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HANDBALL A to Z
作成・杉山茂&スポーツイベントハンドボール編集部 2014.04.15Version
これまでハンドボール用語といえば規則(ルール)、技術・戦術用語が主でした。ハンドボールファンの拡大、内外情報の多彩化などで、用語は極めて多範囲となり、新たな解説が求められています。この企画はそうしたニーズに応えるものでスポーツイベント・ハンドボール誌(月刊)を読んでいただく場合の手引きともなります。外来語が多いためアルファベット順に日本語用語(ローマ字読み)と史上特筆すべき業績を残した内外のチーム、人物も加えました。年数は西暦、項目表記は英語系のみとしてあります。競技規則用語は「日本ハンドボール協会競技規則平成25年版(2013.12.16発行)」を参考にしています。1~2年ごとに追加、補充、修整など改訂を重ねていく予定です。個人の敬称略。
〈禁無断使用転載〉

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A.A.
A.H.F
エース
ADカード
アディダス
アドヴァンテージ
AF
アフリカンクラブカップ
アフリカンクラブスーパーカップ
アフリカン・ゲームズ
アフリカン選手権
アフリカンウィナーズクラブカップ
アフターゲーム
エージグループ
AHF女性理事枠
アフリカ・ハンドボール界
アフリカ・ハンドボール連盟
愛知紡績
愛知クラブ
愛知県協会
AIPS
味の素ナショナルトレーニングセンター
秋田県協会
A級審判員
オール・ラウンダー
オールコート・アタック
オールスター
オールスター(ズ)ゲーム
アマチュア、アマチュアリズム
アメリカ(パン・アメリカン)ハンドボール界
アナリスト
アンデボル
アナウンサー
アンチ・ドーピング
青森県協会
青山師範クラブ
アピアランスマネー 
アラブクラブ選手権
アラブゲームズ
アラブ選手権
アラブ湾岸(GCC)女子国際大会
アラブ・アジアハンドボール連合
新井友彦(あらい・ともひこ)
荒川清美(故人)
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シェイク・アーマド・アルファハド・アル・サバハ
アームバンド
アジア・ビーチゲームズ
アジア・ビーチ選手権
アジア・チャレンジトロフィ
アジア「地域」競技会
アジア・クラブリーグ選手権
アジア学生選手権
アジア・ハンドボール界
アジア・ハンドボール連盟
アジア・ハンドボール選手権
アジア・ジュニア選手権
アジア大会
アジア・ユースゲームズ
アジアナショナル・サーキット
アジア・オリンピック評議会
アジア・ユース選手権
ASOBAL
ASOIF
アサインド・マン・ツー・マンディフェンス
アシスト
アシスタントコーチ
アスリート コミッション
アスリート・ロールモデル
アスレティックトレーナー
アタック
アタッカー
オーストリア協会
あわーど あわーず
アウェイ
アウェイゴール
Bグループ
馬場太郎(故人)
バックパス
バックコート
バックス
バックアップ
バックプレーヤー
梅花高等女学校
バランス
ボール
ボール・イン・プレー
バロンマーノ
バー
バルセロナルール
バーゼル
バウマン・トロフィー
バウマン(故人) Hans Baumann
ビーチハンドボール
ビハインド
ベイジン(Beijing)オリンピック
ベンチ
ベンチワーク
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ベルリンオリンピック
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ベストゴールキーパー
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ベストセブン
ベストシューター
ビブ
ビッグカード
ビッグネーム
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BK
ブレザー
ブラインドシュート
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ボディコントロール
ボンヘッド
ブーイング
ブックメーカー
ボスマン判決
没収試合
防御
バウンスパス
バウワー Bert Bouwer
ブラジル
ブレーキングスルー
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ブライトン宣言

ブンデスリーガ Bundes Liga(ドイツ語)
文理科大学
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C.I.S.M
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キャプテン
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カード
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センターライン
セントラル方式
CF
Cグループ
チャレンジ・ディビジョン
チャレンジトロフィ
チャンピオン
チャンピオンシップ
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チャリティマッチ charity match
チェック
チア、チアリーディング
チェンジパス
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地中海競技大会
地域高校選手権
地域リーグ
近森克彦(ちかもり・かつひこ)
チャイニーズ・タイペイ
クリスクロスパス
中学校(生)ハンドボール界
中国
中央アジア
抽せん
中四国学生リーグ
『中東の笛』
C級審判員
クラシフィケーション
クレイコートハンドボール
クラブ
コーチ
コイントス
コラボレーション
コンビネーション
コンビネーションプレー
コメンテーター
コマーシャリズム
コミッション
コモンウェールス・ゲームス
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コンソレーションマッチ
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コンチネンタルフェデレーション
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クロスバー
クロス方式
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カットインシュート
大同特殊鋼
大学定期戦
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ディスタンスシュート
ディビジョン
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ドイツ
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イヤホーンセット
EC
エジプト
EHFカップ
愛媛県協会
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エイトファイナル
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エリジビリティコード
エリミネーション elimination
エリミネーショントーナメント
エリート elite
エリートリーグ
エリートレフェリー
エンドライン
イングランド(イギリス) England
エントリー
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EPHLA
エラー error
エスコート escort
EUN
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ヨーロッパ・ビーチツアー
ヨーロッパ・チャレンジカップ
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ヨーロッパ・ジュニア選手権
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ヨーロッパ・ハンドボール連盟
ヨーロッパ選手権 EURO
ヨーロッパ・ユニバーシティ
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ヨーロッパ・ユース選手権
ヨーロピアンゲームズ
イベント event
エクスクラッション exclusions
エグゼクティブミーティング exective meeting
エキシビションゲーム exihibition game
エキストラタイム extratime
アイコンタクト eye-contact
フェイスガード faceguard
フェアプレー fairplay
フェアプレー賞
フェイク fake
フェイクパスモーション
フェイクスロー
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ファンクラブ
フェアウェルパーティ farewell party
ファストブレーク fastbreak
FB
FCバルセロナ
フェイント feint
フィールドハンドボール
フィールドゴール field goal
フィールドプレイヤー
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ファイナルデー
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ファイナルスタンディング Final standings
ファーストハーフ first half
ファーストセット
F.I.S.U
フローター floater
フロア floor
フリューアレス・マッチ fluo-resce match
フォロー follow
フットワーク foot-work
フォーメーション formation
フォーラム・クラブハンドボール forum club HANDBALL
ファウル foul
FP
フランス France
フランコフォニ・ゲームズ Francophone games
フリー
フリースロー free throw
フリースローライン
フロントコート front-court
藤井寺競技場
福井県協会
福岡県協会
「福岡オリンピック」構想
福島県協会
復審制
フルバック fullbacks
フル代表
フルエントリー
フルタイム
フルタイムプレイヤー
ファンブル fumble
「ふるさと選手」制度
不正交代
不正入場
G14
外部指導者
外国人選手
学校体育
ガーラ gala
ゲームメーク、ゲームメーカー
蒲生晴明(がもう・せいめい)
「がんばれ20万人会」
ゼネラルマネージャー general manager
減算式時計
ゼスチュア gesture
岐阜県協会
義務出場枠
GK
グローバル・レフェリートレーニングプログラム
5:1ディフェンス
ゴール goal
ゴールエリアライン
ゴールエリア
ゴールディファレンス goal difference
ゴールゲッター goalgetter
ゴーリー goalie
ゴールイン
ゴールジャッジ
ゴールキーパー
ゴールキーパーライン
ゴールキーパースロー
ゴールライン
ゴールネット
ゴールポスト
ゴールレフェリー
ゴールスコアラー
ゴールテンダー goal tender
ゴールカメラ
5大都市体育大会
ゴールデンリーグ
グッドウィルゲームズ
後藤 登(ごとう・のぼる)
グランドスラム grand slam
グラスコート grass court
グリーンカード
グラウンド ground
グラウンドハンドボール
グループ・クラブハンドボール
グループ戦
GRTP
ゲストチーム
ガイドライン guide line
グンマースバッハ VfL Gummersbach
群馬県協会
軍隊スポーツワールドゲームズ
逆スピンシュート
8分の1ファイナル
ハッキング hacking
廃(休)会・廃(休)部・廃(休)刊の記録
敗者復活戦
敗者慰安試合
ハーフバック(ス)
ハーフコート
ハーフタイム
ハーフタイムショー
ホール hall
浜田 浩和(はまだ・ひろかず)
花畑 平男(故人)
ハンドボール~呼称~
ハンドボール~その歩み①~
ハンドボール~その歩み②~
Handball Woche ハンバルヴォッヘ(ドイツ語)
『ハンドボール研究』(研究誌)
ハンドボール記者会
ハンドリング
ハンドボール振興議員連盟
ハンドボール切手 postage stamp
ハンドシグナル
ハンズアップ
反則
ハードコート
ハルパストム、パルパストン harpaston
春の全国中学生選手権
橋本 行弘(はしもと・ゆきひろ)
ハットトリック hattrick
早船愛子(はやふね・あいこ)
ハゼナ Hazena
HB
ヘッドコーチ
ヘッド・スカーフ
ヘルシンキオリンピック
東アジア大会
東アジア選手権
東アジアユースゲームズ
東アジアクラブ選手権
東アジア・ハンドボール連盟
東アジアU-22選手権
東ドイツ
ハイスコアハンドボールゲーム(仮称)
「引っかけ」
平沼 亮三(故人)
広島県協会
広島アジア選手権
広島アジア大会
広島アジアジュニア選手権
「ヒロシマ国際」
ヒットラー・ユーゲントチーム Adolf Hitler Jugent Team
檜崎 潔(ひざき・きよし)
ヒョーグベルグ Paul Hogberg(故人)
補欠国
北海道協会
北海道学生リーグ
北國銀行
北信越学生リーグ
ホールディング holding
ホーム・アンド・アウェイ方式 
ホームコート
ホームチーム
ホームタウン・アドヴァンテージ
ホームタウン・デシジョン hometown decision
ホンダ(HONDA)
フックパス hook pass
ホストブロードキャスター
ホストシティ、ホストカントリー
ホストオーガナイザー host organizer
放棄試合
法政大学
放送(映)権料
報奨金規定
日本ハンドボール協会ホームページ
兵庫県協会
兵庫の「戦前ハンドボール活動」
氷海 正行(ひょうかい・まさゆき)
I.A.H.F
Iボール(i-ball)
茨城県協会
茨木高等女学校
「居場所」情報
市原 則之(いちはら・のりゆき)
IDカード identify card
IFs
IHF
IHFコーチングコース
IHFエリートレフェリー elite referee
IHFフューチャー・セミナー
IHF女性委員会
IHFレクチュアラー(インストラクター)
IHFレフェリーコース
IHFコーチ・レフェリー合同シンポジウム
IHFキャリア carrer
IHF倫理委員会 IHF Ethic Committee
IHFプレジデントカップ
IHFプロスペクト・レフェリーグループ
IHFレフェリー
IHFレフェリーズ IHF referees
IHFスポーツ医学総会
IHF「チーフレフェリー」シンボジウム
IHF「トレーナー・コーチ」シンポジウム
IHFトロフィ
IHFオリンピック予選会
井 薫(いい・かおる)
池渕 智一(いけぶち・ともかず)
一貫指導システム
生野高等女学校
イレシュ Katica Iles
イリーガルドリブル
インドア
インドア・ハンドボール
イン・フライト・シュート
陰性
インストラクター
インターセプト inter cept
インターシティ
インターカレッジ
インターコンチネンタルカップ
インターフェアレンス interference
インターハイスクール
インターナショナルクラブマッチ
インターナショナルマッチ
インターナショナルマッチデー
インビテーション競技
IOC
「IOCプレジデント」カップ
入れ替え戦
移籍
石川県協会
イスラム女子競技会 Islamic Countries Women Sports Games
一線ディフェンス
岩本真典(いわもと・まさのり)
岩手県協会
JADA
ジャンプシュート
「JAPAN」
ジャパンカップ
ジャパンオープン
JASA
JSAA
JHA
JHA1号球…
JHAジュニア・アカデミー
JHAレフェリー・アカデミー
JHL
JHLチャレンジ・ディビジョン
JHLカップ
JHLジュニアリーグ
JHLニュース
自衛隊ハンドボール界
JISS
実績出場枠
実業団
JOC
JOCジュニアオリンピックカップ
JOC優勝杯
「JOCスポーツ指導者在外研修(派遣)員」制度
「JPN」
J級指導員
JTA
ジャッジ judge
ジャッジテーブル
ジャグル juggle
11人制
ジャンプ jump
ジャンプパス
ジュニア
ジュニア・ユース junior-youth
女性委員会(日本ハンドボール協会)
香川県協会
鹿児島県協会
回転シュート
夏季オリンピック
隔年(毎年)実施競技
加盟金
神奈川県協会
韓国(大韓民国)
環境委員会
冠(かんむり)大会
関東学生リーグ
関西学生リーグ
関西ハンドボール協会
関西選手権・西日本選手権
関西学院大学(兵庫)
観衆
監督
関東選手権
加算式
勝ち抜き戦
勝ち点
加藤 典代(かとう・ふみよ)
キープ keep
キーパー
「キーパー・ボール」
警告
慶應義塾大学(東京)
ケンパ Bernhard Kempa
ケンパ・トリック
検体
ケルン・アリーナ
キーパーソン keyperson
キック
キール THWキール
期限付き移籍
帰化選手
日本協会機関誌
棄権
木野 実(きの・みのる)
紀野 奈々美(きの・ななみ)
岸(岸清一)記念体育会館
ナック(ノック)アウトシステム knockout-system
神戸クラブ(「神戸送球倶楽部」)
「国立8大戦」
国立スポーツ科学センター JISS
国立代々木競技場
国際軍隊スポーツ連盟
国際アマチュアハンドボール連盟
国際女子リーグ
国際スポーツ記者協会ハンドボール委員会
国際公認審判員
国際オリンピック委員会
国際ハンドボール連盟
国際ハンドボール連盟理事会
国際ハンドボール連盟総会
国際スポーツフェア sports fair
国際大学スポーツ連合
国民体育大会
小松 真理子(こまつ・まりこ)
「駒沢」
固定出場枠
高知県協会
公益財団法人
皇后杯得点
高校ハンドボール界
公認競技別指導者
公認審判員
高等専門学校(高専)ハンドボール界
公式国際試合
交代
交代ライン(交代地域)
交代プレーヤー
「高等女学校」ハンドボール界
クラウゼ・ロスヴィッタ Roswitha Krause
空間プレー
熊本県協会
熊本アジア選手権
熊本アジア女子ユース選手権
「熊本世界女子選手権」
熊本世界男子選手権
カン・フー kung-fu
倉敷高等女学校(岡山)
倉敷絹織(岡山)
藏田 照美(くらた・てるみ)
車椅子ハンドボール
車椅子ハンドボール競技
クウェート
光州ユニバシアード
京都府協会
競技場
競技会内ドーピング検査
競技規則(Rules of the Game)
競技者資格規程
「日本ハンドボール(協会)史」
旧制高等学校
球戦
九州学生リーグ
L.N.H
ランツ Erwin Lanc
ラストパス last pass
ラテラルパス lateral pass
リーグ league
リーグライセンス
リーグ戦
レクチュアラー lecturer
レフトハンダー lefthander
レキップ L’EQUIPE(フランス語)
ライセンス license
ライフタイムレコード lifetime record
林五卿 O-Kyong Lim
ライン
ラインクロス linecross
ライン内防御
ラインプレーヤー
リスト list
ライブ live
ローカルルール local rule
ロンドン・オリンピック
ロングヒッター
ロングパス
ロングラン
ロングシュート
ロングスロー
ループパス loop pass
ループシュート
ルーズボール loose ball
ルーザー loser
ラッキーガール・ボーイ
マイナスポイント
メインラウンド mainround
毎年(隔年)実施競技
マネージャー
「マラソンゲーム」 marathon-game
マーク mark
マーケティング marketing
マッサージャー massager
マスターズ masters
マッチ match
マッチデー
マッチデープログラム
マッチリポート
マッチアップ match up
マッチバイザー matchviser
的場 益雄(故人)
松ヤニ
メディア media
メディアオフィサー
メディカルコミッティ Medical commitee
メディカルスタッフ
メディテラニアンゲームズ
ミート meet
明治大学
明治神宮競技大会(明治神宮体育大会)
メンバー member
メンバーフェデレーションズ
メンバーリスト memberlist
ミドルバック middle back
三重県協会
南アジア・ハンドボール連盟
南アジア大会
ミニ・ハンドボール(フランス版)
「ミニ国体」
ミスハンドボール Miss Handball
密室試合
三菱化学メディエンス(株)
ミックスドゾーン mixed zone
宮城県協会
宮崎県協会
宮﨑 大輔 (みやざき だいすけ)
(株)モルテン
モントリオール(Montreal)・オリンピック
モスクワ(Moskva)・オリンピック
モチベーション motivation
ムスタファ Dr.Hassam Moustafa
マルチプレーヤー
「むささび」シュート
M.V.P
ミュンヘン(Munchen)・オリンピック
永井 松三(故人)
長野県協会
長崎県協会
「流し」
「88年名古屋オリンピック」
ネーミングライツ Naming Rights
7mライン
7mスロー
7mスローコンテスト
7mスローキラー
「7人攻撃」用ヴェスト
奈良県協会
ナショナルリーグ
ナショナルチャンピオン(チーム)
ナショナルフェデレーション
ナショナルチーム National team
NEO
ネット
ニュートラル newtral
寝屋川高校(大阪)-熊本市立高校戦
NF
NHK杯
2分の1ファイナル
ニールセン Holger Nielsen(故人)
ナイトゲーム(ナイター)
日本・中国・韓国ジュニア交流
日本・韓国交流
日本スポーツ仲裁機構
日本スポーツ賞
日本ユニバーシアード委員会
日本ワールドゲームズ協会
日本アンチ(防止)ドーピング機構
日本ハンドボール学会
日本のハンドボール①~送球の普及~
日本のハンドボール②~7人制時代~
日本のハンドボール③~活況への試練~
日本ハンドボールリーグ機構
日本車椅子ハンドボール連盟
日本ハンドボール協会
日本ハンドボールリーグ
日本ハンドボールリーグ チャレンジディビジョン
日本オリンピック委員会
日本選手権
日本体育協会
日本トップリーグ連携機構
新潟県協会
20世紀世界最優秀選手
日韓定期戦
「ニッポン」
西アジア競技大会
「西ドイツ」来日シリーズ
「西ドイツ」
西日本学生大会
西山 清(にしやま・きよし)
西山 逸成(にしやま・いっせい)
日本体育大学
「日体系」チーム
25パーセントルール
NOC
野田 清(のだ・きよし)
ノーマーク
ノーマークシュート
ノン・コンタクトプレーヤー
ノルウェー Norway
ノーシード
ノースペクテーターズゲーム
ノーステップ
ノーステップシュート
ノータイム
ノータイムスロー
N.P.O法人
NTC
ナショナルトレーニングシステム
ナショナルトレーニングセンター National training Center
ニュボー、ニュボア Nyborg
O.A.GK
OCA
オセアニア大陸連盟
オフサイド off side
オフ・ザ・ボール off the ball
オフェンス offense
オフェンシブファール
オフィシャル official
オフィシャルサプライヤー official supplier
オフィシャルテーブル
オフィシャル エリア official area
小笠原久郎
太田 智子(おおた・ともこ)
岡本 大(おかもと・だい)
岡山県協会
岡山県ハンドボール選手権
沖縄県協会
「沖縄特別国体」
オリンピック(付・日本のオリンピック選手名)
オリンピックオールスター
オルソン Olle Olsson
「オリンピックハンドボール」
オリンピックオーダー Olympic order
オリンピックソリダリティ Olympic solidarity
オリンピック予選
オムロン Omron
オン・ザ・コート
ワン・ドリブル
ワンマン・ダッシュ
ワン・パス
ワンサイデッド・ゲーム onesided game
大分県協会
大阪体育大学
大谷 武一(故人、おおたに・ぶいち)
OQT
おりひめジャパン
大阪協会
大阪イーグルス
「08年大阪オリンピック」
大阪府立体育会館
大阪アジア女子ジュニア選手権
大阪歯科大学
大崎電気工業
大崎電気工業・女子
大崎企業スポーツ事業研究助成財団
オット Ojgen Otto
大塚クラブ
アウト・オブ・バウンズ out of bounds
アウトドア・ハンドボール
アウターゴールライン outer goal line
アウトナンバー
オーバーステップ
オーバータイム
オウンゴール own goal
パシフィックゲームズ
パン・アメリカンゲームズ
パン・アメリカン・チームハンドボール連盟
パン・アラブゲームズ
ペーパーテスト
パラレル parallel
「パラパン」
パルティル・カップ
パス
パスワーク pass work
パッシブプレー passive play
P.A.T.H.F
北京(ペキン)オリンピック
北京(ペキン)オリンピックアジア予選再試合(再予選)
ペナルティ
ペナルティカード
ペナルティスロー
パフォーマンス performance
パフォーマンスプレース performance place
ペリメーターゴール perimeter goal
ピリオド制 period
PF
フィシオテラピスト Physiotherapist
ピックアップチーム
「ピルエット」シュート
ピストン・プレー
ピッチ pitch
ピボット pivot
ピボットシュート
プレースメント placement
プレー
プレーアブル playable
プレーダウン play down
プレーヤー player
プレーイングコーチ(プレーイングマネージャー)
プレーオフ play off
プロンジョンシュート plungeion shoot
ポイント point
ポイントゲッター
ポイントオーバー
ポンポン pom-pom
プール pool
ポジション
ポスト
ポストシュート
ポストスタンプ
ポストマッチファンクション
ポストプレー
ポストプレーヤー
ポストシーズン(マッチ)
ポット pot
パワーヒッター powerhitter
パワーハウス powerhouse
パワープレー powerplay
PRC
プレイベント pre-event
プレリミナリーラウンド preliminary round
プレ・オリンピック pre-olympic
プレシーズンマッチ
プレゼンター presenter
プレジデントカップ(会長杯)
プレス press
プレスカンファレンス press conference
プレスセンター
プレスディフェンス
プレスオフィサー
プレスリリース press release
プレッシャー pressure
プライベートトーナメント private tournament
プライズ prize
プライズマネー
プロフェッショナルプレーヤー
プログラム
プロジェクト、プロジェクトチーム project
「プロジェクト21」
プロロンゲーション prolongation
プロテスト protest
プ(パ)ニッシュメント punishment
プッシング pushing
プッシュパス
プッシュシュート
カタール
QF
クォリファイ qualify
クォリフィケーション・マッチ(ゲーム)
クォーターファイナル quarter final
クォーター制
クイックプレー
クイックシュート
ラジオ放送
ラフバル Raffball(ドイツ語)
ランキング ranking
リスタート
リスタート
リバウンドボール rebound
レッドカード
レフェリー referee
レフェリーボール
レフェリースロー
レフェリーウェア
レフェリング
レ(リ)ジョナルゲームズ regional games
リージョナル登録
レギュラー
レギュラーシーズンマッチ
レギュレーションマッチ
リマッチ rematch
連勝
レンタル rental
リプレースドプレーヤー制度
リザルト
レトロオリンピック retroolympic
リターンパス
立教大学(東京)
「陸軍戸山学校」
リマニッチ Ivica Rimanic
リオ・デ・ジャネイロ・オリンピック
ローリングオフェンス rolling offence
ルーキー rookie
ロスター roster
ラウンドロビン round robin
RPL
ルール
ルールブック
ルーリング
ランナーアップ runner up
ランニング・タイム running time
ロシア
佐賀県協会
埼玉県協会
斎藤英四郎
酒井将
佐久川ひとみ
サンプル
3:2:1ディフェンス
3:3ディフェンス
3大陸女子代表決定戦
サンドボール
3大プロリーグ
参事
3冠王
佐藤八郎
セービング
シュレンツ(故人)
スコア
スコアボード
スコアカード
スコアラー
スカウト
スカウティング・ビデオ
スクリーンプレー
スクリーニング
SEAゲームズ
シーズンチケット
セカンドハーフ
セカンドセット
シード
SEHA
南東ヨーロッパリーグ
聖炎旗
成年の部
世界ビーチ選手権
世界学生選手権
世界軍隊選手権
世界ジュニア選手権
世界最優秀選手
世界選抜チーム
世界選手権
世界ユース選手権
セミ・ファイナル
「センバツ」
選手会
「戦前6大学」
ソウルカップ
ソウル・オリンピック
ゼッケン・プレーヤー
セット
セットオール
セットオフェンス
セットディフェンス
セット方式
セット制競技
セブン
SF
社会人大会
試合時間
芝浦工業大学
7人攻撃
7人制
滋賀県協会
式場隆三郎
失格
島田房二
島尻真理子
島根県協会
指名退場
清水宣雄
審判員
シャツ番号
指定管理者番号
室内ハンドボール
市町村ハンドボール協会
静岡県協会
シュート
シュート・アベレージ
シュートブロック
シュートカット
シュートアウト
シューティングコンペティション
シュート率
ショットアウト
ショルダースロー
出場時間
サイド
サイドチェンジ
サイド攻撃
サイドライン
サイドシュート
サイドステップ
サイドスロー
シミュレーション・プレー
スキル
スカイプレー
スライドプレー
スナップ
スナップパス
スナッチゲーム
スノーハンドボール
ソシオ
ソビエト連邦
組織攻撃
総当たり戦
総合型地域スポーツクラブ
「早関戦」
送球
サウスポー
スペアプレーヤー
スパルターク・キエフ
スペシャルチーム
スペシャルオリンピックス
スペクテーター
スパイクシュート spike shoot
スピンシュート spin shoot
スポンサー sponsor
スポーツアコード Sport Accord
スポーツベッティング Sport Betting
スポーツ仲裁裁判所
スポーツ基本法
スポーツファーマシスト
(株)スポーツイベント
スポーツパーソンシップ
スポーツ振興法
スポーツ振興基本計画
スポーツ少年団
スプリントマッチ
スクォード squad
ST
ストーリング
スタンス
スタンディングオベーション
スタンディングシュート
スタンディング
スターティングメンバー
スタティスティックス
スタッツ
スチール
ステラ・サンモール
ステップラダー方式 step ladder
ステップシュート
ストックラン Stephane.C.A.Stoecklin
ストップ
ストリート・ルール
サドンデス
サドンストップ
枢軸国大会
サマートーナメント
スーパーカップ
スーパーファイナル
スーパーグローブ
スーパーリーグ
スーパースター
サプリメント supplement
サスペンション suspension
鈴木達雄
スワッププレー
スウェーデン
スイングパス
スイッチプレー
招待競技
障がい者ハンドボール競技
小学生ハンドボール
賞金
少年の部
手球
終了合図
終身審判員
「T」
テーブル
帯同審判員制
体育研究所
対人防御
退場
大陸ハンドボール連盟
大洋デパート
高田日呂美
高松宮宜仁親王
竹野奉昭
多国籍活動
田村正衛
田中美音子
単審制
倒れこみシュート
テーピング
垂水秀代
たすき掛け
TD
チームハンドボール
チームマネージャー
チーム責任者
チームタイムアウト
チームワーク
チーム役員
テクニカルデレゲート
定期戦
定年
テレビジョン放送
天皇杯得点
テラモ市(イタリア)
テストイベント
テストマッチ
手渡しパス
スリーイヤーズ・ルール
スリーメンクロス・パス
スロー
スローイン
スローオフ(スローオン)
タイム
タイムキーパー
タイムアウト
タイムアップ
タイトル
TK
飛びこみシュート
栃木県協会
都道府県協会
特任副会長
徳島県協会
得失点差
得点
得点王
得点率
東京オリンピック1960計画
東京オリンピック1940
東京オリンピック1964
東京オリンピック2020
東京体育館
東京運動記者クラブ・分科会賞
東京オリンピック2016計画
東京女子体育大学
東京都協会
「投球戦」
トップス広島
トアバル(ドイツ語)
トス
スポーツ振興くじ
鳥取県協会
東北・北海道学生リーグ
東北学生リーグ
東海学生リーグ
東京教育大学
東京学生リーグ
東京高等師範学校
東南アジア競技大会
東南アジア選手権
トーナメント
登録
登録証
登録金
東西学生王座決定戦
東西学生選抜対抗
東西高校対抗
東西対抗
外山准二
富山県協会
トレイルプレー
トレーナー
トレーニング
トランスファーマーケット
トライアングルパス
トライアングルトーナメント
トリプルクラウン
トリッピング
トライアウト
追放
筑波大学
TUE
ターン
ターンオーバー
ツルチーナ
TV
U(アンダー)
アンダーエイジ
アンダーハンドシュート
アンダーハンドスロー
アンダーパス
アンダープレー
運動記者クラブ
ユニファイド・スポーツ
ユニフォーム
ユニフォーム広告
ユニバーシアード
アンオフィシャル
アプセット
浦添市(沖縄)
U.S.A(アメリカ)
V
V-サイン
ベニュー
ベニューマネージャー
ヴェスト
ビクトリーラン
ビデオマン
ビジタースチーム
ヴォル
VS
WADA
「若い力」
和歌山県協会
湧永製薬
ウォールハンドボール
腕章
ワッペン
ウォーミングアップ
早稲田大学
渡邊和美
渡邊佳英
ヴェストファーレン・ハレ
フィールチェア・ハンドボール
ホイッスル
ホイッスル・ファール
ワイルドカード
ウィング
ウィニングラン
ヴィスランダル
ウィメンス・クラブハンドボール・アソシエーション
ワークショップ
ワールドオールスター(ズ)
ワールドミリタリーゲームズ
ワールドチャンピオン
ワールドチャンピオンシップ
ワールドカップ
ワールドドリームゲーム
ワールドゲームズ
ワールドハンドボールマガジン
ワールドハンドボールフォトコンテスト
ワールドマスターズ
ワールドプレーヤー・オブ・ザ・イヤー
ワールド・ルーキー・オブ・ザ・イヤー
ワールド・トレーナーオブ・ザ・イヤー
リスト
クリスクロスパス
クリスマストーナメント
YAC
薬物ドーピング
役員
山田永子
ヤマ型
山形県協会
山口県協会
山梨県協会
横浜カントリーアスレチッククラブ
イエローカード
YOG
予告合図
4:2ディフェンス
4分の1ファイナル
米倉功(故人)
「45秒ルール」
「45度」
「4冠王」
尹京信
ヤングレフェリー・プロジェクト
陽性
ユース
ユース・オリンピックゲームズ
ユーゴスラビア(旧国家)
(注)「ヨーロッパ」に関する項目は「E」の項参照。
財団法人
暫定的資格停止
全国中学校大会
全自衛隊選抜大会
前回実績枠
全国中学校体育連盟
全国実業団トーナメント
全国高等学校(旧制)大会
全国高等学校選抜大会
全国高等学校総合体育大会
全国高等学校体育連盟
全国高等専門学校選手権
全国高等専門学校体育協会
全国連盟
全国組織
全国小学生大会
全国役員会議
全国クラブ選手権
「全日本」
全日本ビーチ選手権
全日本中学(旧制)選手権
全日本学生王座決定戦
全日本学生ハンドボール連盟
全日本学生選手権
全日本学生選抜東西対抗
全日本自衛隊選手権
全日本実業団チャレンジ
全日本実業団ハンドボール連盟
全日本実業団選手権
全日本高等学校選手権
全日本高校東西対抗
全日本教職員ハンドボール連盟
全日本教職員選手権
全日本マスターズ大会
全日本選手権
全日本総合選手権
全日本社会人ハンドボール連盟
「全日体大」
全日本選抜東西対抗
全日本総合室内選手権
「全静岡城北高等学校」
ゾーン zone
ゾーンディフェンス
ゾーニング
「ずらし」
Jクイック

A.A.

アフロ(Afro=アフリカ)・アジアハンドボール連合組織の略称。両大陸に所属する「アラブ諸国」が加盟している。 アラブゲームズへの参加のほか97年から毎シーズン各国のチャンピオンクラブによるアラブカップ~男子のみ~を運営。

A.H.F

アジアハンドボール連盟の英語略称、略記。

エース

チームの切り札。抜群の決定力を持つシューターなどを指す

ADカード

アクレディテーション(accreditation)カードの略。大会などで入場の資格を主催者が許可して発給する。提示とチェックを容易にするため、ストラップで吊る写真付きカードの形式が多い。

アディダス

ドイツ・ニュールンベルグに本拠を置く世界的スポーツ用品メーカー。1926年アドルフ(アディ)・ダスラーが創業。1948年、名前をそのまま社名として発展、1970年代に入り2代目のホルスト・ダスラー(87年、51才で他界)によって国際スポーツ界事業への積極的な進出が図られた。国際ハンドボール連盟(IHF)もボールの公認など関係が深く、現在は同連盟のゼネラル・スポンサー(ゼネラル・パートナーとも呼ばれる)。

アドヴァンテージ

攻撃側チームが相手の反則をうけながら、そのために試合を中断するよりも、継続したほうが、攻撃側がより有利な立場になるとレフェリーが判断した状況。または、レフェリーのその解釈。攻撃側の違反で、その直後に防御がボールを手にした場合、前の場面の反則にさかのぼることはない。

AF

アジアの諸スポーツ連盟(組織)の略。アジアハンドボール連盟(AHF)はその1つ。IF(国際スポーツ連盟)、CF(大陸スポーツ連盟)、NF(国内スポーツ連盟)、PF(日本の場合、都道府県協会)などと並ぶ語。日本ハンドボール協会はNFの1つ。

アフリカンクラブカップ

アフリカ連盟加盟の各国チャンピオンチーム(男女)による選手権。1979年から毎年開催。アフリカクラブチャンピオンズと報道されることもある。

アフリカンクラブスーパーカップ

アフリカンクラブ、同ウィナーズクラブカップの勝者による単発タイトルマッチ。アフリカハンドボール界の発展に貢献した前国際ハンドボール連盟副会長、故ババカール・ファルル氏(セネガル)を讃えて、94年から毎回開催、大会名に同氏の名が冠せられている。

アフリカン・ゲームズ

アフリカ競技会。国際オリンピック委員会公認で4年にいちど開かれる国際総合競技大会。ハンドボール(男女)は1965年の第1回から行なわれ、大陸内の地域代表国(8~12国)が参加している。大会は休会の歴史を繰り返したが、87年の第4回以降は4年毎開催に安定。

アフリカン選手権

アフリカネーションズチャンピオンシップ。大陸内予選を勝ち抜いた国とシード国による男女の選手権。1974年を第1回に最近は2年おきに開催。世界選手権予選を兼ねることが多い。ジュニア選手権も同年スタートしている。

アフリカンウィナーズクラブカップ

アフリカ連盟加盟各国のカップ戦勝者による大会。1985年から毎年開催。

アフターゲーム

試合後、飲食をとりながらファン、サポーターが観戦した試合をふり返り談笑するスポーツの楽しみかた。

エージグループ

年代別大会。20才以下の大会で採用されることが多く、2年(才)を単位に7カテゴリーほどに分ける。ヨーロッパでは複数のカテゴリーを集結させた大規模なイベントも盛んだ。 日本はすべての単位が学制で組まれ、一貫性と親睦性に欠ける。地域を軸としたそれぞれの年代にふさわしいハンドボールの提供が求められ、男子18才以下、女子17才以下の各カテゴリーが整備され始めている。

AHF女性理事枠

AHF(アジア・ハンドボール連盟)が2004年から女性役員の積極的登用と育成のために設けた。04年以降、2016年までの3期はグルナーラ・ツルリクハノーバさん(カザフスタン)が専任されている。「女性理事枠」を設けている大陸連盟はAHFだけ(15年9月現在)。

アフリカ・ハンドボール界

2015年3月現在国際ハンドボール連盟加盟国が50、大陸別勢力ではヨーロッパと並んで最大多数を誇る。ジュニア層の拡充で将来性は高い。トップレベルの競技者はフランスをはじめ、ヨーロッパ各国の有力クラブに迎えられている。女子の進出も目覚しい。 各種の競技会は、大陸内を7ゾーンに分け、それぞれ予選、その上位国によって行なわれることが多い。ゾーン分けはⅠがチュニジアなど4ヵ国、Ⅱはセネガルなど8、Ⅲはコートジボワールなど8、Ⅳはコンゴ共和国など7、Ⅴはエジプトなど10、Ⅵはアンゴラなど9、Ⅶはマダガスカルなど4ヵ国となっている(15年1月現在)。最も歴史が古いのは60年創立のエジプト。99年エジプトで、05年チュニジアで世界男子選手権が開かれている。

アフリカ・ハンドボール連盟

略称CAHB。正式名称はフランス語でConfederation Africaine de Handball。1973年1月15日ラゴス(ナイジェリア)で設立、本格的な活動は75年1月。現在(15年3月)の会長はマンソウロウ・A・アレモウ(ベニン)、事務総長はアッセル・ニコール(ガボン)。15年3月現在の加盟数は50ヵ国。

愛知紡績

57年3月に発足した日本で最初の本格的な女子実業団チーム。半田高校(愛知)で鍛えられた選手を中心に、4ヵ月後早くも第9回全日本総合選手権に優勝。67年、会社の事情で休部するまでに全日本総合選手権6回(57~62年の6連覇)、全日本実業団選手権3回、国体一般女子2回などの栄光に輝いている。

愛知クラブ

50年1月の第1回全日本(総合)選手権女子で優勝した社会人クラブ。第2次大戦前に開かれた2回の女子全日本選手権の勝者は、高等女学校(旧制)勢だった。

愛知県協会

1946年12月設立。学生、クラブ(社会人)、高校、中学、小学生などすべてのカテゴリーで活発な事業を展開、国内最強ゾーンとの定評を得る。国際試合や全国大会の運営も数多い。愛好者基盤の厚さは国内随一。資料、試合記録の収集に力を注ぎ「ハンドボール愛知」と名づけたイヤーブックを発行しているのは素晴らしい。

AIPS

国際スポーツ記者協会の略称。ハンドボール分科会が設置されている。

味の素ナショナルトレーニングセンター

2008年1月東京都北区に完成した国立施設。09年4月施設の名称権を「味の素」が取得(13年まで)、その名が冠されている。「味の素トレセン」などと俗称される。

秋田県協会

1957年5月設立。全国レベルの高校界を主体に発展。01年ワールドゲームズのビーチ種目が史上初の世界選手権(男女)となり、本荘市(現・由利本荘市)を会場に成功させている。

A級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格の最上級カテゴリー。国際競技を含むすべての競技を審判することができる。定年は満50才。2013年度は全国で277名(うち女子8名)。

オール・ラウンダー

攻・守分業のプレーヤーや作戦が多くなるなかで、両面を備えた選手。 シューター、パッサー両面をこなせる選手や、どの攻撃ポジションでもこなせる選手を指す場合もある。 ユーティリティ(utility)・万能選手なども日本では同意語として使われる。

オールコート・アタック

オールコート・プレスと同意語のディフェンス方法。僅少得点差をつけられている防御側チームが、ディフェンスラインを上げ、マン・ツウ・マンで攻撃側をマークする。試合終了近くに採られるケースが多い。アルジェリアが80年代に、大半の時間をこの作戦で通し注目された。サウジアラビアも得意としている。日本ではかく乱戦法、捨て身のシフトと考えられ、“多用”は少ない。プレス・ディフェンスと同意語。

オールスター

大会で活躍した優秀選手をポジション別に主催者、メディア関係者、ファン投票などで選出、原則として表彰する(時にプレス発表だけのケースがある)。通常7人で「ベストセブン」と同意語。

オールスター(ズ)ゲーム

大会などで活躍した選手による試合。往年の名手を選抜して行なう試合もある。日本では「東西対抗」が多く、ヨーロッパではチャリティを目的とした試合や、興行本位のエキシビションも増えている。 日本の「学生東西対抗」「一般東西対抗」「高校東西対抗」(いずれも男女)、全九州-全関西などの地域対抗はほとんど休会となり、現在は日本リーグが不定期ながら開催しているだけ。

アマチュア、アマチュアリズム

アマチュア(amateur)は、現代では経験の浅い人、趣味としてハンドボールを楽しんでいる人などの意味で使われる。素人(しろうと)という解釈もある。 1970年代までは、スポーツ(ハンドボール)を愛好する人の理念として重きをなした。国際、国内組織ともに厳正なアマチュアリズムをうたいあげ、スポーツで得た名声をいかなることにも利用しないとする姿勢を求めた。違反者は資格をはく奪されるケースもあった。古くは、余暇のたしなみとしてスポーツを愛好する“富裕層の文化”とされた。 その思考は、トップゾーンの競技者のフルタイム化、大会運営などへのコマーシャリズム導入、テレビ放送の活況などでしだいに崩れ、旧態のアマチュア規定は国際ハンドボール連盟日本ハンドボール協会ともに消滅。現在は「競技者資格規程」が設けられている。対比はプロフェッショナリズム。国際オリンピック委員会(IOC)がその憲章から「アマチュア」の字句を削除したのは1974年。

アメリカ(パン・アメリカン)ハンドボール界

1973年に設立されたPATHF(パンアメリカン・チームハンドボール連盟)によって組織されている。2015年3月現在加盟国は28。第2次世界大戦前はベルリン・オリンピックに参加したアメリカだけの活動だったが、50年代ブラジル、60年代カナダ、70年代キューバなどと各地域で中心となる国の活動で勢いづいた。現在はアルゼンチンの台頭もあり、13年の世界女子選手権(セルビア)で初優勝したブラジルを一番手に南米勢が優勢。キューバも復調しつつある。アルゼンチンは1920年代に活動の記録がある伝統国。大陸内連盟として北米・カリブ連盟(N&CTHF)、中央アメリカ連盟(CTHF)、南米連盟(COSBA)が組織されている。

