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HANDBALL A to Z
作成・杉山茂&スポーツイベントハンドボール編集部 2014.04.15Version
これまでハンドボール用語といえば規則(ルール)、技術・戦術用語が主でした。ハンドボールファンの拡大、内外情報の多彩化などで、用語は極めて多範囲となり、新たな解説が求められています。この企画はそうしたニーズに応えるものでスポーツイベント・ハンドボール誌(月刊)を読んでいただく場合の手引きともなります。外来語が多いためアルファベット順に日本語用語(ローマ字読み)と史上特筆すべき業績を残した内外のチーム、人物も加えました。年数は西暦、項目表記は英語系のみとしてあります。競技規則用語は「日本ハンドボール協会競技規則平成25年版(2013.12.16発行)」を参考にしています。1~2年ごとに追加、補充、修整など改訂を重ねていく予定です。個人の敬称略。
〈禁無断使用転載〉

A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z

佐賀県協会
埼玉県協会
斎藤英四郎
酒井将
佐久川ひとみ
サンプル
3:2:1ディフェンス
3:3ディフェンス
3大陸女子代表決定戦
サンドボール
3大プロリーグ
参事
3冠王
佐藤八郎
セービング
シュレンツ(故人)
スコア
スコアボード
スコアカード
スコアラー
スカウト
スカウティング・ビデオ
スクリーンプレー
スクリーニング
SEAゲームズ
シーズンチケット
セカンドハーフ
セカンドセット
シード
SEHA
南東ヨーロッパリーグ
聖炎旗
成年の部
世界ビーチ選手権
世界学生選手権
世界軍隊選手権
世界ジュニア選手権
世界最優秀選手
世界選抜チーム
世界選手権
世界ユース選手権
セミ・ファイナル
「センバツ」
選手会
「戦前6大学」
ソウルカップ
ソウル・オリンピック
ゼッケン・プレーヤー
セット
セットオール
セットオフェンス
セットディフェンス
セット方式
セット制競技
セブン
SF
社会人大会
試合時間
芝浦工業大学
7人攻撃
7人制
滋賀県協会
式場隆三郎
失格
島田房二
島尻真理子
島根県協会
指名退場
清水宣雄
審判員
シャツ番号
指定管理者番号
室内ハンドボール
市町村ハンドボール協会
静岡県協会
シュート
シュート・アベレージ
シュートブロック
シュートカット
シュートアウト
シューティングコンペティション
シュート率
ショットアウト
ショルダースロー
出場時間
サイド
サイドチェンジ
サイド攻撃
サイドライン
サイドシュート
サイドステップ
サイドスロー
シミュレーション・プレー
スキル
スカイプレー
スライドプレー
スナップ
スナップパス
スナッチゲーム
スノーハンドボール
ソシオ
ソビエト連邦
組織攻撃
総当たり戦
総合型地域スポーツクラブ
「早関戦」
送球
サウスポー
スペアプレーヤー
スパルターク・キエフ
スペシャルチーム
スペシャルオリンピックス
スペクテーター
スパイクシュート spike shoot
スピンシュート spin shoot
スポンサー sponsor
スポーツアコード Sport Accord
スポーツベッティング Sport Betting
スポーツ仲裁裁判所
スポーツ基本法
スポーツファーマシスト
(株)スポーツイベント
スポーツパーソンシップ
スポーツ振興法
スポーツ振興基本計画
スポーツ少年団
スプリントマッチ
スクォード squad
ST
ストーリング
スタンス
スタンディングオベーション
スタンディングシュート
スタンディング
スターティングメンバー
スタティスティックス
スタッツ
スチール
ステラ・サンモール
ステップラダー方式 step ladder
ステップシュート
ストックラン Stephane.C.A.Stoecklin
ストップ
ストリート・ルール
サドンデス
サドンストップ
枢軸国大会
サマートーナメント
スーパーカップ
スーパーファイナル
スーパーグローブ
スーパーリーグ
スーパースター
サプリメント supplement
サスペンション suspension
鈴木達雄
スワッププレー
スウェーデン
スイングパス
スイッチプレー
招待競技
障がい者ハンドボール競技
小学生ハンドボール
賞金
少年の部
手球
終了合図
終身審判員

佐賀県協会

64年5月設立。佐賀国体(76年)の誘致にあたって、ハンドボールの基盤がないまま組織の立ち上げが先行する異例の発足となった。60年代後半から高校界を中心に発展し国内を代表する有力選手も生まれている。

埼玉県協会

53年4月設立。県内の球史は古く40年代に女子球技として紹介され、戦後もその流れを汲んだ活動がつづいた。60年代以降は高校界の充実とともに大崎電気工業男女、埼玉教員クラブの活躍もあり国内上位の一角を占めた。

斎藤英四郎

77年から95年まで9期の長期にわたって歴代6人目の日本ハンドボール協会会長をつとめた。財団法人(81年3月)としての初代会長。新日本製鉄社長、第6代経済団体連合会会長、長野冬季オリンピック組織委員会会長など日本の財界、スポーツ界を代表するビッグネームだった。02年4月90才で他界。

酒井将

36年10月、それまで「手球」と訳されることの多かったハンドボールを「送球」と変え、名付けた体育人。30年代、東京高等師範学校(現・筑波大学)卒業後、文部省体育研究所などで日本のスポーツ振興に関わり、35年から1年間ドイツデンマーク、スウェーデンに派遣されハンドボール(11人制)の指導理論を学んだ。帰国後、ハンドボール競技規則(ドイツ協会版)の研究などを進め、38年3月東京オリンピック・ハンドボール強化合宿のコーチをつとめている。そのあと東京経済大学教授など。91年8月91才で他界。

佐久川ひとみ

日本女子代表選手として1997年から2009年の世界選手権(中国)まで12年間にわたり活躍した左腕。沖縄・浦添高から大崎電気に加わり、96年オムロンへ移籍。09年5月、韓国・大邱市庁入り、日本人女子選手として初めて同国のトップリーグで活動。08年3月、スポーツ仲裁裁判所(CAS、スイス)でアジアにおけるレフェリングなどについて“証言”を行なう貴重な経験をしている。13年富士大学(岩手)に入学、プレーもしている。1977年7月沖縄県生まれ。

サンプル

ドーピング検査で「A」「B」のマークと固有のコード番号が記入された蓋つきの尿ボトル(2本)と梱包、保管用の容器。この一式を正確にはsample collection kit と呼ぶ。

