FILE9 勝利への咆哮 クリソポウロス(ギリシャ)
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LOANNIS CHRYSOPOULOS |
PERSONAL DATA 生年月日/1969年11月29日 35才 (2005年9月20日現在) 身長・体重/191p・99s ポジション/GK 所属クラブ/DIOMIDIS 公式国際試合/37試合出場 第19回世界男子選手権での成績 9試合207分出場 |
今大会のサプライズの1つがギリシャの躍進。初出場ながら6位に食い込んだのは快挙だ。地元オリンピックでの6位入賞がフロックではないことを証明した。そのギリシャ。「強かった」印象はない。メンバーの半数以上が外国リーグでプレーしており、個々の能力は決して低くないが、真のワールドクラスが持つ圧倒的な光は感じられなかった。個々の力よりも、組織的な攻守に象徴されるチーム力で勝つチームだった。スペインやクロアチアなどが持つオーラはない。日本でもなんとか勝負できるのでは、と思わせる。そんなチームのGKがクリソポウロスである。彼もまたグッドプレーヤーではあるが、エクセレントプレーヤーではない。
では、なぜ、この「WORLD STARS」コーナーで取り上げたか。それは、今回取り上げたいテーマである「強豪国が持つ勝利への気持ちの強さ」に即した選手(=写真)であるからだ。写真を見て欲しい。彼はビッグセーブをするたびに大きなガッツポーズを作り、“吠える”のだ。それも異常とも思えるほどに。たとえるなら、砲丸投げや、ハンマー投げで選手が投げたあとに吠える、あのシーンを思い出してくれればいい。大げさであるがゆえに印象に残った。
彼はいささか激しすぎるが、全体的に見て強豪国=ヨーロッパの選手たちはよく“吠える”。さきほどから、吠えると書いているのは、「喜ぶ」とは明らかに違う表現であることを強調したいからだ。得点を決めたり、好プレーをしたときに選手がガッツポーズを作って喜ぶシーンは国内でも珍しくはない。だが、世界選手権で見たそれとは質が違う気がするのだ。
世界と日本を比べたとき、最も劣っているのは、サイズ、パワー、テクニックなどではなく、メンタル面なのではないか。この大会を通じて、強く思った。フランスで活躍する田場選手から「向こうの選手、とくに白人の選手は、ファイトする気持ちが驚くほどに強い」という話を聞いたことがある。練習中のささいなゲームでも異常なほど勝ちにこだわるというエピソードも聞いた。なるほどな、と思いつつも、実際に目にするまでは、その意味が理解できていなかった。
手が震えている。目が血走っている。咆哮がカメラマン席まで聞こえてくる。彼らのガッツポーズは、見せかけではない。「本当にこいつら、勝ちたいんだ」と伝わってくるのだ。それが伝わるからサポーターも燃える。彼らもよく知っていて、わざと大きなガッツポーズを作り、サポーターに向けて「もっと盛り上がれ」とジェスチャーであおる。もちろん黙々とプレーしている選手はいる。だが、大多数は違う。
ある程度のレベルにまで達すれば、技術うんぬんではなく、「勝ちたい」という気持ちが勝敗を分けるのではないか。日本のスポーツはかつて精神論がすべてだった時代があり、それをもとに世界で結果を出していた。だが、時が経つにつれ、戦術やトレーニング理論の進化とともに、昔ながらの精神論だけでは勝てなくなり、その精神論もねじまがり(ただの無意味な鉄拳制裁に成り下がったり)、世界で結果を残せなくなってきた。その結果、精神論=悪のような、風潮になってきたように思う。そして、精神論はすべて捨てられ、スポーツ=楽しむものという考えが支配するようになっていった。
大いに結構なことだと思う。でも、生活を豊かにするレクリエーションとしてならともかく、世界で勝とうと思うならスポーツは「楽しむ」だけではやっぱりダメなのだ。
ヨーロッパ人はスポーツを楽しんでいる? 確かにそうだ。でも、世界選手権で、僕はとても彼らが楽しんでプレーしているようには見えなかった。
彼らは心底「勝ちたい」と願って、ファイトしていた。闘争心の固まりだった。
精神力の強さには、そのよりどころが存在するはずだ。ヨーロッパの強豪国は「勝ちたい」あるいは「負けたくない」という気持ちにそれを求めている。それが、ヨーロッパ人には生まれ持っている気持ちなのか、後天的に身に付いたものなのか、人類学者ではない僕にはわからない。
でも、確かにあるのだ。田場選手が語った言葉は真実なのだ。やっぱり、見てみないとわからない。
日本代表だって勝ちたかった。でも、技術、パワーうんぬんの前に、「勝ちたい」という気持ちではるかに差をつけられていた。僕にはそう感じられた。
百聞は一見に如かず。もし、各国リーグでも世界選手権でもオリンピックでもいい。世界トップクラスの試合を見る機会に恵まれたら、彼らのパワーやテクニックだけでなく「勝ちたい」とファイとする気持ちにも注目してもらいたい。注目せずとも、感じざるを得ないとは思うが。