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HANDBALL A to Z
作成・杉山茂&スポーツイベントハンドボール編集部 2014.04.15Version
これまでハンドボール用語といえば規則(ルール)、技術・戦術用語が主でした。ハンドボールファンの拡大、内外情報の多彩化などで、用語は極めて多範囲となり、新たな解説が求められています。この企画はそうしたニーズに応えるものでスポーツイベント・ハンドボール誌(月刊)を読んでいただく場合の手引きともなります。外来語が多いためアルファベット順に日本語用語(ローマ字読み)と史上特筆すべき業績を残した内外のチーム、人物も加えました。年数は西暦、項目表記は英語系のみとしてあります。競技規則用語は「日本ハンドボール協会競技規則平成25年版(2013.12.16発行)」を参考にしています。1~2年ごとに追加、補充、修整など改訂を重ねていく予定です。個人の敬称略。
〈禁無断使用転載〉

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財団法人

公益を目的として集められた財産を基礎に設立された法人。70年代、文部省(当時)がそれまで任意団体の多かった全国的スポーツ組織に対し「財団化」が望ましいとし、日本ハンドボール協会は73年代から検討を進めた。78年2月、基本的な方針を固め、78年6月から募金を開始、予定より1年早い80年3月、目標とした3000万円到達の見通しが立ち、80年6月9日付で設立許可申請を行ない、81年3月11日付で文部大臣から認可を受けた。日本体育協会加盟団体としては25番目だった。これにより38年2月設立の日本ハンドボール協会は43年の歴史でで発展的解消を遂げた。基本金は約5700万円。
08年12月に新しい法律が適用され、13年3月に「公益財団法人」へ移行された。

暫定的資格停止

ドーピング検査の判定に関わる聴聞会で最終的な決断が下されるまで、競技への参加が暫定的に禁止されている状態。

全国中学校大会

72年から78年までは「全国中学生大会」の名称で日本ハンドボール協会事業として開かれた。79年文部省(当時)がすべての中学校スポーツを学校教育活動の範囲で実施する方針を打ち出し、79年から「全国中学校選抜競技大会」の一環に組みこまれ、大会名を現行のものとした。
89年から「選抜」の名が消え「全国中学校体育大会」に発展した。ハンドボールの大会回数は72年からの通算。発足当初は、学校教育外での事業に反発も少なくなく、“全国”の軌道へ乗るまでには時間がかかった、50年代から中学界の活動に取り組んでいた東海、近畿両ブロック関係者の情熱が大きい。「日本中学校体育連盟ハンドボール競技部」は92年から日本ハンドボール協会の加盟団体。
中学生年代の全国大会はこの大会のほか、冬のJOCジュニアオリンピックカップ春の全国中学生選手権がある。

全自衛隊選抜大会

全日本自衛隊選手権(=後掲)の前身として69、70年の2回開かれた。90年から同名の大会が日本ハンドボール協会事業外で自衛隊内の自主事業として行なわれている。

前回実績枠

世界選手権で前回大会の上位入りした国の所属大陸に追加配分される枠。男女の世界選手権は前回2~10位までの9枠(優勝国は予選免除のストレート参加)、同ジュニア選手権は1~10位までの10枠、同ユース選手権は1~6位までの6枠。パフォーマンスプレースに同じ。対比は義務出場枠(=コンパルソリープレース)。

全国中学校体育連盟

現行の日本中学校体育連盟の前身。55年7月に設立され87年まで活動。ハンドボール競技部は当初からのメンバー。「中体連」と略称される。

全国実業団トーナメント

全日本実業団選手権の付属大会とした70年から始められた。93年から女子も行なわれ、96年の第27回(女子第4回)で正式大会名を「全日本実業団チャレンジ」と改め、2011年から「全日本社会人チャレンジ」と変わった。

全国高等学校(旧制)大会

旧制高校の1947、48年の2回京都で行なわれた大会。2回とも大阪高校が優勝。42年7月の初の「全国高校体育大会」にはハンドボールは含まれていなかった。

全国高等学校選抜大会

78年に始められた球界待望の“第2のインターハイ”。70年代までは文部省(当時)の通達などで高校の全国的な対外試合(大会)は1大会に限られていたが、70年代に緩和され、日本ハンドボール協会による春休みの高校大会として発足した。「センバツ」が通称。