3:2:1ディフェンス

ユーゴスラビア(旧国家)が考案した防御システム。相手の攻撃がスピードに乗り切らぬうちや、ブレーキングスルーへの仕掛けを阻むために有効とされる。個々の防御範囲の広さからスタミナを必要とし、試合の要所で限られた時間、布かれることが多い。

3:3ディフェンス

3:2:1(=前掲)を東ドイツ(当時)が変型させたもの。ゴールエリアラインに3人、ほかの3人はフリースローラインのやや前方に位置し、1人が中央、2人が相手の左右各45度プレーヤーをマークする。

3大陸女子代表決定戦

モントリオールモスクワ両オリンピックの女子出場枠は6ヵ国と少なく、国際ハンドボール連盟は、アジア・アフリカ・アメリカ3大陸に、合わせて1枠を配分、そのための代表決定戦を行なった。第1回は76年ミルウォーキー(アメリカ)で開かれ日本が代表権を手にした。第2回は80年3月コンゴで行なわれ韓国が勝ったが、そのあと同国は棄権。現在は行なわれていない。

サンドボール

ビーチから発案された砂のコートでの4人制ハンドボール。フランス、ドイツの屋内スポーツ場や市内の広場などで行なわれ、低年齢層の体育として注目されている。ルールはビーチにほぼ同じ。ビーチの別称でもある。

3大プロリーグ

ドイツ(ブンデスリーガ)、スペイン(ASOBAL)、フランスの男子全国リーグ(トップゾーン=LNH1部)をヨーロッパメディアが指す。

参事

日本ハンドボール協会業務が円滑に運ぶため常務理事を補佐する役。

3冠王

同一シーズンに1つのチームが全国レベルのタイトルを独占すること。トリプルクラウンに同じ。日本では、トップチームは全日本総合選手権日本リーグ全日本社会人選手権(旧全日本実業団選手権)あるいは国体成年の部を対象とし、高校チームは全日本高校選手権全国高校選抜大会国体少年の部を指すことが多い。

佐藤八郎

「サトウ・ハチロー」の名で知られる詩人。「小さい秋見つけた」など多数の童謡の名作を発表しているが、式場隆三郎会長の推薦で、46年8月から4ヵ月ほどの短期間、日本ハンドボール協会理事長をつとめた。73年11月70才で他界。

セービング

①フロア(あるいは地面)に静止または転がっているボールに身を投げかけて確保するプレー。00年までは反則とされた。 ②GKが相手のシュートに対して身を挺して守ること。

シュレンツ(故人)

カール・シュレンツ。“近代ハンドボールの父”と呼ばれるドイツの高校体育教師。1919年ドイツ国立体育委員会のセミナーで、それまで同国内の女子ボールゲームとして行われていた「トア・バル」(tor ball)を基に男子にも競技できる新しい規則によるボールゲームを発表、「ハン・バル」(hand ball) と名付けた。シュレンツは、このあと規則の整備を進め、20年ドイツ体操連盟による「ハンドボール規則」制定へこぎつけ国際化を図る。56年66才で他界。

スコア

得点またはその記録。

スコアボード

得点掲示板。

スコアカード

①得点を示し記録する用紙②選手名、背番号、ポジションなどを印刷した一覧表
①②ともスコアシート(score sheet)に同じ。

スコアラー

①得点をあげた選手②競技役員の1人で各試合の選手入退場管理、記録(得点、反則など)を担当③各チームの記録担当者。自軍の得点のほか、相手の得点、反則数などをマークする。

スカウト

①相手チーム(主に次以降に対戦する)の戦力(技術)や試合展開(作戦)を偵察し分析する担当者②優秀、有力な選手を求めて探すこと。その担当者。

スカウティング・ビデオ

対戦を予定される相手の戦力、戦術を探るため、事前に相手チームの試合を収録したビデオテープ、あるいはその作業のこと。

スクリーンプレー

攻撃側の選手が互いに交差するようにして走り、防御側の選手に混乱をおこし、その間を縫って有利に展開するプレー。

スクリーニング

攻撃側の選手が、防御側選手の前あるいは後に入り、その動きを遮断すること。

SEAゲームズ

South East Asian Games(東南アジア競技大会)の通称。

シーズンチケット

公式戦(国内リーグなど)のホームゲームの年間通し券。サポーター、ファンはシーズンを通して入場(シート)が確保され、割安で購入できる。クラブはシーズン前に一定の財政見通しを立てられる。ヨーロッパでは旅行客などが当日のチケットを入手しにくくなる。ドイツではキール、ハンブルグが成功している。

セカンドハーフ

①後半戦のこと。マスコミの試合時間表記では、例えば後半12分をスタートからの通算で42分とするような傾向が強まっている。ヨーロッパでは場内に掲示される時間も、後半の開始を「30(分)」に設定し31、32…60(終了)とする機器が増えてきた。「ハーフ」の意識は薄まりつつあるといってよい。
ビーチ競技のセカンドセット(=後掲)。

セカンドセット

ビーチ競技での第1セット。通常10分間。セカンドハーフ(=前掲)とも呼ばれる。

シード

種(たね)から転じて大会の組み合わせで有力チームを蒔くように意識的に“分散”させること。最初の段階で強豪同士が対戦し勝負(大会)の興味を薄らせないですむ。シードにはあらかじめその資格、チーム数、配置が決められ公表される。同シードの格を得た複数のチームはrow(列)と呼んで分ける。 05年の第17回世界女子選手権でアジア大陸第1代表の日本が第1シード(4ヵ国)となり話題を呼んだ。

SEHA

南東ヨーロッパリーグに同じ。

南東ヨーロッパリーグ

「SEHA League」と呼ばれるヨーロッパ南東7ヵ国を中心とした男子クラブの国際リーグ。2010年にクロアチアが各国に呼びかけて準備、11~12年シーズンに発展した。クラブの財政事情などから加盟チームの入れ替りが激しいが11~12年12クラブ、12~13年と13~14年各10クラブが参加、3シーズン連続は7クラブ。ベラルーシが加盟を検討している。SEは南東の意。