アナリスト

情況を分析し解説する人。競技面、運営面などハンドボール組織内での重要度は高い。

アンデボル

ポルトガル語でハンドボールの意。「アンドボル」「アンボル」と変化する国もある。

アナウンサー

テレビやラジオ放送でのアナウンサーとは別に、試合場で選手紹介や得点者を伝える運営スタッフとしてのアナウンサーを指す場合が多い。プロスポーツの影響をうけてショーアップしたアナウンスメントや場内解説が増えている。

アンチ・ドーピング

ドーピングに反対、撲滅(ぼくめつ)を目指す。「ドーピング防止運動」と呼ばれる。競技力を上げるため、競技者が薬物を不正に用いることを防止するため、60年代から世界的に展開されている。国際ハンドボール連盟も70年の総会で通達。

青森県協会

51年4月設立。80年代にスタートした「県ハンドボールフェスティバル」を軸に、社会人愛好者の拡大を目標にした事業などを積極的に手がけ、ビーチ競技にも熱心に取り組んでいる。

青山師範クラブ

国内最初のタイトルイベント、37年の第1回関東選手権に出場した4チームのうちの1つ。第一師範を経た流れは現・東京学芸大学へ受け継がれている。中学(旧制)年代のチームは全国優勝(40年)もした。

アピアランスマネー 

大会の主催者などが、参加したチームや選手に支払う「出場手当」。内外ともに金額はほとんど公開されないが、ヨーロッパのトップチームの場合、1シリーズ100~500万円といわれる。日本協会は97年熊本世界選手権直後、東京で開いたメダル国エキシビション「ワールドドリームゲーム」で各国に支給した。

アラブクラブ選手権

中東と北アフリカ諸国の男子クラブチームによる選手権。1976年アラブ・ハンドボール連盟が結成されたのを機に始まり、休会となる年度もあったが、2012年までに28回開かれている。2013年から女子が「アラブ女子ウィナーズカップ」の名でスタートした(男子のウィナーズカップは96年が第1回、2014年に第11回が行なわれた)。

アラブゲームズ

アラブ諸国による国際競技大会。1953年に発足したが、休会-再開を繰り返し、2011年までに12回開かれた。ハンドボールは男子だけ61年から実施されている。大会の前身は「アラブリーグ」(1945~52)で、この時はハンドボールは行なわれていない。

アラブ選手権

アラブ諸国の代表チームによるタイトルマッチ。1998年に始まったが99年の第2回以降中断。

アラブ湾岸(GCC)女子国際大会

アラブ諸国の女子による国際大会として13年9月クウェートで開かれた。第1回にはカタール、バーレーン、オマーン、アラブ首長国連邦、クウェートの5ヶ国で参加、毎年あるいは2年おきに開催を申し合わせている。イスラム系女性スポーツの振興を示すイベントとして注目される。GCCは81年に6ヶ国で設立された国際政治会議「湾岸協力会議」の英語の略記。

アラブ・アジアハンドボール連合

アジア13、アフリカ11ヵ国のハンドボール連盟による組織。活動(大会)は安定に欠ける。英文略称は「A・A」。

新井友彦(あらい・ともひこ)

日本人で初めてヨーロッパカップに出場した選手。 1990年湧永製薬から研修派遣されていたメドベスチャク・ザグレブ(当時・ユーゴスラビア旧国家)の一員として、第16回ヨーロッパウィナーズカップ1回戦の対ハポエル・ラマトガン(イスラエル)戦に出場。筑波大学出、1967年埼玉県生まれ。

荒川清美(故人)

日本ハンドボール協会理事長・専務理事を1967~83年度の8期16年間つとめ、財団法人化を実現させた。そのあと副会長、参与などに就任、98年78才で他界されるまで球界運営につくす。全日本監督、日体大監督(教授)など指導者としても優れた手腕を発揮。日本体育協会日本オリンピック委員会アジアハンドボール連盟理事などを歴任した。95年国際オリンピック委員会のオリンピックオーダー(銀章)を受章している。

アリーナ(Areana)

観客席を備えた球技場。ヨーロッパでのハンドボール常打ち場ではドイツのケルン・アリーナ、ハンブルグのカラーライン・アリーナが有名。日本では2003年のアテネ・オリンピック予選を開いた神戸グリーンアリーナが代表的。ラテン語で「砂」を意味し、砂を撒き流血の格闘を行なう場所の意に転じたとされる。

シェイク・アーマド・アルファハド・アル・サバハ

アジアハンドボール連盟会長、アジアオリンピック評議会議長(会長)、国際オリンピック委員会委員、国内オリンピック委員会(NOC)連合代表、元国際ハンドボール連盟副会長。2001年クウェート情報相、03年石油相代行となり、のちにエネルギー相。05年には石油輸出国機構(OPEC)議長を務めている。61年8月クウェート生まれ、クウェート王族のジャービル系、現クウェート首長の甥。

アームバンド

腕章。ほかの選手の動きと識別できるために着けるもので、キャプテンは上腕に着けることがルールで規定されている。(キャプテンマーク)。このほかマスコミ関係者(特にコートサイドのフォトグラファー、テレビスタッフ)にも特定の腕章が配付されるケースが多い。

アジア・ビーチゲームズ

アジア・オリンピック評議会(OCA)による最新の総合競技イベント。第1回は2008年10月18日からインドネシア・バリ島で行なわれ、そのあと2年おきに開催、16年ベトナム(ニャチャン)、18年インド(ゴア)に確定している。実施競技はビーチハンドボールのほか、サッカー(フットボール)、バレーボール、トライアスロン、ジェットスキー、サーフィングなど。

アジア・ビーチ選手権

2004年1月オマーンで男子が、同年7月日本(千葉県富浦)で女子が行なわれ、球史の幕を開けた。原則として2年おき開催。

アジア・チャレンジトロフィ

アジア・ハンドボール連盟による発展途上国のジュニア世代の大会。 国際ハンドボール連盟が各大陸での展開を呼びかけ、アジアは2010年、中央アジア地区で男子が初めて行なわれた。12年から勝者が「IHFトロフィー」へ進出する。

アジア「地域」競技会

アジア・オリンピック評議会が公認する大陸内の地域総合競技会。1959年に始った「東南」を“最古”に、84年からの「南」、93年からの「東」、95年からの「中央」、97年からの「西」の5大会がある。各大会とも2~4年おきの開催。ハンドボールは「中央」で第1回から実施されているが大会そのものが05年以降に開かれていない。「南」では10年から実施。日本などの「東」と中東勢の「西」は定着していない。

アジア・クラブリーグ選手権

アジア各国のクラブによる選手権。98年10月ヨルダンで第1回(男子のみ)が行なわれ毎年順調に開催されている。参加クラブは中東勢が圧倒的で、日本のチームはこれまで1度も出場していない。

アジア学生選手権

08年6月益山(韓国)で開かれ日本、韓国、中国、台湾、イランなどから代表(単独校)が参加、女子で東京女子体育大学が3位に入った。13年に「東アジアU-22選手権」へ発展している。

アジア・ハンドボール界

38年に本格的な活動を始めた日本のあと、各国での芽はなかなか生まれなかったが、60年韓国、70年クウェート、80年中国などが次々と国際ハンドボール連盟に加盟。92年旧ソ連のアジア圏5ヵ国が転入したことで激戦模様が濃くなり、タイにおけるアジア大会実施で、東南アジアへの普及も着実だ。その一方、国際舞台進出をかけた大会で中東勢のレフェリングが公正を欠くなど、中東-極東の“対立”が問題となり、北京オリンピック男子予選は1度成立しながら全試合無効となる大混乱が生じもした。女子は極東勢が主体だが、韓国がオリンピック2回、世界女子選手権1回の優勝を飾っているのは特筆される。イスラム教諸国における女子の活動も盛んとなり、北京オリンピックアジア予選(カザフスタン)にカタールが初めて登場した。新たな動きとしてビーチ競技に力を注いだあとインドアを手がける国が増えた。オマーンがその好例。

アジア・ハンドボール連盟

略称A.H.F。正式名称はAsian Handball Federation。1974年テヘラン(イラン)でのアジア大会時に設立が決まり、76年1月クウェートで発足。本部はクウェート。 会長はシェイク・アームド・アルファハド・アル・サバハ(クウェート)、事務総長はモハムド・シャイフィク(パキスタン)。日本協会会長・渡邊佳英が第1副会長(6選=2013年)を務めている。15年2月現在の加盟は40の国と地域。

アジア・ハンドボール選手権

AHFが組織する大陸内最高の大会。男女の選手権(男子は1977年、女子は87年から)は男子が91年、2000年、女子が91年、2000年、04年日本で行なわれている。同ジュニア選手権(男子は88年、女子は90年から)が、原則として2~4年おきに開かれる。各国クラブチャンピオンによるアジア・クラブリーグ選手権が98年から毎年行なわれているが、日本は1回も参加せず、極東勢の関心は高まっていない。04年からユース選手権、ビーチ選手権(いずれも男女)が行なわれている。

アジア・ジュニア選手権

男子は1988年から、女子は90年から原則として2年おきに開かれている。男子は2006年の第10回を広島で、女子は98年の第5回を大阪で行なっている。年令は曲折を経て現在は男子21才以下、女子20才以下に落ちついた。世界選手権の前年にアジア選手権が予選を兼ねる場合、年令規定はそれぞれ1年下げられる。

アジア大会

国際オリンピック委員会(IOC)公認で4年にいちど開かれる国際総合競技大会。1951年に第1回が行なわれ、ハンドボールが憲章に採用されたのは74年、実際に競技が行なわれたのは82年、女子は90年。日本は男女ともすべての大会に代表チームを送っているが優勝はまだない。日本では58年東京、94年広島で行なわれ、広島大会はハンドボールの男女が実施された。2014年は仁川市(韓国)で開かれ、18年はジャカルタ(インドネシア)に決定した。86年から冬季大会も開かれている

アジア・ユースゲームズ

国際オリンピック委員会がユース世代(14~17才)に向け4年おきに国際総合競技大会「ユース・オリンピック」を発足させたのを受け、アジア・オリンピック評議会が2009年6月シンガポールで初大会を開いた。この時はハンドボールは実施されなかったが13年8月中国(南京)での第2回からは男女とも行なわれている。17年の第3回はスリランカ(ハンバントタ)、21年の第4回はインドネシア(スラバヤ)の予定だが、ビーチでの実施が濃厚だ。

アジアナショナル・サーキット

日本ハンドボール協会が01年と02年、近畿地区にアジア各国とオーストラリアの男子代表チームを招いて開いた国際大会。2回とも韓国が優勝。03年以降は行なわれていない。

アジア・オリンピック評議会

略称OCA。正式名称はOlympic Council of Asia。82年設立。その年のアジア大会で初めて男子ハンドボールが実施された。4年にいちどのアジア大会を主催。前身はアジア競技連盟(略称AGF)。

アジア・ユース選手権

世界ユース選手権発足にともなって05年に男女とも設けられた。2年おき開催を原則とする。 世界ユースの参加資格(年令)が男子は19才以下、女子は18才以下とされているため、1年前にその予選を兼ねて行なわれる場合、アジア選手権は男子18才以下、女子17才以下になる。 男子は88年シリアで開かれた「第1回アジアジュニア選手権」がユース年代で行なわれ「第1回アジアユース選手権」とされていた。2011年女子の第4回は熊本県山鹿市で開かれた。

ASOBAL

スペインハンドボールリーグ機構(Asociacion de clubes Balonmano、スペイン語)の略称、略記。 ドイツ、フランスと並んで「ヨーロッパ3大プロリーグ」とも呼ばれる。1990~91年に始まったが、51年からのスペイン選手権(51~58年プリメーラ、59~90年デ・オノール)の歴史を継ぐ。

ASOIF

Association of Summer Olympic Inter-national Federations。オリンピック夏季大会競技団体連合。1983年5月、国際ハンドボール連盟など21の国際競技連盟が参加して設立された。2015年1月現在の加盟団体は28.国際ハンドボール連盟会長のハッサン・ムスタファが副会長を務めている。会長は国際テニス連盟のフランシスコ・R・ビッティ(イタリア)。

アサインド・マン・ツー・マンディフェンス

防御側チームが相手の強力シューターあるいは配球源のゲームメーカーに対して特定のマークをつけるディフェンス方法。アサイン(assign)は割り当てる、指定するといった意味。エースを持つチームはあらかじめ相手のこの作戦を想定し、対応策を採り展開の妙味を増す。最近は「マンマーク」とも呼ばれる。

アシスト

記録用語。味方へ出したパスがシュートに成功、得点となった場合の「ラスト・パス」に対して与えられるが、国際ハンドボール連盟や日本リーグは、公式記録として明確な規定がなく、集計(発表)されても、あくまで参考の域を出ない。

アシスタントコーチ

ヘッドコーチの補佐役。攻撃コーチ、防御コーチ、GKコーチなど多彩なコーチ編成のチームもある。 一貫指導体制のなかでは傘下にあるジュニア、ユースチームのコーチをアシスタントスタッフと呼ぶ場合も多い。

アスリート コミッション

選手会に同じ。国際的にはIHF「女性委員会」がすでに発足しているが、国内での動きは男女を通じ、まだ見られない。

アスリート・ロールモデル

模範的な競技者。ユース・オリンピックの講師役などを務め、一般的な言葉になった。 ユース・オリンピックのハンドボールでのこの役は2010年がジャクソン・リシャーソン(フランス)、14年はアレキサンドラ・ド・ナシメント(ブラジル女子)が務めた。英文の略称、略記はARM。

アスレティックトレーナー

試合で傷を受けた場合、応急処置や再び競技(試合場)へ送り出すための手当てを施すチームスタッフの一員。 競技の高速化、技術の高度化などで傷害への予防、対応は体調管理を含めた専門家の参加は、現代では“戦力”でもある。 日本ハンドボール協会医事専門委員会のなかに「トレーナー部会」が設けられている。

アタック

一般的には攻撃全般を指すが、攻撃側選手との間合いを詰める防御や、積極的なパス・カットを狙う姿勢にもこの表現が使われるようになっている。

アタッカー

攻撃者。シューターとほぼ同意。

オーストリア協会

1925年1月25日創立という世界で最も古い歴史を持つ協会。11人制時代はドイツとともに、国際ハンドボール界のリーダーとして活動した。ベルリンオリンピック(男子11人制)銀メダル国。70年代以降は7人制主体とノン・アマチュア化の波に乗り遅れ、精彩を欠いている。女子の強豪ヒポ銀行(現チーム名はヒポ・ニーダーオーストリヒ)は、東ヨーロッパの有力選手を集めて、ヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝8回を飾り、一部の選手にオーストリアの国籍を取らせ、女子代表の力を支えるといった強引な手段も採ってきた。男子代表、ヒポ銀行ともに79年に来日している。

あわーど あわーず

授賞、授与。日本リーグや学生リーグなどの優勝チームや各個人賞の表彰式はアワードセレモニー。

アウェイ

本拠地を離れて相手のホームに向かうこと。そこでの試合はアウェイゲームと呼ばれる。ヨーロッパの主要試合はホームとアウェイ各1試合の2試合制が常識。日本リーグも95年からホーム・アンド・アウェイ制を原則としている。

アウェイゴール

ホーム・アンド・アウェイで1勝1敗あるいは2引き分けとなり、2試合の合計得失点差もタイとなって、次のラウンドへ進むチームを決めなければならない場合に採用される。アウェイ(敵の本拠地)であげた得点数を比べ、勝者を決める。 (例) Aチームのホーム A28-22B Bチームのホーム B25-19A アウェイゴールはB22-19AとなりBの勝ちとなる。アウェイでの得点を2倍で計算する大会もある。これでも同点の場合は第2戦後、延長(extra times)あるいは7mスローコンテストで決着させる。

Bグループ

世界選手権が実力別グループ制を採用していた当時のカテゴリー。77~92年に男子は8回、女子は7回行なわれたあと廃会。日本は男子が87、92年、女子が89、92年の各2回出場している。

馬場太郎(故人)

1969年「日本ハンドボール協会機関誌第70号」に「ハンドボールの発祥はデンマーク」との論文を特別寄稿、それまでのドイツ起源説をくつがえし、話題となった。桃山学院大学教授(当時)。 国際ハンドボール連盟もデンマーク説を採って公式見解としている。 関西ハンドボール界のパイオニアの1人で、日本協会副会長(49~56年、62~68年)などもつとめた。82年81才で他界。

バックパス

①保持したボールを後方の味方に送る動作あるいはプレー。反則ではない。ただし自陣のゴールエリア内にいるGKに故意に返し(パスし)GKがそのボールに触れた場合は相手ボールのフリースローとなる。(以前は7mTが課せられた) ②背面からのパス。

バックコート

センターラインによって二分されたコートの攻撃側にとって後方のゾーン。つまり「自陣」となり、ディフェンスするコートとなる。この場合、相手側のコートは「フロントコート」と呼ばれる。

バックス

11人制時代の防御を主とした5人の総称。略称と略記はBK。3人をハーフバックス(HB)、2人をフルバックス(FB)と呼んだ。 7人制主体となった初期、1人をハーフバック、2人をフルバックスとしたが、すぐに全6人による攻守展開となり、この言葉はほとんど使われない。

バックアップ

防御で前列の守備者の後方で、走りこんでくる相手を防ぐ二重、三重の壁。カバーとほぼ同意。

バックプレーヤー

20世紀の「インドア」ではゲームメーカー役のセンターと、その左右に破壊力、決定力のある長身アタッカーを配す“トリオ”を指していたが、21世紀に入るとポジションを固定せず、すべてをこなせるタイプが求められ始めている(スポーツイベント2015年5~7月号に技術解説)。

梅花高等女学校

草創期の大阪ハンドボール界にあって本格的な活動を展開していた女子チーム。現・梅花高校(大阪・豊中市)。

バランス

均衡。つり合いのとれた攻守のチーム力。個人の精神・技術・体力など総合的な力。

ボール

使用球、試合球。男子は重さ425g~475g、外周58cm~60cm。女子と少年(中学生男女)は325g~375g、54cm~56cm。小学生(男女)用は重さ255g~280g、外周49.5㎝~50.5㎝と規定されている。 1935年に翻訳された「競技規則」では、男子は400g~450g、58cm~60cm、女子は350g、55cmとされ、半世紀間、あまり大きな改訂は行なわれなかった。国際的には空気圧は明示されていない。 材質の革は単色とされてきたが、テレビ時代に即したカラフルなボールが容認されている。 ビッグイベントは手縫いが提供されるが、練習などでは廉価な機械縫いが使われることが多い。松ヤニ不要の表面皮も開発されつつある。規格に合ったボールは公認球とされる。 ビーチ競技用は滑りにくいゴム製で男子は外周54~56cm、重さ350~370g、女子は50~52cm、280~300g。混成競技は男子用を使う。 日本ハンドボール協会は空気圧を成年用320±20hpa、少年用300±20hpaと定めている。2014年から日本のメーカー「モルテン」が国際ハンドボール連盟の公式球となり、同連盟主催のすべての選手権で独占使用される。

ボール・イン・プレー

一般的に試合中(競技中)のこと。

バロンマーノ

スペイン語でハンドボールの意。「マノ」と延ばさない国もある。

バー

正式にはクロスバー

バルセロナルール

1986年スペイン・ハンドボール協会が「スピーディーなプレー継続」を主眼にバルセロナでのセミナーで提案したルール。失点後のプレー再開をゴールキーパースローからとするなど4項目で、支持する協会もあったが、国際的に正式な検討、採用には至らなかった。 日本協会は海外動向を見誤り87年4月から2年間、強引に採用し混乱を招いた。

バーゼル

国際ハンドボール連盟本部のあるスイス北部の都市。

バウマン・トロフィー

ハンス・バウマン会長(=前掲)の遺徳を永く伝えるため国際ハンドボール連盟が2年毎に、世界でもっともハンドボールの普及と発展に功績のあった国(協会)へ授与するトロフィ。1972年から始められ、日本ハンドボール協会は98年に第13次受賞国となっている。

バウマン(故人) Hans Baumann

ハンス・バウマン。国際ハンドボール連盟の第2代会長として1950年から71年まで長期にわたって敏腕を発揮、第2次大戦後のハンドボール界の拡充につとめた。オリンピック競技としての復活に力をつくしたが、ミュンヘン・オリンピックの1年半前の71年2月、66才で他界された。56年に来日。スイス国籍。同国代表選手の経歴を持つ。

ビーチハンドボール

1990年代前半、イタリアのティレニア海沿岸で若者たちの遊びから考案され、92年7月組織化された新種目。レジャー性が強く急激に愛好者を増やした。1チーム4人、コートは27m×12m、ボールはゴム製、得点も攻撃手段で異なり、2セット(各10分)別々に優劣を決め、1対1の場合は特別ルール(ワン・アゲインスト・ゴールキーパー)で決着させる。1993年イタリアで初の国際大会が開かれるなど急速に普及、国際ハンドボール連盟は世界選手権(男女)の2年おき開催を定着させたほか2013年からワールドゲームズの正式競技となった。アジア、ヨーロッパ、全米、アフリカの大陸選手権もすでに行なわれ、ビーチ専門の競技者も増えてきた。各国では海浜にこだわらず「砂場でのハンド」としても盛んになりつつある。国際オリンピック委員会は2018年の第3回夏季ユースオリンピック(アルゼンチン・ブエノスアイレス)からハンドボールはビーチ種目で行なうことをすでに決めている。国内は千葉県協会が推進役となり、全日本選手権も99年から行なわれている。

ビハインド

得点をリードされている状態。

ベイジン(Beijing)オリンピック

08年8月8~24日に、中国の首都ベイジン(北京の英語読み)で開かれた夏季大会。日本のハンドボールは男女とも不参加。ハンドボールの優勝は男・フランス、女・ノルウェー。

ベンチ

正式にはチームベンチ。長い腰かけ状の選手席。大会によって入れる人数が異なる。最近は個席(1人ひとりの椅子)が望ましいとされる。個席はベンチとは呼ばない。ベンチの公式位置はセンターラインから3.5mの位置に始端を設置するとされている。 競技に出場せず待機している選手を「ベンチ」あるいは「ベンチウォーマー(ベンチを暖める人)」などと呼ぶことがある。

ベンチワーク

和製英語。監督やコーチの采配。選手起用を指すことが多い。

ベオグラード・ユニバーシアード09

セルビアの首都ベオグラードで2009年7月1日から12日まで開かれる第25回夏季ユニバーシアード。男女ハンドボールの初実施が決まっていたが、同国の財政事情で08年10月大会規模縮小となり、ハンドボールは削除された。15年光州(韓国)での第28回大会でハンドボール(男女)は初めて行なわれた。

ベルリンオリンピック

ハンドボール(男子11人制)が初めて行なわれたオリンピック。1936年8月、6ヵ国が参加、ドイツが金、オーストリア銀、スイス銅メダル。日本は、まだ、球界が組織化されていず不参加。 この大会でハンドボールが採用されたのはドイツの国技であったことが、最大の要因といえる。各国思いおもいのハンドボールと類似球技は、統一ルールも出来、国際組織は整えられていたが、一気にオリンピック実施となったのは“ドイツの力”以外の何ものでもない。主競技場での各試合は、5~10万人の観衆を集めた。世界選手権(男子のみ)は11人制、7人制とも2年後の38年に始まった。11人制には10ヵ国が参加するなど、順調な発展を印象づけたが、オリンピックでの実施は、このあと72年まで“空白”となる。女子の初オリンピックは76年モントリオール

ベストディフェンダー

その大会で最も防御面で貢献したコートプレーヤー。

ベストゴールキーパー

その大会で最も活躍したGK。外国では「敢闘賞」「残念賞」のニュアンスで選出されるケースも多い。ベストゴールキーパーは原則として「ベストセブン」のGKに推される。

ベストスコアラー

その大会で最も多く得点した選手。「得点王」と同意語。得点はフィールドゴール7mスローによる合計が原則。プレスなどへの発表はその内訳が明記されることが多い。

ベストセブン

オールスターと同意語。大会を通して7つのポジション別にそれぞれ各1人を選出。「オールスターチーム」と呼ばれることもある。

ベストシューター

日本リーグが採用している「最優秀シュート率選手」。フィールドゴール数の上位選手10人の得点をシュート数で除し最高率(アベレージ)となった選手。第31回(06~07)までの史上最高率は、男子が松本義樹(湧永製薬)の86.7%(81年)、女子が橋詰とぬ(イズミ)の82.9%(99年)。外国ではアベレージではなく、1試合平均得点を割り出すケースが多い。

ビブ

前かけ、胸あての意。コートサイドで取材するマスコミ(特に映像、画像)関係者を識別するために配付、着けてもらう。通し番号が付されている。同様の目的で腕章(アームバンド)、帽子(キャップ)などがある。

ビッグカード

有力チーム同士の対戦あるいは対戦予定。優勝争いに影響する対戦を指す場合もある。

ビッグネーム

大選手、名選手。時には強豪チームや名門大会を指す。

ビヨルク(故人)Gosta Bjork

ゲスタ・ビヨルク。国際ハンドボール連盟初代会長として1946年創立から50年まで在任。スウェーデン国籍。ハンドボール、アイスホッケーの名手として鳴らし、スウェーデンオリンピック委員会事務総長としても活躍した。55年、55才で他界。

BK

バックスの略称、略記。現在はほとんど使われない。

ブレザー

選手団、チームの全員が着用する上着。ブレーズ(blaze)=炎から転じたもので、赤又はオレンジ色以外の色の場合本来は「ブレザー」と呼ばない。

ブラインドシュート

blind shoot。GK側からみて、味方のディフェンスの陰に隠れて見えにくい位置から放たれるシュート。

ブロック

①地域、区画などの意。国内では北海道、東北、関東、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州の9ブロックに分かれている。日本体育協会の区分に準じている。学生リーグは伝統的に近畿とせず関西を名乗る。 ②対戦表などで1つの固まりを示す。右側のブロック、などと使う。 ③妨げるの意。相手攻撃陣のシュート走りこんでくる動きの阻止など防御面のプレーと攻撃路やシュートコースを生むため防御側の動きを封じてその進路に立ちはだかるなど攻撃面のプレーがある。

ボディコントロール

身体のこなしかた。ボディワークともいう。

ボンヘッド

この言葉の出所は詳らかではない。凡失=考えられない単純なミス、過失とヘッドワーク=頭脳運動を合わせたものか。スポーツ界独特の表現(?)。 またはボーンヘッド(bonehead)、判断の悪いまずいプレーのことか。

ブーイング

競技の進行への不満や不承知-レフェリーの判定、声援しているチームとの反対側の選手の行動、声援を送るチームの無気力などに発せられる声。対戦側の選手紹介で浴びせられるのは、その選手の実力を評価するニュアンスもある。7mスロアーやGK(ゴールキーパー)への“威かく”にも使われる。世界共通のユーモラスでフレンドリーな姿勢として受け容れられる。

ブックメーカー

スポーツの結果にマネーを賭ける「スポーツベッティング」の運営を行なう会社。ヨーロッパ各国では政府公認と未公認の非合法機関があり、後者は八百長などを仕組み、しばしば社会問題となる。ハンドボールでは11~12年シーズン、フランスのトップリーグで人気クラブとスター級選手が巻きこまれるスキャンダルが起きている。公認ブックメーカーによるハンドボールの国際大会のオッズ(倍率)は周到な資料によって割り出されているといわれる。

ボスマン判決

ヨーロッパサッカー界の裁判がハンドボールなどヨーロッパスポーツ界にも影響した事件。ベルギーのプロサッカー選手ジャンマルク・ボスマンが1995年6月ヨーロッパサッカー連盟とベルギー協会を相手どり「契約満了後も選手を拘束する規定はプロ選手の行動を妨げ損害を与える」として損害賠償(約1億円)訴訟を起こし、同年12月、ヨーロッパ連合司法裁判所はボスマンの主張を認めた。この判決は「ボスマン判決」と呼ばれ、サッカー界だけにとどまらず、ヨーロッパのスポーツ選手は、契約満了後、移籍金をともなわず自由にほかのクラブへ移籍できるようになり、ドイツ、スペイン、フランスなどのハンドボール界や“旧東ヨーロッパ勢”の選手に効果が及んだ。

没収試合

重大な違反をおかしたチームの成績を、それまでのスコアなどと一切無関係に没収し、敗戦とする試合。 無資格選手の起用、チームの遅刻、試合のボイコット、ドーピング違反、組織決定の違反、目にあまる粗暴な行為などで適用される。成績への影響にとどまらず、出場停止、罰金なども課せられる。 日本では無資格選手の起用や登録手つづきのミスなどのケースが多い。社会的要因ともいえる交通渋滞での試合開始予定時間への遅刻、開始時の人数不足(最低5人)などで没収となる試合もあり、メンバー不足は増える傾向という。予め届出のあった場合は「不戦敗」として扱われる。没収試合のスコア処理は1-0、2-0、5-0、7-0、10-0、12-0など主催者や大会規定によってまちまちだ。

防御

ディフェンス全般を指す。守備、守り。防御のシステム。

バウンスパス

ボールをフロアにはずませて味方へ送る技術。デンマーク女子の人気選手アーニャ・アナセンは思い切りボールを叩きつけ高くはね返るところを自身がジャンプしてキャッチ、そのままシュートするパフォーマンスをあみ出した。最近ではゴール内にボールをはずませ、シューターが飛びこむ空間攻撃としてこのパスは用いられはじめている。

バウワー Bert Bouwer

ベルト・バウワー。05年4月から08年3月まで全日本女子に史上初の外国人監督として招かれた。オランダ代表、同ジュニアなどの監督を歴任。現役時代はオランダ代表、ドイツリーグでも活躍した。52年1月オランダ生まれ。

ブラジル

1年後にリオデジャネイロオリンピックを控える。1950年代、フランス人によって紹介されスポーツクラブ、大学で普及、54年アメリカ大陸で初の国際ハンドボール連盟加盟国となった。大陸内ではアメリカ、キューバなどに男女ともなかなか勝てなかったがヨーロッパとの交流がさかんとなり全体のレベルが上がった。女子は90年代、男子は2000年代に大陸タイトルを飾るようになり、女子は男子サッカー選手のように有力選手がヨーロッパのクラブを活躍の場としはじめた。13年の世界女子選手権(セルビア)優勝の快挙はヨーロッパに籍をおく選手が主力を担いその活躍によった。オリンピック出場は男女各4回。男子代表は97年世界選手権と08年ジャパンカップで来日。男子代表のグスタボ・ナカムラ・カルドソ(82年生まれ)など日系選手も多い。ビーチ競技がさかんで一時はこの競技の発祥地説も流れたほどだ。2014年まで6回の世界選手権のうち男子は4回、女子は3回の優勝を飾っている。

ブレーキングスルー

相手守備網を前に突破口を開く攻撃手段。「カットイン」「カットアウト」で切りこみ、固い壁を崩す。そのままシュート(得点)へ結びつけるプレーもあり、鋭いフットワークとフェイント力が決め手になる。

B級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格のカテゴリーの1つ。国際競技以外のすべての競技を審判することができる。

ブライトン宣言

1994年ブライトン(Brighton、イングランド)で開かれた第1回世界女性スポーツ会議であらゆるスポーツ活動における女性への差別を撤廃し、全面的に女子が関わることを可能にするとした宣言。2001年日本オリンピック委員会が批准、加盟団体に早期の対応が望まれ、日本ハンドボール協会は03年史上初の女性委員会を設置。2013年度執行部に初の理事として東海林祐子を専任した。女子レフェリーは13年度国際2名、A級8名を含む386名。

日本ではクラブ、チームの意味を持つハンドボール愛好者の集団。教育現場での「部活動」は球界を支えている。その一方で競技力志向、勝利至上主義が強すぎ、スポーツをエンジョイするという面に欠けているとの指摘もある。中学、高校の部は少子化もあり、部員の減少に悩み、複数校合同や、外部指導者の導入など新しい動きも目立つ。 企業の部は、経営事情から廃部、休部、活動縮小などに見舞われ、頂点強化路線へ影響を与えている。 すべての部をめぐる状況の変化は「クラブ」の時代到来を急がせてもいる。

ブンデスリーガ Bundes Liga(ドイツ語)

ドイツリーグ。男女とも1、2部で構成、2部は南・北ゾーンに分かれる。男子は1921年からの全ドイツ選手権の伝統を継ぐ名門大会。50年代、総当り戦を採用しこの名称となったが、現在のノン・アマチュアカラーによる組織は77年からを指す。すべてのリーグ記録は77年をスタートにしている。92年の東西両ドイツリーグ合併で、サッカーを追うプロ・リーグ路線のカラーがいっそう強く打ち出され、03年からはドイツ協会を離れ独立した機構となった。 07年から5シーズン、トヨタ自動車の現地法人がタイトルスポンサーとなり、10-11年シーズンまで「トヨタ・ハンドボールリーグ」が正式名称となった。。ヨーロッパ連合(EU)内の選手は外国人選手扱いしないという積極策で、各クラブとも国境を越え有力選手を次々と契約「ワールドリーグ」の異名をとるほどの質量を誇る。 日本人では旧組織時代の近森克彦をはじめこれまでに橋本行弘、茅場清、河田浩貴、植松伸之介、梶原晃、石黒将之らがプレーしている。女子も加藤典代、谷口尚代、金城晶子、田中麻美、内林絵美らが活躍。男子は18クラブ2回総当り、10000人近い収容力の大アリーナ、大ホールを使う試合も多い。01~02シーズンから年間総観客数が100万人台に上り、07~08年シーズンに1,501,315人(1試合平均4906人)のいずれも史上最多をマークした。

文理科大学

日本ハンドボール界草創期から第2次世界大戦直後まで国内最高のレベルを示した強豪チーム。東京所属。37年10月、国内初の公式大会・第1回関東選手権を前に、学内各スポーツから選手(部員)を募ってチーム編成、この大会は2位に終わったが、1ヶ月後の第1回全日本選手権(兼第9回明治神宮体育大会)では同一メンバーながら「大塚クラブ」を名乗って優勝、史上最初のチャンピオンチームとなった。第2次世界大戦をはさんで48年の第1回東西学生王座決定戦で栄冠を飾るなどしたあと49年、学制改革によって東京教育大学、さらに77年からは筑波大学と変わった。

バイロー

規約、補則、付則、細則。財団法人の日本ハンドボール協会は「寄付行為」がこれにあたる。

C.I.S

独立国家共同体=Commonwealth of Independent Statesの略称。旧ソ連の11の共和国が1991年12月に形成した新体制による連合体で、バルセロナ・オリンピック(92年)にジョージア(グルジア)を加えて参加が認められ、ハンドボール男子は優勝、女子は3位となった。チーム名は「統一チーム」を表す「EUN」(Equipe Unifiee=フランス語)とされたが、大会後、12の国がそれぞれ独立した組織として国際ハンドボール連盟に加盟、CIS=EUNの活動は1回限りとなった。カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5ヵ国は国際及びアジア・ハンドボール連盟のメンバー。

C.I.S.M

国際軍隊スポーツ連盟のフランス読みの略称、略記。ハンドボール委員会があり、世界軍隊選手権を主管。

C.O.C

国際ハンドボール連盟専門委員会の1つ。競技・組織委員会(Commission of organizing and competition)の英文略号。 97年の熊本世界選手権を前に渡邊佳英(日本協会)が調整役として臨時メンバーで加わった。現在の委員長はレオン・カリン(スロベニア)、委員は7人。

キャップ

代表チーム選手として出場した公式国際試合の回数。イングランドのラグビー界が、出場するたびに栄誉を讃え特製の帽子(キャップ)を贈ったのがヨーロッパの各スポーツに伝わった。キャップ数58などと表現する。ハンドボールでは一部の国で使われるが、全般的にはなじみが薄い。

キャプテン

主将。チームの代表格。コート上(競技中)のチーム代表者。協会や連盟内の競技系部門の責任者を指す場合もある。

キャプテンマーク

競技規則でキャプテンに着用が義務づけられている約4㎝幅の腕章。上腕に着け、シャツと対比できる色でなければいけない。チーム内のキャプテンが不出場の場合は、その試合での「ゲームキャプテン」を指名して着用させる。

カード

長方形の厚紙の札を意味するが、スポーツ界では試合(対戦カード)、呼び物を表わす。 好カード、ビッグカード、次のカードなど。

カーディング

Carding。おもにリーグ戦でのカードの決定。それによって日程、会場などが準備される(日程、会場が先に決まるケースもある)。リーグ運営の最大の作業。

CAS

Court of Arbitration for sportの英文略称、略記。スポーツ仲裁裁判所に同じ。

センター

①中央。攻撃陣型の後列中央でゲームメークの中心となるほか、自らも得点力を備える選手。11人制ではフォワード5人の中央で背番号9と決まっていた。 ②中心となる地点、拠点、場所。プレスセンター、記録センターなど。 ③チームの中心選手、もっとも人気を誇る選手。

センターライン

コートの両サイドラインの中間点を結んで引かれた線。スローオフはボールを持った選手がこのラインの中央部分を片方の足で踏んで始められる。

セントラル方式

大会に参加する国を1会場(1ヶ国、1地域、1施設など)に集結させて競技を運営する方式。集中方式。対比はホーム・アンド・アウェイ方式。

CF

コンチネンタルフェデレーション(Continental Federation)の略。大陸ハンドボール連盟に同じ。

Cグループ

世界選手権が実力別グループ制を採用していた時のカテゴリー。男女とも参加資格はヨーロッパ大陸勢に限られていた。男子は76~90年に8回、女子は86~91年に3回開かれたあと廃会。男子第6回(86年)優勝のフランスが、この大会時をスタートに、95年世界制覇に登りつめた10年間での“成功の道”は有名。

チャレンジ・ディビジョン

日本リーグ機構が運営するオープンカテゴリーの大会。09年10月に男子が発足。日本リーグには“直結”していない。

チャレンジトロフィ

国際ハンドボール連盟が各大陸の新興国、発展途上国のために設け後援する大会(男女)。ヨーロッパでは2000年からアフリカでは01年から始まっている。アジアでは2010年男子が中央アジアで実施された。11年からは各大陸の勝者を集めての「IHFトロフィ」が始まり、チャレンジトロフィの名称は薄れ始めた。原則として20才以下の代表チームによる。

チャンピオン

優勝チーム、選手権保持チーム。本来は個人系スポーツの勝者を称するが、現代はチーム系スポーツにも用いられ「チャンピオンチーム」などとも呼ばれる。

チャンピオンシップ

国内ではタイトルをかけた大会を指すことが多い。決勝戦だけを特定するケースもある。

チェンジ・オブ・ペース

試合の運びかたの1つ。相手の動き、得点差、時間経過などで流れに緩急をつける。表面的には速攻、セットプレー織りまぜての動きで見れる。

チャージ charge(ing)

競技用語。攻撃側の選手が勢いつけて相手にぶつかること、腕や手を使って防御側の動きを止めることなどに課せられる反則。

チャリティマッチ charity match

収入を慈善や福祉事業などに寄付する目的で行なう試合。

チェック

①防御側が相手のボールや選手との間合いを詰める状態。ディフェンスの基本。 ②試合前の選手リスト、選手の衣服などの照合、点検。 ③日本でいう「王手」

チア、チアリーディング

声援、応援、励ましなどの意。チアリーディング、チアダンシングなどはヨーロッパ系スポーツのハンドボールには似合わないとされてきたが、近年は各国リーグで盛んだ。チアガールは和製英語。

チェンジパス

たがいのポジションを入れ替えながら行なうパスの方法。

千葉県協会

1951年2月設立。地道な高校界への普及を重ね、女子では全国レベルの強力校が育った。近年は高校を拠点とした社会人クラブの発展を図り、市民スポーツの普及に成果がのぞきはじめている。ビーチへの取り組みは国内随一。

地中海競技大会

国際オリンピック委員会公認で2~4年にいちど開かれる国際総合競技会。1951年エジプトで第1回が行なわれた。地中海を囲むヨーロッパとアフリカ、アジア(レバノン、シリアの2ヵ国)の24ヵ国が出場することでレベルは高い。ハンドボールは75年から実施競技(男女)となり、ユーゴスラビア(旧国家)フランスエジプト、アルジェリアなどのトップチームが参加している。キリスト教国とイスラム教国が集合するため、騒動、混乱も少なくない。英語名称はMediterranean Games。
この大会とは別に99年に地中海ハンドボール協会が発足、2003年地中海連盟と改称。04年から「地中海ジュニア選手権(男女)」をスタートさせ、06年から毎年開催している。20分3ピリオド制を採用しているのが特色。

地域高校選手権

第2次大戦後、日本ハンドボール界の興隆を促進させた大会。
全国9ブロックによる高校選手権。所属する都府県協会の上位校に交流と研さんの場を増やすために設立されている。
最古は東北の1948年、そのあと50年中国、51年九州、52年四国、54年東海、55年関東、58年近畿、65年北信越(全北海道は50年)とつづき、現在に至っている。
近畿は前身大会として1946~56年「西日本高校選手権」の名称によるインターブロックを開いている。「東日本選手権」(48~53年)も行なわれた。

地域リーグ

日本協会が2009年6月に打ち出した国内トップゾーンの拡充策だが、具体的な動きは2002年に始まった女子の「首都圏リーグ」がめだつ程度である。

近森克彦(ちかもり・かつひこ)

日本人選手として初めて外国のトップリーグ・ドイツリーグ(当時は西ドイツ)でプレーした選手。70~71年名門ハンブルガーSVの一員に加わりレギュラーで活躍、高い評価を得た。帰国後、ミュンヘン・オリンピック代表選手となる。大崎電気、三陽商会などに在籍。芝浦工業大学出。全日本実業団ハンドボール連盟理事長もつとめている。45年9月山口生まれ。

チャイニーズ・タイペイ

台湾を国際スポーツ界ではこのように呼称する。1972年国際ハンドボール連盟は、いわゆる「2つの中国」問題を解決するため、台湾の加盟申請に国際規程に則ることを条件とした。マスコミは「台湾」と表記するが日本ハンドボール協会は「中国台北」あるいは「TPE」としている。掲揚される旗は梅(国花)の共通デザインにハンドボール競技者のシルエットが描かれたものが使用される。アジアハンドボール連盟加盟国。学校体育を基盤とした少年少女層での活動に定評があり、2007年7月第2回アジア女子ユース選手権を開いた。09年7月には第8回ワールドゲームズの招待競技としてビーチハンドボールを主管した。