全国高等学校総合体育大会

全国高等学校体育連盟(=後掲)のメンバーとなっている各スポーツが、63年から各個別に開いていた「全日本高校選手権」を、同じ時期、同じ地域に集めて行なうようになり「総合」の名が冠せられた、「高校総体」「インターハイ」などとと略称され、ハンドボールも加わっている。原則として夏休みの開催。

全国高等学校体育連盟

48年6月に設立された高校体育に関する調査研究を行ない、全国の高校スポーツ活動(「野球」を除く)を統括する団体。高校スポーツは高校教育の一環という理念を掲げている。全国高等学校総合体育大会(=前掲)を主催。競技別の専門部がありハンドボールは結成時(11競技)からのメンバー。略称は「高体連」。「高体連の歌」は57年制定。

全国高等専門学校選手権

74年から始められた大会(男子のみ)。当初は日本ハンドボール協会のサポートでハンドボール独自の運営だったが、95年から全国高等専門学校体育大会(66年開始、14競技)の正式競技に加わった。

全国高等専門学校体育協会

62年、高等専門学校(「高専」が通称)が設置されると同時に発足。ハンドボール部門は自主団体扱いを経て正式メンバーとなっている。全国高等専門学校総合体育大会を主催。日本ハンドボール協会の登録カテゴリーに「高専」が設けられたのは75年。03年度の登録校数は39(男子のみ)。いちじ少数だが女子もエントリーされていた。3年生までが高校、4・5年生が大学の各大会にも参加できるのが特色。

全国連盟

後掲の全日本学生ハンドボール連盟、全日本実業団ハンドボール連盟の2団体を指す。いずれも日本ハンドボール協会の加盟団体。

全国組織

日本中学校体育連盟ハンドボール競技部、全国高等学校体育連盟ハンドボール部、全国高等専門学校体育協会ハンドボール競技専門部、日本車いすハンドボール連盟の4組織を指す。いずれも日本ハンドボール協会の加盟団体。

全国小学生大会

86年から毎年夏休みに京田辺市(京都)で日本ハンドボール協会が主催して開く全国大会。小学生愛好者の増加の核となる活動して今後の発展が期待されるイベント。

全国役員会議

日本ハンドボール協会寄付行為(規約)で定められた全国会議は、毎年2回開かれる「評議員会」、同3回の「理事会」がある。臨時会議が招集されることもある。

全国クラブ選手権

81年から行なわれている日本ハンドボール協会主催の全国大会。男子は77年から静岡県協会、女子は76年から岐阜県協会が主体となりプライベートトーナメントとして開いた貴重な前史がある。96年から“全国一堂”を改め東日本大会、西日本大会に分けられ、2013年に中日本大会が加わり3地区制となった。「クラブ」という資格の解釈は時代とともに“変動”するが、現在は愛好志向の濃い一般チームとされている。

「全日本」

オリンピック、世界選手権、アジア諸大会など、主に国際大会のために編成され、日本ハンドボール界を代表して戦うチーム。原則として日本国籍を持つ日本ハンドボール協会登録者で編成されるが、外国で活動している者も資格を持つ。コーチングスタッフなどに国籍は問われない。「日本代表」、「ナショナルチーム」「フル代表」「トップ」などとも呼ばれ、66年から国際行事の有無に関わらず“常設”されている。トップのほか、ジュニア、ユース、学生など各カテゴリーで「全日本」が編成されている。最近は「U-23(23才以下)」「Uー19(19才以下)」「U-16(16才以下)」など年令をラインとするケースが多い。 日本における「全日本」(トップ代表)の国際試合初編成は次のとおり。ビーチは男女とも01年のワールドゲームズ(秋田)。 ・男子11人制 42年11月。対訪日ドイツ艦隊ハンドボールチーム ・男子7人制 61年3月。第4回世界選手権参加のため ・女子7人制 62年6月。第2回世界女子選手権参加のため (女子11人制はなし)

全日本ビーチ選手権

99年から日本ハンドボール協会が始めた。ビーチ愛好者の全国的な拡がりが待たれる。

全日本中学(旧制)選手権

40年と42年の明治神宮国民体育大会(42年は明治神宮国民錬成大会)ハンドボール競技を兼ねて行なわれた。40年は青山師範(東京)、42年は豊中(大阪)が優勝。女子は行なわれていない。