聖炎旗

国民体育大会の旗として47年に制定され、同年の第2回から使用されている。標章は火炎を表す赤と、台座・円帯が濃い紺青で、そこから「聖炎」と呼ばれる。旗のほか独自のデザインを加えて、各大会のシンボルマークとしても使用される。各地をリレーされる「国体の火」は聖火と呼ばず炬火という。

成年の部

国民体育大会で満18歳以上の選手で構成された男女の部門。74年までは一般の部と呼ばれた。対比は少年の部

世界ビーチ選手権

国際ハンドボール連盟は、90年後半からビーチ競技の“性格”をレクリエーショナルスポーツに位置づけ、ワールドゲームズへの参加を目指した。01年の第6回同大会(秋田県本荘市=当時)に加わることができたが、世界選手権の実績がないため「公開競技」の扱いとなり、急遽、秋田での競技が第1回世界選手権を兼ね「正式競技」への布石とした。優勝は男子ベラルーシ、女子ウクライナ、日本は男子5位、女子4位。第1回は01年ブラジルで行われる計画もあった。秋田県での大会はその後「非公式世界選手権」とされ第1回は04年11月エジプトでスタート。移行、西暦偶数年に毎回開かれている。

世界学生選手権

国際大学スポーツ連合ユニバシアードの正式競技に含まれない競技を中心に開く大会。ハンドボールは63年に第1回、女子が94年に発足した。原則として2年おきの開催。参加国数は16ヵ国以内とされ、現状は予選制は採らずフリーエントリー。日本は08年までに男子が15回、女子が7回出場している。在学生のほか開催前年の卒業生、学位取得者にも参加資格がある。年令は17才以上28才まで。

世界軍隊選手権

国際軍隊スポーツ連盟が原則として2年おきに開く大会(男子のみ)。82年に第1回が行なわれ04年までに15回開かれていたが、そのあと休会が続いている。第6回(92年)、第8回(94年)、第9回(96年)の3回韓国が、第13回(01年)にシリアが優勝、アジア勢が気を吐いている大会だ

世界ジュニア選手権

国際ハンドボール連盟による男子21才以下、女子20才以下の大会。77年に発足し原則として2年(男子は西暦奇数年、女子は同偶数年)おきに24ヵ国の参加で開かれる。アジア大陸代表枠は原則として男女とも各2。日本は13年までに男子が3回、女子が16回出場している。

世界最優秀選手

国際ハンドボール連盟がスポーツメーカー「アディダス」の後援を受け、毎年秋、同連盟広報誌「ワールド・ハンドボールマガジン」の全世界の読者投票によって男女各1人を選出する。88年から始められ(91~93年中断)、日本人選手の受賞はまだないが、97年男子で橋本行弘が3位の票を得た。

世界選抜チーム

国際ハンドボール連盟が認定した祝賀や記念事業のために特別編成されるオールスターチーム、チャリティなど同連盟事業のほか、貢献度の高い加盟国協会の創立50、75周年記念試合が多い。男子は68年から07年12月までに22戦、女子は87年から3戦が組まれている。アジアでの開催はまだない。日本人選手のノミネートは75年ヴェストハーレンホール創立50年記念を前に、佐藤要二(中央大学-本田技研鈴鹿)が参加を打診されたが、国内行事と重なり断念したケースがある。選手の選考は国際ハンドボール連盟指導・手法委員会が担当。

世界選手権

国際ハンドボール連盟による最高峰の大会。男子は38年、女子57年に発足し、現在は男女とも2年おきに24ヵ国が参加して盛大に行われている。日本では97年、男子の第15回大会が熊本で開かれた(=熊本世界選手権
男子は38年から66年までに7回、女子は49年から60年までに3回、11人制の大会も行われたが、現在は廃止されている。各国の振興を図って男女とも実力別のB、Cグループ(7人制)を導入していた時期がある。
日本は男子が12回、女子が16回、Bグループに男女各1回出場、11人制には参加していない。

世界ユース選手権

05年に男子第1回、06年に女子第1回が始まった最も新しい世界選手権。国際ハンドボール連盟の主催によるもので男子19才以下、女子18才以下が資格となる。西暦奇数年に男子、偶数年に女子が行なわれる。参加国数は09年から男女とも各20。

セミ・ファイナル

勝ち抜き戦で決勝進出チームを決める試合。準決勝。2分の1ファイナル、SFなどと同意。

「センバツ」

78年に始まった全国高校選抜大会の通称。

選手会

国際オリンピック委員会の提唱で、競技者の主張や意見を採り入れるため、各国オリンピック委員会、各国際スポーツ連盟が、実績のある選手たちによって組織。国際ハンドボール連盟は2005年から検討を進め14年に発足の予定。男女別に各2人と委員長の5人で編成。世界選手権時に投票で選出する。「アスリート・コミッション」と呼ばれる。

「戦前6大学」

38年日本ハンドボール協会創立の母体ともいうべき文理科大学(現・筑波大学)、慶應義塾大学日本体育大学(当時は日本体育会体操学校)、早稲田大学と、その直後に発足した明治大学法政大学の6校を指す。40年に予定された東京オリンピックを目指し、大会返上の挫折にあいながら、チーム活動を続け、草創期の基盤を築いた。競技場(11人制)での対抗意識を離れてこの時代の選手たちの絆(きずな)は強いものがある。戦前、国内でこの6校以外、大学チームの活動は行なわれていない。

ソウルカップ

韓国ハンドボール協会による女子国際大会。93年から2年ごとに海外のトップクラス4~6ヵ国を集めて開かれる。日本も97、99年に参加している。大会の前身は89、91年のIOCプレジデントカップ

ソウル・オリンピック

アジアで東京に次ぐ2回目の夏季大会として88年9月に開かれ(会場はソウル近郊の水原市)、韓国の発展する力を示した。水原(スウォン)市のハンドボールは女子が金メダル、男子が2位と史上に残る好成績をあげ、ヨーロッパ独走時代に終止符を打つ快挙をとげた。

ゼッケン・プレーヤー

ビーチ競技で1打2点となるプレーヤーの通称。GKの得点は2点に評価されるためシュート力のあるコートプレーヤーの1人を「攻撃型GK」として出場させる。そのプレーヤーはGKと同色、あるいは特別の番号を付けたベストなどを着けるため、この呼び名が生まれた。ゼッケンは「番号布」の意。