クリスクロスパス

スリーメンクロスに同じ。Xの項にも記載。

中学校(生)ハンドボール界

第2次大戦前の旧制中学時代は日本ハンドボール協会の熱心な巡回指導などで、各地に普及され、1940年の第11回明治神宮体育大会では中学の部が設けられ、この大会が第1回全日本中学選手権~男子~とされている。優勝は青山師範(東京)。
戦後の新制では、県外試合の禁止などで各都道府県の指導力がカギとなったが、着々と基盤が拡がり、特に東海、近畿地域での活動は目ざましかった。70年代に入って全日本規模の大会開催を望む機運が高まり、72年8月、愛知で第1回全国中学生大会がスタート、79年の第8回大会から全日本中学校体育連盟主催による大会となり、現在に至っている。
学校教育としての活動の一方で、ジュニア・ユースの視点から中学界への関心も高く、有能選手発掘のステージとして93年からJOCジュニアオリンピックカップ(男女)、06年から富山県氷見市を舞台に春の全国中学生選手権が開かれている。少子化の波をうけて、愛好者の伸び悩みは深刻だが、ハンドボール界の消長を握る年代だ。市民スポーツ系の「中学生クラブ」の育成・振興も期待される。2015年1月現在の日本ハンドボール協会登録は男女計1297校26539人と中学少年団23チーム203人。

中国

1950年代(11人制)から活動が始まり、57年、人民解放軍、上海選抜、北京選抜の3チームによって初試合。普及していたのは極めて一部の地域に限られていたが、オリンピック復活で本格的な発展が図られ、80年国際ハンドボール連盟加盟時には国内の主たる30の地域で愛好され、それぞれの選抜チームのレベルは高いと伝えられた。82年初のアジア大会で男子が優勝、84年のロサンゼルス・オリンピックでは女子が銅メダルを飾った。
2008年宿願の夏季オリンピックを首都・北京で開いた。男子は12位に終わったが女子は6位となり今後の充実が注目される。09年12月第19回世界女子選手権を開催し12位。ビーチ競技の普及も進んでいる。

中央アジア

旧ソ連から独立したカザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンの5ヵ国がアジア大陸に組みこまれて生まれたゾーン。1994年の広島アジア大会女子にカザフスタンが参加、同国男子も93年の第7回アジア選手権(バーレーン)に出場、このあとウズベキスタン男子も積極的な行動を示している。95年からこの5ヵ国で総合競技大会「セントラル・エーシアンゲームズ」を行ないハンドボールも実施されていたが、2005年の第5回以降開かれなくなった。99年の第3回(キルギス・ビシュケク)に台湾が特別参加した。

抽せん

①競技で勝負がつかなかった場合、次のラウンドへ進むチームを決めるために用いられる方法。成績は引き分けに扱われる。②大会の組み合わせ決定も抽せんが常識的な方式で、大きな国際大会では「ドローミーティング」は公開され、世界選手権の抽せん風景はテレビ中継が行なわれることが多くなった。

中四国学生リーグ

リーグ形式の初シーズンは62年秋だが、その前史として60、61年の中四国学生選手権、62年春の結成トーナメントがある。四国勢の参加は65年秋の松 山商科大学(現・松山大学)が初。66年2部制へ発展、74年に女子が発足している。 ◆1960年から2014年秋までの優勝校と回数 【男子】広島大23回、山口大22回、高松大21回、松山商大・松山大11回、広島商大・広島修道大10回、岡山大6回、愛媛大6回、広島経大5回、広島大福山2回、広島工大1回。 【女子】山口大20回、広島大18回、環太平洋大12回、岡山県立女子短大10回、愛媛女子短大9回、岡山大8回、川崎医療福祉大2回、高知大1回、愛媛大1回。 【2014年秋の加盟校】男子1部6校、2部6校、3部5校、4部4校。女子1部5校、2部6校。

『中東の笛』

1990年代初頭からアジアで行なわれる公式大会でクウェートなど中東勢を有利に導くためアジアハンドボール連盟が意図的にレフェリーを指名、露骨な判定を繰り返す状況を言う。 シニア(男子代表)に限らずジュニア、ユース、女子にも広がり始めたとされ、日本、韓国などが再三抗議していた。 日本の関係者、メディア、ファンは実際の状況を見る機会がなかったが、07年9月愛知県豊田市での北京オリンピック男子アジア予選・韓国-クウェート戦で一方的なクウェート有利の判定が続き議論を呼んだ。 この一戦が引き金となって同予選全試合が無効となり異例の再予選へと進む。

C級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格カテゴリーの1つ。ブロック大会・各都道府県大会の競技を審判することができる。

クラシフィケーション

Classification。格付け。大会の順位を表わすことが多い。クラシフィケーションマッチ(ラウンド)は順位決定戦の意。

クレイコートハンドボール

土のコートを使って屋外で行なう7人制。

クラブ

同好の士を集めた組織。世界のスポーツ(ハンドボール)チームのほとんどはクラブで、会員(個人)の目的によって多彩な活動が行なわれている。地域市民に密着した組織が多く「自分たちの市(まち)のチーム」の意識が強い。
多競技多世代型の大規模な総合スポーツクラブには、ほとんどハンドボール部門が含まれている。会員増を望める人気競技というわけだ。国内リーグで活躍するトップチームの下には年代別、性別、技量別、目的別の複数のチームが構成される。トップチームは、年々ノン・アマチュアの色を濃くし総合型から分離する新しい動きものぞきはじめた。
クラブ会員となる目的も「トップ」観戦が魅力で、という傾向が出てきている。
「クラブハウス」を備え練習コートのほか、観客席付きの競技施設を持つクラブも多く、練習後、観戦後にハウス内のレストランやラウンジでアフターゲームをエンジョイするなど「クラブライフ」がスポーツの主流である。
日本では「クラブ」の表現によるイメージは体育会や運動系の「部」と比べて、レジャー的に見られる時代が長かった。
競技力志向も含めた多目的、多世代による「ハンドボールクラブ」がいかに育つか、今後の球界の消長を握るといえる。

コーチ

試合や練習で選手に助言し指導する人。その役職名。

コイントス

試合開始前、レフェリーが両チームの責任者(キャプテンが多い)を呼んでコインを投げ、開始時のスローオフあるいはコートの左右どちらを選ぶか決める。延長戦となった場合も行なわれる。風向きが影響したアウトドア主流時代の名残りともいわれる。トスに同じ。

コラボレーション

共同、協力、協調、合作などの意。国際ハンドボール連盟と各国協会間、日本協会と各都道府県協会間の作業などのほか、日本のハンドボール界がドッジボール界との提携を探る試みなども指す。
このほか、ビーチが、サッカー、バレーボールなどとともに「ビーチゲームズ(仮称)」を開くアイディアや、日本オリンピック委員会打ち出した「球技復活プロジェクト」もこの流れの1つといえる。ボールゲーム系のいわゆる“横の連絡”が強まり、共通した課題に取り組むコラボレーションは今後、活況になろう。

コンビネーション

以前から組み合わされている2人以上の連動。監督とコーチ、レフェリーのペア、左腕と右腕の主力アタッカー、パッサーとポストプレーヤー、正GKと控えGK、競技者とメディカルスタッフなど多様なケースがある。

コンビネーションプレー

2つ以上あるいは2人以上のプレーを組み合わせた攻撃及び防御の戦法。

コメンテーター

解説者。特にラジオやテレビ中継で一般的。実況アナウンサーをこのように呼ぶ場合もある。ラジオ、テレビ用の放送席はコメンタリーボックス、コメンタリーポジションなどと呼ばれ、場内放送のアナウンス室(アナウンス席)とは区別される。

コマーシャリズム

商業主義。アマチュアリズムの退潮で、スポーツ組織の運営は、経営感覚が盛りこまれるようになり、国際ハンドボール界も、それまではゴール、ボールなどに限られていた企業との“商取り引き”の範囲を拡げた。「テレビビジネス」の積極化は最大課題とされる。それにともなって参加チームの選手のシャツ、パンツ、シューズをはじめ、コート周辺やコート上の広告がオープンとなり、大会を取り巻く記録集計など多くの業務にスポンサーが募られている。日本でも企業名を冠せた大会や、代表チームをはじめとするトップゾーンとコマーシャリズムの関係は深く濃くなる一方だ。

コミッション

日本ハンドボール協会には強化、広報、普及指導、審判、女性、ビーチなど主だったコミッティ(委員会)だけでも12あり、特別委員会、プロジェクトチーム、専門委員会などがほかに活動している(14年度)。
国際ハンドボール連盟は2015年1月現在
(1)競技・組織(Commission of Organizing and Competition=COC)
(2)競技規則・審判員(Commission of Playing Rules and Referees=PRC)
(3)コーチ・手法(Commission of Coaching and Method=CCM)
(4)医事(Medical Commission=MC)
(5)開発振興(Commission for Development=DC)
(6)倫理(Commission for Ethic=CE、非常設)
の6委員会にまとめている。

コモンウェールス・ゲームス

イギリス(英国)連邦競技大会。1930年にカナダで「エンパイア・ゲームズ」の名で始められた伝統の国際総合競技会。現在の大会名は66年から。4年にいちどの開催でハンドボールは80年代以降、いつも候補にあがりながら見送られつづけている。10年3月インド・デリ市、17競技の第19回大会も実施は見送られている。14年のスコットランド大会は未定。ジュニア大会やクラブ大会での実施は煮つまっていると伝えられるが、リーダー格のイギリス、カナダ、オーストラリアなどでのハンドボール界が未成熟なため、正式競技としての採用が遅れている。

コンパルソリープレース

国際ハンドボール連盟が主催する各世界選手権で大陸別に義務づけた出場国数枠のこと。男女世界選手権では各大陸3ヶ国ずつ、同ジュニアでは同2ヵ国ずつ(いずれもオセアニア大陸は除く)が、「固定枠」として配分される。正当な理由のない不参加や辞退にはペナルティが課せられる場合がある。欠場国を補うため「補欠国」を国際ハンドボール連盟は大陸別に指名しておく。対比はパフォーマンスプレース

コングレス

国際ハンドボール連盟の全加盟国代表が参加して開かれる総会。1946年7月コペンハーゲン(デンマーク)で第1回のあと、2年にいちど定期的に招集され、オリンピックイヤー翌年の総会で役員の改選を行なう。第35回総会は2015年7月ハンガリーで開催された。
日本ハンドボール協会では全国評議員会(年2回)がコングレスにあたる。

コンソレーションマッチ

大会の途中で敗れ、次のラウンドへの出場権を失ったチームによる試合。「敗者慰安試合」として日程は組まれているが、エキシビションのカラーが濃く、下位の順位へつながる「敗者復活戦」とは異なる。

Contact Pass

Contact Pass。ディフェンスに当たられながらボールをつなぐ意識で行なうパス(スポーツイベント2013年5月号で技術解説)。

コンチネンタルフェデレーション

大陸ハンドボール連盟に同じ。英語略称と略記はCF

コントラクトプレイヤー

国際ハンドボール連盟が1994年に明文化した競技者資格。契約選手と呼ばれる。クラブとの間で報酬などの契約を結んだ選手で、クラブは国内組織を通じ国際ハンドボール連盟へ届け出る。契約選手はクラブからの出場手当、勝利給など手当は受けているが、報酬だけで生計をたてられる報酬を約束されるプロフェッショナルプレイヤーとは区別される。国内では企業チームがハンドボール活動だけのため嘱託などで契約する傾向が増えつつある。契約選手、ブロフェッショナルプレイヤーともに世界選手権、オリンピック、アジア大会などに参加できる。対比はノン・コントラクトプレイヤー

コントロール

GKゴールエリア内でボールを“制御”すること。
②シューターが狙ったコースへシュートを放つ技能。制球力。
③正確なパスワークにも用いられる技術。

クーリングダウン

クーリングは冷たくするの意味で、試合や練習のあと、心身を短い時間で平常に戻すために軽く動くなどの整理運動をいう。対比はウォームアップ

コア(core)競技

国際オリンピック委員会がオリンピック大会の規模肥大を防ぐため夏季大会は2012年のロンドンから実施競技数を最大28とし、そのうち固定される26競技(core sports)を指す。2020年の東京大会から開催都市が要望する競技をその大会に限り加えることができる。 ハンドボール(男女)は2024年までこの中に含まれているが見直しも行なわれ28年以降の保証はない。

コーナー

競技場でサイドラインアウターゴールラインが交わる点。4点あるがマークは付けられない。防御側コートプレイヤーが最後に触れたボールがアウターゴールラインを越えた時、この交点からスローインとなる。以前は「コーナースロー」と呼ばれた。

カウンシル

国際ハンドボール連盟理事会

カウンターアタック

守りから相手のボールを得て(奪って)、一気に速攻で逆襲すること。

クーリエ

ドーピング検査で採取された検体の輸送を行なう役員。

コート

競技場。長さ40m、幅20mの長方形。長い辺をサイドライン、短い辺のゴールポストの間3m16をゴールライン、その両側16m84をアウターゴールラインと呼ぶ。「見せるスポーツ時代」を意識してコート内の各ラインを引かず区画される領域間の色を変えることも認められている。ビーチ競技は長さ27m、幅12mの長方形。
11人制時代の競技場はフィールドあるいはグラウンドとされコートとは呼ばなかった。

コートマナー

チーム全員がフェアプレーの精神を守り観客に不快感を与える行動を慎む態度、姿勢。

コートプレイヤー

GK以外のプレイヤー。ゴールエリアでプレーすることはできない。略称と略記はCP。フィールドプレイヤーと呼ばれることもある。この略称と略記はFP。

コートレフリー

2人のレフェリーのうち攻撃側の背後からボールの扱い、選手の動作に関する反則を見るレフェリーの役務。

カバー

味方の動きが封じかけられようとした時に“援助”する動作。ボールを持った者への行動が多くフォローも同意に近い。防御面ではバックアップとほぼ同意。

CP

コートプレイヤーの略称、略記。

クロアチア

ユーゴスラビア旧国家の中心勢力として40年代後半から世界選手権(男女)で実績をあげていたが1990年独立、92年国際ハンドボール連盟へ加盟、96年アトランタオリンピック、03年世界選手権、04年アテネオリンピックでいずれも男子が優勝を飾り実力の高さを示した。女子で03年世界選手権を、男子も09年1月に第21回大会を開いた。独立した最初の記念すべき国際試合(男子)が首都ザグレブで91年1月14日、日本を相手に行なわれた(23-23の引き分け、日本側はクロアチアを地域選抜として扱い公式国際試合としなかった)。

クロスバー

ゴールの2本のポスト(支柱)を水平に連結させる横木(バー)。

クロス方式

予選リーグの順位を参考にトーナメントを組む場合、A組1位-B組2位、B組1位-A組2位のように各組を交差させる方式。「たすきがけ」ともいわれる。

クロスパス

攻撃側の選手が交差しながら行なうパス。守備側を幻惑させる狙いもあり、スクリーンプレーと同型。

キュー

きっかけ、合図。スポーツ(ハンドボール)場では試合開始を放送時間に合わせるため、放送関係者がレフェリータイムキーパーに合図することを指す。「キューを送る」などと使う。一般的にテレビ、ラジオ用語。

カップ戦

日本の勝ち抜き戦トーナメント)のようにナックアウトシステムで勝者を決めていく大会方式。現在では全組み合わせを同時に決めることが多いが、1ラウンドが終わるたびに次の対戦相手を決める抽せんが行なわれ、その札(カード)が優勝カップに入れられたことから、このように呼ばれはじめたという。ヨーロッパの大会は総当たり戦(ラウンドロビン)が主流だが、カップ戦はレベルが下位のチームも参加するケースが多く独特の雰囲気と注目が集まる。ヨーロッパでは総当たり戦より大会としての評価は一般的に低い。

カット

射たれたシュートを阻むプレーと相手のパスを横から奪いとるプレーがある。後者はパスカット、インターセプトと同型。

カットイン

ブレーキングスルーの代表的な攻撃プレー。ゴール方向に相手の守備の中へ切りこむこと。

カットアウト

カットイン(=前掲)に対して、相手のゴールを背に外側へ離れていく動作。

カットインシュート

Cut in shoot。相手ディフェンスをかわしながら切り込み、思い切ったジャンプからシュートを放つ個人攻撃法(スポーツイベント2012年9月号に技術解説)。

大同特殊鋼

1962年、大同製鋼(=前社名。本社・名古屋市)の社内で愛好者がチームづくりを進め、64年正式創部。当初は県内での活動が主だったが東西学生界で活躍した選手を迎えトップゾーンに進出、72年地元での全日本実業団選手権で初の全国タイトルを手にしたのを皮切りに国内最強チームへ飛躍、76年発足の日本リーグ初代チャンピオンとなるなど70年代の全国制覇は23回、「大同時代」を築きあげた。15年3月までに全日本総合選手権13回、日本リーグ18回の優勝を飾っている。野田清蒲生晴明、末松誠(現・監督)をはじめ国際的プレイヤーも数多く送り出している。

大学定期戦

大学チームがリーグ内、地域内を問わず、他大学との友好を目的に組む試合。第2次大戦前にも在京の大学間で行なわれていたが、リーグ戦の試合を兼ねるケースが多く、“独立”した定期戦の資料はほとんどない。
最古とされているのは1946年第1回の早稲田大学関西学院大学。48年関東・関西両学連の交流をきっかけに慶應義塾大学-京都大学、明治大学-立命館大学、立教大学-同志社大学、法政大学-関西大学などのカードがスタートした。
現在では上智大学-南山大学のように全スポーツの総合定期戦に組みこまれる展開もみられ、日本体育大学-成均館大学、名古屋大学-ソウル大学など国際(日韓)定期戦も生まれた。東京大学-京都大学のOB戦は「11人制の部」を続けている。

代表監督

代表チームの監督。ヘッドコーチ、ナショナルトレーナーなど統一した名称はない。代表選手を選抜することからセレクター(selector)と呼ぶ国も多い。有力国はフルタイム契約が常識で、任期はその都度決められる。国籍は問われない。

代表選手

代表チームに選抜された選手を指すが、近年はオリンピック、世界選手権大会の選手に限定して呼ぶ傾向が強い。日本では「全日本代表」が通称。資格はその国の国籍を持つ者で、外国籍選手を加えた場合、公式選手権に参加できない。

代表チーム

ナショナルチームに同じ。その国の協会が公式国際試合のため選抜し編成するチーム。日本協会は「全日本」を通称とするが、最近は「日本代表」と呼ぶケースも目立っている。英語名は「JAPAN」。男子は1966年、女子は67年から試合の有無に関わらず“常設”され、2013年11月、女子の愛称を公募、「おりひめジャパン」とした。選手は国内で活動する者に限らず外国リーグに籍を置く選手も招集される。
ヨーロッパでは大半の選手が日ごろは外国協会や外国リーグ所属という編成も見られる。代表チームには国内のリーグやクラブに在籍の外国人選手は加えられない。オリンピックへの参加はその国のオリンピック委員会が承認してはじめて「代表」となる。コーチングスタッフの国籍は問われない。

大日本体育会

42年から第2次大戦後まで日本のスポーツ組織を統括した団体。前身は1911年(明治44年)創立の大日本体育協会。日本ハンドボール協会は1938年5月に加盟した。日本体育協会に改称されたのは48年、現在に至っている。

デンジャラスプレー

過度な反則行為、危険行為。ジャンプした選手を空間で下から突きとばすようなプレー。失格追放が課せられるケースが多い。ヨーロッパではしばしば両チーム選手の乱闘の引き金となる。

段階的罰則適用

相手に対する反則がフリースローによって罰するだけでは不充分とみられるケースで適用される。
対象となる反則は、相手の身体に対するものと、スポーツパーソンシップに反する行為が多い。
前者は相手を押す、抱えこむ、つかむ、突く、たたく、相手の身体にぶつかる、足を掛けるなど、後者はプレーの遅延行為、フリースロー時にボールを渡さないなどがあげられる。

Dエリア・Dゾーン

サイドラインの片方に近接した観客席から見ると、ゴールエリアが「D」の字に似ていることから俗称的にコーチや選手間で使われる。

ダッシュ

全速力で突進すること。

デッド

競技中断。一時停止の状況。ボールが観客席に飛びこむ、物がコートに投げこまれるなどで生じる。対比はボール・イン・プレー

ディフェンス

防御。防御の役割の選手のこと。基本は相手にシュートを射たせない「詰め」(=チェック)にある。シュートを射たれた場合は、空間でボールのカットを狙う、CPGKの連携でシュートコースを狭めるなどを図る。防御システムはゾーン、マン・ツウ・マンに大別され、ゾーンのシステムは「6:0(一線)」「5:1」「4:2」「3:2:1「変形3:3(3:2:1)」などが代表的。数字はGK側から付けられる。アサインド・マン・ツウ・マンはAの項。

ディフェンダー

①チーム内で防御を中心につとめる選手。DFと略称、略記される。 ②選手権保持チーム。

ディフェンディング・チャンピオン

ディフェンダーの②に同じ。「今」のチャンピオンチーム。

デレゲーションリーダー

代表団、派遣団の統括責任者。団長。チームリーダーの呼称よりも、訪問国に対して代表者の存在を明らかにできる。

デモンストレーション

ハンドボールの宣伝、技術、戦術の実演、ルールの説明などのために行なう試合、あるいは試合形式。試合時間は規則にしばられない。

デンマーク

室内ハンドボールが19世紀に早々と愛好されていた伝統国。この時代の「室内」は大きなマーケットの倉庫などを指すもので、しだいに体育館が建ち、1904年には学校スポーツ用にルールブックが発行されている。国際ハンドボール連盟は、この国を「近代ハンドボール発祥国」として認めている。最初の試合は1897年ニーボリー(Nyborg)とされる。 競技スポーツとしての本格化、組織化には時間がかかり、代表チームによる初の公式国際試合は35年3月のスウェーデン戦。すでにこの頃は「国技」として定着、デンマークの体育館はハンドボールのサイズが基準といわれる。第2次大戦後は女子の球技として人気が高まり、愛好者の増大とともにトップレベルの向上が進んだが、世界選手権などでは東ヨーロッパ勢の壁を崩せなかった。96年アトランタオリンピックに初出場初優勝、00年シドニーオリンピック、04年アテネオリンピックも金メダルを手にし、3連覇の金字塔を打ち立てたが、北京オリンピックは参加資格を得られなかった。国内女子リーグは上位クラブのプロ化が進み、外国人スターも多く最高レベルの試合を展開、人気を集めている。日本人選手ではこれまでに稲次彩、松尾香代、山下美智子、田中美音子早船愛子、本多恵らがプレーしている。

ダービーマッチ

同一地域、地区の強豪同士の試合。サッカー界から伝わってきた言葉で、イングランドのダービー地方で行なわれる試合はいつも激しく観客を沸かせたことから生まれた。ヨーロッパスポーツの“共通語”といえる。日本リーグではオムロン(熊本)-ソニーセミコンダクタ九州(鹿児島)を「九州ダービー」と呼べる。競馬のダービーはイギリス人の名で、まったく関係がない。

ダイレクトイン

予選を免除されて直接本大会に参加すること。ストレートインに同じ。

ディスクォリファイ

失格。重大な反則に課せられる。 ②チームが予選で敗れるなど本選への参加資格を失うこと。予選を突破できなかったこと。

ディスタンスシュート

distance shoot。GKとシューターの間にディフェンスがいる状況で、守備網を崩し突破するための攻撃。(スポーツイベント2012年12月号に技術解説)

ディビジョン

各国のリーグ戦で導入されている技量などによる区分。第2次大戦後、ヨーロッパ各国は愛好者の増大によってクラブのエントリーも多くなり、一斉にこのシステムを採用した。 日本では1947年秋から東西の学生リーグが1・2部制としたのが最初。日本リーグは男女とも79年に2部を設けた。ヨーロッパのトップリーグは1~3部が標準で、それ以下のクラスは別の組織名称がつけられることが多い。

D級審判員

日本ハンドボール協会公認審判員資格カテゴリーの1つ。各都道府県大会の競技を審判することができる。満18才以上に申請の資格がある。

ドクター

一般的に医師。チームに帯同して救急の対応にあたる場合や大会主催者が負傷などの手当てのため配置する。故障の早期発見や回復状態チェック、ケガの予防などメディカルスタッフの充実は近代スポーツでは欠かせない。

ドイツ

自他ともにハンドボールを「国技」と自負し伝統を誇る“王国”。1915年、この国で女性のため考案された球技・トーアバル(Torball)を原型とし、19年、類似の球技などをまとめてハンドボールが生まれたとされる。デンマークの「室内」(=前掲)に対して、ドイツはフィールド(屋外)スポーツ。20年ドイツ体操連盟が「ハンドボール規則」を制定、各地で試合が行なわれ、21年全ドイツ選手権(男女)が始められた。代表チームによる初の公式国際試合は25年9月13日の対オーストリア戦で、同時に世界初の公式国際試合ともなった。36年ベルリンオリンピックの実施で「ドイツのハンドボール」は揺るぎないものとなる。第2次大戦後は、国土が東西に分割され、国際舞台での活動はドイツ民主共和国(東ドイツ、ハンドボール組織の略称DHV)がドイツ連邦共和国(西ドイツ、DHB)となる。72年ミュンヘンオリンピックにハンドボール(男子室内)を36年ぶりに復活させたのは王国のパワーといえた。07年1月第20回世界選手権のホストを務め、のべ75万人(1試合平均8154人)の観衆を集める空前の盛況を生み、その熱狂の中で代表チームが優勝という快挙を遂げた。
1990年劇的な東西統一でハンドボール界もDHBとしてすぐに合体、クラブ数4539、愛好者80万3373人(13年資料)と世界最高の質量を誇る。
国内最上位リーグは東・西が92年から合流、伝統的なブンデスリーガの名で活況を続けている。56年、前年の第4回世界11人制選手権で優勝した西ドイツ男子が来日、日本ハンドボール界にこの上ない刺激を与えた。東ドイツも79年女子代表、81年男子代表が来日した。

ドアークローズドゲーム

ノースペクターズマッチと同じ意味。一般の観客を入場させないで行なわれる試合。騒動が予想される時などの緊急手段。「密室試合」。

ドーピング

選手が競技力や身体の能力をアップするため薬物を使用すること。健康を害す懸念とともにフェアプレーの精神にもとる行為、反社会的な行動として禁止の運動が世界的に展開されている。 ドープ(dop)はアフリカで祭などの最中に強く濃い酒をのみ、元気づける風習を指すがスポーツ界では競技への意欲を昂揚させるため興奮剤を服用、効果をあげるのは1930年代から行なわれていたともいう。 国際オリンピック委員会は67年に全面禁止を決定、各国際スポーツ組織もならった。国際ハンドボール連盟は70年に厳しい姿勢を打ち出し啓発を進めたが、使用の風聞は絶えなかった。83年の第3回世界女子選手権Bグループで2ヵ国2選手の違反がのぞき、このうちルーマニアGKが最終検査でも陽性と判定され、出場した1試合が史上初めてドーピング違反による没収試合(10-0)となり、選手は2年間の出場停止処分をうけた。その後も違反や疑惑があとを絶たず、ほぼ毎回の世界選手権で陽性反応が検出、熊本世界選手権では1人が陽性と判定(3ヵ月出場停止)。 日本ハンドボール協会は90年代に入って「アンチ・ドーピング規定」を設け、日本リーグプレーオフなどで検査を行なっている。国民体育大会では2003年から導入された。

ダブルドリブル

イリーガルドリブルを以前はこう呼んだ。ドリブルしたボールをいったんつかんだあと再びドリブルすること。反則。

ダブルエリミネーション

1つの大会で2回敗れるまで出場資格が確保されるシステム。大会運営面から最近はほとんど行なわれない。

ダブルヘッダー

2頭だての馬車の意から転じて、2つのチームが同じ日に2試合を戦うこと。 日本では午前中1回戦、午後2回戦のような日程を指すことが多い。日本リーグはA対B、C対Dの2試合を同一会場で変則的なダブルヘッダーを組む。第1試合がエキシビション、第2試合が本来のカードというような場合は、ダブルヘッダーとはいわない。

ダブルポストプレー

ゴールエリア周辺に2人の選手を配してパスを通し得点を狙う攻撃。ポスト

ダブルスカイプレー

コート上からゴールエリア空間の選手にパスし、その選手がさらに空間に飛び上がった選手へパスしてシュートに結びつける離れ技。最初の受け手のジャンプ力、滞空力がカギになる。華麗な“空中攻撃”だが、失敗すると2人がゴールエリア内に倒れるなど帰陣が遅れ、捨て身の攻撃ともいえる。

ドロー

①大会の組み合わせを決める抽せん。 ②引き分け。

ドローミーティング

大会の組み合わせを決める抽せん会議。

ドリームセブン

日本リーグが2005年の30周年記念行事として歴代の競技者の中から選考委員会によってノミネートした下記各7人。内外スポーツ界では「クロニクルプレーヤー」と呼ばれることが多い。 男子・GK 橋本行弘(ホンダ)、CP 佐藤要二(本田技研鈴鹿)、蒲生晴明(大同特殊鋼)、山本伸二(湧永製薬)、西山清(日新製鋼)、呉龍基(中村荷役)、岩本真典(三陽商会―大崎電気) 女子・GK 山口文子(オムロン)、CP 加藤美起子(日本ビクター)、松下仁美(ジャスコ)、李相玉(大崎電気)、前田重子(日立栃木)、林五卿(イズミ―広島メイプルレッズ)、田中美音子(大和銀行―Skovbakken=デンマーク―ソニーセミコンダクタ九州)。

ドリブル

ボールを片手でフロアにはずませながら前進する技術とそのプレー。時間をかせぐため、ドリブルの得意な選手がボールを確保する場合も多い。ドリブルで単身持ちこむシュートは「ドリブルシュート」。

デュオ

二重唱、二重奏などの音楽用語だが、最近は「コンビ」「ペア」の意味でスポーツ界でも使われる。

E.A.G.F

東アジア競技連盟の英文略称、略記。

E.A.H.F

東アジアハンドボール連盟の英文略称、略記。

EHF

ヨーロッパハンドボール連盟の英文略称、略記。


EHPU

ヨーロッパ・ハンドボールプレイヤーズ・ユニオンに同じ。

イヤホーンセット

両レフェリー間、レフェリー・テクニカルデレゲート間などを結ぶため装着するイヤホーンと小型マイクロホンの小型軽量セット。判定の確認や競技運行をスムースにするのを目的とし、2009年1月の世界選手権(クロアチア)で実用化。

EC

IHF倫理委員会に同じ。

エジプト

1948年にハンドボールの芽がふき、アフリカ勢では唯一11人制を愛好した歴史を持つ伝統国。国際ハンドボール連盟に は60年に加盟、アフリカ・ハンドボール界をつねにリードしてきた。ところが、オリンピック復活の70年代から国内の乱れで競技力が落ち低迷、再びアフリ カのトップに立ったのは90年代。93年地元に招いた第9回世界男子ジュニア選手権優勝を導火線としてバルセロナ以降オリンピックの常連となった。アトラ ンタ6位、シドニー7位、2001年世界選手権は4位に進出。さらに00年には国際ハンドボール連盟会長にハッサン・ムスタファを推しあげ“アフリカの時代”へ大きくステップしている。97年の世界男子選手権開催を熊本と争った。この大会と03年に男子代表チームが来日している。99年地元での第16回世界選手権は総観客数が50万3500人に及んだ。

EHFカップ

ヨーロッパフェデレーションズカップ。 ヨーロッパのクラブによる国際選手権の1つ。2012-13年からヨーロッパ・ウィナーズカップと合体して新編成された。 ヨーロッパ・チャンピオンズリーグの準々決勝前までに敗退したクラブが、そのあとこの大会に参加できる。女子も同名の大会が行なわれている。

愛媛県協会

50年2月設立。第2次大戦後、県内の旧制中学でハンドボールが行なわれ、県教員チームの発足で指導者の輪が拡げられた。そのあと新制高校に普及、57年には全日本高校選手権の地方開催(松山市)を実現させた。東京・大阪交互開催にこだわる当時の球界でこの招致は画期的、県内の結束を高め、高校男女有力校輩出へと実った。

ヨーロッパ・ハンドボールプレーヤーズ・ユニオン

プロ・ハンドボール競技者と所属クラブの契約条件や移籍などに関して不利な立場を強いられないよう2009年9月ポーランドで設立され、各国から選手やその代理人26人が出席した。その後も順調に活動している。英文略称はE.H.P.U。

エイトファイナル

16チームによる決勝トーナメント1回戦8試合をさす。

英連邦競技大会

コモンウェールスゲームスに同じ。

映像判定

ゴールインしたかどうか微妙なプレーを写真(映像)判定によって行なうこと。2012年からヨーロッパの一部の大会で試験的に導入されているが装置にかかる費用が難題。 レフェリーの「眼」にほとんど間違いはないといわれ採用には時間がかかろう。カメラはゴールバーに据え付けられる方式が多い。

エリジビリティコード

競技者参加規定に同じ。

エリミネーション elimination

予選。


エリミネーショントーナメント

日本の勝ち抜き戦(トーナメント、ノックアウトシステム)、ヨーロッパのカップ戦と同じ大会方式。勝ち抜きというより敗者排除のニュアンスが強い。決勝リーグ進出チームを決めるためのトーナメントでこの名称を使うことが多い。

エリート elite

優秀な選手、それらの選手によるチーム、それらによるリーグなどを現わす語。東ヨーロッパ全盛期にはエリートとされた選手、指導者、研究者などは国家から引退後まで生活が保証されていた。

エリートリーグ

プロフェッショナル的な運営による国内最上級リーグ。エリートによるリーグ。

エリートレフェリー

国際ハンドボール連盟が指名する世界最上位60人(30ペア)~以内~の国際公認審判員。資格は毎年8月1日から翌年7月30日までの1年間に限られるが、継続の指名は妨げられない。定年は50才。 道は厳しい。各国協会トップレフェリー→大陸候補レフェリー→大陸レフェリーの大陸連盟レベルを経て、国際ハンドボール連盟競技規則・審判員委員会が「IHFレフェリー」と して指名、さらにその中から「プロスペクト(prospect)グループ」へ選抜された者にエリートレフェリーへの可能性が与えられる。世界選手権とオリ ンピックはエリートレフェリーだけが担当できるとされてきたが、近年、このリストに含まれない各国の若手ペアがノミネートされるケースも増えている。


エンドライン

アウターゴールラインの旧称。

イングランド(イギリス) England

2012年7月夏季オリンピックをロンドンで開き注目を浴びる存在となった。1967年、全英(イギリス)協会がリバプールに設立され、69年イタリア学生選抜と初の公式国際試合を行なう。70年国際ハンドボール連盟に加盟、国内の競技会はエジンバラ大学などがリードしてきた。 72年スコットランド連盟が発足し、ヨーロッパ連盟はイングランド、スコットランド両連盟をそれぞれ準会員として承認している(スコットランドは国際オリンピック委員会と国際ハンドボール連盟では未承認)。12年のロンドン・オリンピックを前に、08年1月、代表候補選手(男女)を内外から公募し話題をまいた。

エントリー

参加申し込み。国際大会では定められた時までに国、協会、チームとしてまず届出。次に選手名(大会により変動)を付して申し込み、大会開幕直前(24~48時間)に役員スタッフ・コーチングスタッフを含めた最終参加選手リストをシャツ番号付きで提出する。国内の大会は手間を省くため一括申し込み1回ですまされる。 届出にあたって払いこむのがエントリー・フィ(fee)、申し込み用紙はエントリー・フォーム(form)。国、協会、チームのエントリー取り消しは、その時期によってペナルティが課せられる。1試合の出場者リストもエントリーと呼び現行は14人以内。

延長戦

エキストラタイムに同じ。

EPHLA

ヨーロッパ・プロハンドボールリーグ協会の英文略称、表記。


エラー error

失策。ミスと表現されることが多い。

エスコート escort

ドーピング検査で対象となった選手に、規定に則って検査の通告を行ない、その選手に付き添う役員。 ②試合前や入場する選手に付き添う人。少年少女が多く、「エスコートキッズ」と呼ばれる。観客、ファンとの親近感を促すとともに、選手は子どもたちを通じ、フェアプレーを誓う意味もある。


EUN

バルセロナ・オリンピック(1992年)で男子優勝、女子3位となった旧ソ連合同チームの略称。C.I.S参照。


ヨーロッパ・フェデレーションカップ

「フェデレーション」は第1回の1981年から91年までは国際ハンドボール連盟を指したが、92年からはヨーロッパハンドボール連盟をいい、この大会は2011-12年の第31回のあとウィナーズカップと合体、通称「EHFカップ」に変わった。

ヨーロッパ・チャンピオンズトロフィー

ヨーロッパ・クラブ選手権を2007年から改称したが、10年の大会を最後に男女とも休会になっている。

ヨーロッパ・ビーチハンドボール選手権

2000年から始められた代表チームによる国別選手権。2年にいちどの開催。08年からジュニア(18才以下)も始まった。

ヨーロッパ・ビーチツアー

2003年から始められたクラブによる国際転戦ツアー。原則として7月から翌年5月までの間、10ヵ国18会場(会場をステージと呼ぶ)以上で編成。各クラブは随意に参加。 ツアー(大会)ごとに順位によってポイントが与えられ通算ポイントで総合順位をつけ、上位クラブによって6月に「ヨーロッパビーチマスターズ」を行ないチャンピオンクラブ(男女)を決める。大会の略称「EBT」で親しまれている。 06年大会の女子優勝クラブ「コンテサ・ネラ」(クロアチア)に日本人愛好者・鴨原梨代(郡山女子高校OG)が加わっていた。

ヨーロッパ・チャレンジカップ

各国リーグ4位以下のクラブで争われるタイトル戦。94年シティカップの名で始まり、2000年から現在の名称に変更された。女子も同名の大会が行なわれている。

ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ

世界最強クラブ決定戦ともいえる各国有力クラブが目標とするビッグイベント。1956年(女子は60年)からフランスの国際的スポーツ紙「レキップ」の発案によって、ヨーロッパ・チャンピオンズクラブカップの名で始められ、各国リーグの優勝クラブのみに参加資格が与えられた。 90年代後半からマスコミが先行してチャンピオンズリーグと呼び、現在ではそれが正式名称になっている。 主催のヨーロッパ連盟は市場化路線を強め03年から参加資格を拡張すると同時に、前シーズンの実績で各国別にエントリー数を定めている。14~15シーズ ンは男子33クラブ、女子30クラブが出場。男子は33クラブから21クラブをシード、予選から勝ち進んだ3クラブを加えた24クラブを3段階でベスト フォーに絞り込み、5月にケルン(ドイツ)で「ファイナルフォー」の名で大観衆を集めての「最終決戦」となる。賞金総額は約300万ユーロ(14~15年)。女子は1、2回戦のあと16クラブ4組の2 次リーグと4クラブ2組のメインラウンドを行ないベスト4で決勝トーナメント。

ヨーロッパ・シティカップ

ヨーロッパチャレンジカップの前身。

ヨーロッパ・クラブ選手権

前年度のヨーロッパ・クラブカップス(後掲)のうち、原則としてチャンピオンズリーグウィナーズカップフェデレーションカップで優勝したクラブと開催地推せんクラブ(ワイルドカード)の4クラブで争う大会。女子は94年から、男子は96年から行なわれ、07年から「ヨーロッパ・チャンピオンズトロフィー」と改称。

ヨーロッパ・カップ・オブ・カップス

ヨーロッパ・ウィナーズカップに同じ。2011-12年の第37回をおもってフェデレーションカップと合体した。女子は引き続き行なわれている。

ヨーロッパ・ゴールデンクラブカップ

男子ヨーロッパチャンピオンズリーグとウィナーズカップの勝者によるタイトル戦。1979年から83年まで5回行なわれたがそのあと休会。92年復活したが1年で中断。96年に再開したが2005年のあと行なわれていない。通算16回。ヨーロッパスーパーカップと呼ばれた年もある。

ヨーロッパ・ジュニア選手権

各国ジュニア代表(男子は20才以下、女子は19才以下)による国別選手権。男女とも1996年から2年おきに開催。原則として世界ジュニア選手権の予選は別大会。

ヨーロッパ・マスターズ

男子35才以上、同45才以上、女子33才以上、同43才以上の選手によるクラブチームのタイトル戦。4カテゴリーとも03年から始められた。毎年開催。


ヨーロッパ・オリンピックユースフェスティバル

1991年から2年おきにジュニア世代を対象とした国際総合競技大会。ハンドボールなど11競技が正式競技とされ8~10ヵ国の参加に制限されて開かれる。英文の略称、略記はEOYF。

ヨーロッパ・プロリーグ協会

2009年3月、サン・ジョアン・デスビ(スペイン)で結成されたヨーロッパ各国のプロリーグを集めた組織。発足時の参 加リーグはドイツ、デンマーク、スペイン、フランスの4ヵ国。国際大会の日程調整、選手の補償などの課題を協調して解決するのが主な目的。英文略称は EPHLA。初代会長はレイネル・ヴィット氏(ドイツリーグ)。


ヨーロッパ・ハンドボール連盟

Europa Handball Federation。ハンドボールの伝統を誇る最強ゾーンでありながら発足は1991年11月17日と遅い。国際ハンドボール連盟が ヨーロッパ連盟そのものだったからだという痛烈な指摘もある。現在は両者の間に“微妙な一線”が引かれ、抵抗勢力視されてきた。加盟国数は52(2014 年1月)。競技力では圧倒的なものがありワールドタイトルはつねにヨーロッパ勢で争っているといっていい。(ヨーロッパ以外の制覇は韓国女子の88、92 年のオリンピック、93年の世界女子選手権と、ブラジルの2013年世界女子選手権、エジプトの93年世界男子ジュニア選手権以外にはない)。加盟各国スポーツ界でハンドボールへの関心は高く、その“人気”を背景に事業力も充実している。会長はジャ ン・ブリアウル(フランス)、事務総長はミヒャエル・ビデラー(オーストリア)。「プロリーグ委員会」も設けられている。英文の略称、略記はEHF

