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ハンドボール~その歩み①~


はんどぼーる そのあゆみ いち

【起源古代エジプトの壁画にみられる“手球戯”や「ウラニア・ゲームズ」での球技など諸説があるが、決定的な論拠を持つものはない、とされる。各時代、多くの民族がそれぞれに“ボールゲーム”を行なっていたのは明らかで、それらをすべて現代ハンドボールの起源とすることもできよう。ヨーロッパのハンドボール研究家たちが、ハンドボールを「ボールゲームの帝王」と呼ぶ由来である。“手球戯”はフットボールより早く人類に親しまれている。

【原型】定説としてはローマ時代の「ハルパストン(あるいはハルパストウム)」が有力とされる。

【現代への発祥18世紀エスキモーがグリーンランドで親しんできたボールゲーム、19世紀後半デンマークでの16人による「ハンドボルト」、20世紀に入って、スウェーデンで紹介された「ハンドボル」、チェコスロバキアの「ハゼナ」、ドイツにおける「ラフ・バル」「トーアバル」などがある。国際ハンドボール連盟は、「世界で最初のハンドボール試合は1896年夏、デンマークのフェーン島東端の町ニュボーで行なわれた」と初めて見解を1990年に明らかにした。同国で「ハンドボルト」の名のスポーツはそれ以前に学校体育として盛んに行なわれていたともいう。1906年「ハンドボール競技規則」が制定、刊行された。最古のルールブックと言われる。
デンマークでの学校体育としてのきっかけは、サッカーに興じる生徒たちのシュートやパスがしばしば校舎の窓ガラスを破り、手で行なえばその損害が少なくなるだろうと考案されたとの説がある。

【ドイツでの発達】前述の「ラフ・バル」と呼ばれるラグビーフットボールに似たボールゲームが19世紀末から20世紀初めに行なわれ、1915年ベルリンの女性団体がこのスポーツを女性向きにアレンジして「トーア・バル」を考案した。1919年ベルリンで体育教師カール・シュレンツが、その自然性と体(教)育性に着目、ルールなどを練り上げ、1920年ドイツ体操連盟(DT)によってルールブックが発行され、翌年、第1回全ドイツ選手権(男女)が行なわれた。同じ時期、ドイツスポーツ協会(DSB)が、その競技性に期待をかけDSBに影響力を持つドイツ陸上競技連盟が発展へ力を貸した。DSBも全ドイツ選手権を始めたため、1930年までは2つの国内選手権が開かれ、31年“統一”された。このころからドイツで「ハンドボール」は“国技”となり、1936年ベルリンオリンピック(男子11人制)に加えられた。

【国際的な発展ドイツ陸上競技連盟の働きかけによって1928年アムステルダム(オランダ)での1928年国際陸上競技連盟総会で「国際アマチュア・ハンドボール連盟(略称、略記はIAHF)」があっという間に設立された。日本は日本陸上競技連盟の名で加盟したが、独立した日本ハンドボール協会の発足は10年後となる(「日本のハンドボール」参照)。1921年10月、ハンドボールに似た「アルゼンチンボール」が盛んだったアルゼンチンで協会が設立されている。23年7月にはウルグアイと国際試合を行なった。国際アマチュア・ハンドボール連盟は1938年に男子11人制と同7人制(室内)の世界選手権をいずれもドイツで開いている。国際サッカー連盟が1912年ハンドボールの存在を紹介しているのは興味深い。ベルリンに続き1940年東京オリンピックが開かれていれば、ハンドボールの発展はさらに加速していただろうと惜しまれる。