全日本学生王座決定戦

現在は行なわれていないが48年に始まった「東西学生王座決定戦」が発展し、57年からこの名称となる。戦後国内球界の最大イベントとして位置づけられた。関東、関西両勝者の対決(48~56年)から、57年に東北・北海道、58年に東海、60年に中・四国、65年に北信越、66年に九州が参加、東・西に分かれて予選を行ない頂点への道を争い、全日本学生選手権(=後掲)の発足で、所期の目的を果たしたとして68年に21回の歴史を閉じた。57年名称を変更した際に大会回数を「第1回」としたことで異議が出て、すぐに通算へ戻した。63年以降は室内で開催、56年までは東西2位対抗もあった。
〔優勝回数〕関西学院大学芝浦工業大学各8回、立教大学3回、文理科大学日本体育大学各1回。女子は行なわれていない。

全日本学生ハンドボール連盟

正式発足は57年4月だが、それまでにも動きがあった。
48年12月、関東、関西両学連が全国組織の確立を目指す姿勢を打ち出し、両学連秋季リーグ勝者による「東西学生王座決定戦」(男子のみ)を発足させ、その主催団体としての全日本学生連盟が設置されている。発足時の加盟校は関東8校、関西13校だった。「王座決定戦」は46、47年の2回、国民体育大会で行なわれた「東西学生対抗戦」の構想を引き継ぐ形で生まれた。大会は順調に発展するが、連盟活動は「王座」の運営以外に事業がないままに過ぎた。
50年代後半、「全日本学生選手権」の開催を望む声が高まり、56年各地学連がその呼びかけに応じたこともあって、57年、本格的スタートとなった。世界学生選手権参加(男女)も手がけている。
38年5月、日本ハンドボール協会内に「学生連盟」が設けられているが、これは特別委員会の域とみるべきだろう。09年1月現在、全国の大学チームは男女合わせて342(=日本ハンドボール協会資料)。

全日本学生選手権

通称インカレ。
学生チーム最高峰の大会。58年に球界宿願の大会として発足。65年から女子も始められた。加盟校の増大で、東・西日本の2地域に分かれた選手権大会(東日本=79年、西日本=61年。いずれも前身大会含まず)も開かれている。「インターカレッジ」を略して「インカレ」の名で親しまれる。

全日本学生選抜東西対抗

48年から81年まで毎年開かれたオールスターズゲーム。69年から女子、78年からジュニア(同女子は79年)が行なわれるようになったが、81年の第31回のあと休会。

全日本自衛隊選手権

69年からの全自衛隊大会を発展させ71年から行なわれた自衛隊系チームの選手権。女子の部(71年~87年)、少年の部(75~91年)なども開かれたが、92年以降は各部門とも休会。70年4月に全日本自衛隊ハンドボール連盟が設立されているが、90年代に入って活動は行なわれず、日本ハンドボール協会加盟団体としては消滅。 〔選手権(69~91年)優勝回数〕海上呉(広島)6回、勝田(茨城)、海上下総(千葉、第3術科学校1回を含む)各4回、勝田施設学校(茨城)。第1航空群鹿屋(鹿児島)、陸上久里浜(神奈川)、海上横須賀(神奈川)各2回、防衛大学校(神奈川)1回。

全日本実業団チャレンジ

96年から前身の「全国実業団トーナメント」を改称して始められた大会。上位チームに全日本実業団選手権(=後掲)への参加の道が開けられるなど大きな役割を果たしたあと、2012年から「全日本社会人チャレンジ大会」と改称。

全日本実業団ハンドボール連盟

65年2月設立。事業所単位のチームによる活動がつづいたが、有力チームの日本ハンドボールリーグ参加で、構成メンバー(所属、登録選手)の柔軟性が問われるようになり、チームの性格は地域を本拠とした社会人クラブのカラーが濃くなり、2010年3月「全日本社会人ハンドボール連盟」へ改称。新たな歩みに踏み切った。背景に事業所チーム(実業団)の退潮がある。

全日本実業団選手権

「球界に実業団を」の声が高まったのは50年代後半。各地でチームが芽ばえ、60年12月、待望の第1回が開かれた。球史が重なるにつれ国内最上位-国際進出を目指す頂点競技力志向と、社会人愛好者型の2つの流れが著しくなり、前者のカラーを強めて73年から各地転戦のリーグ戦形式が採られ「日本ハンドボールリーグ」発足への引き金となった。2009年に第50回を迎えたが加盟チーム数の減少から新しい活動が急がれ、10年の第51回を最後に歴史の幕を閉じ「全日本社会人選手権」へ引き継がれた。
〈選手権優勝回数(60~2010)〉【男子】湧永薬品・湧永製薬16回、大崎電気15回、大同製鋼・大同特殊鋼15回、中村荷役3回、本田技研2回。【女子】大崎電気10回、大洋デパート9回、立石電機・オムロン8回、イズミ・広島メイプルレッズ7回、日本ビクター4回、愛知紡績3回、日立栃木2回、ジャスコ2回、北國銀行2回、レナウン東京、東京重機、田村紡績、ソニーセミコンダクタ九州・ソニーセミコンダクタ各1回。