ヨーロッパ選手権 EURO

男女国別代表によるビッグトーナメント。世界選手権に比肩する質を誇る。1994年から2年おきに予選を通過した16ヵ国(当初は12ヵ国)で争われる。格と 規模は小さいが「ヨーロッパネーションカップ(男女)」と呼ばれる新たな国別代表の大会が不定期ながら行なわれた時期がある。

ヨーロッパ・ユニバーシティ

大学対抗のハンドボールは日本、韓国など限られた国と思われるが、ヨーロッパでも06年から「ヨーロピアン・ユニバーシティチャンピオンシップ」 (EUC)が行なわれ、13年の第7回大会はポーランドに男子8、女子10大学を集めた。日本のように大学にハンドボールチームが“常設”されているケー スは少なく、在学生で大会のために編成されていて参加する。選手の多くは日ごろクラブで活動している。

ヨーロッパ・ウィナーズカップ

各国カップ戦の勝者によるタイトル戦。男子は1975年から行なわれていたが、2012-13シーズンからフェデレーションカップと合体。76年から行なわれている女子はそのまま続いている。

ヨーロッパ・ユース選手権

各大陸に先がけて1992年に始められた大会。2年おき開催。男子は18才以下、女子は17才以下。世界ユース選手権の予選は別に行なわれることが多い。

ヨーロピアンゲームズ

総合競技大会が行なわれなかったヨーロッパで2015年から4年ごとに開催が計画されている大会。12年12月、ヨーロッパ・オリンピック委員会が発表したもので第1回はバクー(アゼルバイジャン)を開催地に18競技が予定され、ハンドボールは実施競技からはずれた。

イベント event

ハンドボール界が企画する競技会。試合以外の行事、催しを指すことも多い。ついでながら小社の通称でも…。


エクスクラッション exclusions

追放に同じ

エグゼクティブミーティング exective meeting

国際ハンドボール連盟の会長、第1副会長、事務総長(専務理事)、財務、理事会代表の5人による会議。2011年から理事会(カウンシル)を縮小し、この会議が運営の主体となっている。

エキシビションゲーム exihibition game

タイトルをかけずハンドボールを普及するために行なう模範試合、有力チームが慈善事業、記念事業などに協賛して行なう試合、過去の有名選手による試合などを指す。友好カラーが濃く試合時間は規則にしばられない。

エキストラタイム extratime

規定の試合時間内で同点のため決着がつかず延長して行なう時間。延長は前・後半各5分、それでも同点の場合は第2延長を同じ形式で行なう。国内ではかつて引き分けや抽せんを嫌い、規則に定められぬ第3延長にもつれこむこともあった。延長戦に同じ。

アイコンタクト eye-contact

味方選手同士が目くばせで次のプレーを展開すること。あるいは、味方の選手の目の動きから次のプレーを読み、自らも動くこと。2人のレフェリーがポジションの入れ替わりなどでも交わす。

フェイスガード faceguard

フェンシング用語の顔当て、面をいうが、ハンドボールでは顔面を負傷、あるいは保護しなければならない状態の選手にレフェリーが検査して材質など競技進行に「危険が及ばない」と判断すれば顔全体を覆う以外は着用が認められる。

フェアプレー fairplay

「スポーツの理念」。スポーツ、ハンドボールを愛好する者が持ち合わすべき基本的な精神。
ルールを守り、チームメイトを信頼し相手チームやレフェリーを尊重することにあり、すべての人が“スポーツの仲間”であると敬愛する姿勢。

フェアプレー賞

大会を通して警告、退場、失格、追放をポイント化し集計、もっとも少ないチームに贈られる賞。最近では被7mスローも対象とする大会がある。カップやトロフィーなどが贈られるケースと発表だけですまされるケースがある。世界選手権では1967年の第6回男子からカップを制定。日本リーグでは90~91年の第15回大会から表彰している。個人賞もヨーロッパの各国リーグで設けられはじめた。

フェイク fake

相手を惑わすプレー、相手の意表をつくプレー、相手を「だます」プレーなどの“総称”。

フェイクパスモーション

パスの送りさきを見破られないように幻惑する動作。

フェイクスロー

パスすると見せて実際には投げないプレー。シュートすると思わせ実際にはほかの選手が投げるプレー。ゴール前フリースローで2人がフェイクし、シューターへのマークを惑わすプレーが代表的。

ファルル Babacar Fall(故人)

ババカール・ファルル。アフリカ大陸のハンドボールの基礎を築いた功労者。セネガルでサッカー選手として鳴らしたあと1960年代から同国とアフリカのハンドボール普及に力をつくし、92年から国際ハンドボール連盟副会長。就任1年後の93年に他界。94年から同氏を記念したアフリカンクラブスーパーカップが行なわれている。

ファンクラブ

ヨーロッパの各国有力クラブで組織されている。不特定多数のサポーターとは異なりメンバーシップ(会員制)で運営される。クラブの会員ではないがチームのファンという新しい流れも生まれている。

フェアウェルパーティ farewell party

国際大会などで全試合終了後に行なわれる「サヨナラパーティ」。互いの健闘を讃え再会を約すことが目的。開幕前の招待行事は「ウェルカムパーティー」「スローオフパーティー」。

ファストブレーク fastbreak

速攻に同じ。

FB

フルバック(11人制)の英文略記、略称。

FCバルセロナ

クラブ名のFはフットボール(=サッカー)。1899年創立、スペイン・カタルーニャ地方のシンボル的存在の名門クラブ。ハンドボール部門は1930~50年代11人制で活動、室内競技に変わった60年代から充実し、68年スペインリーグ初優勝。80年代に入ってプロ化し国境を越えた選手補強で話題となった。87~91年の国内リーグ5連覇で黄金時代を迎え、95~00年のヨーロッパチャンピオンズリーグ5連覇によって“世界最強クラブ”の定評を得た。ソシオと呼ばれる市民会員16万人がクラブの経営・運営を担っているのも有名だ。ホームの「パラウ・ブラウグラナ」は7235人収容のクラブ所有のアリーナ。ヨーロッパチャンピオンズリーグ8回、国内リーグ21回の優勝を誇る(14年9月現在)。

フェイント feint

フェイクにほぼ同じだが、一般的にはフェイクの効果をあげるためのフットワークを指すことが多い。見せかけ、擬態と訳される。
「フェイントが切れる」は鋭いフットワークとボディコントロールの良さを表わす言葉。

フィールドハンドボール

一般的に11人制。屋外で行なう7人制はフィールドと呼ばずオールウェザーコート(全天候型)、クレイコートグラスコート、ローンコートなどコートの表面材質を示して呼ぶことが多い。

フィールドゴール field goal

7mスローによる得点以外のすべての得点を指す。GKがゴールエリアから投げこんだ得点も同じ。

フィールドプレイヤー

GK以外のプレイヤー。11人制では10人、7人制では6人、ビーチでは3人。7人制とビーチではコートプレイヤーに同じ。記録での略記はFP。

ファイナル final

最後の、最終の意から決勝戦をいう。

ファイナルデー

最終日。

ファイナル・フォー Final four

おもにイベントとして独立して行なわれる準決勝・決勝を指す。「4強集結」「4強戦」などと訳される。
2010年5月、ヨーロッパ連盟が男子チャンピオンズリーグで伝統のホーム・アンド・アウェイ方式を廃めてケルンアリーナ(ドイツ)に4強(=ベストフォー)を集め、2日間で4万人近いファンが詰めかける盛況となり、それ以降、ヨーロッパスポーツ界有数のビッグイベントの数えられている。日本リーグのプレーオフはレギュラーシーズンとは別の「ファイナル・フォー」形式ではなく「スーパーファイナル」形式である。

ファイナリスト finalist

決勝戦に進出した両チーム及びその選手。

ファイナルスタンディング Final standings

最終順位表。

ファーストハーフ first half

前半のこと。通常30分間(成年)。

ファーストセット

ビーチハンドボールでの第1セット。10分間

F.I.S.U

国際大学スポーツ連合のフランス語略称、略記。

フローター floater

一般的にはフリースローラインより下がって(後方に)自在な動きをとるコートプレイヤー。ゴールから遠いポジションでシュート力の高いプレイヤーが多い。パワーヒッターロングシューター

フロア floor

コートを示す室内施設の床。木材、セメント材、硬質ゴム材など。マット型の新素材も次々に開発されている。

フリューアレス・マッチ fluo-resce match

fluo-resce match。場内の照明をすべて消し蛍光を発するボール、ゴール、ラインを使って行なう余興的なハンドボール。両チーム選手、レフェリ―のユニフォームも蛍光色で2014年3月フランスで「HAND Fluo」と名づけられ初めて行なわれ、そのあと大会(1チーム10人、試合時間10分)も開かれている。

フォロー follow

あとから追って行くの意。次のプレーを予測し、攻撃面ではボールを受け易い位置へ動くこと、防御面ではバックアップカバーとほぼ同意。

フットワーク foot-work

足の運び、足さばき。防御ではもっとも重要な基礎技術とされる。

フォーメーション formation

あらかじめチーム内に約束された攻防両面での陣形とそれにともなう動き。

フォーラム・クラブハンドボール forum club HANDBALL

2011年10月、ケルン(ドイツ)で結成されたヨーロッパの有力クラブによる協議会。2014年現在72クラブがメンバー。前身は「グループクラブハンドボール」。

ファウル foul

不正な、悪いなどの意から反則をいう。

FP

フィールドプレイヤーの略称、略記。

フランス France

1925年初めて学校体育で採用され(11人制)たが、競技スポーツとしての発展は遅く、初の国際試合は35年のルクセンブルグ戦。そのあと戦火で活動が鈍り、世界選手権に参加したのは50年が初。70年パリに同選手権を招致、活性化を狙ったが12位。国内ではほかの球技、ヨーロッパハンドボール界にあってはトップゾーンと水を開けられるばかりだった。
85年、代表監督にダニエル・コスタンティーニを迎えて突然のように改革が進み、翌年同Cグループで優勝したのを狼煙(のろし)に90年代に入って優れた素材を全国から発掘、92年バルセロナオリンピック3位、95年世界選手権で初優勝、2001年地元での大会で2度目の世界制覇を遂げ、最強国の列に名を連ねた。コスタンティーニは01年勇退。クラウデ・オネスタ監督の下、08年北京オリンピックから、09年と11年の世界選手権、12年のロンドン・オリンピックまで「4連覇」の快挙を成し遂げた。15年5度目の世界選手権優勝を飾った。
女子も実力をつけ07年12月、世界選手権を開いた。国内愛好者も急増し13年7月、50万人ラインを突破した。男子代表が83年、97年(熊本世界選手権)、02年、女子代表が90年来日している。

フランコフォニ・ゲームズ Francophone games

1989年モロッコで始まったフランス語圏国際競技大会。英語圏のコモンウェールスゲームスに対比される。2001年カナダでの第4回大会は50ヵ国が参加した。3~5年おきに開かれ、ハンドボールは94年フランスでの第2回大会と05年ナイジェリアの第5回大会で採用されたが、そのあとは行なわれていない。17年、コートジボワール(アイボリーコースト)での第8回大会での実施も未定。

フリー

①防御のマークがはずれ、攻撃側の動きを自由にしてしまいピンチを招くこと、招きかけること。
②所属チームの決まっていない有力選手。

フリースロー free throw

相手の反則で得るスローだが、理念的には「競技再開のスロー」。スローする選手から防御側は3m以上離れなければならない。この投球からの得点も認められる。スローの時、片足の一部を必ず最後までコートに着けていなければならない。

フリースローライン

ゴールエリアライン周辺での反則で得たフリースローは、このラインの後方から行なう。「9mライン」とも呼ぶ。
ラインはゴールの前方9mの距離にゴールラインと平行に長さ3mのラインを引き、引きつづきゴールポストの後面の内側を基準として9mの半径で4分の1円弧を引く。15㎝間隔の点線でゴールエリアラインと平行に引かれなければならい。

フロントコート front-court

センターラインによって二分されたコートの攻撃側にとって前半のゾーン。つまり攻め込む区域。後方の自陣はバックコート

藤井寺競技場

1950年夏、初の全日本高校選手権が開かれた大阪市藤井寺(現・藤井寺市)の競技場。11人制で野球場を含め3面がとれる大会場だった。当時のプログラムには「大阪藤井寺ハンドボール競技場」とある。このあと56年まで隔年で4回同選手権の会場となり、日本ハンドボール界発展期に大きな思い出と足跡を残す競技場となった。

福井県協会

1960年5月設立。68年の福井国体を控えてそれまでなじみの薄かったハンドボールの普及と強化の期待を担ってのものだった。高校男女の活気とともに県内での関心も高まり、70年代以降現在に至る活気の基盤が整えられた。近年は中学、高校界の好素材輩出で注目を集めている。

福岡県協会

1948年5月設立。5ヵ月後の福岡国体が関係者の意欲を高まらせ、50年代以降は高校男女を軸に国内有数のトップゾーンとして成長した。県内における国際試合の開催、国際レベルの選手育成と併せて、九州球界の発展にも大きな力を示してきた。

「福岡オリンピック」構想

福岡市は2016年の夏季オリンピック招致へ乗り出し日本オリンピック委員会への開催概要計画書を提出。同年の招致には東京都も名乗りをあげ、1都市にしぼるため、06年8月、日本オリンピック委員会委員などの投票の結果、22-33で及ばなかった。計画書によれば、ハンドボール(男女)は市内中央区に設けられず施設集積エリア「メインクラスター」内の特設パビリオン(収容力10000人)を会場に同年7月23日から8月7日までが予定されていた。

福島県協会

1948年6月設立。中学、高校、大学、社会人など各層で堅実な普及を遂げ、国際レベルの選手も多く生んでいる。2巡目国体の会場地となった本宮町がそのあと東日本クラブ大会の開催(運営)を継続させるなど、新しい時代への取り組みもめだつものがある。

復審制

1969年から国際的に採用されたレフェリーの制度。それまでは1人が捌く主審制だったが、攻防の高度化、高速化、選手の大型化で67年からの試験採用のあと踏み切った。2人の動きは5分間を目安にサイドを交代するとされ、判定に食いちがいが生じた場合は“重い判定”を採用する。11人制時代は主審制で、ゴール脇に得点の成否を判定するジャッジ(門審と呼ばれた)が配置されていた。主審制は単審制とも呼ぶ。

フルバック fullbacks

11人制の最終防御陣2人を指す。大型選手を配すのが一般的とされた。7人制初期も2人をこのポジションにつけたがすぐに6人攻撃、6人守備となった。

フル代表

フル(full)=完全な、最高に達したなどの意から、協会、チーム(クラブ)などの中で最上位となる代表チーム。一般的にはナショナルチーム。多数のメンバーを抱えたチームの「1軍」を指すこともある。

フルエントリー

エントリーが可能なかぎりすべてに参加を申し込むこと。あるいは申し込まれること。規定された全種別の予選に勝ち抜いて本大会すべてに出場権を得て参加すること。

フルタイム

規定の試合時間を終了したこと、あるいは、全試合時間に出場し競技したこと。

フルタイムプレイヤー

①日常時間のすべてをハンドボールの練習、競技などに費やせる環境の選手。代表的な例は旧ソ連、旧東ドイツ、ルーマニアなど東ヨーロッパ全盛期における各国の選手。
プロフェッショナルプレイヤー

ファンブル fumble

ボールをキャッチ、あるいは止めようとしてつかみ損なうこと。違反とはならない。

「ふるさと選手」制度

日本体育協会国民体育大会の参加資格に特設している制度。同大会の成年の部(男・女)には居住(現住)地または勤務先所在地の都道府県から参加が認められているが、その選手が卒業した中学校または高等学校の所在地へ戻って参加できるようにするというもの。2005年から導入された。

不正交代

競技中、プレイヤーの自在な交代はハンドボールの妙味だが、「交代しようとするプレイヤー」がコートから出る前に交代プレイヤーが入ることや交代ラインを通らずに交代地域へ戻ることは不正とされる。「交代プレイヤー」が交代ラインを通らずコートに入ることも不正である。不正交代した地点から相手チームのフリースローで競技は再開される。

不正入場

2分間退場のプレイヤーが退場時間の終了前にコートへ入ることや、コートに入場できない状態にあるプレイヤーが入場してしまった場合は不正(反則)となる。後者は交代に手間どり、コート上の自軍選手数が7人以上になってしまうケースで多く生じる。

G14

ヨーロッパの14の超有力サッカークラブが国境を越え、事業の促進などを図るため2002年に組織された。現在はその数が24に増えているが、この動きは、ほかのチームスポーツ(球技)にも波及、特にハンドボールはドイツ、スペインなどの有力クラブが、その名称も同じ「G14」とし、2006年11月、デュッセルドルフ(ドイツ)で組織化。07年秋から「グループ・クラブハンドボール=GCH」と名乗り、現在の「ヨーロピアンプロふぇっ主なるハンドボールリーグ協会(EPHLA)に発展している。クラブの財政基盤強化を最優先とする主張は、各国協会や代表チーム担当者、ヨーロッパハンドボール連盟などを揺さぶっている。

外部指導者

中学や高校がハンドボール部の活動のため、外部から迎える指導者とその制度。80年代までは、指導者は自校の教職員に限られていたが、少子化などで、その数が減少、生徒のニーズに応えることや、部活動を継続するために導入された。原則として学校長の委嘱を必要とするが、適任者がプールされ、学校側の要望に応じて派遣する方式や、巡回型の担当など各地で新しい試みが採られている。指導者はその学校の卒業生(OB、OG)のほか、近隣に居住する経験者など多彩だ。日本ハンドボール協会は企業チームや大学チームが、所在地周辺で“外部指導”の活動を積極化するシステムを検討している。

外国人選手

日本に居住する外国籍愛好者・競技者を指す。日本ハンドボール協会は、38年設立以来、「外国人選手」の国内における活動(登録・大会参加など)を制限していない。ただし、大会によってはエントリーやコート上で競技する人数を規定する場合がある。原則として日本の中学校・高等学校を卒業した人は「外国籍」の扱いをしない。
国際試合(大会)への参加は、国際及び日本オリンピック委員会国際ハンドボール連盟の規程が優先され、日本代表チームでの活動は日本国籍を持つ人に限られる。
国際ハンドボール連盟はクラブの大会は、主催機関の規程を尊重。
国内では、日本ハンドボールリーグは「試合エントリー数は2名以内」とし2007~08年シーズンから「コート上1名」と規制。国民体育大会は、日本体育協会が特別の規定(参加資格)を設けている。

学校体育

学校教育活動の一環として行なわれる「体育活動」。必修教科時の体育と、いわゆる部活動、学校行事での体育イベントなどを指す。
ハンドボールは必修教科の“ボール運動”、“球技”として評価され、日本ハンドボール協会は「小学校教材」としての拡がりを重点施策に据えている。
部活動では、特に高校で親しまれ、日本ハンドボール界の愛好者人口はつねに60%以上が教育現場を基盤とした高校生とそのチームである。

ガーラ gala

祝祭の意から転じてイベント色の濃いスポーツ大会。ガラ、ギャラともいわれる。ヨーロッパでは「ハンドボールガーラ」の企画は多く、チャリティ目的のオールスターゲームなどが開かれる。日本では97年6月3日、熊本世界選手権の上位3チームと日本によって東京・駒沢で「ワールドドリームゲーム」が行なわれている。

ゲームメーク、ゲームメーカー

試合の流れ(戦況)を的確に判断して攻守を展開すること。その中心となる選手。最近は「コントローラー」(司令塔)と呼ぶヨーロッパのマスコミも多い。

蒲生晴明(がもう・せいめい)

日本が生んだ国際レベルの名選手。73年大学1年で全日本入り。当時192㎝、92㎏は“超大型”。3回(モスクワを含む)のオリンピック代表のほか、世界選手権、アジア選手権各3回、アジア大会、世界学生選手権各1回の代表として活躍。「ガモ」の名で本場ヨーロッパ球界でも注目のオールラウンダーだった。中大付属高-中大-大同特殊鋼で、つねにそのレベルの攻撃記録の最高数を樹立。日本のハンドボール選手として国内で最も知名度の高かった選手だ。全日本監督を務めたあと、現在は日本オリンピック委員会競技者育成プログラム構築プロジェクト中央班チーフなどをつとめ、2013年から同委員会理事。日本ハンドボール協会では国際担当常務理事。テレビ解説の上手さにも定評がある。1954年4月東京生まれ、中部大学教授。

「がんばれ20万人会」

日本ハンドボール協会が1999年4月に設立した協賛支援活動の全国組織。前身は「日本ハンドボール協会賛助会」(1983年~92年)。一般ファン、OB、OGなどを会員とするサポート会と日本協会に登録している愛好者、競技者、審判員などを会員とする2つのパートがある。総計10万人を目標としていたが、2007年3月、そのラインを越え、会名を「がんばれ20万人会」に改めた。会の名称どおり本来の主旨はサポート会員の拡充にあり、ファミリー、ジュニア、都道府県グループなどの種別を設けている。

ゼネラルマネージャー general manager

近年にわかに必要性が説かれているクラブ(チーム)運営の統括責任者。従来の運営型から経営型が期待され、日本ハンドボールリーグ機構が養成に取り組んでいる。

減算式時計

競技時間を示す時計で30分から発進、1秒ずつ減ってゼロに近づくもの。対比は加算式

ゼスチュア gesture

審判員の身ぶり、手ぶり。
フリースロースローインの判定後、その方向を示す。
警告退場追放など罰則を示す。
③反則の判定の“理由”の説明。
④得点。
⑤タイムアウトなどに分けられ、観客やテレビの視聴者にとっても有用とされる。ゼスチュアはレフェリーが立ち止まって行なうことが指示されており、走りながら、歩きながらは行なわない。ハンドシグナルも同じ意。

岐阜県協会

1949年11月設立。社会人クラブが先導的な役割を果たす異色のスタートで、その後、高校界の充実をみた。「市民系」の伝統は実業団、クラブの熱い展開に受け継がれている。

義務出場枠

国際ハンドボール連盟が世界選手権の参加を自動的に大陸別に割り振った数をいう。最近は固定出場枠と呼ばれることが多い。コンパルソリープレースに同じ。

GK

ゴールキーパーの略称、略記。

グローバル・レフェリートレーニングプログラム

国際ハンドボール連盟が若手の国際レフェリーを養成するため06年から始めたコース。第1期生の池渕智一・檜崎潔ペア(日本)は第1回世界女子ユース選手権(06年8月・カナダ)に抜てきされた。2013年後期アジアコースが11月に福岡で行なわれている。GRTPと略称される。

5:1ディフェンス

標準的な防御(ディフェンス)システムの1つ。6人のCPのうち1人が前へ出て(=トップディフェンス)、相手のロングシュートを防ぐ。後陣の5人との間隔をタイトにし中央部の壁に厚みをつける。ディフェンスのシステムはGKに近い人数をさきに呼ぶ。

ゴール goal

得点のこと。②両アウターゴールラインの中央に据えられた高さ2m、幅3m(内のり)の「門」。固定されることが望ましい。2本のゴールポストを水平なクロスバーで連結し、対照的な2色で塗られる。国内では赤と白が多い。ボールがゴールを通過したあと、そのまま留まるようにゴールネットが張られる。ビーチ競技のゴールも同じサイズ。11人制のゴールは高さ2.44m、幅7.32m。③最終目標。

ゴールエリアライン

ゴールの正面6m地点に引いた長さ3mの直線とゴールポストの後部内側の角を中心として引かれた半径6mの円弧でアウターゴールラインと結ばれた線。このラインを越すとラインクロスの反則となる。例外はゴールエリアの項を参照。

ゴールエリア

ハンドボールでもっとも特徴的なエリア(地域、区域)。この外側から打たれたシュートでなければ得点とならない。エリアの“上空”からのシュートは認められる。ゴールエリアラインで境界が示された平面をいい、GKだけが入ることができる。コート上に2ヶ所ある。CPがボールを持たずに入った場合、プレーしたあとに入った場合は自チームに有利とならず、相手の動きに不利とならなければ違反にならない。防御側のCPが入った場合も相手に不利とならなければ反則とされない。味方のCPからエリア内のGKにボールがパスされた場合は相手のフリースロー。
最近は華やかさを浮き出すためフロアとは異なった色で塗り分けられる工夫がされている。

ゴールディファレンス goal difference

ディファレンスは「違い」の意。チーム相互の得失点差をいう。同じ勝点、同じ勝利数など規定では順位などが決められない場合に適用される。全試合の総得点と総失点の差、関係するチーム間の得失点差などの方法がある。

ゴールゲッター goalgetter

得点力に優れた選手。シュートに決定力のある選手。ストライカーとも呼ばれる。同意に使われるポイントゲッターは和製英語。

ゴーリー goalie

ゴールキーパー(GK)に同じ。

ゴールイン

①規則に違反せずボールがゴールを完全に通過し得点が与えられること。
②チームや選手の最終目標が達成された場合の表現にも用いられる。

ゴールジャッジ

11人制でそれぞれのゴール近くのラインの外側に立ちゴールの成否、ラインクロスの判定などレフェリーを補佐した審判員。門審と訳される。

ゴールキーパー

ゴールエリアのなかで、攻撃側のシュートを阻止するプレイヤー。足を含め身体のあらゆる部分でボールに触れることができる。両チームのCPや相手のGKと判別できる色のユニフォームを着用しなければならない。ゴールエリアを出てプレーに参加できるが、その場合はCPの規則が適用される。略称、略記はGK。ゴーリー、ゴールの見張人という意味でゴールテンダーと呼ばれることもある。

ゴールキーパーライン

ゴールラインから4mの地点に引いた長さ15㎝のライン(マーク)。GKは7mスローを防御する時、このラインより前には出られない。

ゴールキーパースロー

GKがゴールエリアから行なうスロー。相手チームのプレイヤーが最後に触れたボールがアウターゴールラインあるいはゴールの上を通過した時、エリア内でGKがボールをコントロール(制御)した時に行なわれる。一般的に「キーパースロー」と呼ばれる。

ゴールライン

ゴールポスト間の長さ3m、幅8㎝のライン。このラインをボール全体が完全に通過しなければ得点と認められない。

ゴールネット

ゴールされたボールがそのまま留まるように張られる網。材質に金網が使われたり、網の変わりに木材を張ることは禁じられる。

ゴールポスト

垂直に立てられたゴールを支える高さ2mの2本の柱。門柱。

ゴールレフェリー

2人のレフェリーのうち、アウターゴールラインの外側から得点の認定や、ゴールエリアへの侵入管理をつとめるレフェリー。もう1人のレフェリーはコートレフェリーで両者は競技中、互いに“立場”(サイド)を交代しあう。そのタイミングは時間を目安とし、得点や7mスロータイムアウトなどプレーが止まっている時が望ましいとされる。

ゴールスコアラー

得点を記録した選手、得点者。

ゴールテンダー goal tender

ゴールキーパー(GK)に同じ。英語圏で多い表現。

ゴールカメラ

goal cameras。ボールがゴールポスト、ゴールバーを完全に通過し得点となったか微妙なケースの判定のためにゴール(バー)に取り付けられた小型カメラ。2012年フランスでのヨーロッパカップで試用、15年カタールでの第24回世界男子選手権、デンマークでの第22回世界女子選手権でも設置されたが、経費がかさみ、義務づけられるまでには至っていない。

5大都市体育大会

1950年から2003年まで横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の各市が参加して開かれた総合競技大会。ハンドボールは男子が63年、女子が81年から実施されたが、各市の財政事情で休会となった。ハンドボールの優勝回数は名古屋が男11、女17、京都が男15、女4、大阪が男5、女1、横浜が男3、女0、神戸が男6、女0だった。04年から「都市間スポーツ交流大会」として行なわれている。

ゴールデンリーグ

2012年秋、デンマーク、フランス、ノルウェーの3協会が結んだ代表チームによる新型の国際定期戦。毎シーズン(秋~冬)各国で1シリーズずつを受け持ち、そのたびび外国チームをゲストに迎えるのが特色。12~13年は女子のみ、13~14年は男女、14~15年は女子のみ行なわれ、13~14年の男子のフランスシリーズにカタールが招かれ、話題となった。

グッドウィルゲームズ

国際総合競技大会の1つ。モスクワ、ロサンゼルス両オリンピックでボイコットする国が見られたことで、アメリカ、ソ連(当時)のスポーツ関係者が会談。アメリカの民間衛星テレビ局によって政治を超えた大会として1986年モスクワで第1回が行なわれ、そのあと4年ごとに両国の都市を会場に開かれた。ハンドボールは86年、90年シアトル、94年サンクトベルグの第3回まで実施され、日本も86年女子、90年男子の全日本が出場した。98年ニューヨークでの第4回大会からハンドボールは実施されていない。ソ連の崩壊もあり現在は休会。

後藤 登(ごとう・のぼる)

日本の代表的な国際公認レフェリー。82年、当時の国際Aライセンスを取得、87年、千野恒夫とのペアで第5回世界女子選手権Bグループを担当。92年バルセロナオリンピックに島田房二(故人)とのペアで日本人初の「オリンピックレフェリー」となった。このあと97年、清水宣雄とのペアで第15回世界選手権(熊本)。現在は国際ハンドボール連盟規則・審判員委員会のレクチュアラーとインストラクターをつとめる。50年5月東京生まれ。

グランドスラム grand slam

トランプの圧倒的な勝ちぶりから転じ、そのシーズンのあらゆる大きな大会の優勝を独占する意味。日本では「4冠王」などと称賛される。

グラスコート grass court

芝生(grass)にコートを設けて行なう屋外7人制。ローンコート(lawn)に同じ。ヨーロッパの夏のトーナメントに多い。屋外7人制はこのほか、クレー、ハードなどのコートで行なわれるが、7人制の主流はインドア(屋内)である。

グリーンカード

チームタイムアウトを要望する場合、チーム役員がオフィシャル席に置くカード。約15㎝×20㎝の緑色のためこう呼ばれる。両面に「T」と表示されている。

グラウンド ground

11人制ハンドボールの会場、施設の名称などを指す。

グラウンドハンドボール

11人制ハンドボール、フィールドハンドボールに同じ。屋外7人制はこのように呼ばない。

グループ・クラブハンドボール

前掲の「G14」がさらに発展し「G18」を経て2007年秋から10ヵ国の男子24クラブによって組織されたグループ。グラブの出入りは激しく2012年は18クラブの加盟。「フォーラムクラブハンドボール」の前身といえる。英文の略称、略記はGCH。

グループ戦

大会で参加チームを複数のグループに分けてそれぞれ試合を行なうその段階の名称。各グループの上位チームが改めて順位決定などを行なう。グループ戦は総当たりと決まっているわけではない。世界選手権は参加24ヶ国を4組に分けてグループ戦、そのあと3位までの12ヵ国をさらに2組に分けて第2次のグループ戦、決勝トーナメント進出の4ヵ国を決める。日本でも全国小学生大会など採用する大会が増えている。

GRTP

グローバル・レフェリー・トレーニングプログラムの略。

ゲストチーム

他地域から乗りこんできたチーム、あるいは招待したチーム。ヨーロッパの試合場のスコアボードは常時「ホーム」「ゲスト」(あるいは「ビジター」)と表示されていることが多い。

ガイドライン guide line

日本ハンドボール協会などが示す将来の施策の指針、指導の目標。

グンマースバッハ VfL Gummersbach

20世紀ヨーロッパ最高の人気と実力を誇ったドイツの強豪クラブ。同国西部の小都市で1861年設立され、地域住民とともに歩んできた。ハンドボール部門が頭角を現わしたのは1960年代で66年ドイツリーグで初優勝、通算12回優勝。ヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝5回。90年代財政難に見舞われたがホームタウンを離れた大ホールの興行を復活させ立ち直った。13年8月、新しいホールが完成した(収容力4078人)。韓国の巨砲・尹京信が2006年までホームクラブとしていた。71年に来日、日本にもファンが多い。

群馬県協会

1948年1月設立。高校界を主体に発展、そのOB、OGが社会人チームを結成して歩んできた。60年、ルーマニアと全群馬の一戦は“最初の10年”の集大成だった。

軍隊スポーツワールドゲームズ

国際軍隊スポーツ連盟が第1回を1995年にローマで開いた軍隊チームによる4年にいちどの国際総合競技大会。15~20競技が行なわれる。ハンドボールは2007年インドでの第4回で初採用されたが、第5回(11年、ブラジル)では見送られ、第6回(15年)は韓国・聞慶市で予定され、ハンドボールも“復活”した。

逆スピンシュート

ボールに意識的にシュート回転あるいは横回転をかけてフロアにはずませてゴールを狙う技術。ボールの跳ね返りの変化でシュートの角度が広がる。スピン(spin)。

8分の1ファイナル

1/8final。勝ち抜き戦でベスト16による8試合を示す。エイトファイナルに同じ。

ハッキング hacking

反則の1つ。相手をたたくこと、打つこと。

廃(休)会・廃(休)部・廃(休)刊の記録

【廃・休会した主な全国大会(戦前を除く)】
旧制高校選手権 ・全日本総合室内選手権 ・東西(全日本)学生王座決定戦 ・全自衛隊選手権 ・国体教職員の部 ・国体高校の部 ・全日本教職員選手権 ・全日本実業団選手権(=全日本社会人選手権と改称)・各種別東西対抗。(注・国体一般の部は改称して存続)
【廃・休部した男子日本リーグ1部チーム】
・ホンダ(Honda)・ホンダ熊本・三菱レイヨン大竹 ・日新製鋼 ・三陽商会 
【廃・休部した主な女子実業団チーム】
・愛知紡績 ・ブラザー工業 ・大和銀行 ・揖斐川電工 ・日立栃木 ・ジャスコ ・三菱鉛筆 ・日本ビクター ・扇屋 ・大崎電気工業 ・レナウン(東京、大阪) ・大洋デパート ・田村紡績 ・大洋紡績 ・立山アルミ ・東京重機工業 ・ムネカタ(東北ムネカタ) ・和歌山県商工信用組合
【廃・休刊したハンドボール商業誌】
・「ハンドボーラー」83年1月~84年8月(大阪、スポーツグラフィック社)
・「ハンドボールマガジン」84年5月~85年4月(東京、ベースボールマガジン社)

敗者復活戦

勝ち抜き戦で1回敗れたチームに、もう1回、試合のチャンスを与える方法。

敗者慰安試合

敗れたチームだけを集めて別の組み合わせを編成する試合(=コンソレーションマッチ)。予選を突破できなかったチームで順位決定を争う場合をコンソレーションラウンドと呼ぶ場合もある。

ハーフバック(ス)

11人制でフォワードとフルバックの中間をつとめるポジションで、通常3人が当たった。中衛と訳された。7人制でも同様のポジション1人をハーフバックと呼んだ時期がある。現在はほとんど使われないポジションであり用語。

ハーフコート

センターラインで区切られたどちらかの半分のコート。

ハーフタイム

競技の前半と後半の間の休憩時間を指し10分間が標準。大会によって15分間となる。この間に両チームが選手席を入れ替える。選手はこの時間更衣室に戻ってもよい。

ハーフタイムショー

主催者が観客のためにハーフタイムの時間を利用して行なう催し。ハーフタイムプログラムともいう。

ホール hall

室内ハンドボール会場。観客席1500程度のボールホール(球技場)と呼ばれる施設がヨーロッパには多い。

浜田 浩和(はまだ・ひろかず)

2003年12月の第16回世界女子選手権(クロアチア)で日本人初のレフェリーに指名された。94年2月国際ハンドボール連盟の国際A級ライセンスを取得。62年生まれ。パートナーは小笠原久郎

花畑 平男(故人)

1957年プラハ(チェコスロバキア、当時)で開かれた国際ハンドボール連盟第6回国際審判員コース(講習会)に参加。コース終了後の審査に合格して日本人初の国際審判員資格を取得した人。52年大阪市立大学監督を務めている。97年他界。

ハンドボール~呼称~

「HANDBALL」は“つづり”こそ同じでもドイツでは「ハンバル」など国によって発音が異なる。民族スポーツとしての名称を引き継ぐチェコやスロバキアの「ハゼナ」(hazanaあるいはhadzena)、手でボールを操るの意味での中国や台湾の「手球」、スペイン語の「バロンマーノ」、などがある。日本では英語(外来語)禁止時代「送球」と呼ばれた。アメリカでは「チーム・ハンドボール」、カナダやオーストラリアでは「オリンピック・ハンドボール」とされる。これらの国には壁に小さなボールを掌で打ち合うスポーツ「ウォールハンドボール」があるからだ。主な呼称とスペル(spell)はHandball、Hadzana、Handebol、Handbol、Haandbold、handbolt、Hentbol、Gandbol、Andebol、Balon a mano、Kezilabda、Rucni-Mjac、Rukomet、Rankino、Kasipall Olitto、Pilka-Reczney、Pallamano、Rucnaja topka。

ハンドボール~その歩み①~

【起源古代エジプトの壁画にみられる“手球戯”や「ウラニア・ゲームズ」での球技など諸説があるが、決定的な論拠を持つものはない、とされる。各時代、多くの民族がそれぞれに“ボールゲーム”を行なっていたのは明らかで、それらをすべて現代ハンドボールの起源とすることもできよう。ヨーロッパのハンドボール研究家たちが、ハンドボールを「ボールゲームの帝王」と呼ぶ由来である。“手球戯”はフットボールより早く人類に親しまれている。

【原型】定説としてはローマ時代の「ハルパストン(あるいはハルパストウム)」が有力とされる。

【現代への発祥18世紀エスキモーがグリーンランドで親しんできたボールゲーム、19世紀後半デンマークでの16人による「ハンドボルト」、20世紀に入って、スウェーデンで紹介された「ハンドボル」、チェコスロバキアの「ハゼナ」、ドイツにおける「ラフ・バル」「トーアバル」などがある。国際ハンドボール連盟は、「世界で最初のハンドボール試合は1896年夏、デンマークのフェーン島東端の町ニュボーで行なわれた」と初めて見解を1990年に明らかにした。同国で「ハンドボルト」の名のスポーツはそれ以前に学校体育として盛んに行なわれていたともいう。1906年「ハンドボール競技規則」が制定、刊行された。最古のルールブックと言われる。
デンマークでの学校体育としてのきっかけは、サッカーに興じる生徒たちのシュートやパスがしばしば校舎の窓ガラスを破り、手で行なえばその損害が少なくなるだろうと考案されたとの説がある。

【ドイツでの発達】前述の「ラフ・バル」と呼ばれるラグビーフットボールに似たボールゲームが19世紀末から20世紀初めに行なわれ、1915年ベルリンの女性団体がこのスポーツを女性向きにアレンジして「トーア・バル」を考案した。1919年ベルリンで体育教師カール・シュレンツが、その自然性と体(教)育性に着目、ルールなどを練り上げ、1920年ドイツ体操連盟(DT)によってルールブックが発行され、翌年、第1回全ドイツ選手権(男女)が行なわれた。同じ時期、ドイツスポーツ協会(DSB)が、その競技性に期待をかけDSBに影響力を持つドイツ陸上競技連盟が発展へ力を貸した。DSBも全ドイツ選手権を始めたため、1930年までは2つの国内選手権が開かれ、31年“統一”された。このころからドイツで「ハンドボール」は“国技”となり、1936年ベルリンオリンピック(男子11人制)に加えられた。

【国際的な発展ドイツ陸上競技連盟の働きかけによって1928年アムステルダム(オランダ)での1928年国際陸上競技連盟総会で「国際アマチュア・ハンドボール連盟(略称、略記はIAHF)」があっという間に設立された。日本は日本陸上競技連盟の名で加盟したが、独立した日本ハンドボール協会の発足は10年後となる(「日本のハンドボール」参照)。1921年10月、ハンドボールに似た「アルゼンチンボール」が盛んだったアルゼンチンで協会が設立されている。23年7月にはウルグアイと国際試合を行なった。国際アマチュア・ハンドボール連盟は1938年に男子11人制と同7人制(室内)の世界選手権をいずれもドイツで開いている。国際サッカー連盟が1912年ハンドボールの存在を紹介しているのは興味深い。ベルリンに続き1940年東京オリンピックが開かれていれば、ハンドボールの発展はさらに加速していただろうと惜しまれる。

ハンドボール~その歩み②~

【IHFの誕生】第2次世界大戦の終幕でドイツ主導の国際ハンドボール界の状況は大きく変わり、ベルリンに本部(事務所)を置いていたIAHFは自然消滅してしまう。代わって1946年7月、コペンハーゲン(デンマーク)にデンマーク、スウェーデンの呼びかけで8ヵ国が集まり新たな世界組織・国際ハンドボール連盟(略称、略記はIHF)の結成を決めた。正式誕生日は1946年7月11日。

【グローバルスポーツへ】北欧を中心とした新しい動きは精力的で1946年末には12ヵ国、48年には5ヵ国、50年に2ヵ国が加盟、52年20番目のメンバーとして、日本がヨーロッパ大陸以外から最初の加盟国となった。アメリカ大陸からは54年にブラジル、アルゼンチン、アフリカ大陸からは60年にエジプト、モロッコが加盟。日本につづくアジア大陸からの加盟は60年韓国、62年シリア、66年ヨルダン。創立10年目(1956年)には4大陸39ヵ国となった。

