1918年に独立、44年社会主義連邦人民共和国建国、スポーツ振興にも力を入れはじめた。ハンドボール界は50年国際ハンドボール連盟加盟と同時に、国家支援による普及と世界をリードする理論を展開、戦術の開発、男女頂点強化の実績づくりが進められ、91年国家が解体するまで一時代を築いた。「ユーゴ戦法」、「ユーゴ」と名付けられたプレーも多い。
国内活況の背景となったのは多民族、多国家による“対抗意識”で、全国リーグの質量がトップレベルの充実へとつながった。
60年代から世界最上位への道を一気に拡げ、70年男子が世界選手権3位、71年女子が同優勝を飾り、72年ミュンヘンオリンピック(男子)における金メダル獲得で“世界最強国”の定評を揺るぎないものとした。90年までに男子はオリンピック2回、世界選手権1回、女子はオリンピック、世界選手権各1回の優勝を飾っている。73、84、87年の3回男子代表チームが、90年女子代表が来日、女子の名手カティツァ・イレシュ、ビセルカ・ビスニッチの両選手が日本リーグ・オムロンで活動した。
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ユーゴスラビアの新国家は92年4月「ユーゴスラビア連邦共和国」として創設され、同年のバルセロナ・オリンピックには参加が認められなかったが、世界選手権は男子が97年“初出場”。99年(3位)、2001年(3位)、03年の4回、女子は01年(3位)に出場。
このあと、02年3月に連邦を組んでいたセルビア共和国、モンテネグロ共和国が国家を改編し、新国家連合の再構築に合意。国家名を「セルビア・モンテネグロ」とし、03年8月の第14回世界女子ジュニア選手権(マケドニア)に“初登場”した。そのあと06年5月モンテネグロが再び独立、国際およびヨーロッパ・ハンドボール連盟はセルビアとともに両国をメンバー(加盟国)とした。旧・コソボ自治州もコソボ共和国となって活動を続け、13年両連盟に加わった。