全日本高等学校選手権

50年に始まった国内最大の大会。「インター・ハイスクール」(インターハイ)の通称で高校生愛好者の目標となり、球界の基盤を支えている。当初は各都道府県予選は行なわれたものの複数代表が認められたが、普及が進むにつれ適正規模が求められ、78年から男、女各48校と参加数を固定、予選会の激しさを増した。
57年から女子が、63年から男子が7人制となり、73年男女の全都道府県代表が揃った。61年から文部省(当時)が後援、63年から高校スポーツを“集結”させる「全国高等学校総合体育大会」の1競技となった。原則として毎年夏休みに開かれる。全試合の室内開催は74年北九州市での第25回大会。
この大会を目指す高校チーム(男女計)は50年が34都道府県383校(=スポーツイベント資料)、47都道府県揃ってのピークは93年の2563校(=日本ハンドボール協会資料)、06年は2051校(=同)。

全日本高校東西対抗

48年から51年まで男女各5回行なわれたあと休会。東、西日本両大会の勝者による単独校同士の対戦だった。東西高校対抗に同じ。

全日本教職員ハンドボール連盟

活発な体育教員養成大学の動きをうけて、教職員によるチームの拡充と技術(指導)活動の研究のため69年4月設立された。90年代後半から教職員系チームの減少によって競技会は停滞、研究活動、「マスターズ大会」主管などを中心に事業を継続していたが、07年3月末で解散に踏み切り、日本ハンドボール協会から退会した。

全日本教職員選手権

58年日本ハンドボール協会が発足させた。71年から国民体育大会開催地の前年リハーサル大会で定着、73年に女子の部が始まった。90年代に入って、教職員を取り巻く状況が厳しくなり、ハンドボールに限らず教職員スポーツチームの競技活動が低迷、教職員の高齢化もあってチーム数が減少、01年の大会を最後に休会となった。一方、93年から始まった親睦色の濃い「マスターズ」への評価が高まり01年から日本ハンドボール協会事業に組みこまれている。国民体育大会の「教員の部(男子のみ)」は63年から76年まで行なわれた。
〔選手権優勝回数〕男子(58~01年)=大阪イーグルス16回(大阪教員ク1回を含む)、栃の葉クラブ(栃木)、香川教員各5回、埼玉教員クラブ4回、京都教員クラブ3回、茨城教員クラブ、東京教員団、神戸ストーク(兵庫)、わかさクラブ(奈良)、沖縄教員、福岡教員、埼玉フェニックス、ゆめクラブ(神奈川)、東京教員クラブ、リリオ神奈川各1回、※1回休止
女子(73~00年)=かながわガビアーノ(神奈川、神奈川教員ガビアーノ4回を含む)京都教員各7回、大阪教員5回、栃の葉女子クラブ(栃木、栃木教員1回を含む)3回、京都クラブ(京都)、愛知教員女子クラブ各2回、岩手教員、大阪コスモス各1回。

全日本マスターズ大会

1993年全日本教職員マスターズハンドボールを愛知の教員が中心をなって企画。このイベントを母体に年々参加者(チーム)を増やし、2001年から日本協会が共催に加わった。07年、全日本教職員連盟の解散(07年)も、マスターズ部門に影響は少なく、教職員のOB、OG以外からの参加も増え大きな発展を示した。
競技(順位決定)型と交流(エンジョイ)型の2部門のほか、04年から「11人制」の部を設けている。参加者の年齢は男子40歳以上、女子35歳以上(2013年大会参加資格)。