【オリンピック】国際ハンドボール連盟の宿願はオリンピックへの“復活”だった。1955年9月、国際オリンピック委員会に「60年のローマオリンピックに採用を」との申し出を行なった。その3年前、ヘルシンキ・オリンピックの開会式後のデモンストレーションとしてスウェーデン-デンマーク(男子11人制)の試合が行なわれ、関係者は意を強くしていた。しかし、規模拡大を懸念する国際オリンピック委員会の同意がなかなか得られず、いったん実施が明らかにされた64年東京も見送られ、悲願の達成は72年ミュンヘン・オリンピックまでずれ込む。

【11人制衰退・7人制主流】第2次大戦後最大の変革は7人制(室内)主流の動きだった。背景には諸説があるが、春~秋の短い北欧主導の運営を一因とみていい。戦前から活動していた国は11人制・7人制併行、段階的に7人制へ移行したが、新勢力ともいうべき東欧圏は7人制への興味が圧倒的に強くこのパワーも影響している。11人制世界選手権は男子が1966年第7回で、女子は49、56、60年の3回で終止符が打たれ、70年代を前に「7人制時代」が確立された。日本を除いては、7人制といえば「室内」を指すのが常識となり、62年ルーマニアでの第2回世界女子選手権がアウトドア(陸上競技場特設コート)で行なわれたのは“異例”といえる。日本は57年に女子が7人制一本化、63年には全面採用となり、25年にわたる11人制の幕が閉じられた。

【現況】ミュンヘン・オリンピックでの実施は、ハンドボールへの関心を世界的にふくらませ、1976年モントリオール・オリンピックから女子が採用されたことでいっそうはずみがついた。74年オーストラリアの加盟で5大陸が揃い、国際ハンドボール連盟設立30年目の76年には5大陸66ヵ国、86年には同97ヵ国、96年には東欧圏で独立が相次いだこともあり同139ヵ国、現在(2014年1月)は同199の国と地域がメンバーとなった。非公式だが未加盟の地域と国は10を越す。2013年現在、世界の愛好者登録人口はジュニアを含め約2700万人を数える。

【世界選手権の拡充】国際的な発展は、活動の充実を誘うこととなり、1977年世界ジュニア選手権(男女)が2年ごとに開催され、90年代に入るとシニアの開催サイクルが伝統の4年から2年へと改訂された。70年代以降各スポーツがサキを争うようにコマーシャリズムの導入によるマーケティングを強めた。世界選手権は財政上でもキーとなるイベントだ。なかでもテレビ放送権料、スポンサー料は、この大会の運営はもとより国際ハンドボール連盟の事業を支えている。競技者サイドでもプロ選手の登場、強豪クラブやトップリーグのビジネス路線、賞金大会などが進み、2003年から世界選手権も賞金が付いた。新しい世界選手権としては01年からビーチ、05年からユースが行なわれている。世界クラブ選手権も待望されている。

Handball Woche ハンバルヴォッヘ(ドイツ語)

ドイツで発行されている世界で唯一のハンドボール週刊誌。55年1月第1週の創刊。現在(2015年)の推定発行部数は16000部。ヨーロッパのキオスクで販売されているのはこの雑誌とフランスの月刊誌ぐらいだ。

『ハンドボール研究』(研究誌)

日本ハンドボール協会が1999年から刊行している研究誌(年刊)。学校体育におけるハンドボールの指導やコーチ法についての研究論文が中心。

ハンドボール記者会

新聞社、通信社、雑誌社、放送会社、フォトグラファーなど主にハンドボールの取材を専門とするジャーナリストの集まり。日本では東京運動記者クラブのほか、北海道、中部、関西、広島、九州など15地域の記者クラブにほぼすべて「ハンドボール分科会」が置かれている。国際的には国際スポーツ記者会(略称A.I.P.S)にハンドボール委員会がある。

ハンドリング

ボールの手さばき。その巧拙。

ハンドボール振興議員連盟

国会議員のなかでハンドボール愛好経験や中央・地方組織の役員経験を持つ人が09年5月超党派で旗上げした。
当面ロンドン・オリンピック出場のための資金の支援や、ハンドボールの普及活動を手がける。発足時のメンバー(名簿)は約40人。

ハンドボール切手 postage stamp

オリンピック、世界選手権や国内主要大会などで、開催国の郵政当局が発行するハンドボールを図案とした切手。スポーツ切手の一種。開催国以外の国で発行されるのも珍しくない。49年ハンガリーでの第1回世界女子11人制選手権が最初といわれ、72年ミュンヘン・オリンピック以降は世界で数多くのハンドボール切手が出ている。日本では64年の新潟、85年の鳥取、94年の愛知各国体でハンドボールのデザインが採用されたほか、97年の熊本世界選手権では「ふるさと切手シリーズ」の1つに組みこまれた。世界の総数はまとめられていないが、フランスの収集家は20世紀だけで200種類は下るまいとしている。

ハンドシグナル

ゼスチュアに同じ。

ハンズアップ

hands up。腕を上方に大きく伸ばしシュートを防ぐ姿勢。腕を横に広げることでマークを強められる(スポーツイベント2014年1月号に技術解説)。

反則

競技規則に違反したプレー、行動。違法、不法。ファール(foul)。

ハードコート

屋内外を問わず硬質の素材で作られているコート。セメントのフロアに薄いマットなどを敷いた施設もある。

ハルパストム、パルパストン harpaston

ローマ時代の球技。牛の膀胱に鳥の羽毛などを詰めて球状の用具を作り、2つのチームが、それを相手の陣地へ持ちこんで得点を争ったとされ、ハンドボールの有力な起源の1つにあげられる。

春の全国中学生選手権

2006年3月に新設された中学生世代3番目の大会。総務省の「個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現」に則って公募されたスポーツイベントとして富山県氷見市が名乗りをあげ、実現した。2020年まで同市で開かれる。参加資格を「中学生」とし、都道府県代表によるが、クラブ、混成チームなどを認め、夏の全国中学校大会の“学校単位”の枠を外しているのが特色。07年の第2回大会2日目、能登半島地震が起き、大会地も揺れに見舞われたが大事には至らなかった。

橋本 行弘(はしもと・ゆきひろ)

熊本世界選手権(97年)で内外の専門家、ジャーナリストなどに最も評価の高かった日本人選手(GK)。84年本田技研鈴鹿(ホンダ)入り。00年ドイツリーグTVグロスバルシュタットに同僚の茅場清とともに在籍、00年第7回ヨーロッパシティカップ優勝メンバーとなる。01年帰国後第一線を退き、ホンダの監督をつとめた。65年9月愛知生まれ。

ハットトリック hattrick

サッカー、ホッケー、アイスホッケーなど得点するのが難しいスポーツで同一選手が1試合で3得点する活躍やクリケットで投手が3人連続で打者をうちとった時などの称賛の言葉として贈られる。クリケットで帽子(ハット)を贈ったことから呼ばれはじめた。
ハンドボールではクリケットとホッケーの盛んなインドで行なわれた第9回アジア大会(82年)で、3連続ゴールした選手のスコアシートにこのマークが付けられた。3連続ゴールの間に相手チームが得点しないことも条件。日本選手では生駒靖夫、蒲生晴明、山本伸二が各1回、この敬称を贈られた。ヨーロッパや日本のハンドボール界では使われない言葉。

早船愛子(はやふね・あいこ)

日本代表選手、04年から3シーズン、“世界最高”と言われるデンマーク女子リーグの3クラブで活動、07年秋からスペインリーグのポリデポルティボ・ゴヤ・アルメリア・コッペルト(現ヴィカール・ゴヤ)、10年からクラブ、LE・レオン・バロンマノを舞台とし09年に帰国。三重バイオレットアイリスでプレーしたあと、13-14シーズンをもって引退。国際レベルの選手。氷見高校(富山)―筑波大学―シャトレーゼで左腕を活かし得点源となり、第4回世界女子学生選手権への参加(00年、フランス)で本場への想いを強くしたとされる。デンマーク・GOG時代、日本の女子選手として初めてヨーロッパカップ(06年、第25回フェデレーションカップ)に出場した。80年1月富山生まれ。

ハゼナ Hazena

19世紀終わりごろからヨーロッパ各国で「ハンドボール」の原点とも言うべき屋外のボールゲームが行なわれているが、チェコスロバキア(当時)のプラハを中心に普及した「ハゼナ」は代表的なもの。フィールドは48m×32m、ゴールのサイズは2m×2.4m、ゴールエリアライン6m。25分ハーフでフィールドは3つのエリアに分かれ、ディフェンス地域、中盤地域、攻撃地域でそれぞれ専門の選手がプレーした。例えばディフェンダーは攻撃地域に入れない。チェコは現在でもハンドボールをハゼナと呼ぶ。

HB

①ハーフバックス(half backs=前掲)の略称、略記②総合競技会の案内や索引でハンドボールを示す記号③ホストブロードキャスター(=後掲)の略称、略記。

ヘッドコーチ

実戦の指揮をまかされたコーチ。チームの指導陣を代表する人、担務が分かれた複数のコーチの中心となる人、そのポジション。日本では監督とほぼ同意に用いられる。

ヘッド・スカーフ

女性愛好者・競技者はプレー中に着装が許されている。
イスラム教諸国の女子競技の普及を図る目的がある。

ヘルシンキオリンピック

1952年7月、フィンランドの首都ヘルシンキで開かれた夏季オリンピックにハンドボール関係者は採用の期待をかけていたが、7月31日、スウェーデン-デンマーク(男子11人制)のデモンストレーションゲームが行なわれただけで終わった。国際ハンドボール連盟が新生されて6年しか経っておらず、加盟国もヨーロッパ圏の15ヵ国、国際オリンピック委員会は1950年の総会で不採用を決めた。ハンドボール界は1940年に予定され、返上となった東京とその代替地にあげられていたヘルシンキでいずれもハンドボール(男子11人制)の実施が確定していたことで、希望を抱いていたものだ。  このあと56年メルボルン(オーストラリア)、60年ローマ(イタリア)、64年東京、68年メキシコシティでも見送られることになる。  デモンストレーションは豪雨の中、13175人の観衆が見守り、19-11でスウェーデンが勝った。  なお、この大会は第2次大戦後、日本選手団が初めて参加した。

東アジア大会

East Asian Games。93年に東アジア地域の競技力向上と親善、オリンピックムーブメントの発揚を目的に発足した。4年ごとに開かれる国際総合競技大会。加盟国はグアム、カザフスタンなどを含み9ヵ国、オーストラリアがゲストとして参加する。ハンドボールは01年大阪の第3回大会で初採用(日本は女子2位、男子3位)されたが05年のマカオ、09年の香港では実施が見送られ13年の中国(天津)も採用は難しそうだ。開催地により10~15競技が行なわれる。主催は92年設立の東アジア競技連盟、略称、略記はE.A.G.F。アジアでは東南アジア大会や西アジア大会も行なわれている。

東アジア選手権

92年9月、中国協会招待の形式で上海を会場に男女各6ヵ国7チームが参加して開かれたハンドボールの地域選手権。現地での大会名は「極東ハンドボール選手権」。日本は男子が優勝、女子は4位だった。大会はこのあと“休会状態”で、02年に発足した東アジアハンドボール連盟が引き継ぐのか、新大会を発足させるのか注目される。

東アジアユースゲームズ

2019年から新設が予定される14~18才による国際総合競技大会。ハンドボールの実施など詳細や開催期日、開催国などは未定。東アジア大会に代わっての大会となる。

東アジアクラブ選手権

東アジアハンドボール連盟の主力事業。日本、韓国、中国のチャンピオンクラブによる選手権(男女)で、04年から始まった。3ヵ国持ち回りの開催で07年2巡目に入った。日本代表は日本リーグの優勝チームを原則とする。
当面、3ヵ国の代表各1クラブと開催国推薦の4クラブによる総当たり戦で進める方針だが、台湾、香港、マカオ、北朝鮮などからの希望があれば受け容れるとしている。

東アジア・ハンドボール連盟

2002年10月、韓国中国、日本、韓国の3協会により結成された。中東勢の独断的な行動に対抗してブレーキをかけるための“結束”だが東アジアでのハンドボール普及の遅れへの対策も大きな狙いとしている。初代会長は李萬錫(韓国)、06年に第2代会長として山下泉(日本)、09年に市原則之(日本)が第3代会長に選任された。現在は鄭亭均(韓国)。ジュニアのほか、ユースの選手権、大学(22才以下)選手権、トップクラブの対抗戦(下掲)、代表チームの選手権(復活=前掲)などを計画、08年4月、加盟国の増大を図ることを申し合わせている。略称、略記はE.A.H.F。

東アジアU-22選手権

韓国ハンドボール協会の提唱で東アジア連盟の新イベントとして13年に始められた22才以下の国際大会。男女とも大学チームの選手の参加をイメージしている。

東ドイツ

正式国名はドイツ民主共和国。1949年10月7日に樹立され、90年10月3日ドイツ連邦共和国(「西ドイツ」)と「統一」された。20年からのハンドボールの伝統を継ぐドイツは第2次大戦後「東ドイツ」「西ドイツ」に分割され、東ドイツは国技としてハンドボールの普及と国際的競技力向上に力を注いだ。特に頂点強化は全国から有望な素材を主力クラブに集結させ最上級リーグ(オーバーリーガ)で鍛え、精進された逸材による代表チームを組み上げた。男子はオリンピック優勝1回、女子は世界選手権優勝3回。11人制の世界選手権では男子が1回栄冠を飾っている。最上級リーグは50年(女子51年)から91年まで42シーズンにわたって行なわれ92年からブンデスリーガに合体した。74年に男子代表、79年に女子代表が来日している。略称、略記はD.D.R(英文はGDR)。

ハイスコアハンドボールゲーム(仮称)

ヨーロッパハンドボール連盟が小学校用教材競技として考案中の新しいハンドボール。シュートの方法で得点数が異なりセット制。09年の同連盟総会(スロベニア)で発表される予定ミニハンドボールとは異なる。

「引っかけ」

愛好者・競技者たちが生み出した言葉。右利きの場合、シュートを相手GKの右肩口や右足元を狙って打つこと。「引っぱり」と呼ばれることも。対比は「流し」

平沼 亮三(故人)

日本ハンドボール協会初代会長として1938年2月協会創立から40年まで活動された功労者。政治家(貴族院議員)のかたわらスポーツ界の発展に寄与、新しいスポーツ・ハンドボールは“大もの”を迎えて発足した。第2次大戦後は日本体育協会会長、日本オリンピック委員会、横浜市長などをつとめ、55年秋、スポーツ人として初めて文化勲章を受けている。59年80才で他界。70年横浜に「平沼亮三記念体育館」が建てられ、ハンドボールでも使われる。

広島県協会

1948年10月設立。高校界の充実のあと有力実業団によって国内トップゾーンの主力として飛躍。91年アジア選手権(男女)を主管、94年アジア大会を運営した経験をレガシーとして毎年「ヒロシマ国際」を主催するなど、協会の組織力は高い。

広島アジア選手権

1991年8月22日から9月1日まで広島市東区スポーツセンターを会場に第6回となる男子は12ヵ国が、第3回となる女子は5ヵ国の合わせて17ヵ国が揃いハンドボール界の成長を告げる大会となった。男女とも翌年のバルセロナオリンピック予選を兼ね1位韓国、2位日本。男子にオーストラリアがオープン参加した。広島は第10回女子を2004年に第10回ヒロシマ国際大会として開いている。

広島アジア大会

94年10月2日から16日までの15日間、広島市を会場にハンドボール男女など34競技337種目が行なわれ43ヵ国6828人の選手、役員が参加した。ハンドボールは国内で開かれた国際総合競技大会に初参加となったのが特筆される。5ヵ国リーグによる男子は韓国が優勝、日本は2位、4ヵ国リーグによる女子も韓国が1位、日本が2位。会場は広島市東区スポーツセンター。

広島アジアジュニア選手権

第10回大会として2006年8月22日から31日まで広島市東区スポーツセンターで07年の世界ジュニア選手権の予選(代表2ヵ国)をかけ11ヵ国が参加。1位クウェート、2位韓国で日本は5位だった。第11回ヒロシマ国際大会を兼ねての開催。

「ヒロシマ国際」

1994年のアジア大会を記念して95年発足した広島県協会による国際親善トーナメント。国内の代表的なプライベートトーナメントだ。毎回、ヨーロッパやアジアから有力チームを招き、日本勢の頂点強化の一翼も担っている。04年の第9回大会は第10回アジア女子選手権、2006年の第11回大会は第10回アジア男子ジュニア選手権として行なった。03年に予定された大会は「SARS(サーズ)」の感染を避けて中止されている。

ヒットラー・ユーゲントチーム Adolf Hitler Jugent Team

1938年8月にドイツから来日したヒットラー・ユーゲント(青少年団)のなかにハンドボール愛好者が含まれていることから日本側との親善試合が呼びかけられ、福岡、神戸、大阪、名古屋などでデモンストレーション試合が行なわれた。東京では日本ハンドボール協会による外来チームとの初の国際試合として、直前の第2回全日本選手権優勝の日本体育会体操学校(現・日本体育大学)が対戦、19-6で勝った。

檜崎 潔(ひざき・きよし)

国際公認審判員。国際ハンドボール連盟が2006年から始めた若手発掘プログラム(グローバル・レフェリートレーニングプログラム)の第1期生。パートナーは池渕智一。同年の世界女子ユース選手権でデビュー、11年世界女子選手権、15年世界男子選手権にノミネートされた。

ヒョーグベルグ Paul Hogberg(故人)

パウル・ヒョーグベルグ。国際ハンドボール連盟の第3代会長。1936年のベルリンオリンピックにスウェーデン体操チーム(デモンストレーション)の一員として参加、同国陸上競技界でも活躍。その後、スポーツ技術史の研究家となり、50年から国際ハンドボール連盟に関与。71年から84年まで会長をつとめ、薄れゆくアマチュアリズムと新たなコマーシャリズムへの革新期を支えたほか、いわゆる「2つの中国問題」、モスクワ、ロサンゼルス両オリンピックのボイコット問題など国際政治に揺さぶられながら、沈着なリーダーシップを発揮した。98年87才で他界。

補欠国

オリンピックや世界選手権の大陸別予選で代表が決まったあと、次点の国をいう。次々点までその扱いにするケースもある。大陸代表がなんらかの事情で参加を辞退(代表権の返上)した場合、繰り上げ出場となる。日本は1965年11月の第3回世界女子選手権にソ連(当時)に代わって、2003年12月の第16回世界女子選手権にカザフスタンに代わって急きょ出場したことがある。補欠国側の準備が間に合わなければ、出場枠は他大陸の補欠国に回される。

北海道協会

1950年4月設立。それ以前にも活動が行なわれていた函館市を中心に発展、草創期は遠征の費用に苦しむなどしたが、しだいに道内各地へ普及、協会組織も確立され、ロサンゼルス・オリンピック女子アジア予選(83年)を主管するなどした。中学界、学生界の充実が目ざましい。

北海道学生リーグ

1956年北海道大学、北海道学芸大学釧路(現・北海道教育大学釧路)の2校が東北学生連盟に合流、年1回の東北・北海道学生選手権を行ない、67年から春・秋の東北・北海道学生リーグとなった。道側は加盟校がなかなか増えなかったが、69年から同リーグとは別に年1回の北海道学生選手権(道知事杯大会)を行ない、これが転機となって、74年東北勢と分離、宿願の北海道学生リーグ発足にこぎつけた。75年秋季から女子も行なわれている。男子・函館大学が1987年春から2015年春まで57シーズン連続優勝(287勝2分)という驚異的な記録を続けた。
◆1969年から2015年秋までの優勝校と回数
【男子】函館大67回、北海道大21回、北海道教育大釧路校1回。【女子】北海道教育大旭川校24回、同釧路校11回、両校合同チーム2回、北翔大(北海道女子大・北海道女子短大・北海道浅井学園大を含む)、北星大・北星学園大19回、札幌国際大3回、小樽商大1回。
【2015年秋の加盟校】男子1部6校、2部6校、3部6校、4部7校。女子1部6校、2部6校。

北國銀行

国内を代表する女子強豪チーム。ホームは石川県。1975年高校界で全国最上位の実力を誇った小松市立女子高(石川、現・小松市立高)のOGを迎え創部、77年日本リーグに加盟。当初はBクラス、2部と苦しい道を歩んだが、90年に1部復帰したのをきっかけに、91年第43回全日本総合(現・日本選手権)、93年第34回全日本実業団(現・全日本社会人選手権)、95年福島国体優勝とトップゾーンへ定着、日本代表にも有力選手を送り込み、ヨーロッパで活躍する選手も育てた。日本選手権と日本リーグ優勝各3回。15-16年シーズンは無敗で全日本社会人選手権、国体、日本選手権、日本リーグの国内4冠を獲得した。12年の第19回東アジアクラブ選手権でも栄冠を飾っている。

北信越学生リーグ

1964年夏、富山大学、金沢大学、金沢美術工芸大学の3校によって「学連結成準備委員会」を組織、同年秋、一気にリーグ発足へと動いた。85年に女子リーグも誕生した。春秋のリーグ戦のほか、73年からカップ戦「北信越学生選手権」を開いている。
◆1964年秋から2015年秋までの優勝校と回数
【男子】金沢工業大学40回、金沢大学30回、新潟大学12回、信州大学11回、富山大学9回、金沢美術工芸大学2回、福井大学1回。【女子】仁愛女子短期大20回、富山国際大15回、金沢大11回のほか富山大9回、新潟大3回、小松短大3回、信州大1回。
【2015年秋の加盟校】男子1部5校、2部5校、女子1部5校、2部5校

ホールディング holding

相手をつかまえたり、抱え込んだりする反則。

ホーム・アンド・アウェイ方式 

同一の対戦カードのうち1試合をホームコート(=後掲)、1試合を相手のホームコートに乗りこんで(アウェイ)行なう方式。
試合数は「1」に限らない。

ホームコート

チームの本拠地。ホームホールともいう。ヨーロッパではクラブが所有していることが多い。

ホームチーム

本拠地で競技する地元のチーム。同一本拠地会場でのチームの対戦(ダービーと呼ばれる試合)はどちらかを「アウェイ扱い」とする。

ホームタウン・アドヴァンテージ

ホームチームのさまざまな条件の有利さ。日ごろなじんでいる会場・コート、多数のサポーターなどを指す。ビジターチームは、遠征の疲れのうえ宿舎、食事、時には風習、言語、会話などの不便さ、不利さが生じる。ホームタウンデシジョン(=後掲)と同じ意で用いられることもあるが、判定上の優位はほとんどない。

ホームタウン・デシジョン hometown decision

ホームチームに有利と思わせるような判定。そうしたケースはほとんどない。

ホンダ(HONDA)

2001年までは本田技研(鈴鹿)。1960年、同社に勤務する県内のクラブチームで活動していた愛好者が中心となって社内に同好会を結成したのが母体。71年にスウェーデン代表を迎えて親善試合を行なったあたりから国内最上位を目指す体制となった。
大同特殊鋼湧永製薬両雄時代の壁をなかなか破れず、ようやく86年に第11回日本リーグと第38回全日本総合選手権で初優勝、2冠となって国内の代表的強豪への扉をあけた。
90年代に入って、91、92年の全日本実業団選手権連覇などで、着実にチーム力をあげるとともに、国際的レベルへの展望を開き、98年にフランスの世界選手権優勝メンバー、フレデリック・ヴォルステファン・ストックランを加える超大型補強を行なった。両選手による現代最高のプレーはチーム内に留まらず国内にも大きな影響を与え、同時に「ホンダ・スズカ」は、ヨーロッパでも知名度をあげた。03年11月までに日本リーグ優勝7回、全日本総合選手権優勝3回。08~09年シリーズを最後に日本リーグから退会。現在はHONDAとして全日本社会人選手権、ジャパンオープンなどに出場している。  同社熊本製作所にも76年チームが発足し「ホンダ熊本」として日本リーグで活躍していたが06~07シーズンで日本リーグを退会。

フックパス hook pass

横から頭上を通して行なうパス。腕の形がカギ(hook)に似ていることからいう。

ホストブロードキャスター

放送権料(=前掲)の対価として品質のよいテレビ放送向けの競技(試合)映像を制作するスタッフ。国内では放送権を得た放送機関が担当するケースが多いが、国際大会では試合数も多く独自の制作会社や専任スタッフが受けもつ。97年の熊本世界選手権は、NHKの関連制作会社によって国内外向けに全80試合が制作された。原則として制作費は主催者が負担。HBと略称、略記される。

ホストシティ、ホストカントリー

規模の大きな大会の開催地あるいは開催国。原則として立候補制。

ホストオーガナイザー host organizer

規模の大きな大会の運営すべてを担当する地元の機関。多くの場合、組織委員会(organizing committee)を設立してあたる。

放棄試合

一方のチームが規定の試合時間終了を待たず途中で競技を中止したり、前半または後半の開始に応ぜず競技場に姿を現わさなかった場合「試合を放棄した」「対戦を拒否した」とみなされる。理由を問わずアンフェアな行動だが、引き金になるのはレフェリーの判定への不満、観客の乱暴な行為や行動、施設の不備(自チームへの不利な条件)、競技進行の警備上の不安などが多い。政治的、宗教的、民族的理由や、自国政府の指令、財政難といったケースもある。
対戦記録は1-0、2-0、5-0、7-0、10-0、12-0、14-0など共通の規定はない。競技規則上の違反とは異なり、一方的な理由で放棄するため、課せられる処分は資格停止、出場停止、罰金、開催経費の負担など極めて重くなる。アジアの大会では帰途の空路事情で最終試合を放棄するケースもある。

法政大学

パイオニアを示す「戦前6大学」の1校。1939年春、東京学生リーグ(現・関東学生リーグ)に仮加盟、同年秋から正式メンバーとなって現在に至っている。03年11月までに全日本学生選手権、関東学生リーグ優勝各1回。

放送(映)権料

大会または試合のテレビ・ラジオ放送をある放送網が原則として独占的に行なうために支払われる権利。契約の手順は、国際ルートの場合、年ごとに複雑となり、売り手は主催者、マーケティング会社、広告代理店など、買い手も放送機関のほか、売り手とは別のマーケティング会社、広告代理店などがからむ。日本の場合、主催者(主に日本ハンドボール協会)と放送機関の直接契約が多い。日本選手権男子決勝戦は推定100万円。北京オリンピックアジア再予選(2008年1月、東京)のNHKによる契約は1000万円(推定)とされる。世界選手権(トップ)の総額は男子30~35億円、女子15~20億円(推定)という(2015年)。

報奨金規定

日本協会が06年4月に成文化。オリンピック、世界選手権(シニア)で上位に入賞した場合、その順位によって各選手へ一律の報奨金を授与すると決めたもの。オリンピック、世界選手権にアジア予選やIHF予選会を勝ち抜いて出場権を得た場合はチームに授与される。

日本ハンドボール協会ホームページ

1997年11月からインターネットのウェブサイトに開設(掲示)された日本ハンドボール協会の「ウェブサイト」。アドレスはhttp://www.handball.jp/
パソコン通信によるハンドボール愛好者の「ホームパーティー」は95年ごろから盛んとなり、球界の関心と取り組みは早かった。試合記録の電算化(データのコンピューター処理)は91年の広島アジアハンドボール選手権で初試用されている。

兵庫県協会

1948年4月設立。戦前にも多くの活動(=後掲)が見られるなど、国内の草分け的な地域。新制高校の拡充とともに新たな展開となり、女子の高校に強力チームが生まれるなどした。関西学院大学による学生界での足跡も大きい。2003年アテネ・オリンピックアジア予選を主管した。06年の兵庫国体ハンドボールで史上初のインターネットによる動画配信を行なっている。

兵庫の「戦前ハンドボール活動」

1922年に紹介された「日本のハンドボール」は、30年代後半まではほとんど活動の記録(資料)に欠けるが、35年1月、40年の東京オリンピック(結果的に返上、未開催)の招致有力と、36年ベルリン・オリンピック実施の動きに敏感な反応を示したのが、神戸市を中心とするスポーツ関係者といわれる。陸上競技関係者とバスケットボール愛好者を軸に「神戸送球倶楽部」が結成され「オリンピック参加」を目標に掲げる。
神戸にはドイツ人、ヨーロッパ系の人たちが仕事で居住しており、ハンドボールは身近だった。「神戸送球倶楽部」は37年12月神戸市内で在阪神ドイツ人チームとの親善試合を行ない、この動きをきっかけに39年7月神戸に早稲田大学を招いて兵庫県協会結成記念試合を行ない、40年2月には兵庫県体育協会主催で「兵庫県選手権」が開かれている。48年4月に発足した協会(=前掲)とは“別の歴史”としていい。さらに同年ヒットラーユーゲントとの交流、41年成徳高等女学校(現・成徳学園)が在神戸ドイツ人女子との親善試合を行ない、この試合は史上初の女子国際試合となる。神戸大丸百貨店にチーム発足の記録もある。兵庫県・神戸市の「戦前史」は、日本ハンドボール史にとっても貴重といえる。

氷海 正行(ひょうかい・まさゆき)

ミュンヘン・オリンピック代表として活躍のあと高校教員の道を歩み、2007年4月、全国高校体育連盟ハンドボール専門部長の要職に就任。オリンピック選手の栄光を持つ人材の選任は珍しい。日本体育大学出、50年3月東京生まれ。

I.A.H.F

国際アマチュアハンドボール連盟の略称、略記。

Iボール(i-ball)

ゴールシーンやライン際のボールの位置をより正確に判定するためにボールにチップ(=半導体の小片)を埋め込んだボール。08年の第4回女子ワールドカップ(デンマーク)で使用され、世界選手権などでの使用が研究されている。国内での導入は未定。

茨城県協会

1947年11月設立。戦前に活動していた県内関係者が終戦直後から旧制中学に指導を行ない、旧制水戸高校が関東学生リーグへ加盟するなど戦後球史に特筆される動きを示した。その流れを新制高校が受け継ぎ、さらに茨城教員が58年、初の全日本教職員選手権で優勝したことも発展を勢いづかせた。高校、中学での活気は近年も衰えず、国内有数のレベルを誇っている。

茨木高等女学校

第2次大戦直後、いち早く大阪で活動を“再開”した女子チームとして記憶される。47年、初の国体中学女子(旧制)の部で優勝を飾り、新制度後、春日ヶ丘高校となり、翌年の第3回国体高校女子の部でタイトルを保持した

「居場所」情報

ドーピングの競技会外検査のため、検査対象者が自己の「居場所」の情報を4半期にいちど日本アンチドーピング機構に提供すること。居住地、トレーニング地、競技(大会、試合)地を日次ベースで特定する。

市原 則之(いちはら・のりゆき)

日本スポーツ界のリーダーの1人。大学、実業団で活躍のあと日本協会強化セクションに入りロサンゼルス・オリンピック代表チーム(男子)監督。日本オリンピック委員会(JOC)強化委員を経て、1997年から同委理事、99年常務理事に選出され「ゴールドプラン」構想の展開に尽力。2008年北京オリンピックでは日本選手団副団長。09年から専務理事を13年3月の定年まで務めた。05年から日本トップリーグ機構専務理事。ハンドボール界では専務理事、日本リーグ機構会長、日本協会副会長を歴任。国際シーンでは09年5月から2期東アジアハンドボール連盟会長。1941年10月広島生まれ。

IDカード identify card

身分証明書。大会に参加する身元などを認証するため発給され、大規模な国際大会で、このカード所持者の担務別によってADカードが発行される。

IFs

国際スポーツ連盟の略称、略記。国際ハンドボール連盟はIFsの1つ。

IHF

国際ハンドボール連盟の略称、略記。

IHFコーチングコース

1966年から開かれている各国の代表的コーチによるセミナー。当初の4年おきから、最近は間隔が短くなり、2011、13年は年2回行なわれている。

IHFエリートレフェリー elite referee

国際ハンドボール連盟が毎年6月に発表する「レフェリーリスト」で告示される世界最高資格の国際公認審判員。その年の8月1日から翌年7月31日までのシーズンに行なわれる世界選手権(男女シニア)とオリンピックはエリートレフェリーのなかから指名される。2013-14年リストには女性ペア14組(28人)がノミネートされ、太田智子・島尻真理子組(日本)も初めてノミネートされた。

IHFフューチャー・セミナー

国際ハンドボール連盟が「ハンドボールの将来」をめぐって大会のありかた、ルールなど、さまざまな角度から有識者の意見を聴くために開く会議。各国の代表チーム監督、代表経験者、レフェリーのほかジャーナリスト、エージェント関係者など出席者は多彩で、2010年ドイツで第1回、14年10月デンマークで第2回が行なわれた。

IHF女性委員会

国際ハンドボール連盟が1999年オスロ(ノルウェー)で初めて開いた「女性ハンドボールセミナー」を機に女子選手による選手会の結成が促され、2005年アサ・エリクソン(スウェーデン)、ダウン・A・ルイス(アメリカ)、ベアタ・シチ(ハンガリー)、ハイジ・テュグム(ノルウェー)、翟超(中国)、シナイダ・ツルチーナ(ロシア)、クリスティーヌ・リンデマン(ドイツ)の7人によって組織された。  現在(15年12月)は第2期メンバーによって活動している。

IHFレクチュアラー(インストラクター)

国際ハンドボール連盟が5つの委員会(コミッティ)の事業や活動を加盟国に浸透させるため大陸別に指名する(lecturer)。委員会によってはインストラクター(instructor)と呼ぶ。日本ではアジア大陸への“伝導役”として、審判系で後藤登が任命されている。これまでにコーチ・手法系で水上一、審判系で斉藤実がつとめた。

IHFレフェリーコース

現在は行なわれていない。国際ハンドボール連盟が国際公認審判員を集めて開いたコース(course、講座、課程)。1947年デンマークで第1回、そのあと2年おきに行なわれてきた。77年(第16回)以降、「IHF-PRC(=競技規則・審判員委員会)コース」に改め、大陸連盟から推せんされた公認審判員が、この課程を経て「IHFレフェリー」に指名されるようになった。2005年の第27回で使命を終えたとし「グローバル・レフェリートレーニングプログラム」に歴史を継いだ。

IHFコーチ・レフェリー合同シンポジウム

国際ハンドボール連盟が加盟国の強化コーチとレフェリーを集めて開くシンポジウム。1974年スイスで第1回のあと79年から4年にいちど開かれている。最近では2009年7月にチュニジアで行なわれた。

IHFキャリア carrer

国際ハンドボール連盟が国際公認審判員への経験と資格の過程を示す規程。

IHF倫理委員会 IHF Ethic Committee

2013年9月の国際ハンドボール連盟総会で新設が決まった委員会。英文名称はEthic Committee、同略称はEC。初代委員長はギョラン・ペターソン(スウェーデン)。

IHFプレジデントカップ

2007年の男女世界選手権から導入された方式。予選(1次)リーグで敗退したチーム(国)による下位順位決定戦。

IHFプロスペクト・レフェリーグループ

国際ハンドボール連盟がエリートレフェリーへの登用を期待(prospect)できると評価して指名したレフェリーのグループ。毎年1回発表され原則として30ペア60人。近年は非公開とも休止ともいわれる。

IHFレフェリー

国際ハンドボール連盟公認審判員。その資格によって審判着に付けるワッペン(wappen=ドイツ語)の色が異なる。

IHFレフェリーズ IHF referees

国際ハンドボール連盟が大陸連盟から推せんされたレフェリーによる「IHFレフェリーコース」(=後掲)を経たあとに指名する。1ヵ国3ペア6人を上限としており、60ヵ国以上150ペア(300人)前後が毎年発表される。

IHFスポーツ医学総会

1993年ノルウェーで初会合を開いた各国ハンドボール協会の医学者、医師たちのミーティング。97年熊本で第3回が行なわれ、15ヵ国から50人が出席した。

IHF「チーフレフェリー」シンボジウム

国際ハンドボール連盟が原則として4年にいちど改訂した競技規則(ルール・オブ・ゲームズ)の説明や伝達を目的に開くシンポジウム(symposium)。「チーフレフェリー」は加盟各国の審判界代表者を指し資格ではない。
(注)国際ハンドボール連盟の競技規則の大幅な改訂は、原則としてオリンピックイヤーまたはその翌年に開かれる同連盟総会でのみ承認され、翌年8月1日から発効(施行)となるのが通例。その期日以前に採用するのは各国の自由。近年は大改訂が少なくなり、小さな改正、修整が年1~2回行なわれる傾向にある。

IHF「トレーナー・コーチ」シンポジウム

国際ハンドボール連盟が、加盟国の主として頂点強化担当者を集めて開くシンポジウム。1966年スイスで第1回が開かれ、そのあと4年ごとに行なわれ、最近は2ヵ所(国)で新興国の支援を目的に開かれるようになり、2013年の第14回は南アフリカとベニンを会場とした(74年は休会)。

IHFトロフィ

国際ハンドボール連盟の途上国振興策として2011年から始まった事業。原則としてジュニアが対象だ。
すでに08年ごろから大陸別の「IHFトロフィ」が行なわれたがアジア、アフリカ両大陸以外は定着せず11年に大陸代表を集めての「IHFインターコンチネンタルトロフィ」として再構築。同年11月カザフスタンで第1回女子が4大陸代表によって開かれ、13年11月メキシコで第2回女子・第1回男子が各5大陸代表の参加で行なわれた。アジアは中央アジア、南アジアの2地区でこのカテゴリーが活発に動いている。

IHFオリンピック予選会

オリンピック出場国は2004年のアテネ大会までは各大陸代表、開催国のほかは直近の世界選手権の上位国とされていたが、北京大会(男女各12ヵ国)から、世界選手権枠を1ヵ国に減らし、残りは、新たに国際ハンドボール連盟直轄の予選会で決定する方式に改められた。予選会は男女12ヵ国を3組に分け各組1、2位がオリンピック・チケットを握る。16年のリオデジャネイロ・オリンピックも同様。予選会のアジア大陸代表枠は男女とも各1ヵ国。OQTに同じ。オリンピック世界最終予選とも呼ばれる。

井 薫(いい・かおる)

日本の代表的な女子トップゾーンの指導者。中央大学卒業と同時に1960年郷里・熊本県に発足した実業団・大洋デパートの監督に迎えられたあと立石電機(現・オムロン)監督。日本代表監督としてモントリオール・オリンピック(76年)にチームを導いたほか、73、75、86年の世界女子選手権日本代表監督。現在は熊本県体育協会副会長。2001年に著した「光と影」(博文舎・刊)はハンドボールを通じて見た旧ユーゴスラビアの民族模様と平和の素晴らしさを説いた内容で好評を得た。08年4月から熊本県サッカー協会会長をつとめていた。1938年5月熊本生まれ。

池渕 智一(いけぶち・ともかず)

国際公認審判員。パートナーの檜崎潔と2006年から国際ハンドボール連盟が始めた若手発掘プログラム(グローバル・レフェリートレーニングプログラム)に参加、同年の世界女子ユース選手権でデビュー、11年世界女子選手権、15年世界男子選手権に指名された。

一貫指導システム

競技者の育成を学制別に進めるのではなく日本ハンドボール協会が主体となり、年令別(エイジグループ)に組織的、計画的な指導を行ない、「上」へつなげていこうとするシステム。05年度から「年令別強化指定選手(男女)」を選抜、コーチングスタッフも編成されている。文部科学省の「スポーツ振興基本計画」でもこのシステムの構築に期待をかけている。

生野高等女学校

球界草創期に女子界の強豪として大阪で活躍したチーム。現・大阪府立勝山高校。

イレシュ Katica Iles

カティツァ・イレシュ。ユーゴスラビア(旧国家)が生んだ女子最高プレイヤーの1人で1982年立石電機(現・オムロン、熊本)に迎えられ、男女を通じ日本でプレーした初のヨーロッパ・トップ選手となった。73年の世界女子選手権優勝メンバー、同選手権出場4回、モスクワ・オリンピック(80年)銀メダルチームの主将。日本では83年末までプレー、83年、全日本女子のコーチとして外国人で初めての起用もされている。内戦で消息が心配されたが健在が確認され、クロアチア・オリンピック委員会などでの活動が伝えられた。1946年3月オシェイク生まれ。

イリーガルドリブル

illegal dribble。ドリブルしたボールを一度つかんだあと再びドリブルする反則。

インドア

通常の7人制室内ハンドボールの通称だがビーチ競技との区別で用いられることが多くなった。

インドア・ハンドボール

屋内で行なう7人制競技。冬の長い北欧では1930年代からハンドボールといえば、この種目を指した。国際アマチュア・ハンドボール連盟も34年8月ストックホルム(スウェーデン)で開いた第3回総会で競技規則を正式制定している。日本には35年に伝えられたが、36年のベルリンオリンピックが11人制のため抄訳ですまされた。38年ドイツで初の世界室内選手権(男子のみ)。
日本で最初の競技は52年12月3日、大阪府立体育会館開館記念試合(大阪クラブ6-2関西学生選抜)。全日本総合室内選手権は54年12月、大阪でスタートした。
(注)34年の国際7人制競技規則による試合時間は10分ハーフと25分ハーフの2つが示されている。

イン・フライト・シュート

ビーチ競技でのスカイプレー。成功すれば2点が与えられる。

陰性

ドーピング検査の結果、違反の反応が現われなかったこと。対比は陽性

インストラクター

IHFレクチュアラーに同じ。

インターセプト inter cept

相手のパスを横取りすること。その回数(チーム、個人)を記録化する動きがヨーロッパではのぞいている

インターシティ

都市の代表チームによる定期的な大会、対抗戦。「神奈川県6市対抗」「青函対抗(青森市-函館市)」など。

インターカレッジ

大学チームによる選手権大会。全日本学生選手権が国内では代表的。

インターコンチネンタルカップ

カタール、サウジアラビアなど石油産出国の富豪がスポンサーとなって国際ハンドボール連盟を動かし1998年に突然始められた2年ごとに開く賞金付き男子大会。各大陸選手権の優勝国と主催者推せん国、開催国などによる参加で行なわれる。第1回(98年、カタール)は3ヵ国とカタールだけのエントリーだったが、第2回(2000年、サウジアラビア)、第3回(02年、ロシア)はオセアニアを除く4大陸代表が揃い、看板に近い内容となっている。賞金総額10万ドル。優勝賞金5万ドル。優勝国は98年アルジェリア、00年スウェーデン、02年ロシア。それ以降開催されていない。日本は参加したことがない。

