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横浜カントリーアスレチッククラブ


よこはまかんとりーあすれちっくくらぶ

1868年横浜在住のイギリス人が組織した横浜クリケットクラブを前身に1884年の横浜クリケット・アンド・アスレティッククラブへの改称を経て、1911年、総合スポーツクラブとなり、現在の名称となった。英文略称、略記は「YC&AC」。30年代後半、ドイツ人のメンバーを中心にハンドボールが親しまれるようになり、在京の学生チームを招いて交流を行なった。学生側も“外国勢”との対戦に刺激を受け、積極的に対戦している。神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ(英文略称KR&AC)も同じ活動を展開、両クラブとも、球界草創期に特異な存在となっている。神戸では一時期、女子チームも活動した。両クラブの選抜(混成)チームが、40年の「紀元2600年奉祝東亜競技大会」の関東、関西両大会に参加し日本側(日本体育会体操学校)と対戦、42年の関西ハンドボール協会結成記念行事として在日ドイツ人の東西対抗が行なわれた。43年12月東京で開かれた「枢軸国交歓球技大会」では在日ドイツ人選抜が全日本選抜と交歓している。