全日本選手権

国内の年度ナンバーワンを決定する大会。37年11月日本ハンドボール協会発足に先がけて東京で男子4チームによって行なわれた。大会は第9回明治神宮体育大会陸上競技の一部として扱われた。38年7月の第2回は“独立”した開催で、40年10月に第3回が第11回明治神宮体育大会の正式競技を兼ねて行なわれ、初めて女子が加わった。42年に第4回(女子第2回)が開かれたあとは、戦火が激しくなり、休会となった。
46年11月兵庫県西宮での第1回国民体育大会は各競技とも「全日本選手権」を兼ねることが申し合わされたものの男子は東西対抗(全関東-全関西)、女子は4チームのトーナメントで、この大会を第5回全日本選手権とする資料はなくサブタイトル的に扱われた。
日本ハンドボール協会による正式な復活は50年1月愛知県一宮市となるが、大会回数は、戦前などを含まず、この時を第1回としている。53年8月の第5回から大会名称は「全日本総合選手権」(=後掲)と変わるが、回数は引き継がれる。「総合」の誕生によって、「全日本選手権」の名は、球界から消えた。

全日本総合選手権

50年に復活した「全日本選手権」(=前掲)を引き継ぐ形で53年に新スタート、国内最高権威の大会として現在に至っている。
男女ともフリーエントリーからブロック予選の施行、各全国連盟推薦、日本ハンドボールリーグ勢のストレートインなど参加チームは激しく変容し、競技形式もトーナメント方式、予選トーナメント・決勝リーグ方式の採用などと変わった。2015年から新構想への発展が検討されている。
女子は57年から、男子は63年から7人制となり、71年から東京体育館での年末開催に定着、関心を高めた。現在は各地域持ち回りの開催とされている。

全日本社会人ハンドボール連盟

2010年4月1日付で日本ハンドボール協会によって設立された全国組織。時代の風を受けて様相を変える社会人球界の活動を促進させる目的で、11年から「全日本社会人選手権」を創設した。

「全日体大」

日本体育大学のOB、現役による50~60年代の国内男子最強チーム。全日本総合選手権で5回、全日本総合室内選手権で4回の優勝を誇った。

全日本選抜東西対抗

日本ハンドボール協会によるオールスターズゲーム。協会発足の38年、国民精神作興体育大会関西大会(南甲子園)で行なわれたのを第1回とするが、この時は東が明治大学単独、39年の第2回から関東・関西の選抜チーム対抗が主となった。戦前は43年までに4回(男子のみ)、戦後は46年1月に球界復興を告げるイベントとして西宮で第5回(男子)が行なわれ55年までつづけられ、58年2月日本ハンドボール協会創立20周年記念とした初の室内での第17回(男子)を最後に休会となった。
女子は47年から51年までに3回行なわれただけで休会。
通算成績は男子が西11勝、東5勝(1中止)、女子が西2勝1分。

全日本総合室内選手権

現在は行なわれていない。7人制・室内の本格的導入と国際的な主流化をうけて、54年12月大阪府立体育会館で第1回が開かれた。66年の第13回から推薦チームによる「NHK杯全日本選抜選手権」と改称、7人制に踏み切っていた「全日本総合選手権」との区別化を図った。さらに71年からは「NHK杯全日本選抜大会」となり、チャンピオンシップ色を取り除き、73年の第20回で所期の目的を遂げたとみて閉会となった。
〔優勝回数・通算〕男子=日本体育大学、全日体大各4回、全立教3回、全芝浦工業大学、芝浦工業大学大崎電気各2回、全日本、全日本実業団選抜、大同製鋼各1回。
 女子=大洋デパート4回、大崎電気、田村紡績各3回、日本体育大学、愛知紡績各2回。春日丘クラブ(大阪)、半田高等学校(愛知)、寝屋川クラブ(大阪)、熊本クラブ、熊本商科大学クラブ、全日本各1回。

「全静岡城北高等学校」

53年の第5回全日本総合選手権女子の部(山梨)を制したチーム。その年の全日本高校選手権2位の現役にOGを加えクイーンとなった。戦前の有力チーム・静岡高女の伝統を継いだ。

ゾーン zone

①大陸内での地域分け。アジアの東西、アメリカの南北、アフリカは48ヵ国を7ゾーンに分けている②組み合わせ表での固まり③攻防両面での区域

ゾーンディフェンス

セットオフェンスに対して6人のディフェンスプレーヤーがゴールエリア周辺を互いに“協力”しあいながら防御すること。6:0、5:1、4:2などのシステムが代表的。

ゾーニング

大規模イベントで会場内の施設を目的別に区画し観客や関係者などの行動を円滑に行なうためにすること。

「ずらし」

相手ディフェンスのマークをフットワーク、パスワークなどで崩してずらし、シュートチャンスをつかむ有利な状況を作り出すこと。