インターフェアレンス interference

妨害のこと。ハンドボールではこの表現の反則はないが、チャージングなどは、この系統に属する違反。衝突したプレーに対してヨーロッパの新聞、雑誌がしばしば用いる。

インターハイスクール

高校チームによる選手権大会。全日本高校選手権。「インターハイ」が通称。

インターナショナルクラブマッチ

クラブチームによる単発の国際試合。公式的なニュアンスが強い呼称で、レフェリーを第3者国から招くのが望ましいとされる。

インターナショナルマッチ

代表チームによる単発の国際試合。レフェリーを第3者国から招くのが通例。

インターナショナルマッチデー

ヨーロッパハンドボール連盟が外国人選手の往来が激しく、各国代表チームが試合を組みにくくなり、ベストメンバーを揃えられない状況が強まっているため、各国合意の期間(主に3ヵ月ごとの週末3~4日)を設定し、その日時にインターナショナルマッチ(=前掲)を編成するよう奨めているもの。インターナショナルマッチウィークと呼ばれることもある。

インビテーション競技

総合競技会で正式競技には採用されないが、主催者、開催国などの要望によって実施される競技。2009年までのワールドゲームズのビーチ・ハンドボールが好例。

IOC

国際オリンピック委員会の略号、略記。

「IOCプレジデント」カップ

1989、91年の2回、韓国ハンドボール協会により開かれた国際女子大会。88年ソウル・オリンピックの成功を祝って当時の国際オリンピック委員会会長ファン・アントニオ・サマランチ(スペイン)がハンドボールなど数競技に「プレジデントカップ」を寄贈したことで行われた。93年の第3回大会からは「ソウルカップ」と改称、2年ごとに実施されている。最近は「韓国国際」としてソウル以外でも開かれることがある。

入れ替え戦

上部の下位チームと下部の上位チームが、次回からの所属をかけて行なう試合。各地学生リーグで伝統的に採用されている方式で日本リーグも採用している。ヨーロッパ各国リーグは自動的な入れ替えが通例で、日本でもこの方式の一部を採り入れ、2チームの入れ替えのうち、最下位の自動的転落(入れ替え)を行なうケースが増えている。

移籍

愛好者、競技者が所属チームを変更すること。一般愛好者は規定にしばられるケースは少ないが公式競技会への参加機会が多いトップレベルの競技者は内外とも精細な規定が協会、連盟、リーグなどで設けられている。トランスファー(Transfer)に同意。国家代表選手(ナショナルプレーヤー)としての移籍は前の国籍での試合から3年間出場していないことが条件となる=スリーイヤーズルール。

石川県協会

1946年12月設立。47年に第2回国体が開かれることがきっかけとなった。50年代に入って全国トップレベルの高校女子チームが次々と生まれ、その動きを軸に中学、社会人(実業団)でも最上位で活躍するチームが国内をリードするまでになっている。

イスラム女子競技会 Islamic Countries Women Sports Games

宗教上、日常上のさまざまな規律から発展が制限されていたイスラム教国の女性だけの国際総合競技大会。1993年10月に第1回が世界注目のうちに開かれ、97年第2回、2001年第3回、05年第4回といずれもテヘラン(イラン)で行なわれた。10年に予定された第5回(テヘラン)は中止となっている。毎回20ヵ国を超える参加がある。いずれもハンドボールが行なわれ、実力でトルクメニスタン、カザフスタンなどが、イラン、ヨルダンなど中東勢をリードしている。第3回と第4回の勝者はアゼルバイジャン。07年7月の第9回アジア女子ジュニア選手権にイランとカタール、同7月のアジア女子ユース選手権、同8月の北京オリンピック女子アジア予選にカタールが登場した。

一線ディフェンス

ゴールエリアラインに沿い防御側6人が並び一線状となるためこの名がある。「6:0ディフェンス」も同じ。身長で攻撃側(相手)より有利な場合、長身のディフェンダーを有する場合などで多用されるセットディフェンス。「待ち」のディフェンスでもある。

岩本真典(いわもと・まさのり)

2006年10月、日本リーグで史上初のリーグ通算1000得点を達成。09年3月現在1079点に達している。熊本市立商業(現・千原台)高校―早稲田大学―三陽商会(93~00)―大崎電気(01~)・日本代表でつねに攻撃陣の主力をつとめ198cmの長身・左腕から放つ強打と絶妙の配球力で存在感を示す。世界選手権出場3回、01年秋田ワールドゲームズでのビーチ競技で国際ハンドボール連盟から「ミスター・ビーチハンド」に選ばれている。01年から大崎電気のフルタイム契約選手として活躍のあと、09年から監督に就任。15年2月、日本男子代表監督に指名され、リオデジャネイロ・オリンピック出場をめざした。1970年9月熊本生まれ。

岩手県協会

1949年9月設立。盛岡を中心に発展。高校男女で全国トップレベルのチームが育った。一般(社会人)、高専など各層で有力チームも多く、堅実な発展を遂げている。日本リーグの開催に積極的で一般ファンの開拓を図っている。

JADA

日本アンチドーピング機構の英文略称、略記。

ジャンプシュート

跳び上がって行なうシュート。跳び上がりながら行なうシュート。

「JAPAN」

全日本、日本を代表するチームの名称。一時「NIPPON」を採用したが、72年ミュンヘン・オリンピックの参加以降は統一。国際ハンドボール連盟への加盟登録国名(英文)でもある。

ジャパンカップ

日本ハンドボール協会が主催する国際大会。頂点強化と“興行力”の充実を目的に81年第1回を開いた。当初は3年間隔で企画、84、87、90年に行なわれた。93年大会が流れ空白が生じたが、96年、翌年の熊本世界選手権テストイベントとして復活、97年から4年間は毎年開催、00年から再び3年おきとなり、07年第14回(93年を含む)を熊本と愛知(豊田)で迎えた。代表チーム中心から最近は有力クラブもゲストとなり、00年は第6回ヒロシマ国際を兼ねた。84年、00年、10年などは女子が同時に行なわれた。日本ハンドボール協会によれば間隔に内規はない。
10年東京での開催で史上初めて優勝賞金100万円がかけられた。

ジャパンオープン

日本ハンドボール協会が96年から発足させた男女の国内選手権大会。毎年開催。日本ハンドボールリーグに加盟していない実業団、社会人クラブ、学生リーグ(連盟)に参加していない大学チームなどいわゆる「社会人」のナンバーワンを決めるのが目的。当初は「全日本社会人選手権」の名称が準備されたが、オープン・カテゴリーを打ち出すためこの名となった。関東協会のジャパンオープン予選のメインタイトルは「関東社会人選手権」である。
全国の予選勝者による勝ち抜き戦で、上位チームに全日本総合選手権への出場権が与えられる。将来構想にジャパンオープンジュニア、ジャパンオープンユースがある。

JASA

日本体育協会の英文略称、略記。2文字目の「A」は「アマチュア」の略とされたが、05年4月からその意が削られた。
現在はJAPANの「JA」と解釈される。

JSAA

日本スポーツ仲裁機構の英文略称、略記。

JHA

日本ハンドボール協会の英文略称、略記。

JHA1号球…

日本ハンドボール協会が検定・公認するボールのサイズ。1号球から3号球まであり、外周、重さがそれぞれ異なり、自動的に1号球は小学生用、2号球は女子と中学生用、3号球は男子用となる。ボールの項参照。

JHAジュニア・アカデミー

2008年10月に発足した日本ハンドボール協会によるジュニア(男女)強化事業。 15才から22才までの年代で男子は188cm前後、女子は170cm前後を選考基準としているのが特徴。

JHAレフェリー・アカデミー

日本ハンドボール協会が若手レフェリーのエリート育成のため2010年に発足させた事業。

JHL

日本ハンドボールリーグ日本ハンドボールリーグ機構の英文略称、略記。

JHLチャレンジ・ディビジョン

日本ハンドボールリーグ機構(JHL)が2009年から新たな事業として発足させた男子大会。社会人、大学など競技力志向のチームが年度ごとにエントリーして行なわれる。この企画から日本リーグ入りしたチームはまだない(2014年2月現在)。

JHLカップ

日本ハンドボールリーグ加盟の全チームを東西2地区に分けて開く大会。87年にスタートしたが、93年からは内外行事とのからみで定期開催とならず、その目的も94年からルーキーカップを試みるなど大会ごとに異なる。休会のシーズンが多くなっている。

JHLジュニアリーグ

日本ハンドボールリーグ機構(JHL)の加盟クラブが地域貢献・協働のため地元の小学生愛好者(4年生以上)普及とチーム(男女)育成を目的に11~12年シーズンから始めた事業。
男女とも東西2ブロックに分かれて対抗戦を行なったあと、各勝者による「決勝戦」日本リーグのプレーオフ(3月)時に行なう。参加チームには日本リーグでのチーム名・ニックネームを冠せることが義務づけられている。将来は加盟クラブがジュニア、ユースの下部組織を"常設"することをめざす。第1回の大会名はJHLジュニアカップ。

JHLニュース

78年の第3回大会から日本ハンドボールリーグ機構日本ハンドボールリーグのシーズン中に限り発行している週報。前週の試合の速報が中心の内容で関係者、マスコミに配布される。93年から一般ファンも購読を申しこめるようになっている。

自衛隊ハンドボール界

50年代後半から各地でハンドボール活動が行なわれるようになり、横須賀の陸上通信学校体育班では体育科コースの1つに加えられた。そのあと各地のチームが、実業団球界の一角に加わるなどしたあと70年4月、全日本自衛隊ハンドボール連盟が設立された。その前年、「全国自衛隊選抜大会」が開かれ、71年からの「全日本自衛隊選手権」へと発展、自衛隊勝田(茨城)が79年~81年日本ハンドボールリーグ2部に加盟した。選手権には女子、少年の部も併設されたが、90年前後から球界内の足並みが乱れ、現在、日本ハンドボール協会の後援をうける大会は休会中、連盟活動は自衛隊内スポーツの「自主団体」に変わり日本協会加盟団体としては自然消滅している。現存のチームは実業団、社会人の分野に属している。防衛大学校が56年から関東学生ハンドボールリーグに参加(08年春3部)している。自衛隊体育学校(埼玉)で女子チームが国内上位を目指した時期もある。

JISS

国立スポーツ科学センターの英文略称。「ジス」と呼ばれる。

実績出場枠

国際ハンドボール連盟が世界選手権の参加枠を前回の順位(上位順)を参考に、その国の所属大陸に割り振った数をいう。パフォーマンスプレースに同じ。

実業団

国内スポーツ界独特のカテゴリー。語源は詳らかではない。原則として同一事業所内の愛好者によって編成するチームを指したが、次第に企業を本拠とするチームへ“拡大”され、現在、選手の資格は大幅に緩和されている。第2次大戦前にも活動していた企業チームがあるが、本格的な流れは、7人制統一後に速まり、65年2月、全日本実業団ハンドボール連盟が設立され、国内トップゾーンと国際進出の重要な基盤になった。
90年代後半から経済不況のあおりで、企業のスポーツ活動縮小がつづき、チーム数の激減は日本ハンドボール界を揺るがし、全日本実業団ハンドボール連盟は2011年3月、その役割を終えた。「実業団」を名乗るチームは現存する。

JOC

日本オリンピック委員会の英文略称、略記。

JOCジュニアオリンピックカップ

JOCジュニア・ユースクラスの強化と全国の有望選手の“発掘”のため開く大会。ハンドボールは93年から各ブロックなどの予選を勝ち抜いた中学生の男女選抜チームによって争われている。当初は春休み、現在は年末開催。春と夏の全国大会と並ぶ中学生世代のビッグイベントだ。

JOC優勝杯

JOCがオリンピックムーブメントのため国内トップの競技会に贈るカップ(優勝杯)。全日本総合ハンドボール選手権の優勝チームに授与される。

「JOCスポーツ指導者在外研修(派遣)員」制度

JOCが各スポーツ団体からの推薦で海外に研修者を2~4年間留学させる制度。ハンドボール界では79年早川清孝(故人)を最初に樫塚正一、田口隆、東根明人、松井幸嗣(いずれもドイツ)、玉村健次(スウェーデン)、田中茂(スペイン)、山田永子(ノルウェー)らが派遣されている(いずれも2年間コース)。

「JPN」

国際スポーツ界における「3文字表記」で、日本(JAPAN)を示す。フランス語圏では国際通例とは別に「JAP」と表現される例があるが、日本スポーツ界は好ましくない、としばしば訂正を申し入れている。

J級指導員

日本ハンドボール協会が02年4月から導入した公認指導員のカテゴリー。
「J」はジュニアを示し、高校3年生で、少年層(15才までの男女)を指導できる資格。06年度は33人を数えている。高校以上のハンドボールチームに2年以上所属して活動した経験者、あるいは15才以下の少年を対象として指導経験が1年以上ある者が都道府県ハンドボール協会の推薦ののち、日本ハンドボール協会講習会を受けて取得できる。中学生チームや小学生への指導者不足から成果が期待されている。レフェリーのジュニアカテゴリーとして14~16才の「ヤングレフェリー育成プロジェクト」がある。

JTA

日本トップリーグ連携機構の英文略称、略記。

ジャッジ judge

①大会本部、レフェリーなどの示した判断。
②競技中のプレーヤーがプレーの選択などで示す判断。

ジャッジテーブル

公式記録員席。テクニカルデレゲート、タイムキーパー、スコアラーらのために用意される席。座席数(人数)は規定されていないが、最小でも5人。以前は「タイムキーパーテーブル」と呼ばれた。テクニカルデレゲート(原則として2人)が座ることで競技進行管理もこの席で行なわれる。

ジャグル juggle

あるプレーヤーがパスなど空中にほうりあげたボールを、他のプレーヤーやフロア、地面に触れる前に、再び触れること。反則となる。いわゆる「つかみそこない」=ファンブルは反則にならない。

11人制

広いフィールド(90~110m×55~60m=57年版ルール)で1チーム11人で行なう屋外ハンドボール。日本では女子は57年まで行なわれ、63年すべての11人制競技が廃止(7人制一本化)となった。世界的にも限られた愛好者が“郷愁”で親しんでいる程度。フィールドハンドボールに同じ。

ジャンプ jump

跳び上がること。

ジャンプパス

跳び上がって行なうパス、跳び上がりながら行なうパス。

ジュニア

年少者から転じてハンドボール界では男子は20才以下、女子は19才以下を指すことが多い。成年のトップチームにつながる若いチームや高校生、中学生などの大会、チーム、愛好者を指す場合もある。国際及びアジアハンドボール連盟は「ジュニア選手権」を開いているが、国内では全国規模の大会はまだ行なわれていない。

ジュニア・ユース junior-youth

造語。日本ハンドボール界では「中学生年代」を指すことが多い。ユース

女性委員会(日本ハンドボール協会)

スポーツ活動への女性進出を目標に国際的なリードによる運動を受けて、日本ハンドボール協会は2003年「女性委員会」を設け、上原信子、井口京子と2期(2代)の委員長を経て、13年初の理事誕生(東海林祐子)へつなげた。今後の発展に期待がかけられる。

香川県協会

1946年9月設立。第2次大戦1年後から県内の体育教員によって普及。高校界を主体に発展し、国際レベルの選手も輩出。一般クラブチームの活動も地味ながら着実だ。09年12月、四国で初となる全日本総合選手権(女子)を開催した。

鹿児島県協会

1948年5月設立。高校男子が中心となって球史が刻まれ、しだいに各ジャンルに熱心なチームの発足をみた。47年の国体、10年後の全国高校総体が組織力を引き上げた。

回転シュート

ビーチ競技の攻撃の1つ。ジャンプした空間態勢で1回転し試みるシュート。成功すれば得点2が与えられるケースが多い。ピルエットシュートスピンシュートと同意。

夏季オリンピック

1896年を第1回に4年にいちど開かれる。冬季オリンピックと区別され、ハンドボールはこれまでの男子11回、女子10回はすべて夏季。2016年はリオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)で7月25日から8月9日まで、2020年は東京に決まっている。

隔年(毎年)実施競技

2015年から採用される国民体育大会の実施競技の方式。毎年実施競技の項参照。

加盟金

所属する機関からメンバーとして義務づけられる会費。日本ハンドボール協会への加盟金は都道府県協会がチーム数100以上が116500円、同以下が66500円の2種別、そのほか全国連盟は50000円(いずれも年額、09年度)。国際ハンドボール連盟は邦貨約320000円(年額、06年度)が日本の支払う額だ。

神奈川県協会

1948年11月設立、すでにその6年前、横浜での活動が見られ、同市を本拠とする「外国人クラブ」にも在日ドイツ人を中心としたチームが活動、在京大学チームとの交流も行なわれている。県内を刺激したのは成年チーム「全神奈川」の活躍で、高校・中学界の拡充へ実った。国際試合の主管経験も多い。

韓国(大韓民国)

1988年ソウル・オリンピック女子で世界を驚かせる金メダル、その勢いを92年バルセロナ・オリンピックと95年第2回世界女子選手権優勝という快挙につなげ、ヨーロッパのスポーツにとどまっていたハンドボールをグローバルな声価へ高めたのは特筆してあまりある。
芽生えは1936年、日本に留学していた韓国人学生によってこのスポーツが持ち帰られ41年の「第17回朝鮮神宮体育大会」で採用(一般男子、中学女子)された時にあるとされる。現在の協会の前身となる「朝鮮送球協会」は40年に設立されている。
戦後、50年代後半に“復活”が成り、60年国際ハンドボール連盟の正式加盟国となった。その翌年、初の7人制が実施され、学生界、高校界での日本との交流を積極化、オリンピックアジア大会での実施に刺激され、トップレベル強化への体制を着々と整えた。81年名古屋を制してソウルでのオリンピック開催が決定したことで、いっそうムードが高まり84年ロサンゼルス・オリンピックでの女子銀メダルが“世界への自信”を一気に高めた。ソウル・オリンピック(88年)のほか、86、02年にアジア大会、90年に世界女子選手権を85年、10年に世界女子ジュニア選手権を主管している。
男子の姜在源、趙致考、尹京信(15年2月、韓国男子代表監督に就任)、白元●(=吉が2つ)、女子の金賢美、林五卿、呉成玉ら20世紀を代表する世界的名選手を生んでいるのも鮮やかだ。球界全般の国際的行動力もたくましい。アジアでは男子がアジア大会5回、アジア選手権6回、女子がアジア大会5回、アジア選手権8回の優勝を飾っている。04年アテネ・オリンピックアジア女子予選で敗れながら、そのあと世界選手権で復活、本大会では銀メダルを獲得、08年の北京オリンピックでの女子も予選で国際的な混乱にあいながら最終的に出場権を手にし、銅メダルを獲得するなど勝負への執着心は鮮やかなものがある。

環境委員会

日本協会が2007年度から総務部内に設けた委員会。ハンドボール事業を通じて「スポーツと環境保全」の啓発が目的。大会開催時の資源使用への認識、地球温暖化への関心喚起などに取り組んでいる。

冠(かんむり)大会

ビッグイベントにスポンサーをつけ、大会経費の大半を負担してもらう代わりにその企業名を大会名に冠せて開くこと。1981年、日本体育協会のアマチュア委員会が容認した。ハンドボールでは80年代後半「東洋証券」(東京)が、積極的な姿勢を示した。現在では日本リーグのプレーオフが「ANA(全日空)カップ」として定着している。
マスコミ系では「NHK杯全日本選抜」「NBN(名古屋テレビ)杯実業団」などが行なわれていたことがあるが、スポンサー色は薄かった。

関東学生リーグ

第2次大戦前、1938年春に始まった「東京大学学生リーグ」の歴史を引き継いで1946年1月、関東学生ハンドボール連盟の名称で“復活”が決定、同年6月春季リーグを行なった。46年秋、「戦前6大学」以来久々の加盟校として中央大学が参加。51年春から2部制が定着、各校の充実した陣容で国内のトップゾーンを形成、発展期を迎えたが、54年、56年2度の分裂騒動など波乱も生じた。早稲田大学が各シーズン上位の常連校として実力を発揮、日本体育大学立教大学が追った。50年代終盤から芝浦工業大学、70年代に中央大学が台頭、新しい時代へ進んだ。オリンピック復活で各大学の意欲も高まったが、実業団の本格化で、しだいに国内最上位における勢いは乏しくなり、「学生界」の制覇を目標にすることで伝統の大看板を守り続けている。46年秋に女子リーグが行なわれ、49~61年まで中断のあと再開、現在に至っている。
◆1938年の「東京大学学生リーグ」から2014年秋季までの優勝校と通算優勝回数
【男子】日本体育大45回、早稲田大29回、芝浦工業大16回、筑波大(文理科大・東京教育大)18回、中央大14回、日本大11回、立教大10回、慶應義塾大5回、明治大3回、国士舘大2回、法政大1回。(注)3校同率2回、2校同率1回の優勝があるためシーズン数(149)と優勝回数の合計数(154)が異なる。【女子】日本体育大49回、東京女子体育大35回、筑波大学28回、東京学芸大1回、東京第一師範1回、埼玉師範1回、東海大1回。(注)3校同率1回、2校同率2回の優勝があるためシーズン数(112)と優勝回数の合計数(116)が異なる。
【2014年秋季の加盟校】男子1部10校、2部9校、3部8校、4部8校、5部8校、6部8校、7部13校。ほかにも不参加校15校。
女子1部8校、2部14校(ほかに2校合同2チーム)。

関西学生リーグ

第2次大戦終戦から3ヵ月後の45年11月天王寺中学(旧制)グランドに7校が参加して開かれた「西日本学生大会」(優勝・大阪市立医科専)を前身とする。関西ハンドボール協会の主催でこの時期に7校もの学生チームが集まったのは、戦前~戦中に活動が行なわれていたと思わせるが、リーグの足跡は見つからない。関西地区の旧制中学卒業生が大学へ進んで、活躍の場を拓いたものだ。中でも豊中、天王寺、北野の3中学(いずれも大阪)の卒業生による情熱と行動はめだったものがあった。46年4月、関西協会大阪支部(のちの大阪協会)によってさらに組織化された「西日本学生リーグ」が行なわれ、関西学院大学が最初の優勝校となった。秋の優勝校・大阪歯科医専は、その直後に行なわれた第1回国民体育大会学生東西対抗の部(兵庫県西宮)で東の代表・早稲田大学を下した。 1948年、待望の関西学生ハンドボール連盟が13校によって設立される。その後の発展は順調で6シーズン目に2部制を布いた。11人制時代は関西学院大学が抜群の強さで、60年代に入って同志社大学が強みを発揮、70年代以降は大阪体育大学が全盛期を築いた。2013年春季で関西大学が1969年春季以来44年(88シーズン)ぶりに優勝、話題となった。女子は68年の対抗戦、69年夏の結成大会を経て69年秋からリーグ戦へと発展した。2014年春から1部はステージ制を採用している。
◆1948年から2014年秋までの優勝校と回数
【男子】大阪体育大72回、関西学院大25回、同志社大18回、大阪経済大8回、関西大6回、京都産業大2回、桃山学院大2回、大阪歯科大(大阪歯科医専)2回、京都大1回。【女子】武庫川女子大44回、大阪体育大28回、大阪教育大12回、甲子園大(甲子園女子短期大)8回となっている。
【2014年秋季の加盟校】男子1部8校、2部7校、3部7校、4部7校、5部7校、6部11校。女子1部11校、2部7校、3部7校。
(注)男子優勝校には「西日本学生リーグ」(1945年秋~1947年秋=5回)は含まれていない。同リーグの優勝は大阪医科歯科2回、大阪市立医科専2回、関学大1回。

関西ハンドボール協会

神戸、大阪両市の愛好者によって1942年秋結成。球界の“西の本拠”として活気ある事業を展開したが、戦火が激しくなり休止状態、戦後、いち早く大阪関係者によって復活、学生リーグを起ち上げ、近畿圏の発展に力となった。現在、この名称の組織はない。

関西選手権・西日本選手権

第2次大戦前、関西(西日本)地域で行なわれた唯一の公式ブロック大会。1941年、42年の2回開かれている。戦後は48年に「西日本大会(西日本選手権)」として復活。同大会は57~60年の中断をはさんで70年まで続いた。

関西学院大学(兵庫)

1946年創立の国内を代表する名門。関西学生リーグの盟主として圧倒的な強さを誇り、戦後の最高峰イベント「東西学生王座決定戦」に48年の第1回から13回連続出場、49~54年の6連覇を含み8回の優勝を飾っている。69年秋26回目のリーグ優勝のあと精彩を欠き下部に低迷したが、07年春の1部4位をきっかけに最上位復活を期している。39年、バスケットボール部が在神戸ドイツ人選抜とハンドボールを行なった記録がある。

観衆

観戦に集った人たち。以前は概数が多かったが、近年、内外のトップゾーンは実数の発表を行なうようになっている。
7人制による主な1試合の最高記録は-
 世界・44189人=2014年9月6日、ドイツリーグ、ラインネッカー・ローヴェン-HSGハンブルク「フランクフルト・コメルツバンクアレーナ」(サッカー場)。
 国内・11300人=97年5月24日、第15回世界選手権予選リーグ第4戦、日本-アルジェリア、熊本市パークドーム。
 
 オリンピック・33910人=96年8月4日、アトランタオリンピック男子決勝クロアチア-スウェーデン、アトランタ・ジョージアドーム。
 女子・19476人=2013年12月22日、第21回世界女子選手権決勝セルビア-ブラジル、セルビア・ベオグラード「コムバンク・アリーナ」。
 外国リーグ(屋内)・19403人=2007年3月16日、ドイツリーグ、グンマースバッハ-キール、ケルンアリーナ。
 日本リーグ(レギュラーシーズン)・約3500人=76年9月4日、日新製鋼-大阪イーグルス、湧永薬品-本田技研、広島県呉市体育館(2試合)。
 
 世界11人制・約8万8000人=36年8月14日、ベルリンオリンピック決勝ドイツ-オーストリア、ベルリンナショナルスタジアム。(約10万人という資料もある)
 国内11人制・約3万7000人=56年9月18日、国際親善試合西ドイツ代表-全東海、名古屋市瑞穂競技場。

 ビーチ競技・10304人=2013年8月4日、第9回ワールドゲームズ最終日(男女決勝ほか)、コロンビア・カリ「カニャベラルホ闘牛場」。

監督

チームの実戦責任者。選手に助言し、指導する人(コーチ)。「国体」では、監督は公認指導者の資格を有することが望ましいとしている。
ヨーロッパの代表チームとトップチームの監督やコーチはプロ契約者が多い。

関東選手権

1937年10月、東京で4チームによって行なわれた国内最古の大会。43年の第7回まで毎年開催され、42年に1回だけ女子の部も設けられた。46年男子にさきがけて復活したが、同年秋、関東学生リーグ女子の発足で、この時も1回だけで終わった。49年、第8回(復活第1回)として男女ともに再開するが、51年休会。54年新大会(通算第11回)で再々スタートし、国民体育大会関東予選会を兼ねた。現在は関東クラブ選手権の第2タイトルとして、伝統の回数を形式的に受け継いでいる。

加算式

競技時間の経過を選手、観衆などに知らせる会場内の時間表示。「0」でスタートし「30」でハーフで終わる方式が望ましいとされる。「30」から「0」への減算式でもかまわない。

勝ち抜き戦

あらかじめ決められた組み合わせで勝てば次の試合へ進み、最終的に勝ち残った2チームで決勝を争う試合方式。一騎打ちを繰り返し最後に残った2者間で勝負を競った騎士道のトーナメントから、日本ではこのように呼ばれることも多い。国際的にはナックアウトシステムカップ戦も同じ意味で使われる。ヨーロッパでは1ラウンドごとに抽せんし次の相手を決める方法が多い。

勝ち点

総当たり戦で、最終順位を決める第1条件(要素)として設定される。1試合ごとのスコアではなく、勝ち、引き分け、負けにポイントを付すもので、一般的には勝ち2点、引き分け1点、負け0点となる。フランスなどの国内リーグは勝ち3点、引き分け2点で、負けたチームにも「参加点」として1を与える。
かつて国際ハンドボール連盟は勝ち点が弱小国からあげたものと、強力国を倒してあげたものと同じ評価というのを“差別”するため「25パーセントルール」を設けた。このルールを支持し、内外で現在も導入している大会が少なくない。

加藤 典代(かとう・ふみよ)

日本人女子として初めてヨーロッパのトップ(全国)リーグでプレーした選手。関東学生選抜の一員として2度の西ドイツ(当時)遠征で本場の有力クラブの目にとまり、日本体育大学卒業(82年3月)を待ってドイツリーグ1部南地区(ブンデスリーガ女子)のTVアウエルバッハ入り、82年終盤から84年まで主戦メンバーとして50試合以上出場をマーク。全日本(82年)にも選ばれている。栃木生まれ。

キープ keep

自軍がボールを持ち攻撃をしつづけること。試合の流れを握って主導権を保ちつづけること。

キーパー

ゴールキーパーに同じ。

「キーパー・ボール」

ゴールエリア内にあるボールを指し、ゴールキーパーの領域という意味で呼ばれる。

警告

スポーツパーソンシップに反する行為や相手に対する競技規則上の違反に対して与えられる罰則。
個人に対しては1回が限度で、2回目以降は「退場」「失格」となる。チームに対して合計3回、チーム役員に対しては合わせて1回で、同様の処置がとられる。

慶應義塾大学(東京)

1937年9月、日本最初の本格的ハンドボールチームとして誕生。40年に東京市(当時)で夏季オリンピックの開催が決まりハンドボールの開催も確定、国内での強化が急がれるなかで、学内の球技経験者を集めた。当時、日本スポーツ界の要所に慶應出身者・関係者が多かったことがきっかけとされる。しだいに「ハンドボール愛好者」が増え、41年春から東京学生リーグ(現・関東学生リーグ)3連覇、43年春にも優勝、第2次大戦前の最強チームの1つとされる。85年秋に42年ぶりの優勝を飾り話題になった。02年女子チームが発足。

ケンパ Bernhard Kempa

ベルンハルト・ケンパ。西ドイツ(当時)が1950年代後半(主に11人制)に生んだ世界的名手。「ムッシュウ・ハンドボール」の名でいまだに人格、技量最高の選手として敬愛されている。52、55年世界11人制選手権優勝、56年その主力として来日。60年代、クラブチームの監督時代にスカイプレーと同型の“空間攻撃”を考案、「ケンパ・トリック(trick)」と名付けられた。01年から「kempa」のブランド名で、さまざまなハンドボール関連商品が発売されている。1920年11月生まれ。

ケンパ・トリック

上掲、「ケンパ」の項参照。

検体

ドーピング検査で採取(採尿)されたサンプル。

ケルン・アリーナ

98年春、ドイツの中核都市ケルンに完成した現代を代表する大アリーナ。現地では「ケルナレナ」と呼ばれる。ハンドボールでの収容力は19500人、ドイツリーグの名門グンマースバッハがビッグカードのホームに使用、07年2月の第20回世界選手権決勝(ドイツ-ポーランド)では定員を越す大観衆を集め世界最大・最高のハンドボール場の定評を得て、2010年から男子ヨーロッパチャンピオンズリーグ「ファイナル4」の定期会場(2020年まで)となりスーパーイベントの桧舞台となっている。2009年Lanxessがホールの命名権を獲得。  

キーパーソン keyperson

組織、行動、行事などの中心人物。

キック

ボールを足(膝より下の足の部分)でボールを蹴ること、蹴ってしまうこと、当ててしまうこと。コートプレーヤーのこの行為は反則。

キール THWキール

1904年創立のドイツを代表する名門スポーツクラブ。正式名称はTurnverein Hassee Winterbek Kiel(THWキール)。ハンドボール部門の活動は23年から。11人制時代に2回国内制覇している。
57年ドイツ選手権で初優勝、そのあと2回優勝を飾ったが77年ドイツリーグの正式発足後は勝運に恵まれず93年になって初めて制覇、一気に全盛期へ進み5連覇(04~08年)1回、3連覇3回など常勝を誇り通算優勝回数は19回。07年にはヨーロッパチャンピオンズリーグを制し、そのあとさらに2回栄冠を飾った。90年代以降スウェーデン、デンマークなど北欧の超一流選手の補強を続けた積極さが勝因とされる。08年秋、ヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝(07年)でレフェリーを買収のスキャンダルが表面化。クラブ側は否定したが、イメージダウンは免れなかった。
ホームゲームはつねに10250人の満員で、事業力も抜群、現代最高、最強のクラブといえる。71年に来日している。愛称とマスコットは「しま馬(ツェブラ)」。

期限付き移籍

所属しているチームで出場機会の少ない選手が、他チームからの要請で期間を限って一時的に移籍し、出場(実戦)のチャンスを得るようにすること。「レンタル(rental)」とも呼ばれる。即効的、臨時的強化のため利用されるケースも多く、規制の動きがある。

帰化選手

ほかの国の国籍を取得し、その国の国民となるスポーツ選手。代表チームの戦力増強のため、外国籍の有力選手に、国籍取得を勧めることがある。国家の分、独立、統合などで新国籍となる場合も少なくなかった。即効的な強化を防ぐため代表チームでの活動には制限規程がある。2015年第24回世界男子選手権で2位となったカタールのメンバーは14人の帰化選手で占められ話題となった。

日本協会機関誌

日本ハンドボール協会広報事業の1つで1960年6月に創刊、09年5月に500号に達した。年間9回の発行(09年度)。誌名は「ハンドボール」。52年3月から1度「会報」が発行されたが、54年10月、通算8号までで休刊した。

棄権

参加、出場の手つづきをしていたチームが、何らかの事情で不参加、不出場を余儀なくされ、あらかじめ通知して試合を行なわないこと。規定のメンバー不足、社会情況の影響、交通事情による遅刻、チーム財政などの理由が多い。勝ち抜き戦では相手側は「不戦勝」となり、スコアは付されないことが多い。総当たりリーグ戦では1-0、2-0、5-0、7-0、10-0、12-0、14-0など共通の規定はない。日本ハンドボール協会の主催大会(試合)では理由のいかんを問わず、ペナルティが課せられることもある。

木野 実(きの・みのる)

1970年代日本を代表する選手。立教大学-全立教-湧永薬品(現・湧永製薬)で活躍、ミュンヘン・オリンピックを目指す全日本の中心選手としてマスコミの注目を集める存在となった。ミュンヘン・モントリオール・モスクワオリンピック代表、世界選手権出場3回。現役を退いたあとは全日本男子ジュニア、湧永製薬の監督、日本ハンドボール協会広報担当理事として97年熊本世界選手権ではメディアオフィサー、環太平洋大学(岡山)の男子チーム監督、京都大コーチなど多彩な分野で活動している。1945年12月大阪生まれ。

紀野 奈々美(きの・ななみ)

モントリオール・オリンピックを含み74~81年全日本で活躍したあと、82年4月女性初の全日本コーチとなった(監督は鈴木義男)。ホームチームは立石電機。大分東高校出。大分生まれ。

岸(岸清一)記念体育会館

国内のスポーツ団体の多くが本部事務所を置くビル。1941年に設置され64年7月、現在の場所(東京都渋谷区)に新築された。地上5階、地下3階。日本ハンドボール協会は5階にある。岸清一は実業家、初代日本ボート協会会長。死後、スポーツ界に多額な寄付を贈り記念館建設となった。1933年66才で他界。

ナック(ノック)アウトシステム knockout-system

勝ち抜き戦に同じ。総当たり戦とは異なり、ナックアウト(勝利)して勝ち進むこと、あるいはナックアウトされた(敗戦)チームが退く大会方式。

神戸クラブ(「神戸送球倶楽部」)

1936年のベルリン・オリンピック参加を目指して35年3月に結成されたチーム。神戸に在住したドイツ人などハンドボールを間近に見聞する機会の多かったサッカー、バスケットボール、陸上競技などの愛好者によって編成、37年12月神戸で在神戸ドイツ人チームと初の公開試合を行なった。国内では、この2ヵ月前、関東選手権が開かれている。39年7月、神戸クラブが主体となって兵庫協会(第1次)が創立され、40年の第3回全日本選手権(東京)では準決勝に進出した。43年関西協会結成記念試合(西宮)で全神戸の主力となったあと、動きが伝えられなくなってしまった。

「国立8大戦」

旧帝国大学7校と神戸大学による「定期戦」。56年の東京大学-京都大学定期戦の際、大阪大学、神戸大学が来場、4大学対抗を行ない準備大会とし、57年名古屋で名古屋大学、東北大学が加わり6校によって正式発足、60年北海道大学、62年に九州大学が参加して、現在に至っている。

国立スポーツ科学センター JISS

2001年10月に東京都北区に開所されたスポーツ科学・医学・情報などの中枢機関。英字名はJapan Institute Sports Sciences。近代的設備のハンドボール練習場などを備えた「ナショナルトレーニングセンター」は08年1月に完成した。略称は「JISS(ジス)」

国立代々木競技場

2020年東京オリンピックのハンドボール全日程が行なわれる東京渋谷の室内競技場。
1964年東京オリンピックの競泳会場として63年2月に建設工事が始まり、開会まで残り39日に完成した。建設・総合意匠は丹下健三氏(故人)。64年12月、冬季はスケート場として使用され、さらに77年氷の上に床を張って室内競技場としても整備。ハンドボールは84年5月の第5回国際スポーツフェアで初使用している。64年の施設がほぼそのまま20年の会場になるのはハンドボールだけである。施設は第2体育館も備えているが、競技は収容力12000席を擁する第1体育館のみで7月25日から8月9日まで男女交互に16日間連続で行なわれる予定。

国際軍隊スポーツ連盟

Conseil International du Sport Militaile(フランス語)。1948年2月ベルギー、フランスなど5ヵ国の軍隊スポーツ関係者がフランスに集合して発足。03年10月現在、世界122の国と地域がメンバーとなっている。ハンドボールなど24の競技別「世界軍隊選手権」を主催している。95年から念願の「軍隊スポーツ・ワールドゲームズ」を4年にいちど開いているがハンドボールが実施されたのは07年の第4回(インド)だけ。2015年の第6回(韓国・聞慶市)では行なわれる。フランス語略称はCISM。

国際アマチュアハンドボール連盟

International Amateur Handball Federation。現在はない。1926年8月オランダで開かれた国際陸上競技連盟総会でドイツを中心にヨーロッパ各国の陸上競技界からハンドボールの国際組織結成が呼びかけられ、10ヵ国によって同年11月同連盟内に「ハンドボール委員会」が編成された。2年後、アムステルダム(オランダ)・オリンピックで国際オリンピック委員会の支持を得て、28年8月4日国際アマチュア・ハンドボール連盟設立にこぎつけた。加盟国はアメリカ、カナダ、デンマーク、ドイツ、フィンランド、フランス、ギリシャ、アイルランド、オーストリア、スウェーデン、チェコスロバキアの11ヵ国だが、各国にハンドボール組織が確立されていたわけではない。初代会長は国際陸上競技連盟のシグフライド・エドストリョーム(スウェーデン)会長が推されたが、すぐにフランツ・ラング(ドイツ)に代わった。事務所はベルリン(ドイツ)。日本は日本陸上競技連盟関係者が手続きし、12番目の加盟国となった。すぐに19ヵ国を数えるまでになる。
34年、国際競技規則を正式制定、36年ベルリン・オリンピック、38年の世界選手権(7人制、11人制)、加盟国も38に伸び、会長は34年からカール・リッター・フォン・ハルト(ドイツ)となる。ベルリン・オリンピックでの採用(男子11人制)は34年5月に決まったものだ。順調な発展も第2次大戦のため“休止”となり、連盟そのものが自然消滅してしまう。英文の略称、略記はIAHF。

国際女子リーグ

Women Handball Regional League(WHRL)。2009年からスロベニア、クロアチア、オーストリア、マケドニアなどの女子有力クラブが加盟して行なわれている国際女子リーグ。13~14年シーズンは8クラブが参加。

国際スポーツ記者協会ハンドボール委員会

1924年に発足した国際スポーツ記者協会=Association Internationale du la Press Sportive(フランス語)のハンドボール分科会。各国の経験豊かなジャーナリストでハンドボールを担当している人のネットワーク。70年の第7回世界選手権を前に準備され83年第1次委員会、95年現在の組織が確立された。日本からは70~74年杉山茂(NHK)、76~89年小山敏昭(共同通信)が名義参加のあと、97年南木貞夫(スポーツイベント)が初の正式メンバーとなった。委員会は84年から国際ハンドボール連盟広報誌「ワールドハンドボールマガジン」を年4回編集、発行し、高山奈美(スポーツライター)がアジア地域通信委員に指名されている。委員長はギュンター・プフェイストリンガー(オーストリア)。協会のフランス語略称、略記はAIPS。

国際公認審判員

国際ハンドボール連盟が公認する「IHFレフェリー」。50才が定年。制度は数回にわたって変更されているが、日本人で資格を取得したのは史上(1957年~2013年)60人。

国際オリンピック委員会

International Olympic Commitee。1894年6月23日パリで創設された。2014年現在加盟している国と地域の国内オリンピック委員会(National Olympic Committee=NOC)は205。日本オリンピック委員会(=JOC)は、12年のストックフォルム・オリンピックに日本が初参加するために大日本体育協会(=大日本体育会)が発足し、その1委員会として組織、加盟した。
国際ハンドボール連盟は1946年に承認スポーツ団体となっている。英文略称、略記はIOC、固有名はフランス語のCIO。本部はローザンヌ(スイス)。会長はトーマス・バッハ(ドイツ)。委員は103人(13年9月現在)。

