国際ハンドボール連盟
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こくさいはんどぼーるれんめい
International Handball Federation。第2次大戦1年後、1946年7月11日コペンハーゲン(デンマーク)にデンマーク、フィンランド、フランス、ノルウェー、オランダ、ポーランド、スウェーデン、スイスの8ヵ国の代表が集まり、世界のハンドボール新組織立ち上げを協議、一気に設立へと動いた。その日のうちに、オーストリア、ルクセンブルグ、ポルトガルから代表が送られ、この11ヵ国とベルギーが最初のメンバーとなる。初代会長はゲスタ・ビヨルク(スウェーデン)。48年男子、49年女子の11人制世界選手権をまず開催、54年男子、57年女子の7人制(室内)世界選手権を行ない、室内主流の芽生えを早くも感じさせることになる。
日本は52年9月の第4回総会(西ドイツ=当時)で20番目の加盟国として宿願の承認を得る。それまでの19ヵ国はすべてヨーロッパ勢。
55年、国際オリンピック委員会に対し、60年のローマ・オリンピックでの採用を働きかけるなど、オリンピック参加が大きな目標となるが、競技面では11人制を見送る国が年ごとに増え、男子は66年の第7回、女子は60年の第3回を最後に世界選手権の幕が閉じられる。65年国際オリンピック委員会は、72年のミュンヘン・オリンピックでハンドボール(男子7人制)の実施を決定、76年モントリオールで女子も加わった。この動きが刺激となり、加盟国数は66年39、76年66、86年109と伸び、09年6月166、2013年9月199を数え、同時点での世界の愛好者総数は1366万2000人(うち女子522万2000人)。ほぼ同数のジュニア、ユースが活動している。チーム(クラブ)数は19万5200とされる。大陸別加盟国数はアジア40、ヨーロッパ52、アフリカ50、アメリカ28、オセアニア6で、このほか準メンバーが23を数えている。90年代以降、マーケット路線が促進され、93年から世界選手権は2年おき開催、03年から1~3位に賞金を贈る時代を迎えた。94年からプロフェッショナル選手の参加も容認している。92年7月イタリアで始まった「ビーチ競技」の普及も順調である。
主催する世界選手権は1938年からの男子、57年からの女子に加え、77年から男女ジュニア、01年からの男女ビーチ、05年からのユースがある。
ビヨルクのあと会長はハンス・バウマン(スイス、50~71)、パウル・ヒヨーグベルグ(スウェーデン、71~84)、エルヴィン・ランツ(オーストリア、84~00)、ハッサン・ムスタファ(エジプト、00~現在)と引き継がれている。本部はバーゼル(スイス)、事務総長はジョエル・デルプランクェ(フランス)。英文の略称、略記はI.H.F。