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全日本学生王座決定戦


ぜんにほんがくせいおうざけっていせん

現在は行なわれていないが48年に始まった「東西学生王座決定戦」が発展し、57年からこの名称となる。戦後国内球界の最大イベントとして位置づけられた。関東、関西両勝者の対決(48~56年)から、57年に東北・北海道、58年に東海、60年に中・四国、65年に北信越、66年に九州が参加、東・西に分かれて予選を行ない頂点への道を争い、全日本学生選手権(=後掲)の発足で、所期の目的を果たしたとして68年に21回の歴史を閉じた。57年名称を変更した際に大会回数を「第1回」としたことで異議が出て、すぐに通算へ戻した。63年以降は室内で開催、56年までは東西2位対抗もあった。
〔優勝回数〕関西学院大学芝浦工業大学各8回、立教大学3回、文理科大学日本体育大学各1回。女子は行なわれていない。