国際ハンドボール連盟

International Handball Federation。第2次大戦1年後、1946年7月11日コペンハーゲン(デンマーク)にデンマーク、フィンランド、フランス、ノルウェー、オランダ、ポーランド、スウェーデン、スイスの8ヵ国の代表が集まり、世界のハンドボール新組織立ち上げを協議、一気に設立へと動いた。その日のうちに、オーストリア、ルクセンブルグ、ポルトガルから代表が送られ、この11ヵ国とベルギーが最初のメンバーとなる。初代会長はゲスタ・ビヨルク(スウェーデン)。48年男子、49年女子の11人制世界選手権をまず開催、54年男子、57年女子の7人制(室内)世界選手権を行ない、室内主流の芽生えを早くも感じさせることになる。
日本は52年9月の第4回総会(西ドイツ=当時)で20番目の加盟国として宿願の承認を得る。それまでの19ヵ国はすべてヨーロッパ勢。
55年、国際オリンピック委員会に対し、60年のローマ・オリンピックでの採用を働きかけるなど、オリンピック参加が大きな目標となるが、競技面では11人制を見送る国が年ごとに増え、男子は66年の第7回、女子は60年の第3回を最後に世界選手権の幕が閉じられる。65年国際オリンピック委員会は、72年のミュンヘン・オリンピックでハンドボール(男子7人制)の実施を決定、76年モントリオールで女子も加わった。この動きが刺激となり、加盟国数は66年39、76年66、86年109と伸び、09年6月166、2013年9月199を数え、同時点での世界の愛好者総数は1366万2000人(うち女子522万2000人)。ほぼ同数のジュニア、ユースが活動している。チーム(クラブ)数は19万5200とされる。大陸別加盟国数はアジア40、ヨーロッパ52、アフリカ50、アメリカ28、オセアニア6で、このほか準メンバーが23を数えている。90年代以降、マーケット路線が促進され、93年から世界選手権は2年おき開催、03年から1~3位に賞金を贈る時代を迎えた。94年からプロフェッショナル選手の参加も容認している。92年7月イタリアで始まった「ビーチ競技」の普及も順調である。
主催する世界選手権は1938年からの男子、57年からの女子に加え、77年から男女ジュニア、01年からの男女ビーチ、05年からのユースがある。
ビヨルクのあと会長はハンス・バウマン(スイス、50~71)、パウル・ヒヨーグベルグ(スウェーデン、71~84)、エルヴィン・ランツ(オーストリア、84~00)、ハッサン・ムスタファ(エジプト、00~現在)と引き継がれている。本部はバーゼル(スイス)、事務総長はジョエル・デルプランクェ(フランス)。英文の略称、略記はI.H.F。

国際ハンドボール連盟理事会

会長、事務総長など18人のメンバーによって年3~4回開かれる。任期は4年間。議長は会長がつとめる。日本では97年(熊本)、03年(神戸)の2回開かれた。カウンシルと呼ばれる。

国際ハンドボール連盟総会

国際ハンドボール連盟の全加盟国の代表が出席して2年にいちど開かれる最高決議機関。オリンピックイヤーあるいはその翌年の総会で役員の選出、競技規則の改訂が協議される。第1回は1946年、2013年までに34回行なわれた。このほか、緊急議題を協議するため臨時総会が48年と03年に招集されている。議長は会長がつとめる。アジアでは88年ソウルで第22回、13年ドーハ(カタール)で第34回が開かれた、総会での公用語は英語、ドイツ語、フランス語の3ヵ国語。コングレスと呼ばれる。07年から西暦奇数年の開催になり、次回は15年6月ハンガリーの予定。

国際スポーツフェア sports fair

83年から88年まで東京代々木の国立屋内競技場周辺で開催されたスポーツの総合的なイベント。ハンドボールは84年(ユーゴスラビア~旧国家~招待)、85年(中国招待)に行なわれ、84年5月の全日本-ユーゴスラビア戦は、ある時間帯、12000人の観衆で埋まった。

国際大学スポーツ連合

Federation International du Sport Universitaire(フランス語)。1949年パリで設立され03年11月現在、世界134の国と地域の大学スポーツ組織がメンバーとなっている。2年にいちどの総合競技大会「ユニバーシアード」を主催するほか、ハンドボールなど25競技の「世界学生選手権」を開いている。フランス語略称はFISU。本部はブリュッセル(ベルギー)。

国民体育大会

「国体」と略称される国内最大・最高の都道府県対抗による総合競技大会。第2次大戦終戦直後「日本列島の復興をスポーツで」と全スポーツ人、体育人が新しい力を結集して生まれた。1946年11月京阪神地域で第1回を開催、ハンドボールは兵庫・西宮球技場を会場に行なわれ、48年から47都道府県対抗制を全面に打ち出し国内競技スポーツの発展に大きな歩みを刻してきた。87年まで一般男女、高校男女、63年から76年までは教職員男子を加えて5種別、開催地が“2巡目”となった88年から成年男女、少年男女と改正され、成年男子は95年まで1・2部制が採られた。
90年代後半に入って地方の財政事情で大会の適正規模を探る動きが強まり、主催する日本体育協会は“改革”に踏み出し、06年から夏季・秋季大会の一本化が行なわれた。今後の開催県は決定・内定・申請順などを含め、2016年岩手、17年愛媛、18年福井、19年茨城、20年鹿児島、21年三重、22年栃木、23年佐賀、24年滋賀、25年未定、26年宮崎(=第81回)となっている。現在の総競技数は40(冬季の3競技を含む)。

小松 真理子(こまつ・まりこ)

日本女子で初めてスペインリーグで活動した選手。北国銀行で活躍のあと03年から同国女子1部プリュスフレスク・ウニオ・エスポルティーバ・イエィダ、07年からポモチオネス・パライソ・カストロAA、08年から10年まで早船愛子のいるビィカール・ゴヤに加わった。11年帰国、HC高山(現・飛騨高山ブラックブルズ岐阜)、北國銀行でプレー(コーチ兼任)。元日本代表選手。ワールドゲームズ(01年)のビーチ競技にも日本代表として出場している。小松商高出、石川県生まれ。

「駒沢」

東京都世田谷区の都営総合スポーツ施設。正式名称は駒沢オリンピック運動公園。1949年10月の東京国体で開場、ハンドボールの全34試合(11人制、エキシビション3試合を含む)を行なったことで、全国にハンドボール専用競技場としての名が広がり、50年から関東学生リーグのホームグラウンド、51年、53年、55年の全日本高校選手権開催で自他ともに認める日本ハンドボール界の本拠地となった。
64年の東京オリンピックを前に、全施設が改修され、2つの室内施設(駒沢屋内球技場、駒沢体育館)を新設。63年からのハンドボール7人制一本化に大きな力となり、現在に至っている。
40年東京オリンピック(返上)は駒沢を中心にハンドボールなどの屋外競技を行なう青写真があり、64年の同オリンピックもハンドボール会場は駒沢が有力とされていた。

固定出場枠

国際ハンドボール連盟世界選手権の参加を大陸別に自動的に割り振った数を言う。これまでは「義務出場枠」と言われた。コンパルソリープレースに同じ。

高知県協会

1948年2月設立。同時に社会人の高知クラブが発足する異例ともいえる球史の幕あけだった。そのあと高校界に普及、県内リーグなど強化事業が積極化された。97年、高知高専の第48回全日本高校選手権(京都)出場は特筆される。

公益財団法人

日本ハンドボール協会の“社会的な資格”で2013年4月1日付で内閣府から認可された。日本協会は1938年2月2日~1981年3月10日が任意団体、81年3月11日~2013年3月31日が財団法人で活動してきた。公益法人制度の改革(08年12月)で国内のスポーツ団体の多くは公益法人か一般法人かへの移行の選択が必要となり、日本ハンドボール協会は3年余の検討の結果、より社会的な信用度が高くなる「公益」へ移行した。税制面で優遇されるが財政・事業などで報告義務が増え厳しい監督を受ける。

皇后杯得点

国民体育大会の冬・夏・秋季3大会の女子競技の順位に与えられる得点。全競技の得点を合計して最高の成績をあげた都道府県に、秋季大会最終日の閉会式で「皇后杯」が授与される。1948年に制定され得点計算の方法は数回改正されている。男女総合の順位を競うのが天皇杯得点

高校ハンドボール界

1948年、新しい学校教育制度(「6・3・3・4制」)が発足、同年6月全国高校体育連盟が設立され、ハンドボールはいち早く内部機構の専門部として“加盟”、高校ハンドボール界の誕生となった。以来、各都道府県協会関係者の努力によって高校チームは日本ハンドボール協会の愛好者人口の60パーセント以上をつねに占め(2014年度は中・小学生を含む総数の48.7パーセント)、学生界の拡充、さらには国際舞台での活躍を支える不動の基盤となっている。近年、少子化の影響で高校の統・廃合が進み、前途に課題を抱える。

公認競技別指導者

2006年度からこれまでの文部科学省制定を、日本体育協会が公認、日本ハンドボール協会などと養成するシステムに変えた。「スポーツ指導者」のうち「競技別指導者」は「指導員」「コーチ」に分かれ、さらに各2カテゴリーが設けられる。06年度末の日本ハンドボール協会の登録状況は、「指導員」661人、「コーチ」は「上級コーチ」85人、「コーチ」216人となっている。日本ハンドボール協会による「J級指導員」は33人。

公認審判員

1952年に規定が整備され、55年から本格化した制度で日本ハンドボール協会が公認した審判員。18才以上に申請資格があり(ヤングレフェリーは16才以上)審判技術によって4階級(A、B、C、D)に分けられ、満50才の年度末で定年となる。2014年3月現在、国際審判員15名を含め総数3081(うち女性435名)名が登録されている(終身審判員101名を除く)。

高等専門学校(高専)ハンドボール界

62年、産業界の要請で設立された高等専門学校は中学校の卒業生を受け入れる5年制が特色。当初、ハンドボール活動は10校程度だったが次第に普及、95年、全国高専総合体育大会の公式競技となって、各校の関心がいちだんと高まり、08年3月現在、全国62校のうち43校にハンドボールチーム(部)が設けられている。3年生までが高校の大会に、4、5年生は大学の大会に参加できる。

公式国際試合

国を代表するチーム同士の対戦。レフェリーが第3者国であることが望ましい。かつては国際ハンドボール連盟加盟国が非加盟国と対戦するには、同連盟の承諾を必要としていた。主な史上最初の公式国際試合は次のとおり。

世界・男子室内 1935年3月8日スウェーデン18-12デンマーク=コペンハーゲン(デンマーク)
   ・女子室内 53年11月29日ノルウェー5-3西ドイツ(当時)=キール(西ドイツ)
日本・男子室内 61年3月1日チェコスロバキア38-10日本=カールスルーエ(西ドイツ)~第4回世界選手権~
   ・女子室内 62年6月24日西ドイツ12-4日本=テクニッヒ(西ドイツ)
国内・男子室内 66年10月3日中国18-17日本=駒沢屋内球技場(東京)
   ・女子室内 75年2月28日日本19-4イスラエル=東京~モントリオールオリンピックアジア大陸代表決定戦~
  
世界・男子11人制 25年9月13日オーストリア6-3ドイツ=ハレ(ドイツ)
    (23年7月8日にアルゼンチン7-3ウルグアイ戦がブエノスアイレス(アルゼンチン)のフェロカリル・オエステスタジアムで行なわれた記録と写真が残るが、「アルゼンチン・ボール」と呼ばれるハンドボールの類似球技という説もある)
   ・女子11人制 30年9月17日オーストリア5-4ドイツ=プラハ(チェコスロバキア)
日本・男子11人制 56年9月30日西ドイツ28-12日本=東京・後楽園競輪場

日本の女子11人制は対戦がない。世界の女子7人制はオスロ(ノルウェー)のクレーコートで52年10月19日西ドイツ4-3ノルウェーが行なわれている。前掲の室内より早い。

交代

「交代しようとするプレーヤー」がコートから出てしまえば、いつでも、回数に制限なく交代ラインを通って競技に出場できる。交代を記録席やレフェリーに告げず自由に行なわれるようになったのは62年。

交代ライン(交代地域)

センターラインを中心点にベンチ側のサイドラインの一部として4m50の距離に示されたポイントまでを指す。この「9m」ラインが交代プレーヤーの出入り口(交代地域)である。

交代プレーヤー

自軍のプレーヤーと交代して出(入)場するために、競技中、交代ラインで待機するプレーヤー。

「高等女学校」ハンドボール界

国内女子草創期の主流を成した。小学校に接続した4~5年制の学校で、女子の高等普通科教育を狙っていたが、学校体育のハンドボールは競技スポーツとしても注目された。1940年、42年の2回の全日本女選手権女子の部は倉敷高女(岡山)が連覇、決勝の相手は梅花高女(大阪)、津山高女(岡山)、41年、神戸で在日ドイツ人を中心とする外国人女子チームの相手をつとめたのは成徳高女(兵庫)だった。東日本では静岡高女(現・静岡城北高)、大宮高女(埼玉)などが活躍。女子の球史は、しだいに師範学校や体育専門校に受け継がれることになるが46年に始まった国民体育大会の初期に茨木高女(大阪)の春日丘高をはじめ高等女学校勢の活躍が見られる。

クラウゼ・ロスヴィッタ Roswitha Krause

旧東ドイツ女子の代表メンバー(CP)としてモントリオールオリンピック(76年)で銀、モスクワオリンピック(80年)で銅メダル獲得の原動力となった選手。68年メキシコオリンピックの同国競泳代表で400メートル自由形リレーのメンバー(第2泳者)としても銀メダルを手にしている。オリンピック2競技でメダリストとなったハンドボール選手はこのあと出ていない。79年2月、東ドイツ代表の一員で来日。ライプチヒ生まれ。

空間プレー

57年の規則改正でボールが手から離れていればゴールエリアの“上空”に入っても反則とならなくなり、各国で一斉に技術開発された。ジャンプからのとびこみ(プロンジョン)シュートのほか、日本、韓国などが考案した「スカイプレー」はハンドボールの魅力を増す画期的な攻撃法である。11人制では54年からゴールエリア上の空間のプレーが認められていた。

熊本県協会

1947年10月設立。国内有数のトップゾーン。旧制中学を中心として球史は始まり、その歴史が新制高校へと受け継がれ女子を中心に全国的強豪を輩出した。県教職員大会を軸とした一般への普及も積極的で、国内を代表する社会人(企業)チームの発足を促した。“県技”ともいえる成熟が97年の世界選手権(=後掲)の招致-開催-成功へとつなげ、さらに、2019年の第24回世界女子選手権の開催を決めた。03年全国大会優勝100回をマークした。

熊本アジア選手権

00年9月24日から30日まで熊本市、山鹿市などでシドニー・オリンピックアジア予選を兼ねて第9回(女子第7回)が行なわれた。男女とも参加5ヵ国の総当たり戦。韓国が男女の優勝とオリンピック出場権を得た。日本は男女とも3位。

熊本アジア女子ユース選手権

2011年9月23日から28日熊本県山鹿市で行なわれた第4回大会。5ヵ国が参加、優勝は韓国、日本は2位。イラン、カタールのイスラム系両国が出場、注目された。韓国と日本は12年の第4回世界女子ユース選手権出場権を獲得した。

「熊本世界女子選手権」

2019年12月に予定される第24回世界女子選手権開催に熊本県が名乗りをあげ、13年9月の国際ハンドボール連盟理事会(カタール)で審議され支持を得た。対立候補はノルウェーだった。この大会がアジアで開かれるのは90年韓国、09年中国についで3度目。すべての日程(競技)を熊本県内で行なうかどうかは日本ハンドボール協会が今後検討する。15年はデンマーク、17年はドイツで行なわれる。

熊本世界男子選手権

正式大会名は第15回世界男子選手権。97年5月17日から6月1日まで熊本市パークドーム、熊本市総合体育館、八代市総合体育館、山鹿市総合体育館を会場に世界24ヵ国を集めて開かれた。
90年代に入ってすぐ熊本県当局に世界的スポーツイベント誘致の動きがあり、95年から2年おき開催となるハンドボールに着目、94年9月の第25回国際ハンドボール連盟総会(オランダ)で、対立候補エジプトを圧倒し、ヨーロッパ地域外で史上初の開催(当時)が決定した。大会は県・市一体の展開で空前の盛況となり、全期間を通じてののべ観客数は288955人(全80試合)、事業予算約24億6600万円という史上特筆すべきスーパーイベントとなった。優勝ロシア、2位スウェーデン、3位フランス。日本はベスト16の決勝トーナメントへ進出したが15位。最優秀選手タラント・ドイシェバエフ(スペイン)、得点王・尹京信韓国、62点)。

カン・フー kung-fu

フランスなどヨーロッパの一部の国が「スカイプレー」に付けた呼び名。中国拳法の空間での武術と東洋のイメージを重ねたもの。「スカイプレー」はこのほか「ケンパ・トリック」「飛行船」「エアボーン」「ニッポン」などとも呼ばれる。

倉敷高等女学校(岡山)

1937年秋に誕生した国内初の本格的女子チーム。当時の岡山県球界は東京、大阪、神戸と肩を並べる活況で、その中心的な存在でもあった。女子の全国的普及でチームの目標も高まり、40年第1回全日本女子選手権で梅花高女(大阪)を延長の末3-2で破り記念すべき初代クィーンとなった。戦後、倉敷精思高校を経て現在の倉敷青陵高校に至るまで活発な動きを継承している。

倉敷絹織(岡山)

1939年7月に結成された初の実業団(男子)チーム。活動は主に県内でとどまり40年代で休部となった。

藏田 照美(くらた・てるみ)

モントリオール・オリンピックで女子得点王に輝いた選手(28点=5試合)。リヒター(東ドイツ)、ステルビンスキー(ハンガリー)、マカレシュ(ソ連=当時)ら名だたるアタッカーをおさえての受賞は高い評価を得た。ホームチームは立石電機(熊本)。73年から日本代表、75年の第6回世界女子選手権にも出場。菊池農高出。熊本生まれ。

車椅子ハンドボール

90年11月京都障がい者スポーツ振興会などが京都で「全京都車いすハンドボール大会」を開き、そのあと毎年、継承されている。01年10月仙台で開かれた第56回国民体育大会のデモンストレーション「身体障がい者スポーツ」の1つとして行なわれ、それをきっかけに近畿を中心にルールの制定や全国大会開催の機運が高まり、04年1月兵庫県姫路市で「第1回日本車椅子ハンドボール記念大会」が行なわれた。日本車椅子ハンドボール連盟は03年に発足し05年から日本ハンドボール協会の加盟団体。国際的には08年チェコで初のヨーロッパ選手権、14年にはブラジルで「世界選手権」が開かれている。国際ルールは未定(15年3月現在)

車椅子ハンドボール競技

ヨーロッパや南米では1970年代から各国で行なわれていたが、統一したルールなどは整備されていない。
日本車椅子ハンドボール連盟による基本ルールは1チーム6人(うちゴールキーパー1人)、ボールを保持して連続4回車輪をこぐことが定められている。コートは18m×28m、前後半各15分。

クウェート

ハンドボール協会は1966年に創立。オリンピックでハンドボールが復活するのを知り、同国スポーツ界のリーダーでもある王室など富裕層が運営する有力スポーツクラブが一斉にこのスポーツへ注目したとされる。
70年国際ハンドボール連盟に加盟したあとアジアの組織化を図り同時にその主導権を握るべく行動、74年アジア競技大会競技に加えさせ、76年アジアハンドボール連盟の設立を先導した。さい配を揮ったのは首長一族のアル・ジャバー・アル・サバハ氏で、同氏が90年に逝去したあとは子息のアル・ファハド・アル・サバハ氏が実権を握った。競技面でも影響力を示し、その強引な手腕が極東勢との対立を深めた。一方でシニア(代表)、ジュニアの実力は着実に上がり、アジア球界の上位に定着している。
2010年1月、国際オリンピック委員会は同国スポーツ団体役員の選任に政府が絡んでいるとし、改善されるまでの約3年間、一切の国際スポーツ活動を停止させていた。

光州ユニバシアード

2015年7月、12日間にわたって韓国南西部の光州直轄市で開かれる夏季ユニバシアード。男女ハンドボールが14ヵ国ずつの参加で史上初めて行なわれる。09年5月、ベルギーの国際大学スポーツ連盟総会で選定されたが実施が義務づけられている13競技のほか、開催地に委されている選択競技のハンドボールなど8競技も行なうとして注目を浴びた。この大会の次は2017年に台湾・台北市で開かれるが、ハンドボールは実施競技に含まれていない。

京都府協会

1947年5月設立。旧制高校や大学チームによって活動が行なわれ、そのあと高校男女へ広がった。88年の京都国体会場地、京都府田辺町(現・京田辺市)が同年8月に初の「全国小学生大会」を開き、現在に至っているのは特筆される。

競技場

①屋内、屋外を問わずコートとコート周辺。競技エリア(コート)は68年から国際ハンドボール連盟によって「40m×20m」(ビーチを除く)と規定されている。
②ハンドボールの行なわれる会場。

競技会内ドーピング検査

検査対象競技者が参加する大会で、原則として競技開始8時間前および終了後8時間以内に行なわれるものをいう。
合宿中や日常生活で予告なしに行なわれる検査は「競技会外ドーピング検査」と呼ばれる.

競技規則(Rules of the Game)

世界すべてのハンドボール競技をフェアで円滑に運ぶために国際ハンドボール連盟が制定する。1926年ドイツが中心となって国際ルールを検討、27年に史上初のルールブックがまとまり、28年国際アマチュアハンドボール連盟設立と同時に施行された。このルールは35年7月19日付で日本陸上競技連盟によって翻訳・刊行されている。その年、室内とともに新たな国際ルールが定められ38年2月日本ハンドボール協会は発足と同時にこの35年版を採用した。第2次大戦後、47年に新たな組織・国際ハンドボール連盟が新ルールを明らかにし、日本ハンドボール協会は50年に翻訳、51年に全国講習会を行ない採用した。そのあと58年フリースローでのレフェリーによる吹笛廃止など競技のスピード化とプレーの継続を目指す改正が重ねられている。原則として毎年8月1日から新規則、新解釈の発効となる。
日本ハンドボール協会は、1または2年おきに「競技規則」を発行しているが、2015年版から電子ファイルが主となる。

競技者資格規程

アマチュア、ノンアマチュアを問わず日本ハンドボール協会が「競技者」としての個人資格を定めた規程。国際ハンドボール連盟の「参加資格規程」~エリジビリティコード~に準じており、非契約、契約の2種別。契約選手はコントラクトプレーヤーに同じ。
旧来型のアマチュアは非契約競技者として扱われ、90パーセント以上がこの種別だが、企業の嘱託として報酬などを受け取る契約者も年ごとに増えている。94年から国際ハンドボール連盟が認めているプロフェッショナルは日本協会の種別にはない。国内大会では大会ごとに特定の資格規程が設けられる場合がある。

「日本ハンドボール(協会)史」

日本ハンドボール協会事業として編集・刊行される文献。
1987年3月日本協会創立50周年事業で「日本ハンドボール史」が、98年3月、「日本ハンドボール協会60周年記念誌」が、13年2月「日本ハンドボール協会75周年記念誌」が、その都度編成される編集委員会によって企画・制作が行なわれている。

旧制高等学校

第2次大戦前の中学校愛好者が高校(旧制)で引き続きハンドボールに親しみ、47年、48年の2回、京都で全国大会が行なわれ、戦後ハンドボール史に貴重な足跡を残している。優勝は「大阪高校」の連覇。

球戦

第2次大戦中、外来語の使用が禁じられ、ハンドボール(送球)などボールゲーム(球技)の試合を指した表現。

九州学生リーグ

50年の九州地区大学体育大会に参加したハンドボール部門を母体に各地の連携が図られたが、本格的な活動は63年の全九州学生選手権から(女子は76年)といえる。そのあと福岡学生リーグ、南九州学生リーグなど地域別の動きが軌道へ乗り、67年正式に九州学生ハンドボール連盟が発足、92年待望の九州学生リーグが男子4部と女子で結成された。“前身”の九州学生選手権(63~91年、男子)は西南学院大学が64年からの6連覇で無敵を誇り、そのあと九州産業大学が強みを示していた。
70年代に始まった韓国との交流や、各校の意欲的な競技力アップは、国際級選手の輩出に実っている。
92年春から男子は福岡大学が42回優勝という圧倒的な強さで、東和大学が97年春と00年秋の2回一矢を報いている。女子は92年春から2季制となり14年秋までの46シーズンは福岡教育大学26回、福岡大学20回と2校の争いに終始している。
◆1992年から2014年秋季までの優勝校と回数
【男子】福岡大44回、東和大2回
・1963年から91年まで「選手権時代」の優勝校と回数 福岡大8回、九州産業大7回、西南学院大5回、熊本商大3回、福岡教大2回、鹿児島大1回、久留米工大1回、琉球大1回、東和大1回。
・通算優勝回数 福岡大50回、東和大3回
【女子】福岡教大26回、福岡大20回
・1976年から91年まで「選手権時代」の優勝校と回数 福岡大11回、福岡教大3回、九州女子短大2回
・通算優勝回数 福岡教大28回、福岡大28回、九州女子短大2回
【2014年秋季の加盟校】男子1部6校、2部6校、3部6校、4部5校。女子1部6校、2部6校。

L.N.H

フランス男子全国リーグ、Ligue Nationale de Handballの略(フランス語)。
国内最強の14クラブ2回総当たりで行なわれるプロリーグ。田場裕也、土井レミイ杏利、女子リーグでは、金城晶子ら日本選手がプレーしている。リーグと併行して進む「リーグカップ(男子)」の準決勝、決勝を2009年4月アメリカのマイアミで行ない話題となった。

ランツ Erwin Lanc

エルヴィン・ランツ。1984~00年の4期(16年)をつとめた国際ハンドボール連盟の第4代会長。世界選手権の2年おき開催やマーケティングの強化を進めた。オーストリア政府の運輸・外交畑で活躍、75年からオーストリア協会会長。温厚な人柄に加盟国の信頼が厚かった。30年5月生まれ。

ラストパス last pass

得点を生んだシューターへの直前のパスあるいはその送り手。アシストとしての評価を生むが公式記録には含まれない。試合終了直前、決勝点につながる劇的なパスは醍醐味だ。

ラテラルパス lateral pass

ボールを上からつかんで横へ投げるパス。

リーグ league

連合、連盟。同じ理念や同じ地域のチームなどで組織される。

リーグライセンス

国内トップリーグに加盟し参戦するための資格。各クラブ(チーム)は、次シーズンの財政計画、集客計画などを明記した文書で申請し、審査を受けたのち交付される。ヨーロッパでは、不安定な状況から更新の手続きを見合わすクラブも毎シーズン少なくない。

リーグ戦

リーグのメンバー(加盟チーム)による試合で原則として交流を深める総当たり戦。転じて日本では総当たり戦の大会形式を指す場合が多い。対比として「勝ち抜き戦」がある。

レクチュアラー lecturer

講師。国際ハンドボール連盟の各委員会(コミッティ)の決定事項や方針を各国に伝達するため原則として大陸別に選任される。日本人では13年11月現在、競技規則・審判員委員会で後藤登がつとめており、これまでは同委員会で斉藤実、コーチ・手法委員会で水上一らが活動した。

レフトハンダー lefthander

左腕を利き手とする選手。同意語のサウスポー(southpaw=左利きのピッチャー)は本来ベースボール用語だが、最近はハンドボールなど各スポーツでも使われる。レフティ(lefty)とも呼ばれる。

レキップ L’EQUIPE(フランス語)

ヨーロッパを代表するフランスの日刊スポーツ新聞。1945年に創刊、現在の発行部数は65万部といわれ、あらゆるスポーツを克明にカバー、ハンドボールの扱いも大きい。エキップはフランス語で「チーム」の意味。

ライセンス license

免許、認可などの意。日本協会は個別に登録証を発行している。その数が競技者、愛好者人口となる。このほか指導者、審判員などにも発給される。ヨーロッパの上位リーグ加盟クラブは毎年、財政計画書を添えてライセンスの更新手続きが義務付けられている。用具などハンドボール関連商品の販売を日本ハンドボール協会などが認可することも指す。

ライフタイムレコード lifetime record

チーム、プレーヤーなどの通算記録。ライフタイムは「生涯」の意だが、プレーヤーの場合は第一線で活動している期間を示し、日本ハンドボールリーグでは、その在籍中が対象となる。

林五卿 O-Kyong Lim

イム・オキョン。韓国が生んだ世界最高レベルの女子選手。1989年世界女子ジュニア準優勝で注目され、92年バルセロナ・オリンピック金メダル、95年世界女子選手権優勝の原動力となった。96年アトランタ・オリンピック(銀メダル)と合わせこの3大会でベストセブン、96年度世界最優秀女子選手に選ばれている。多彩なシュート技術、正確な配球、鋭敏なフットワーク、気迫に満ちたリーダーシップと展開力は、登場のたびにヨーロッパの専門家、ジャーナリストの絶賛を浴びた。「20世紀を代表する女子選手」の3位にノミネートされたのでも、評価の高さがわかる。
94年秋から広島イズミ(現・広島メイプルレッズ)に加入、そのあと広島メイプルレッズの監督兼選手として活躍、08年5月に帰国(ソウル市庁監督に就任)するまで日本女子界に与えた刺激の大きさは計り知れない。2003年世界女子選手権代表に突如カムバック。悲観的だった韓国女子のアテネ・オリンピック参加への道を衰えぬ技術で開き話題をまいた。

ライン

①競技場の領域を示すための「線」。
②競技規則に示されたプレーを行なうために設けられた「線」。ゴールラインの幅は8㎝、そのほかのラインはすべて幅5㎝。破線(いわゆる点線)によるフリースローラインの長さは15㎝で、同じ長さの間隔で引かれる。ラインは原則として白色、屋内ではテープ、屋外では石灰で引き、ビーチではヒモ(太さに規定はない)を張ることが多い。
③標準、水準などを示す一線。

ラインクロス linecross

コートプレーヤーゴールエリアラインを踏み越してゴールエリアに侵入してしまう反則。ゴールエリアラインはゴールエリアに含まれる。

ライン内防御

ディフェンス側のコートプレーヤーゴールエリア内に入ってプレーする反則。

ラインプレーヤー

ゴールエリアライン沿いに、さまざまな攻撃姿勢をとるプレーヤー。ポストと同意語に近い。対比はバックプレーヤー

リスト list

名簿。(注・手首はwrist

ライブ live

テレビ、ラジオのナマ(実況)放送。対比にテープド(taped、録画、録音)などのディレイ(delay)放送がある。

ローカルルール local rule

競技場や参加者の状況に応じて基本的な競技規則のほかに特別に設けられる規則。

ロンドン・オリンピック

2012年7月27日~8月2日に開かれた夏季オリンピック。ハンドボール(男女)は新設の「アリーナⅢ」(コッパーボックス)を会場に男女各12ヵ国が参加して開かれ、男・フランス、女・ノルウエーが優勝。ロンドンは3回目の開催になるが、前2回(08年、48年)ハンドボールは行なわれていない。

ロングヒッター

ロングシュートを射つのを得意とするプレーヤー。

ロングパス

長い距離のパス。20メートル以上の距離を指すことが多い。

ロングラン

日本ハンドボールリーグのように6ヵ月以上あるいはそれに近い期間にわたって行なわれる大会。

ロングシュート

ゴールに遠い地点から射つシュート。通常フリースローラインより手前から放つシュート。愛好者は単に「ロング」と呼ぶことが多い。最近、「ディスタンス・シュート」という表現もヨーロッパのマスコミでは見られる。

ロングスロー

長い距離を投げること。ロングパスロングシュートの総称ともいえる。

ループパス loop pass

ディフェンスの頭上を越し輪(半円)を描くようにしてのパス。loop(英語)は円環などの意。

ループシュート

強いシュートを打つと見せかけ、シューターとの距離を詰めようとするゴールキーパーをつり出し、その瞬間を狙ってその頭上へ放つ「山なり」の技巧的なシュート。

ルーズボール loose ball

コート上で、どちらのチームにも属していない状態のボール。旧来のルールでは、このボールに身を投げかけて自軍のボールにしようとするプレー(=セービング)は反則とされたが、現行は違反にならない。この改正で試合の展開にスリルが増した。

ルーザー loser

敗者。負けた側のチーム。

ラッキーガール・ボーイ

何をやっても得点などへつながる運のよいプレーヤー。どのようなプレーも運よく成功するプレーヤー。「大会を通じてのラッキーガール」「この試合のラッキーボーイ」などと使う。

マイナスポイント

全国リーグなどで競技上の理由以外の理由でチーム(クラブ)に課せられる罰点。選手移籍規程などの違反によるケースが多い。主催者がその都度、点数を決め(マイナス2点が多い)全日程終了時に勝点から差し引く。

メインラウンド mainround

決勝戦や優勝へつながる大会の最終段階。通常、予選ラウンドが行なわれ、そこで勝ち残ったチームによって争われる決勝ラウンドなどのステージを指す。

毎年(隔年)実施競技

国民体育大会の活性化策として日本体育協会が2015年から採用する方式。
本大会(秋季)の実施競技数を37と限定し、4年ごとに参加を希望する競技を多項目にわたって評価、毎年実施と隔年実施の競技に区分する。
ハンドボールは2015年から22年までの8大会は毎年実施が決定している。

マネージャー

日本では「主務」と訳されチームやクラブの総務、庶務を担当する人を指す。本来は活動全般を管理する人。トップチームではチーム渉外、管理、広報、用具、スコアラーなど近年は複数のマネジャーで分担、運営より経営感覚が強まっている。日本の「監督」チームマネージャーの役とされる。

「マラソンゲーム」 marathon-game

あるチームが、あらかじめ定められた条件(飲食など)の下に、休憩なしに連続してハンドボールをしつづけ、その時間を競うパフォーマンス。原則としてトライするチームは12~14人、相手の人数は制限がない。世界のさまざまな記録を収集する「ギネスブック」(イギリス・ギネス社の年鑑)が呼びかけたとされる。15年3月時点での最長記録は国際ハンドボール連盟によれば1985年8月24~25日オランダで同国クラブHCベリンゲがマークした44時間20分。

マーク mark

印(しるし)、模様、符号などの意だが、ハンドボールでは①得点をあげた(マークした)場合や記録の意で用いられる。②標的の意で相手の有力選手や、強力チームに注意をはらう③キャプテンマーク

マーケティング marketing

本来は商品販売の促進など企業活動での行動だが、スポーツ(ハンドボール)では、その普及、振興を図り、円滑に事業を運ぶための宣伝・広告や愛好者、ファン、サポーターを“市場”(マーケット)に見立てての調査、スポンサーの獲得、有料入場者の確保などを行なうことを表わす。日本ハンドボール協会内でもその重要性が強く説かれている。

マッサージャー massager

手で筋肉やヒフを刺激し血行を整える専門的な知識を持った人。現代のスポーツでは血行の変調などを治すため、スタッフとして欠かせない役割を持つ。女性のマッサージャーはマシュウス(masseus)、男性はマッサー(masseur)と呼ばれる。

マスターズ masters

精通、熟達などの意から転じてハンドボールではOB、OGなど、“若い時代”に愛好した人たちやその人たちによる大会、試合。93年全日本教職員ハンドボール選手権の“シニアの部”として親睦色を打ち出して始められ、年ごとに大会への評価と関心を高めている。ハンドボールの本格的経験の浅いスポーツ愛好者の参加も増えている(=全日本マスターズ大会)。ヨーロッパ・ハンドボール連盟では03年からヨーロッパマスターズが発足している。

マッチ match

試合。時に競技(=ゲーム game)。

マッチデー

大会期間中の試合のある日、試合が予定されている日。

マッチデープログラム

試合日に主催者が観客のために用意するその試合に特定した両チームのメンバーリスト、見どころ、記録資料などを載せたパンフレットやペーパー。

マッチリポート

内外公式試合の記録を一定の用式に記入し主催者が保管する。コピーがチーム関係者、マスコミなどに配布され得点、反則、審判員名、観客数などが公式記録とされる。略称はMR。

マッチアップ match up

うまく実力が調和している対戦、あるいは原則として相対する2人の選手の技術的な調和がとれている状態。

マッチバイザー matchviser

和製用語。公式試合の競技管理責任者。2012年から国際ハンドボール連盟に合わせ「テクニカルデレゲート(TD)」と改正された。

的場 益雄(故人)

戦前、文理科大学の学生時代から競技、審判などのかたわら球界運営にたずさわり、戦後すぐハンドボール界復活に力をつくした功労者。1941年から68年まで日本ハンドボール協会理事をつとめ、11人制時代の技術史研究も手がけている。82年3月70才で他界。

松ヤニ

1950年代に東ヨーロッパの室内競技で指の滑り止めに用いられはじめた。パス技術の高度化によるキャッチングのミスをなくすために無害の工業用接着剤の「松ヤニ」を利用したとされるが、発生の正確な資料はない。日本には60年代後半持ちこまれ、70年の第7回世界選手権を目指す全日本男子が使用、一気に拡がった。日本のメーカーによる製品の開発と販売は85年。ボールが痛みフロアが汚れるため、使用禁止の大会や施設も少なくない。

メディア media

報道機関、広告代理店など情報伝達の媒体を指す。メディア対策は、日本ハンドボール界の“宿命的な課題”の1つ。

メディアオフィサー

大規模な大会で主催者側のメディアに対するあらゆる対応を行なう責任者。日本ではこれまで97年熊本で開かれた第15回世界選手権で木野実が担当したのが本格的な第1号で、唯一のケース。

メディカルコミッティ Medical commitee

国際ハンドボール連盟コミッションの1つ。略称MC。日本から西山逸成が09年5月まで、そのあと坂本静男がメンバー。委員長はフランソワ・グナミアン(コートジボアール)。日本ハンドボール協会では強化本部強化委員会内に医科学委員会として設置されている。

メディカルスタッフ

チームに帯同する医療チーム、大会運営で設けられる医療、救急チーム。ドクター、マッサージャー、看護士などから成る。

メディテラニアンゲームズ

地中海競技大会に同じ。

ミート meet

大会、競技会。「対戦する」の意もある。

明治大学

いわゆる「戦前6大学」の1校。41年4月に大学体育会ハンドボール部として発足するが、38年5月、初の「東京学生リーグ」に、バスケットボール部が体力強化のためチームを編成して参加した前身を持つ。そのメンバーに初のハンドボール愛好者を加えて同年秋季リーグに優勝、以後も関東学生界の強豪として活動。関東学生リーグ優勝3回。第2次大戦中、短い期間だが女子チームを設けた。

明治神宮競技大会(明治神宮体育大会)

日本政府の主催で1924年から43年まで東京・明治神宮外苑の競技施設(注・現在の国立競技場など)を会場に毎年あるいは1年おきに開かれた総合競技会。ハンドボールは日本ハンドボール協会設立(38年2月)に先がけて、37年11月第9回大会に陸上競技の1種目で参加、この競技を第1回全日本選手権とした。39年の第10回大会での東京学生リーグ紅白戦を経て、40年の第11回大会は初の女子全日本選手権と中学男子の部などを加えて行なわれたが、そのあと3大会は実施されなかった。
大会の正式名称は26年から明治神宮体育大会、39年から明治神宮国民体育大会、42年から明治神宮国民錬成大会と変わった。第11回大会の中学の部には新京商業(関東州)が参加するなど、参加資格は日本全域にわたっていた。40年代に入って、朝鮮神宮体育大会でもハンドボールは採用されている。

メンバー member

クラブ、チームを構成する人。組織に加盟しているハンドボール団体。組織の役員。

メンバーフェデレーションズ

国際ハンドボール連盟に加盟している各国のハンドボール組織、団体。1ヵ国1組織に限定される。2013年9月現在199。

メンバーリスト memberlist

名簿。選手名簿、登録者名簿、審判員名簿、加盟チーム名簿など。公式的な性格を持つ。

ミドルバック middle back

攻撃フォーメーションのセンターと同意。

三重県協会

1950年4月設立。高校界を主体に発展。62年、県下の中学校チームを母体にした女子実業団・田村紡績の発足が大きな刺激となり、さらに男子本田技研鈴鹿(現・ホンダ)の躍進で活気づいたが、同チームは09年3月で日本リーグを離脱。日本リーグ女子に所属する三重バイオレットアイリスが地域との連携を深めた運営で注目されている。

南アジア・ハンドボール連盟

2001年12月、インドを中心に結成された。2013年にはパキスタン、バングラディシュ、ブータンなど8ヵ国がメンバー。11年9月、初の「南アジア・ビーチゲームズ」を開きビーチハンドボールも実施された。

南アジア大会

1984年に始まったアジアにおける地域総合競技大会の1つ。ハンドボール(男子)は10年の第11回大会(ダッカ・バングラディシュ)から実施されている。 英文の表記はSouth Asian Games. 略称はSA・Games。

ミニ・ハンドボール(フランス版)

国際ハンドボール連盟が奨励する少年少女のためのハンドボール。年齢は7才~12才を対象としているが統一的なルールを制定するまでには至っていない。ヨーロッパの標準とされているのが「フランス・ミニ」で1チーム5人(1人はGK)、コートはサイドラインが18m~25m、アウターゴールラインは15~18m、ゴールは高さ1.7m、幅2.4m、ボールの外周46~48㎝、競技時間は10分3ピリオドまたはハーフ6分あるいは8分とされる。
これとは別に、ヨーロッパ・ハンドボール連盟は、小学校教材用の「ハイスコア・ハンドボール(仮称)」を考案中である。
国際ハンドボール連盟のガイドラインでは年令は5、6才~10、11才、1チーム5人(1人はGK)制あるいは6人制(1人はGK)、コートの標準は(20~24m)×(12~16m)、ゴールエリアは5mの半円、ゴールは高さ1.6m、幅2.4m。

「ミニ国体」

国民体育大会のブロック予選を兼ねた国内8つのブロックにおける総合競技会。74年に東北ブロックが東北総合体育大会を始めたのをトップに81年に全ブロックが出そろい、すべてハンドボールが実施されている。北海道は各スポーツの「国体全道予選」がこれにあたる。