セット

ビーチ競技で10分間の1区切りを指す。公式試合は2セット制。国際的にはセットと呼ばずハーフとするケースもある。

セットオール

ビーチ競技で、両チームが互いにセット(=前掲)を1つづつ取り合った状態。試合の結着は「ワン・アゲインスト・ザ・ゴールキーパーシステム」でつけられる。

セットオフェンス

それぞれのポジションからプレーを組み立てて行なう攻撃。

セットディフェンス

選手がそれぞれのポジションについて防御する状況。ゾーンディフェンスとして一線ディフェンス、3:2:1ディフェンス(=前掲)などがある。

セット方式

セットオフェンス(=前掲)に同意。

セット制競技

ハーフ(前・後半)制の公式試合とは異なり親善試合、強化試合、練習試合などで試みられる方式。あらかじめ申し合わされた競技時間を3セット以上行なう。ピリオド制競技に同じ。
かつてソ連がユース強化として多用し、国際的な公式化を図る動きもあった。
セットごとにメンバーの入れ替え、防御方式の固定、選手年令、性別の規定など多様に行なえる。

セブン

チームや選手を表わす。時に7mスローの通称。

SF

セミファイナルの略称。準決勝。

社会人大会

実社会で活動している人によって組織、構成されたチームの大会。最近はチームに高校生、学生が加わることを認める大会が増えている。学生チームの出場も緩和されはじめた。日本ハンドボール協会は10年4月全日本社会人ハンドボール連盟を設立し「社会人界」の組織化を図っている。

試合時間

①競技規則で定められた1試合の時間。最初のスローオフを合図するレフェリーのホイッスルで開始され、タイムキーパーの合図で終了する。
成年・高校生の試合は前・後半各30分、中学生の標準は前・後半各25分、小学生の標準は前・後半各20分、ビーチは1セット10分②関係者、観客、マスコミなどに伝えられる試合開始時刻。

芝浦工業大学

49年創立。50年に関東学生リーグ11番目の加盟校となり、同年代後半から大学側の積極的な強化策とチーム作りが進み、56年秋の初優勝をきっかけに黄金時代を築いた。59年からの全日本総合選手権3連覇、全日本学生選手権では58年から66年までの9年間に8回の優勝を飾り、60年6月、OBを加えた全芝浦工業大学が59年の第5回世界11人制選手権2位のルーマニアに16-17と善戦(東京)、国際的な評価を得た。11人制・7人制並立時代をかけ抜けた強豪として記憶される。

7人攻撃

試合終了間ぎわ、僅差でリードされているチームが、GKの代わりに7人目のコートプレイヤーを送り同点を狙う捨て身の攻撃。1人が「7人攻撃」用ヴェストを着ける。

7人制

1チーム7人で行なうハンドボール。19世紀終わり頃から、デンマークなど北欧で盛んに行われ、室内球技として整備された。現在は7人制という呼称はほとんど薄れ、ハンドボールといえば「室内での7人制」を指す。日本では女子が57年から先行して「7人制一本化」となり、63年に全面採用へ踏み切った。屋外コートでの競技も国内ではまだ多い。最初の国際統一競技規則は1934年に制定された。

滋賀県協会

49年4月設立。翌年に「中学界」の組織が立ちあげられ、「高校界」と合わせて発展、社会人クラブの動きもしだいに活発となった。長浜ドームを使ってのジュニア、ユース大会は開催ごとに盛況を示している。

式場隆三郎

第2次大戦後、復活した日本ハンドボール協会の初代(歴代第3代)会長。高名な精神科医と同時に、「東京タイムス(日刊紙)」を創刊して社長をつとめ、マスコミ対策を重要視した球界が46年に推戴した。65年秋まで9期半にわたり在任。在任中の65年11月67才で他界。

失格

相手に対して危害を及ぼすようなプレーやスポーツパーソンシップに違反するような行為のあった選手、チーム役員に課せられるほか、同一選手が3回目の退場となった時の罰則。レッドカードで示される。失格の選手、チーム役員は交代地域からも退去させられる。

島田房二

日本人初のオリンピックレフェリーとして92年バルセロナ・オリンピックを担当した。パートナーは後藤登。2012年12月、67才で他界。

島尻真理子

2012年11月、太田智子をパートナーに日本人で初めての女子国際レフェリーとして国際ハンドボール連盟から認定された。

島根県協会

63年2月設立。4高校が主体となり基盤を拡げた。72年朝酌町の公民館活動の一環として組みこまれた社会人チーム「朝酌クラブ」は、“地域型”の活動として注目を集めた。

指名退場

反則退場時間が完了していない選手や、8人(あるいはそれ以上…)の選手が競技場に入った時、その選手は「退場」となり、さらにコート上の選手を2分間1名減らさなければならない。その選手を「指名退場(者)」という。
チーム役員が退場(2分間)となった場合、その役員は交代地域で任務を続けられるがコート上の選手を1名減らさなければならず、その場合も「指名退場(者)」となる。

清水宣雄

97年熊本で日本人レフェリーとして史上初めて世界選手権を担当。パートナーは後藤登。56年7月福島生まれ。

審判員

競技規則にそって試合(競技)の円滑な運行を図り、チーム(選手)が本来のプレーを行なえるよう管理につとめる。

シャツ番号

ユニホームに義務づけられている番号。背番号は縦が20cm以上、胸番号は10cm以上の大きさ、と規定されている。
以前はポジションと番号が連動し、試合のたびに選手の番号が変わったが、現在は「見せるスポーツ」の視点から、1~99が認められ各選手個有の持ち番号制が主流。

指定管理者番号

03年9月に施行された改正地方自治法で導入された制度。地方自治体が持つ体育施設、市民会館など公共施設の管理をNPO(非営利組織)や株式会社、任意団体など民間事業者へ拡大する。住民サービスの向上や経費の節減を目的とし、ハンドボール界内の関心も高い。

室内ハンドボール

インドアハンドボール7人制などに同じ。19世紀後半冬の長い北欧で屋外でのハンドボールまたは類似の球技を倉庫や大きな市場の一隅を“競技場”として「室内化」、しだいにヨーロッパ全域へ拡がった。日本では37年に国際競技規則が全訳されたが、活動は50年代となる。

市町村ハンドボール協会

全国市町村を単位とした組織。これまでは全国組織、都道府県組織の充実を優先してきたため、市町村レベルでの拡充は遅れており課題になっている。

静岡県協会

47年4月設立。県内の球史は戦前の40年にさかのぼり、同年9月、初の大会が行なわれている。協会の本格的活動は静岡、清水を中心に意欲的に行なわれ、高校男女で全国を制するチーム、選手を輩出、国際レベルの選手も数多く送り出してきた。

