱だ。どのようにしてあれだけの観客を呼びこんだのか?
「集客と強化は連動しています。84年のロサンゼルス・オリンピックで韓国女子は銀メダルを取りましたが、そんな時でも韓国国内でのハンドボールの知名度はないに等しかったのです。
それが変わったきっかけとなったのは、85年に世界女子ジュニア選手権を韓国に招くことができたことです。この世界女子ジュニア開催の段階では、まだ小中学生、高校生を動員することで観客を確保していました。ですが、女子ジュニアの代表が勝ち上がるようす(銀メダル)を目の当たりにした中高生がハンドボールの魅力を知ってくれたことが大きかったです。
また、ジュニア代表の娘たちの奮闘を知った大人も会場に足を運んでくれるようになり、その3年後のオリンピックでは動員をかける必要はなく、多くの観客を集めることができました。
その点、2020年の東京オリンピック前年に世界女子選手権を招くことに日本は成功しました(19年の12月に熊本で開催)。この大会でファンをうまくリードするべきでしょう。
もう1つ必要なことは、日本以外の国のファンにいかに足を運んでもらい、サービスを提供できるか、ということです。ヨーロッパからのファンに満足してもらえなければ、ハンドボールでは成功したとは言えないからです。ゲーム以外のことにも時間をかけて、1つひとつ準備することが大切です」