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ハンドボール~その歩み②~


はんどぼーる そのあゆみ に

【IHFの誕生】第2次世界大戦の終幕でドイツ主導の国際ハンドボール界の状況は大きく変わり、ベルリンに本部(事務所)を置いていたIAHFは自然消滅してしまう。代わって1946年7月、コペンハーゲン(デンマーク)にデンマーク、スウェーデンの呼びかけで8ヵ国が集まり新たな世界組織・国際ハンドボール連盟(略称、略記はIHF)の結成を決めた。正式誕生日は1946年7月11日。

【グローバルスポーツへ】北欧を中心とした新しい動きは精力的で1946年末には12ヵ国、48年には5ヵ国、50年に2ヵ国が加盟、52年20番目のメンバーとして、日本がヨーロッパ大陸以外から最初の加盟国となった。アメリカ大陸からは54年にブラジル、アルゼンチン、アフリカ大陸からは60年にエジプト、モロッコが加盟。日本につづくアジア大陸からの加盟は60年韓国、62年シリア、66年ヨルダン。創立10年目(1956年)には4大陸39ヵ国となった。

【オリンピック】国際ハンドボール連盟の宿願はオリンピックへの“復活”だった。1955年9月、国際オリンピック委員会に「60年のローマオリンピックに採用を」との申し出を行なった。その3年前、ヘルシンキ・オリンピックの開会式後のデモンストレーションとしてスウェーデン-デンマーク(男子11人制)の試合が行なわれ、関係者は意を強くしていた。しかし、規模拡大を懸念する国際オリンピック委員会の同意がなかなか得られず、いったん実施が明らかにされた64年東京も見送られ、悲願の達成は72年ミュンヘン・オリンピックまでずれ込む。

【11人制衰退・7人制主流】第2次大戦後最大の変革は7人制(室内)主流の動きだった。背景には諸説があるが、春~秋の短い北欧主導の運営を一因とみていい。戦前から活動していた国は11人制・7人制併行、段階的に7人制へ移行したが、新勢力ともいうべき東欧圏は7人制への興味が圧倒的に強くこのパワーも影響している。11人制世界選手権は男子が1966年第7回で、女子は49、56、60年の3回で終止符が打たれ、70年代を前に「7人制時代」が確立された。日本を除いては、7人制といえば「室内」を指すのが常識となり、62年ルーマニアでの第2回世界女子選手権がアウトドア(陸上競技場特設コート)で行なわれたのは“異例”といえる。日本は57年に女子が7人制一本化、63年には全面採用となり、25年にわたる11人制の幕が閉じられた。

【現況】ミュンヘン・オリンピックでの実施は、ハンドボールへの関心を世界的にふくらませ、1976年モントリオール・オリンピックから女子が採用されたことでいっそうはずみがついた。74年オーストラリアの加盟で5大陸が揃い、国際ハンドボール連盟設立30年目の76年には5大陸66ヵ国、86年には同97ヵ国、96年には東欧圏で独立が相次いだこともあり同139ヵ国、現在(2014年1月)は同199の国と地域がメンバーとなった。非公式だが未加盟の地域と国は10を越す。2013年現在、世界の愛好者登録人口はジュニアを含め約2700万人を数える。

【世界選手権の拡充】国際的な発展は、活動の充実を誘うこととなり、1977年世界ジュニア選手権(男女)が2年ごとに開催され、90年代に入るとシニアの開催サイクルが伝統の4年から2年へと改訂された。70年代以降各スポーツがサキを争うようにコマーシャリズムの導入によるマーケティングを強めた。世界選手権は財政上でもキーとなるイベントだ。なかでもテレビ放送権料、スポンサー料は、この大会の運営はもとより国際ハンドボール連盟の事業を支えている。競技者サイドでもプロ選手の登場、強豪クラブやトップリーグのビジネス路線、賞金大会などが進み、2003年から世界選手権も賞金が付いた。新しい世界選手権としては01年からビーチ、05年からユースが行なわれている。世界クラブ選手権も待望されている。