シュート

得点を狙い相手ゴールに向かってボールを投げること。形態はステップ、ジャンブ、ランニングが代表的で、投げる位置からロング、サイド、ポストなどに分けられる。

シュート・アベレージ

ヨーロッパで常用される大会を通しての1試合平均得点数の算出。各国リーグの得点王アベレージランキングなどを集計し発表される。

シュートブロック

射たれたシュートを選手の手や腕による“壁”で阻むこと。

シュートカット

シュートを射とうとする選手の持つボールを側方、後方から奪うこと。

シュートアウト

7mスローコンテスト、ショットアウト(=前掲)に同じ。

シューティングコンペティション

7mスローコンテスト、シュートアウトと同意。SCとも略される。

シュート率

得点数をシュート数で除したもの。日本リーグ7mスローのシュート数と得点数をそれぞれ含まずに算出、最優秀率の選手を表彰する。ヨーロッパはアベレージ(=前掲)、日本はパーセンテージ重視といえる。

ショットアウト

シュートアウト7mスローコンテストに同じ。

ショルダースロー

パスの一種。肩のあたりから投げる最も基本的な方法。

出場時間

各選手ごとにコートに立った(プレーした)競技参加時間を計測し記録化したもの。
1999年の世界選手権から公式記録に記載されるようになった。ヨーロッパのクラブでは、契約時の資料の1つとされる。

サイド

①チーム。自チーム、相手チームの“側”を意味する。
②iゴールに対して角度のない地域。

サイドチェンジ

攻撃の方向を代えることを指す。前半終了後、延長時に交代地域(選手席)を防御する側に入れ替わるのはハンドボール独特の規定だ。

サイド攻撃

サイド(=前掲)からの攻撃。80年モスクワ・オリンピック、82年世界選手権で主流をなした攻撃法。

サイドライン

競技場の縦の両側のライン(40m)。

サイドシュート

サイドから行うシュート。

サイドステップ

ボールを持った攻撃側の選手が防御側を抜いて横へ進むためのステップ。

サイドスロー

身体の横から投げる方法。

シミュレーション・プレー

おもに相手プレーヤーなどに倒されたとして攻撃では7mスローなどの判定を、防御ではチャージなどの判定を得ようとする「見せかけ」の行為。国際ハンドボール連盟は、フェアプレーにもとるとしてレフェリングの厳しさとともにプレーヤーに“全滅”を呼びかけ続けている。

スキル

技能、秀れた能力(=熟練)。

スカイプレー

日本が発案した空間攻撃。68年のルール改正でゴールエリアの上空が競技領域となり各国は技術の開発に取り組んだが。日本体育大学によるプレーが空中感、立体感で際立った。ゴールエリア上の空間へ投げられたボールを、ジャンプした選手が空中で捕球し着地する前にシュートする離れ技は、ハンドボールの新たな魅力となった。プレーの名称は69年の同大学と韓国・成均館大学との親善試合で、互いに空中戦を応酬したことでイメージが沸いたとされる。

スライドプレー

マン・ツウ・マン防御における1つの方法。
攻撃側選手の横や交差(クロス)する動きに防御側もそれぞれが相手についてマークをつづけるプレー。

スナップ

手首を強く効かせてボールを素早く投げること。

スナップパス

腕を使わず手首の返しでいきなり早くパスする方法。

スナッチゲーム

ラフ・バルに同じ。1つのボールを1チーム14人の競技者が奪い合いゴールに投げ入れるスポーツ。20世紀初めドイツを中心に親しまれハンドボールの原型の1つとされる。

スノーハンドボール

13年冬、アルゼンチンのウシュアイアで愛好者が始めたゲーム。雪上で1チーム4~7人が7人制ハンドボールとビーチ(4人制)のルールを混合して行なう。地元は冬の屋外スポーツとして広めたいと意気込む。14年には国際大会の計画もある。

ソシオ

チーム(クラブ)の活動のため一般市民が会員(=ソシオ)となり、資金や運営を支えるシステム。日本ハンドボール界も実業団チームの撤退をカバーするクラブ化にあたって、先進のヨーロッパの成功例への関心が高まっている。スペインハンドボール界の強豪FCバルセロナは、サッカーを軸に総ソシオ数16万人を誇る

ソビエト連邦

1923年社会主義共和国連邦が成立、ハンドボール(11人制)の全国組織は28年に確立された。その年に始められた20競技による「スパルタキアード」に合わせての発足と思われる。30年代に入ってもモスクワ、クラスノダールなど主要地方で11人制、7人制が併行したが、国際的な活動はほとんど伝えられていない。国際アマチュアハンドボール連盟(28年設立)へも加盟せず、戦後も56年の第1回ソ連ゲームズ(21競技)まではヴエールに包まれていたに等しい。
58年ようやく国際ハンドボール連盟のメンバーとなり、世界の舞台へゆっくりと室内(7人制)競技一本で登場してきた。陸・空軍のスポーツクラブを中心に各競技合わせて100を越す頂点強化拠点が設けられ、ハンドボールは男子がモスクワ周辺、女子がキエフとされた。ロストフ地区を中心にした10~17才のユースプログラムは世界制覇の夢を乗せたもので話題を集めた。67年第6回世界選手権での4位進出が狼火(のろし)となり、そのあとは一気に世界の最上位へ定着、90年までに男子がオリンピック2回、世界選手権1回、女子がオリンピック2回、世界選手権3回(82~90年の3連覇)の優勝を飾った。
91年、15共和国がそれぞれ独立という歴史的な事態となり、ソ連協会の歴史はロシア協会が引き継いだ。92年バルセロナ・オリンピックは「独立国家共同体」(EUN)として参加、男子は優勝、女子は3位だった。ソ連時代の87年女子代表が来日している。本格的な国内リーグ(男女室内)のスタートは56年。

組織攻撃

攻撃側選手のポジション配置。一般的には3人のフローターポスト、両サイドに各1人を配すが、フローターを2人とし、ポストに2人を置く型も増えている。戦局、時間経過などで試合中に使い分けられる。

総当たり戦

参加しているチームすべてと対戦する大会方式。リーグ戦ラウンドロビンに同じ。
対比は勝ち抜き戦

総合型地域スポーツクラブ

01年1月に発表された文部科学省による「スポーツ振興基本計画」の柱の1つとして打ち出された施策。地域住民による自主的な運営で単一競技にこだわらず、ヨーロッパ流の複数の競技に親しめる多世代型会員での活動をめざす。全国でのクラブ数は3000を上下し、発足する数と休部する数とが激しく入れ替わっているのを示す。

「早関戦」

早稲田大学関西学院大学による定期戦。46年に西宮で第1回を行ない大学定期戦としてもっとも古い球史を誇る。58年の第8回で国内初のナイトゲーム(西宮球技場、11人制)を行なっている。

送球

ハンドボールの和訳語。36年10月それまでの「手球」に代わって定着した。38年2月2日設立の初の全国組織も正式名称は「日本送球協会」。当時、団体名、大会名などでハンドボールと呼称したケースは少なく、ほとんどの活動が「送球」としていた。戦後はすぐに「ハンドボール」へ切り替えた組織や大会もあるが「日本ハンドボール協会」と正式に改称されたのは47年7月1日。現在は伝統にこだわるチーム(クラブ)名以外にはほとんど使われない。

サウスポー

ベースボール用語で左利きのピッチャーをいうが、最近は多くのスポーツで左利きの選手を指す呼称となっている。語源はアメリカ南部(south)に左腕の好ピッチャーが多かったからといわれる。ハンドボールではレフトハンダーが通常の表現。

スペアプレーヤー

「予備の選手」のこと。規模の大きな大会に派遣されることが決定していた選手が、何らかの理由、事業で参加をとりやめた場合に備えてあらかじめ発表される。不参加者の出たあとで選出するのではなく、すぐに切り替える。「リザーブ(Reserve)」、「リプレース・プレーヤー(Replace Player)とも呼ばれる。

スパルターク・キエフ

ウクライナの首都キエフをホームとする女子の世界的強豪。ソ連時代、同国内リーグで20年間(69~88)にわたり無敵を誇り、その間ヨーロッパ女子チャンピオンズリーグに13回優勝、そのまま「ソ連代表」といえた。監督のイゴール・ツルチン(故人)と夫人でオールラウンダー、シナイダ・ツルチーナのカップルはハンドボール界にとどまらず国際的にも有名だった。
91年ウクライナの独立後は、旧ソ連各地からの有望選手結集が難しくなり、国際的な活動は低迷している。ウクライナは1900年初頭ハンドボール(屋外)に類似した球技が盛んで、その伝統を継いで現代もハンドボールは代表的な国民スポーツとなっている。

スペシャルチーム

通常のチーム(クラブ)のなかで、ビーチ競技専門のメンバー。かつて11人制・7人制併立時代に、7人制用チームを内外でこのように呼んだこともある。

スペシャルオリンピックス

知的発達障がいのある人たちにスポーツトレーニングとその成果を発表する競技会を年間を通じ提供している国際スポーツ組織。1962年アメリカで始まり、1968年に組織化された「スペシャルオリンピックス」(略称・SO)には日本(SON)をはじめ160ヵ国以上が加盟している。
この活動に参加する知的発達障がいのある人を「アスリート」と呼ぶ。68年から4年ごとに国際総合競技大会が行なわれ、2003年ダブリン(アイルランド)での第11回夏季大会からハンドボールも加り、2007年10月上海(中国)での第12回大会でも実施されている。

スペクテーター

観客。オーディエンス(audience)と同意。

スパイクシュート spike shoot

ゴールエリア上の空間に浮いたボールを手でたたきつけるようにして射つシュート。

スピンシュート spin shoot

回ビーチ競技のシュート技術。空中で1回転してシュートを放ち、ゴールすれば2点が与えられる。当初は「ピルエット(旋回)シュート」(フランス語)と呼ばれていた。

スポンサー sponsor

大会やチーム(クラブ)の資金面での後援者。

スポーツアコード Sport Accord

国際スポーツ組織。前身の「国際スポーツ団体連合」(GAISF)は1967年に設立され国際オリンピック委員会(IOC)の承認団体の1つだった。2004年、ワールドゲームズ、ユニバシアード、スペシャルオリンピックスなど国際総合競技大会などの国際スポーツ関係団体も加わり、国際ハンドボール連盟など「連合」時代の国際スポーツ競技団体と合わせて109団体が加盟する世界最大のスポーツ組織になった(2013年)。本部はローザンス(スイス)。会長はマリウス・ビゼール(ルーマニア、柔道)。

スポーツベッティング Sport Betting

スポーツ(ハンドボール)の結果を予想してマネーを賭けること。
運営元を「ブックメーカー」と呼び、ヨーロッパでは、ほとんどのスポーツが対象とされている。ハンドボールでは世界選手権をはじめとする国際トーナメントに人気があるといわれる。

スポーツ仲裁裁判所

83年に国際オリンピック委員会がスポーツに関連するさまざまな紛争を仲裁・解決するために設けた国際的な独立機関。通常の裁判所とは異なる。スポーツの行政、法律に詳しい専門家などで組織される。一審制。本部はローザンヌ(スイス)。英文略称、略記はCAS
北京オリンピックアジア予選の「再予選」アジアハンドボール連盟クウェート協会、カザフスタン協会が国際ハンドボール連盟との調停を望み、日本ハンドボール協会からも08年3月ローザンヌの聴聞会に参考人として出席した。
CASとは別に国際ハンドボール連盟内にも独自の仲裁委員会がある。

スポーツ基本法

2011年6月に成立、8月24日に施行された法律。すべての人にスポーツを楽しむ権利を認める「スポーツ権」を主軸とし、競技スポーツ中心の政策に加えて地域スポーツも重視している。学校教育などを通じて普及をめざし行政側の視点に立っていたといわれる「スポーツ振興法」が全面的に改正されたと言える。日本ハンドボール協会は少年層と成人層の拡充に目を向けたいとしている。

スポーツファーマシスト

ドーピング予防の情報・知識を持つ薬剤師。日本アンチドーピング機構から認定されたスタッフで13年現在全国に約5000人が活動している。ドーピングに不安を持つケースで相談を受ける。

(株)スポーツイベント

小社。東京都千代田区神田に編集部を置く。「ハンドボール」は77年10月25日創刊。当初は新聞(タブロイド版)型。79年10月から月刊誌に。ハンドボール技術書、ビデオテープなどの刊行多数。「永くご愛読を」-。

スポーツパーソンシップ

ルールを遵守(じゅんしゅ)し、正々堂々と競技する精神、態度。スポーツマンシップとも。

スポーツ振興法

61年6月16日に制定されたスポーツ振興の基本法ともいえるもの。07年から改正の機運が高り、2011年8月24日の「スポーツ基本法」の施行でその役を終えた。

スポーツ振興基本計画

スポーツ基本法の施行(2011年8月)にともなって具体的な課題を文部科学省がまとめた計画。12年に発表され22年までを見通すとされるが、当面、おおむね17年までの5年間を期間とした。
学校と地域における子どものスポーツ機会の充実、住民が主体的に参画する地域のスポーツ環境の整備、若者のスポーツ参加機会の拡充と高齢者の体力づくり支援、国際競技力の向上(人材の養成など)、国際競技大会の招致・開催(国際貢献の推進)、スポーツ界の透明性向上、トップスポーツと地域スポーツの連携などがあげられている。
総合型地域スポーツクラブの振興を提言した「スポーツ基本計画」は2001年版。

スポーツ少年団

日本体育協会が創立50周年と東京オリンピック(64年)を記念して62年6月に創設した事業。団員の年令には小学生以上を原則とする以外に厳密な規定はないが10~16才が多い。単一の競技を主活動する団と複合的な競技を行う団があり、ハンドボールは単一型では全国で70(06年)と少なく、複合型に含まれ実施されるケースが多い。日本体育協会によれば全国における団数は35305、同団員は約80万7000人、指導者数は約20万人(いずれも12年度資料)。

スプリントマッチ

試合(競技)時間を10分ハーフや20分ハーフなどと極端に短くし、1~2日で多数のチームが多数の試合を行なえるように計画された大会、試合。スプリントマッチによる「ワンデー・トーナメント」などが盛んになっている。

スクォード squad

一団、分隊の意から転じてチーム。

ST

シュートの略号。公式記録や新聞報道で使われる。同ようの略号に7mT(7mスロー)FT(フリースロー)などがある。

ストーリング

時間かせぎのための攻撃側の引き延ばし策。全力を出し切らぬ攻撃はパッシププレーとみなされ、相手ボールとなる。

スタンス

選手の立った姿勢。特にディフェンスの構え。

スタンディングオベーション

勝利、表彰、美技、フェアプレー、スター選手の入場などで、熱狂、感激した観客が総立ちとなってチーム、選手を称賛、祝福すること。

スタンディングシュート

助走やジャンプなどをせず立ったままで行なうシュート。

スタンディング

順位表。

スターティングメンバー

前・後半開始時にコート上に立つ7人の選手。

スタティスティックス

統計、統計的な資料。ハンドボールでの本格的導入は「コンピューター・オリンピック」といわれた72年のミュンヘンオリンピックでチーム、選手、試合ごとの記録、試合(得点)経過などが集計、配信された。70年代後半からは、大会ごとに項目が充実、精細さを増し、03年の第16回世界女子選手権(クロアチア)では選手別の出場(プレー)時間数やシュート地域と分析なども加わり、「記録を楽しむ」ハバを拡げている。世界選手権における設計は国際ハンドボール連盟が行ない、運用はコンピューター会社とその都度、契約している。

スタッツ

スタティスティックス(=前掲)の略称。

スチール

ドリブルして運ぼうとするボールを相手から奪うこと。

ステラ・サンモール

64年6月ヨーロッパの有力クラブ(1946年設立)として史上初めて来日したフランスの男子クラブチーム。国内の単独チームや地域選抜と10戦(ステラ6勝4敗)した。フランス・チャンピオン通算6回(初優勝は68年)の強豪だったが、その後は低迷、2013-14年シーズンは国内でアマチュアリーグ2部第4プールに所属している。シニアから11才クラスまで男女20チームを持つ。正式名称はステラ・スポーツ・サンモールHB。

ステップラダー方式 step ladder

予選や1次リーグの上位者がその順位にしたがって勝ち抜き戦を行ない勝者を決める方式。ラダーははしごの意。日本ハンドボールリーグの女子プレーオフは3チームによるこの方式を一時採用していた。勝ち抜き戦(トーナメント)も同意。

ステップシュート

相手ディフェンスにスキができた瞬間に行なうシュート。

ストックラン Stephane.C.A.Stoecklin

ステファン・カミーユ・アンドレ・ストックラン。89年フランス代表に初選出され、同国が世界最上位へ躍進する象徴的な存在となった。身長185cmと大型ではないがジャンプ力、フットワークを活かした機敏な動きと左腕からの強肩で92年バルセロナオリンピック3位、95年世界選手権優勝の原動力となる。
96年からドイツリーグで活躍のあと98年7月本田技研鈴鹿(現・ホンダ)入り。日本のハンドボールシーンで史上最高レベルの選手として03年終了まで在籍。99年日本ハンドボールリーグ得点王。04年からフランスリーグ(シャンベリー)へ戻り、05年第一線から引退。69年1月フランス・ブールゴアン生まれ。

ストップ

走っている選手が止まること

ストリート・ルール

デンマークが08年に考案した「簡易ハンドボール」。ゴムボールとゴムなどで造られたゴールを使用、広場やホールの一角、路地、屋上など小さな空間で親しめる。09年コペンハーゲンでの国際オリンピック委員会総会の会場でデモンストレーションが行なわれ注目を浴びた。ドリブルは認められず、審判員はプレーヤー同士の判断などユニークで、1チームの人数も規定されていない。

サドンデス

1点先取での決着。延長戦での“決勝方式”の1つで、日本ハンドボールリーグが2点連取方式を採用したことがある。内外とも、正規の延長戦を行なうか、7mスローコンテスト(シュートアウトショットアウト)を行って勝負を決めるのが一般的。

サドンストップ

走っている選手が“急停止”すること。

枢軸国大会

43年12月、東京・明治神宮外苑競技場(現・国立霞が丘競技場)で行なわれた男子・全日本選抜-在日ドイツ人選抜の試合。当時の日本、ドイツの友好を物語るもので、戦前のハンドボール史最後のビッグイベントとなった。

サマートーナメント

ヨーロッパで夏(7~8月)に開かれるキャンプや親善を目的とした大会。スプリントマッチで運営されることが多く、グラスコートを使ったアウトドア7人制に人気がある。最近はトップチームが強化合宿をかねて参加することがある。日本では88年7月「サマーレディースカップ」、89年7月東京、95年7月熊本で男子「サマーカップ」(各国際大会)が開かれたことがある。

スーパーカップ

①代表的な大規模の2つ以上の大会の勝者同士が対戦する試合または大会。
ドイツ協会が79年から原則として2年おきに開く男子国際大会。招待されるのはオリンピックまたは世界選手権の優勝国あるいはそれに準じる実績国。

スーパーファイナル

規定のラウンド終了後、その順位を参考にして最終的に優勝者を決める大会方式。日本ハンドボールリーグはレギュラーリーグのあと男子はその1~4位、女子はその1~3位でスーパーファイナルを行なっている。プレーオフとほぼ同意。

スーパーグローブ

97年から国際ハンドボール連盟が各大陸の各クラブチャンピオンによる「世界クラブ選手権」として非公式に発足させたクラブ(単独チーム)による男子国際大会。第1回に大崎電気がアジア大陸代表として推せん出場(5位)。第2回は02年カタール、第3回は07年エジプト、中断のあと第4回が10年カタールで開かれた。第8回(14年)までカタールで毎年開かれる予定。アジア大陸代表は原則としてアジア・クラブリーグチャンピオンシップの勝者。当分、男子のみ。

スーパーリーグ

95年から始まったロシアの男女全国最上位リーグの名称。94年までは「ハイ・リーグ」と呼ばれていた。

スーパースター

本来はハンドボール界などに特定されずほかのスポーツ界、一般社会からも高い声価を得ている「超一流の競技者」をいう。現代では、その時代でもっとも技量、人気、マナーに秀れた各スポーツの代表的選手を指すことが多い。

サプリメント supplement

選手のための「栄養補助食品」をいう。アンチドーピングに抵触する禁止物質を含んだ品も多く日本ハンドボール協会は注意を促している。

サスペンション suspension

「出場停止」、試合の「一時中止」。「退場」の意に用いられる場合もある。

鈴木達雄

第4代日本ハンドボール協会会長。67年4月から8ヵ月間の短期の在任だった。

スワッププレー

自分が防御マークする選手にブロックをかけられたケースで、ブロックをはずしてほかの選手をチェック、本来のマーク対象を味方の選手と取り換えあうプレー。

スウェーデン

18世紀末、現代の原型の1つともいうべき球技を早々と「ハンドボール」の名で親しんでいたほどの“伝統国”。国技といってよい。競技スポーツとしての発展は1910年代となり、協会発足は31年。第2次大戦終了直後、新国際組織設立の中心となり、世界のニューリーダーとなった。38年の第1回以来、05年の第19回まで男子世界選手権に連続出場の快記録を唯一つづけていたが、07年の第20回大会はヨーロッパ予選で敗れ、出場できなかった。世界選手権優勝4回、同11人制優勝1回、オリンピックは2位3回。代表選手をはじめ有力選手の多数が外国リーグを活躍の場としている。外国で指導者として活動する人材も多く輩出している。11年1月世界選手権を開く。
女子も近年はヨーロッパ上位の力を示し、北京オリンピックに初出場する。男子代表は熊本世界選手権(2位)以外に71年、88年、90年、96年の4回来日している。
日本の女子選手・宮城友枝が2006-07年からすでに8シーズン在籍、1部のOVヘルシンボリでも活動している。

スイングパス

腕を円盤を投げるように大きく振って行なうパス。

スイッチプレー

攻撃側のクロスプレーに対し、防御側が味方同士でマークする相手選手を交換すること。

招待競技

総合競技会や多種目イベントで正式(公式)競技以外で主催者が関心度、人気度、普及度などから特に加えて行なう競技。ワールドゲームズのビーチハンドボールが好例。公開競技、デモンストレーションスポーツ、エキシビジョンスポーツなどは同意に近い。準公式競技のニュアンスもある。インビテーションスポーツと呼ばれる。

障がい者ハンドボール競技

身体障がい者、知的障がい者、ろうあ者などのハンドボールは内外ともに積極的に取り組まれ、ヨーロッパでは国際試合も少なくない。組織化、規則の統一などは整えられていない(09年3月現在)。

小学生ハンドボール

日本ハンドボール界最大課題の1つ。小学校の体育教科採用とともに市町村レベルでの小学生を対象としたスクール、クラブなどの展開は急務とされる。日本リーグ勢による指導など新しい芽もある。
県レベルでは52年からの歴史を持つ名古屋市を中心とした愛知県協会の普及活動や、88年に京都府・市協会の熱意でスタートした全国小学生大会が大きな力を示している。07年度に日本ハンドボール協会に登録した小学生愛好者は全国で4912人とされる。

賞金

国際ハンドボール連盟は80年に入って各大会で授与される賞を「賞品」とは限定せず。賞金(prize money)も認める姿勢を打ち出した。ヨーロッパのプライベートトーナメントでは金額の多少にかかわらず、賞金付きの大会が多くなった。ビッグイベントでは国際ハンドボール連盟による「スーパーグローブ」(=後掲)「インターコンチネンタルカップ」などで導入され、男女世界選手権では99年に、優勝5万ドル、2位3万ドル、3位2万ドルが初めて贈られ、その後、額を上げている。国内では日本リーグが2012-13年から導入している。世界最優秀選手などにも与えられる。プライズマネーと同じ。

少年の部

国民体育大会で満17才以下の選手で構成された男女の部門。ハンドボール競技には中学生の参加は認められていない。74年までは高校の部と呼ばれた。

手球

30年代に入って、それまで「ハンドボール」とされていた呼称が直訳的な「手球」に変わった。36年10月に「送球」と名付けられるまで、この名で通された。中国、台湾などでは現在も「手球」と呼ばれる。

終了合図

試合(競技)時間の終了はタイムキーパーの合図によって知らされる。合図がない場合はレフェリーが笛を吹いて終了となる。終了合図と同時に行われた反則については規定の罰則が課せられる。

終身審判員

日本ハンドボール協会の国際、A級、B級公認審判資格を得て、満50才の定年を迎えた人に都道府県協会の推せんで与えられる称号。08年2月現在116人。