ミスハンドボール Miss Handball

女子国際大会でもっとも観客に強い印象を残した選手を選び贈られる賞。近年はあまり選考されない。

密室試合

治安上、観客を集めずに行なわれる試合。日本では1975年モントリオール・オリンピック女子アジア大陸代表決定戦日本-イスラエルの2試合を日本ハンドボール協会が苦慮の末、この方法で報道関係者のみを入場許可して強行、大きな話題となった。現時点でも会場名を日本ハンドボール協会は公表していない。
ヨーロッパ・ハンドボール連盟では紛争事態での試合を一方の国での連戦や第三者国での開催で切り抜けるようになっている。ドアークローズドゲームノースペクテーターズマッチなどに同じ。

三菱化学メディエンス(株)

日本で唯一の世界アンチドーピング機構(WADA)認定のドーピング検査機関。世界で34機関あり(09年6月現在)、13番目の認定をうけた(88年)。東京都板橋区にあり国内における検査のすべての検体は同所に運びこまれる。06年までの社名は三菱化学B.C.L。英文略称、略記はMCMC。

ミックスドゾーン mixed zone

大規模な国際大会で設けられるチーム関係者、選手とマスコミ関係者が接触できる区域。厳重な警備で一般関係者などと完全に区別されていなければならない。オリンピックでは84年ロサンゼルスから実行。

宮城県協会

1948年6月設立。4ヵ月後仙台で行なわれた初の東北選手権で優勝した仙台教員のメンバーがその後、県内の普及に力をつくした。全国レベルの高校男女が育ち、国際舞台で活躍する選手を輩出している。

宮崎県協会

1964年4月設立。11人制の足跡はなく、室内スポーツとしての将来性への着目から高校界へ普及が進められた。近年は一般層への充実を目標とし、03年全日本マスターズを主管、成果をあげている。

宮﨑 大輔 (みやざき だいすけ)

史上最高とも言われる実力・人気抜群の選手。高校(大分国際情報高)時代からスピードにあふれた攻撃力で将来を期待された。日体大に進んだが、01年9月日本ハンドボール協会の海外研修生に選ばれて休学、バルセロナ(スペイン)へ渡りトップクラブでトレーニング、実戦を積み、同国下部リーグのBMポゾブランコに所属して活動した。
帰国後、03年から大崎電気と契約、日本リーグを舞台とする。秀れたジャンプ力を活かした空間からの多彩なシュート、切れ味豊かなエリア周辺の自在な攻撃、パッサーとしての展開力などで国内を代表する存在となり、09年秋から宿願のスペイントップリーグ(ASOBAL)のBMアルコベンダス入り、主軸として活躍。ロンドンオリンピック出場へ万全を期すため1シーズンで日本(大崎電気)に復帰。
日本代表のデビューは01年5月のオーストラリア戦(京都・田辺)。06年民放テレビの「スポーツマン№1決定戦」で各競技の代表的な選手を制して優勝(チャンピオン)し、一躍、全国のスポーツファンや聴視者の注目を浴び、ハンドボール界の枠を超えての人気アスリートに躍り上がった。08年1月東京での「北京オリンピック再予選」はイベントの異常さと“宮﨑人気”が重なりあってのフィーバーだった。173cm、74kg、1981年6月大分生まれ。

(株)モルテン

日本の世界的スポーツ用品メーカー(本社・広島、東京)。制作される競技用ボールのうち「ハンドボール」は2014年1月9日、国際ハンドボール連盟と同連盟主催の世界大会「公式試合球契約」を結び、同年6月の第19回世界女子ジュニア選手権(クロアチア)から“独占使用球”となった。 同社は1958年設立、「ハンドボール」は62年日本ハンドボール協会検定球として公認され、75年5月には国際ハンドボール連盟公認球となった。

モントリオール(Montreal)・オリンピック

1976年7月17日から8月1日までカナダで初めて行なわれた夏季オリンピック。女子ハンドボールが初採用され日本は5位入賞。大会途中、アフリカ勢(ハンドボールは男子チュニジア)がニュージーランドラグビーが人種差別のある南アフリカへ遠征したのを不服として帰国してしまった。

モスクワ(Moskva)・オリンピック

東ヨーロッパで初の夏季オリンピック。1980年7月20日から16日間にわたって行なわれた。ハンドボールは男子東ドイツ、女子ソ連が優勝したが、各試合ともラフなプレーが多く、関係者のマユをひそませ、この大会を機会に国際ハンドボール連盟は改めてフェアプレーの強調とクリーンな展開を呼びかけた。
大会は80年2月、開催国ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻を非難してアメリカが不参加(ボイコット)の強硬手段をとり、日本(日本体育協会、日本オリンピック委員会)も同調、80年5月、不参加を表明した。男子ハンドボールは前年のアジア大陸予選を突破、代表選手も決定していたが出場は成らなかった。選手の球歴に「代表」の名を残している。

モチベーション motivation

競技(大会)や練習に向けて意欲をかきたてるような要素。動機づけ。

ムスタファ Dr.Hassam Moustafa

ハッサン・ムスタファ。体育学博士。現在の国際ハンドボール連盟会長。歴代5人目。00年の総会でヨーロッパ大陸以外から史上初の会長に選任、13年に4選(任期4年)。エジプトの強豪エル・アリイクラブでプレー、75年から9年間、エジプト代表のコーチ、92~96年エジプト・オリンピック委員会事務局長、96~00年エジプトハンドボール協会会長。国際ハンドボール連盟では92~00年理事、コーチ・手法委員会委員長、10年からASOIF(夏季オリンピック国際スポーツ団体連合)副会長。97、01、03、08、13、15年4月に来日。44年7月エジプト生まれ

マルチプレーヤー

攻撃面でポジションにこだわらず決定力を発揮する選手。防御技術の進歩によってその壁を破るため「万能さ」が求められる時代になったとされる。

「むささび」シュート

全日本代表・野田清ミュンヘンオリンピック代表)が、立教大学時代から研究し実戦に持ちこんだサイドからのアクロバティックシュート。ゴールエリア上の空間にボールを持って頭部を下に逆立ちするような姿勢で飛びこみ、放つシュート。69年の全日本ヨーロッパ遠征で国際的な注目を浴び「ノダ・シュート」と名付けられ、その後、71年日本でのスウェーデン招待シリーズで日本のマスコミが「むささびシュート」と呼んで一般化した。日本スポーツ史上でも記憶にとどめられる攻撃技術。現在ではオーストリアのラウル・サントスがこのテクニックを見せる。「むささび」はリス科の哺乳動物。木から木へ飛び移る空間のさまが野田選手のシュートのイメージに重なった。

M.V.P

most valuable playerの略。大会(時には試合)で優秀な技量を発揮し、自チームに価値のあるプレーで貢献した選手。最優秀選手。

ミュンヘン(Munchen)・オリンピック

1972年8月26日から9月10日まで西ドイツ(当時)で開かれた夏季オリンピック。世界の関係者、愛好者歓喜のうちにハンドボールが36年ぶりに復活、16ヵ国による男子7人制(室内)が行なわれ、日本は11位と健闘した。金メダルはユーゴスラビア(旧国家)。オリンピックでの採用は、国際的な普及を促進させ、ハンドボールはヨーロッパのスポーツから世界のスポーツへ飛躍することになる。大会途中パレスチナゲリラが選手村を襲い、犠牲者の出る事件があった。

永井 松三(故人)

1940年4月から42年3月まで第2代日本ハンドボール協会会長をつとめた。外交官。40年の東京オリンピック組織委員会事務総長など日本スポーツ界の“国際的な顔”として活躍。第2次大戦後は国際オリンピック委員会委員をつとめハンドボールの国際復帰に尽力された。57年4月80才で他界。

長野県協会

1948年2月設立。県高校体育連盟発足を機に組織化が進んだが、道のりは険しく初期はチームの集散を繰り返した。高校教員の情熱を支えに、78年国体の開催(総合優勝)で、その後の展望を開いた。

長崎県協会

1963年4月設立。ハンドボール経験を持つ少数の教員たちの力を支えに草創期を送り、次第に高校界が充実、国内トップクラスの選手も育った。近年は小中学世代の普及に力を注いでいる。

「流し」

愛好者の間で交わされるシュートの狙いかた。右利きの選手が相手GKの左側面を、左利きはその逆をターゲットとすること。対比は「引っかけ」

「88年名古屋オリンピック」

1977年8月、愛知県知事の発言がきっかけとなり構想を進め、名古屋市を中心とする広域開催の方向を打ち出した。79年6月中部圏知事会議で了承をうけ、同10月日本オリンピック委員会も承認。81年3月、国際オリンピック委員会へ手続き、活発な招致運動を展開したが同9月の国際オリンピック委員会総会の投票で韓国の首都・ソウルに27-52で敗れた。「名古屋オリンピック」のハンドボール(男女室内)は計画書では88年10月8~23日の会期の間に名古屋市総合体育館と三重の四日市市緑地公園体育館、鈴鹿市体育館を会場とすることになっていた。

ネーミングライツ Naming Rights

名称権、命名権などと訳される。スポーツなどの施設の運営・管理費を補うため企業と契約、対価としてその名を冠せる。80年代アメリカで始まったとされる。使用料や入場料を抑えるなど利用者にもメリットがある。国内のハンドボール会場では山口県の「キリンビバレッジ周南総合スポーツセンター」、ヨーロッパの大規模な会場ではケルン(ドイツ)の「ランセス・ケルン・アリーナ」、ストックホルム(スウェーデン)の「エリクソン・グローブ・アリーナ」などが代表的。

7mライン

ゴール正面に引かれたゴールラインと平行に引かれた長さ1mの直線。

7mスロー

明らかな得点のチャンスに、相手選手の妨害(反則)にあって逸した場合に与えられる。7mライン(=前掲)の手前からGKと1対1で行なうスローで、GKはゴールエリア内に引かれたゴールキーパーラインを越えることが許されない。シュートに成功すれば1点。妨害対象は競技に関係していない人(コートにまぎれこんだ動物も?)や相手チーム役員も含まれ、レフェリング(吹笛)への不満行為や言動にも適用される。ペナルティスロー(PT)と呼ばれた時もある。英文の略称、略記は7mT。

 

7mスローコンテスト

規定の競技時間を終えても同点の場合、両チーム5人ずつを選出、交互に7mスローを行ないその得点数によって勝敗を決める方式。決着がつかない場合は改めて5人ずつを選出して行なうが、両チームが同数のスローを試みたあとに得点差がつけば、その時点で勝利チームが決まる。国際ハンドボール連盟の1970年総会で提案され、71年4月の世界男子学生選手権(チェコスロバキア)などでテストのあと73年から正式採用された。現在国際的には「7m-タイブレーク」「シュートアウト」などと呼ばれ「7mスローコンテスト」の表現は和製。

7mスローキラー

7mスローを阻止するのが上手なGK。それを得意とするGK。

「7人攻撃」用ヴェスト

僅差で劣勢のチームが試合終了時間寸前に仕掛ける全員攻撃の際“7人目のCP”が着用する。ゴールは無人となる。80年代までは、攻撃力のあるGKの参加が多く、フリースローからの強打などで得点も珍しくなかった。90年2月の第12回世界男子選手権(チェコスロバキア=当時)で、スペインがGKの代わりに7人目のCPをコートに送り出し、ほかのCPのユニフォームと異なる色の背番号部分が切り抜かれたヴェスト(vest)を着けていた。これが違法とされず、またたく間に各国が採り入れ、国内では90年5月東京での第3回ジャパンカップ・スウェーデン-日本戦でスウェーデンが初めて見せた。現在は各チーム「特別のヴェスト」を備えて試合に臨むようになっている。

奈良県協会

1949年3月設立。奈良師範が国内では珍しく学校体育のウィンタースポーツ(11人制)の教材として導入したのが県球界のさきがけとなり高校へ普及、そのあと国内シーズンと同調して発展した。教員、中学など全国レベルの活躍も多い。

ナショナルリーグ

その国の最高位リーグ。全国リーグ。ナショナルチャンピオン(=前掲)を決める長期日程のリーグが外国では多い。

ナショナルチャンピオン(チーム)

その年度(シーズン)の国内チャンピオンチーム。日本では伝統的に全日本総合選手権(=2015年からは日本選手権の勝者を位置づけているが、ほとんどの国は全国リーグの優勝チームを指す。

ナショナルフェデレーション

National Federation。国内を統括するスポーツ団体。日本ハンドボール協会がこれにあたる。NFに同じ。

ナショナルチーム National team

国や地域の協会(連盟)を代表する最強チーム。その国の国籍を有する者(コーチングスタッフは除く)で編成される。「全日本」「代表チーム」と同意。
ナショナルチームによる試合は「公式国際試合」とされ、出場選手の輝かしいキャリアに数えられる。
年令別のナショナルチーム編成も国際的な常識となっており、日本協会には男子が24才以下、21才以下、19才以下、16才以下、女子は22才以下、20才以下、18才以下、16才以下のカテゴリーがある。

NEO

新しい、最近のという意味の接頭語で、日本ハンドボール協会は2010年7月、ヒロシマ国際に参加する「若手全日本」のチーム名に冠せた。

ネット

ゴールに張られる網。ネットのないゴールは正式なものとされない。ゴールに入ったボールが抜け出たり、はね返ったりせず、そのままゴール内に留まるために張られる。網目は10×10㎝以下とされ、少なくとも20㎝ごとにゴールポストクロスバーに固定しなければならない。ゴールネットに同じ。

ニュートラル newtral

どちらのホームでもない会場(地域)。「第3地域」ともいう。

寝屋川高校(大阪)-熊本市立高校戦

1987年、日本ハンドボール協会が創立50周年を記念し刊行した「日本ハンドボール史」の企画で、半世紀の間のもっとも印象に残る1戦として選ばれた。試合は58年8月の第9回全日本高校選手権女子決勝戦(函館)、6-6で延長となり、第1延長は3-3(9-9)、第2延長は0-0で9-9の引き分け。史上初の両校優勝という終始緊迫感あふれた激戦だった。

NF

ナショナルフェデレーションの英文略称、略記。

NHK杯

1971~73年まで行なわれた男女トップチームによる全日本選抜大会。74年と79年にNHK国際となったあと休会。NHKは日本放送協会。

2分の1ファイナル

1/2final。勝ち抜き戦などでベストフォアによる2試合を示す。準決勝に同じ。

ニールセン Holger Nielsen(故人)

ホルガー・ニールセン。デンマークの体育学者、スポーツ視学官、1927年~30年国立体育研究所所長。1900年代に入って学校内のスポーツとして盛んなハンドボールの“組織化”を進め、1906年、世界最初の「ルールブック」を編集、発表した。この業績でデンマークが近代ハンドボール発祥の国とされる。
生命救助の研究でも多くの実績があり、なかでも「ニールセン式人工呼吸法」を発案したことで有名。1955年90才で他界。

ナイトゲーム(ナイター)

11人制時代、夜の時間帯に開始される試合。1953年6月、西宮球技場(兵庫)での第8回関西学院大学早稲田大学定期戦が史上初。室内時代になってナイトゲーム(夜間日程)は珍しくなくなった。

日本・中国・韓国ジュニア交流

1993年から3ヵ国の体育協会の交流協定によって行なわれている男女の総合大会。ハンドボールは第1回から正式競技として加わり、日本代表は原則として全国高校選抜大会などの成績で高校単独チームがつとめている。

日本・韓国交流

2009年5月、男女代表チームによる定期交流戦が発足、新たな時代の幕を開けた。
歴史は古く、1961年10月日本体育大学の韓国遠征でで始まり、62、63年高校男子、70年社会人男子、71年同女子が定期的に代表チームを派遣しあった。学生交流は63年のあと69年に復活して、そのあとは毎年、女子も71年に発足。いずれも開催地は交互で行なわれたが、しだいに単独チームの往来が主流となった。
高校は68年から76年まで(女子は73年から)の9年間、両国体育協会の交流事業となり、日本での受け入れはその年の全日本高校ハンドボール選手権優勝校と開催地代表校とされた。
77年韓国内での政治事件で休会となり、77年からは体育協会の手を離れ、両国ハンドボール協会交流へ戻った。82年からは「日韓ジュニア交流」と四たび方式が変わり、93年からの「日本・中国・韓国ジュニア交流」へと発展した。99年からは中学生世代を原則とした「日韓交流」が日本オリンピック委員会、日本体育協会事業として発足、ハンドボールも参加している。終会した高校は通算で男子が26回60戦11勝4分45敗、女子が19回38戦6勝1分31敗と日本側の劣勢で終わっている。
社会人男女、学生男女は90年代後半に休会のまま再開の見通しが立っていないが、2008年の準備大会のあと09年に男女代表による定期戦(2015年は休止)が組まれ、09年には小学生の交歓が始まった。

日本スポーツ仲裁機構

2003年4月7日設立。アスリートの権利とスポーツ界の透明性を高めるための機関。試合の判定などは仲裁の対象にならない。国際的なスポーツ仲裁裁判所は84年ローザンヌ(スイス)に設立されている。Japan Sports Arbitration on Agency。英文の略称、略記はJSAA。

日本スポーツ賞

1951年から読売新聞社が年間の最も国際レベルで高い評価を得た日本のチームまたは選手に贈る賞。各スポーツ団体別推せんの賞が設けられているのも特色でハンドボールは14年(63回)までに日本男子代表が7回、同女子と同ユース女子が各1回のほか、チーム44回、個人10回、県協会1回(=1956年愛知県協会)が受けている。

日本ユニバーシアード委員会

1957年日本オリンピック委員会の内部委員会として発足した大学スポーツ団体の連絡機関。ハンドボール界は全日本学生ハンドボール連盟の代表が参加している。Japanese University Sports Board、英文の略称、略記はJUSB。

日本ワールドゲームズ協会

ワールドゲームズ参加競技の国内団体による組織。1985年委員会として発足し、91年に協会へと発展。日本ハンドボール協会はビーチ競技が01年の大会(秋田)から加わったことで00年にメンバーとなった。ワールドゲームズにおけるビーチの扱いは、09年まではデモンストレーション(招待)競技、2013年から正式競技入りを果たした。

日本アンチ(防止)ドーピング機構

2001年9月に設立された日本のアンチ・ドーピング活動の中心的な役割を担う機関。日本ハンドボール協会は02年に加盟。日本語の表現では「アンチ」よりも「防止」が主流になりつつある。Japan Anti-Doping Agency。英文略称、略記はJADA。

日本ハンドボール学会

体育・スポーツ分野でハンドボールの技術、戦術、指導などの理論・研究を志している人たちで構成、2012年5月1日に設立された。03年から10年間にわたった「コーチング研究会」を発展させたもので13年3月、第1回学会を東京・駒澤大学で開いた。第1期(12~14年)の会長は大西武三、理事長は曾田宏。英文名称はThe Japanese Association of Handball Research。同略称はJAHR。

日本のハンドボール①~送球の普及~

1922年(大正11年)7月24日、東京代々木で開かれた大日本体育学会体育夏期講習会で東京高等師範学校教官・大谷武一によって「ハンドボール」は日本に初めて紹介された。大谷は直前までアメリカ・ヨーロッパの体育スポーツ事情を視察、ドイツでこのスポーツを知った。
そのあと、学校体育の教材として各地に伝えられたが、競技スポーツでの発展は遅れた。28年、国際アマチュアハンドボール連盟が設立された際に、日本陸上競技連盟の名によって加盟、36年ベルリンオリンピックでの採用(男子11人制)と40年東京オリンピック決定で、にわかに関心が高まり1938年2月2日日本ハンドボール協会が誕生した。
当時ハンドボールは「送球」と名付けられ組織名も正確には「日本送球協会」である。「送球」の名は48年夏まで続けられる。不幸にも戦火の高まりから東京オリンピックは返上となり、ハンドボールの将来は厳しいものとなったが、在京の学生勢の情熱とドイツの国技であったことが作用して、灯は守り通され、戦中は女子の公式大会が続けられた。

日本のハンドボール②~7人制時代~

1946年、国民体育大会の競技となり、48年、新学制による全国高校体育連盟が結成され、その正式メンバー(専門部)となった2つが、ハンドボールの発展に大きな力となる。48年7月1日、協会名は「日本ハンドボール協会」と改められた。「送球時代」との決別である。
52年国際ハンドボール連盟への加盟。7人制(室内)の導入、56年西ドイツ男子代表(55年世界11人制選手権優勝国=後掲)来日など活発な動きが続いたが、1964年東京オリンピックに参加できなかったのは痛恨事といえた。
1957年女子の公式試合を7人制に一本化、63年国内すべての試合を7人制とする画期的な時を迎える。
72年ミュンヘンオリンピックに採用(男子室内)され、宿願の出場をはたし、76年モントリオールオリンピックには男女出場の栄光に輝いた。男子の3大会連続出場となるべきモスクワオリンピック日本オリンピック委員会の決定で不参加となった。国内では72年中学生の全国大会、76年に男女の日本リーグが発足。80年代以降アジアの各地域で充実が目立つようになり、日本独走の時代は幕を閉じた。

日本のハンドボール③~活況への試練~

1981年3月、日本ハンドボール協会の財団法人化が成り新たな発展期を約束させたが88年ソウルオリンピックを目指す韓国や中国、中東勢の台頭が著しく、国際競争の波にもまれ始める。男子82年、女子90年のアジア大会の実施が刺激となっている。
一方、世界の流れは、コマーシャリズムを加速させ、91年の東西冷戦の終結で、ヨーロッパハンドボール界の様相が激変する。97年、日本ハンドボール協会は、国際ハンドボール界の最高峰・男子世界選手権を熊本へ招致することに成功、驚異的な盛況を呈したが、ハンドボール界の飛躍にはつながらなかった。男子は88年、女子は76年を最後にオリンピックへの道を絶たれたままで過ぎている。さらに高校依存度の高い愛好者人口が少子化で下降線を描き、トップレベルを支えた企業チームの活動縮小も深刻な影を濃くしている。03年6月に打ち出した日本ハンドボール協会構造改革計画「Project21」の結実へハンドボール界の挙国的なエネルギーの集結が強く望まれ、2020年の東京オリンピック開催はこれ以上ない目標となる。

日本ハンドボールリーグ機構

1998年4月発足。加盟各チーム個々の運営とともにリーグとしての組織的な活動を強化するため、従来の日本ハンドボールリーグ運営委員会を発展させたもの。実業団チームの相次ぐ撤退で、リーグ構造の新しい視点と事業性の拡充を急務としている。09年秋から「チャレンジディビジョン」を発足させた。

日本車椅子ハンドボール連盟

2003年4月に発足。05年2月日本ハンドボール協会加盟団体となる。03年から「日本車椅子ハンドボール競技大会」を主催。

日本ハンドボール協会

日本のハンドボール活動を代表する唯一の機関。1938年2月2日、それまで国際代表権を保有していた日本陸上競技連盟から一切の権利を譲渡され誕生した。当時の名称は日本送球協会。以降の発展は前掲の日本のハンドボール①~③を参照。日本体育協会には38年5月31日加盟(日本オリンピック委員会加盟も同日付)。国際ハンドボール連盟に52年1月10日(組織決定は同年9月20日の同連盟総会)正式加盟。財団法人格取得は81年3月11日、2013年4月1日、公益財団法人へ移行。42年、国内スポーツ組織の統合で協会を解消し45年までは「大日本体育会ハンドボール~送球~部会」を名乗った。日本送球協会を日本ハンドボール協会に改称したのは48年7月1日。2013、14年度の会長は渡邊佳英、専務理事は川上憲太。正式登録チーム数4827、同人数9万5494人(小学生含む。2015年2月28日現在)。Japan Handball Association。英文略称、略記はJHA。

日本ハンドボールリーグ

1976年秋に男女各8チームで発足。各ボールゲームの日本リーグに触発され6番目の結成。男子に続いて女子もオリンピック競技に定着、頂点強化が日本ハンドボール協会の最大事業となった背景が大きい。発足にあたっては有力実業団を“横滑り”させるのではなく、大学・クラブ勢を含めた国内の有力チーム男子25、女子18チームを候補(有資格)チームにノミネート、参加の意思を問う方法が採られた。その結果、定数男女各8を上回る男子10、女子9チームが名乗りをあげ、男子は3、女子は2チームによって「選抜試合」を行なうことになり関心の高さを物語った。
男子は2年目の77年から、女子も79年から2部制を導入するなど順調な歩みを見せたが、加盟チームの出入りは激しく、第1回メンバーで14~15年の第39回に名を連ねているのは男子が大同特殊鋼、湧永薬品(現・湧永製薬)、大崎電気の3チーム、女子は立石電機(現・オムロン)1チームを残すだけ。14年9月スタートの第39回は男子9クラブ、女子は7クラブが参加している。優勝は男女ともプレーオフで決める。第35回(2010-11々シーズン)は東日本大震災発生でプレーオフは行なわれなかった。優勝チームには12-13年シーズンから100万円の賞金が贈られている。英文略称、略記はJ.H.L。
競技面ではヨーロッパのトップクラスの選手や韓国人メダリストの加入などで、国内球界を大いに刺激した時期がある。英文の略称、略記の「JHL」をそのまま通称とする。

日本ハンドボールリーグ チャレンジディビジョン

日本ハンドボールリーグ機構の独自事業として2009年10月に発足した大会。実業団チームの“激動”に対応するため社会人クラブの振興を図るのが目的で社会人チームのほか、大学チームも参加している。年度ごとにエントリーを更新する方式を採り、秋から春にかけて日程を組んでいる。第6回(14-15年)まで女子は行なわれていない。

日本オリンピック委員会

正式に組織として位置づけられたのは52年12月22日。国際オリンピック委員会のメンバーとしての国内オリンピック委員会を名実ともに発揮し得ることになった。設立の動きは46年12月に始まっている。
“前史”は1911年(明治44年)、オリンピック参加への母体として設立された大日本体育協会に始まる。そのあとは同協会の流れを汲んだ日本体育協会の加盟団体として活動していたが91年3月分離、4月独立、特定公益増進法人となり、2011年から公益財団法人。Japanese Olympic Committee。英文略称、略記はJOC。

日本選手権

チャンピオンチームを決める国内最高位のタイトル大会。2014年までの「全日本総合選手権」を2015年から改組・改称した。大会回数は継承される。 日本リーグ全日本学生選手権ジャパンオープンなどからの推せんに限られていた参加チームを改正し、各都道府県協会代表によるブロック予選の上位チームを主軸に日本リーグ、全日本学生選手権上位校が加わる形式とした。 全日本総合選手権(1950~2014)の当初4回は「全日本選手権」と称し、地域代表中心で行なわれた大会も一時的だがあった。

日本体育協会

1911年7月、ストックホルム・オリンピック(12年)参加のためその派遣母体として大日本体育協会が設立され、25年総合スポーツ団体としての活動を軌道に乗せた。42年大日本体育会の名称で新発足、48年11月13日日本体育協会と改称、今日に至っている。07年4月現在、47都道府県体育協会のほか加盟している中央競技団体は日本ハンドボール協会(38年5月加盟)など55(ほかに準加盟3)。国民体育大会の主催者の1つ。通称「日体協」。英語表記はJapan Sports Association。同略称、略記はJASS。

日本トップリーグ連携機構

国内各ボールゲーム(球技)の全国リーグが連合して交流と情報の交換、共通事業の開発などを目的に05年5月24日設立された。ボールゲームの国際活動の低迷や企業チームの撤退などが引き金になっている。2014年2月現在の加盟は日本ハンドボールリーグなど9競技12リーグ。英文略称はJTL。

新潟県協会

49年9月に設立されたが50年代後半、加盟チームの減少などから活動が一時休止された。61年12月改めて新組織が設立され、柏崎市を中心に活気のある展開となった。

20世紀世界最優秀選手

国際ハンドボール連盟が20世紀終幕にあたって各国の代表、有識者、ジャーナリストなどからの投票で
男子、マグナス・ヴィスランダー(スウェーデン)、得票率20.4パーセント。
女子、シナイダ・ツルチーナ(ソ連=当時)、得票率32.9パーセント
を選出、表彰した。
男子の得票率の2位以下はT・ドイシェバエフ(ソ連~スペイン)、A・ラフロフ(ソ連)、G・グルイア(ルーマニア)、J・リシャーソン(フランス)の順。
女子の得票率2位以下はA・アナセン(デンマーク)、林五卿(韓国)、S・キティッチ(旧ユーゴスラビア)、J・コラール・メルダン(旧ユーゴスラビア~オーストリア)の順。
男女とも日本選手の得票はなかった。

日韓定期戦

日本・韓国男女代表チームによる定期戦。09年から始まり、毎年両国交互に開催される。
08年1月「北京オリンピック再予選」(東京)をきっかけに両国協会が結んだ。08年5月の男子の交流を経て09年5月に川崎市で第1回が行なわれた。

「ニッポン」

主に北ヨーロッパ諸国で90年代までスカイプレーに付けられていた名称。

西アジア競技大会

中東諸国による3~5年おきに10~15ヵ国が参加して開かれる国際総合競技大会。97年の第1回(イラン)は個人競技中心の15競技で行なわれたが、第2回(02年、クウェート)からハンドボール(男子)が加わり、第3回(05年、カタール)と続いたが、そのあと休会を続けている。ハンドボールは各国の対抗意識がぶつかり合う熱狂的な雰囲気となる。

「西ドイツ」来日シリーズ

日本のハンドボールに大きな影響を与え、興奮を呼んだシリーズ。56年9月16~30日、前年の第4回世界男子11人制選手権優勝国として来日、全日本と2試合のほか、国内各地で8試合を行なった。ハンドボールの祖国からの使者、そして世界チャンピオン。長身者を揃えたスケール大きい攻撃、シングルハンドでのボール操作、全員の走力、強肩、すべてが国内愛好者の目を見はらせた。型にはめこまれた日本のトレーニングと異なり、各選手が思い思いに、のびのびと動く姿も新鮮だった。
特筆すべきは、全8戦にのべ16万人の観衆が詰めかけたことで、日本ハンドボール界の前途に自信を抱かす事業となった。だが、この時すでに国際的な流れは「室内(7人制)」へ大きく傾いており、西ドイツの魅力が、以降の発展に寄与することは限られてしまった。

「西ドイツ」

正式国名はドイツ連邦共和国。第2次大戦後ドイツは「東」「西」に分割され両国ともにハンドボールを「国技」として受け継ぎ拡充につとめた。70年に創立されたスポーツ協議会が市民スポーツ、競技スポーツの両面の振興策を促進し、その中核となったのがクラブ。各クラブでハンドボールはサッカーに次ぐメインとなり、活況を呈した。77年からアマチュアカラーを薄めた全国リーグ(ブンデスリーガ)を本格的に組織、11人制衰退後、いささか低迷していた「見るスポーツとしてのハンドボール」の復活に力を入れた。90年10月3日ドイツ民主共和国(「東ドイツ」)との統一と、各クラブの積極的な国外有力選手の招へいで、全国リーグは「ワールドリーグ」の異名をとるまでに発展、市場化路線も順調とされる。「西ドイツ」としての世界選手権優勝は男子7人制が1回、同11人制が3回。
56年(11人制)、79、87年(7人制)に男子代表が来日している。67年来日の女子は「選抜」チーム。英文の略称、略記はF.R.Gとされていた。

西日本学生大会

関西学生リーグの前身となる球史上、特筆すべき大会。第2次世界大戦終了直後の1945年11月、関西ハンドボール協会大阪支部(現・大阪協会)の呼びかけに大学、高専(旧制)7校が天王寺中学(旧制)グラウンドに集まり「西日本学生大会」(第1回関西学生送球選手権)として開かれ、46年春8校による「西日本学生リーグ」に発展、49年の関西学生リーグ発足へとつなげた。 その後の「西日本学生選手権」などの歴史とは異なる。1945年秋から5シーズンの優勝校は大阪医科歯科・大阪市医科専各2回、関西学院大学1回。

西山 清(にしやま・きよし)

80年12月~81年1月フランスで行なわれた第8回世界学生選手権の得点王に輝いた国際レベルのアタッカー。強肩と手首の強さ、中学生時代の体操競技で身につけたジャンプ力と空中バランスなどを活かした攻撃力は氷見高校(富山)-筑波大学時代から注目を浴び、79年第2回世界ジュニア選手権代表を得て全日本入り、84年ロサンゼルス、88年ソウル両オリンピック代表などで活躍。日新製鋼(広島)に加わって日本リーグ得点王3回をマークしている。59年4月富山生まれ。

西山 逸成(にしやま・いっせい)

2005年1月から09年5月まで国際ハンドボール連盟(IHF)医事委員会委員をつとめた。54年日本体育大学卒業後、運動生理学を専攻、ドーピング問題を始め、ハンドボール界を代表する医科畑のエキスパート。1996年アジアハンドボール連盟医事委員を経て04年から09年5月まで同委員長。31年6月山口生まれ。

日本体育大学

国内を代表する伝統と実績を誇る名門。37年日本体育会体操学校時代にチームを設け、41年から日本体育専門学校、49年から日本体育大学となった。40年代から女子も活動している。つねに国内最上位に加わる実力とともに、教職畑に就いた卒業生が普及と指導に示した力と情熱は日本ハンドボール界の支柱の1つ、47都道府県協会の運営に欠かせぬ人材となった。
国内初の公式大会、37年10月の関東選手権優勝を門出に戦前は全日本選手権2回を制し、戦後、学生界では全日本学生選手権で男子19回、女子17回、関東学生リーグ(戦前の東京学生リーグを含む)で男子43回、女子49回の優勝を飾っている(08年春季まで)。男子は全日本(東西)学生王座決定戦も1回握った。61年の韓国単独遠征の成功は「日韓交流」の扉を開いたものとして特筆される。女子は61年から72年まで対学生チーム89連勝という快記録をマークした。

「日体系」チーム

日本体育大学の現役とOB、またはOBによる国内最高レベルを誇った男子チーム。40年東京で発足した朝日クラブが最初といわれる。第2次大戦後は実業団が台頭するまで多くの全日本制覇を記録している。
・全日体大…全日本総合選手権優勝5回
・日体「桜」、スワロー「松」、東京スワロークラブ、西日本日体OB…全日本総合選手権優勝各1回。ほかに戦前の全日本選手権優勝の日体クラブ。

25パーセントルール

国際ハンドボール連盟が80年から世界選手権規程に導入した同じ勝ち点の場合の順位決定法。得られるべき最高の勝ち点数の25パーセントを基準として、2つのグループに分け順位を決定する。93年の各大会まで採用されたが、撤廃。実力差のあるチームから大量得点をあげ得失点差で上位となる傾向を改めようとしたもので各地学生リーグが着目、廃止、消滅したあとも採用している国内大会が少なくなかった。

NOC

国内オリンピック委員会のこと。日本オリンピック委員会がこれにあたる。

野田 清(のだ・きよし)

日本ハンドボール史上に記憶されるべき大選手。立教大学時代、国際レベルでの活躍を目指して、身体能力の高さを活かした無角度に近いサイドからの独特のプロンジュンシュートを考案、内外から絶賛を浴び、ヨーロッパでは「ノダ・シュート」と名付けられ、日本ではマスコミから「むささびシュート」の異名を得て、ハンドボールの知名度を飛躍的に上げた。大同製鋼(愛知、現・大同特殊鋼)入り後、いちだんと鋭さが加わり日本の切り札的存在となる。72年ミュンヘンオリンピック代表。そのあと、ソウルオリンピック代表監督、日本ハンドボール協会強化部長などを歴任。46年4月愛知生まれ。

ノーマーク

①攻撃者に対し防御側の選手がいない状態
②戦力を評価、警戒されていないチーム。そのようなチームが勝ち進んでいる場合に多く用いられる。

ノーマークシュート

ノーマーク(=前掲)から放たれる、または放たれたシュート。和製英語。

ノン・コンタクトプレーヤー

国際ハンドボール連盟の選手参加資格カテゴリーの1つ。登録上所属クラブと契約は結ぶが生計を立てるための報酬を伴わない競技者を指す。

ノルウェー Norway

世界女子界をリードする国。オリンピックでは北京・ロンドンと連覇、このほか銀メダル2回、銅メダル1回。世界女子選手権は1999年、2011年に優勝、2位と3位各3回。ヨーロッパ女子選手権は04年から10年まで4連覇(通算5回)を飾った。2012年資料では国内愛好者11万2000人の65パーセントが女性という。
球史は1920年代前半ドイツ人によって男子11人制が紹介され、女子は30年代から7人制(室内)によって普及した。第2次世界大戦後、国際ハンドボール連盟(IHF)の設立メンバー国となり、その後の発展に貢献した。女子の躍進はデンマークスウェーデンに刺激され、94年から監督となった元女子代表マリット・ブレイビクの好指導によるところが大きい。これまで奈良伊久子、山田永子、内林絵美、上町史織ら日本人女子選手がノルウェーリーグのコートに立っている。

ノーシード

シードの扱いを受けていないチーム。和製英語。

ノースペクテーターズゲーム

有料、無料を問わず観客を入場させないで行なう試合。ドアークローズドゲーム密室試合に同じ。

ノーステップ

ボールをキャッチして(受けて)からステップしないで次のプレーを行なうこと。

ノーステップシュート

ボールを得た選手がステップしない(足を運ばない)で、そのまま放つシュート対比はステップシュート

ノータイム

規定された競技時間の終了、あるいはほとんどゼロに等しい状況。競技終了の合図と同時に行なわれた違法、反則はルールにしたがって適用される。

ノータイムスロー

フリースロー7mスローを得ているチームは競技終了が合図されたあとも行なう権利がある。フリースローは1人だけの選手によって行なわれる(ほかの選手にパス、ピッチされた時点で終了)。

N.P.O法人

利益の分配をしない「非営利組織」「同団体」のことで、認可されれば資金ゼロで法人を設立できる。活動の範囲は「スポーツ振興」など特定非営利活動促進法で定められた17の分野に限られる。スポーツ系の団体は2013年10月まで全国で5000を越すとされるがハンドボール関係では「広島メイプルレッズ」が代表的。N.P.OはNon Profit Organizationの略称、略記。


NTC

ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)の英文略称、略記。09年4月から「味の素」が施設の名称スポンサーになっている。

ナショナルトレーニングシステム

2000年から日本ハンドボール協会が着手した国内トップレベルの一貫指導システム。national traning systemと名付けられている(略称はNTS)。06年度は国内9ブロックごとに小・中・高校生(男女)の有望選手(総計約800人)を集めて指導、その中から中学生58人、高校生男女62人が07年1月の「センタートレーニング」に推薦された。年代別のトップレベルを強化して、日本代表(男女)の基盤にしようとする企画は、ハンドボール界以外からも期待と注目が集まっている。

ナショナルトレーニングセンター National training Center

2008年1月、東京都北区に完成した頂点強化拠点。屋内施設は地上3階、地下1階の競技別トレーニング場で、ハンドボール専用トレーニング施設(2面)は2階にある。09年4月から施設の名称権を「味の素」が得ている。英文の略称、略記はNTC。屋外トレーニング施設、宿泊施設、国立スポーツ科学センターなどが隣接する。

ニュボー、ニュボア Nyborg

1897年世界で初めて近代ハンドボールが行なわれた場所。デンマーク中南部フュン島東端の港湾都市。国際ハンドボール連盟も「この年と場所」を認知、1997年8月「ハンドボール発祥100周年記念試合」(男子・世界選抜-デンマーク代表)を同市に近いオーデンセで行なっている。デンマークでは1848年オストラップですでに学校スポーツとして「ハンドボールゲーム」の名による競技が行なわれていることも、同連盟は紹介している。

O.A.GK

「ワン・アゲインスト・ゴールキーパー」(One against the Goalkeeper)の略称、略記。ビーチハンドボールで両チームが前半(第1セット)、後半(第2セット)を各1セットずつ勝った場合(セットオール)に行なわれる決着方法。攻撃側はGKからのパスを受けたCPの単身、守備側はGKのみ。両チームがそれぞれ指名した5名の選手によって行なわれる。

OCA

アジアオリンピック評議会に同じ。その英文略称、略記。

オセアニア大陸連盟

1993年7月19日、シドニー(オーストラリア)で設立された国際ハンドボール界でもっとも新しい大陸連盟。中心のオーストラリアは74年創立、そのあとニュージーランド、サモア、バヌアツ、クック諸島がメンバーとなったが、オリンピックへ代表国を送る単独の権利はまだ与えられず、リオデジャネイロ大会予選からアジア(2015年10~11月に)に組み込まれることになった。世界選手権は99年の男子から1ヵ国の枠が配分されるようになったが、国際ハンドボール連盟は2014年5月、メンバーが6ヵ国に満たないとして準加盟扱いに降格したのを機に、その枠を返上させた。これより先、人事をめぐる内紛が発生、一時無活動状態となったが2011年4月21日に再発足。その体制も軌道に乗らず、14年10月23日会長にロベルト・ドコ(グアム)、事務総長にロク・ミッシェル・ジョン夫人(クック諸島)を選任し“再々発足”した。13年9月の国際ハンドボール連盟総会でパプアニューギニア、タヒチなど9地域が加わり、メンバーは16となった。07年5月、オーストラリア女子代表の監督に日本球界では実績のないオーストラリア在住の日本人・木下克彦氏が就任し話題となった。Oceania Handball Faderation、英文略称、略記はOHF。オセアニアは大洋州の意。
この連盟の発足前にオーストラリアを中心に85年からニューカレドニア、タヒチなどによる「オセアニア選手権」が開かれ、第1回(85年7月、タヒチ)には全日本学生選抜(男子)がゲスト参加した。

オフサイド off side

現行にはないが、11人制ではもっとも特徴的なルールの1つ。38年度版の競技規則以降、改正の焦点はつねにオフサイドエリア、オフサイドライン、オフサイドに据えられていた。

オフ・ザ・ボール off the ball

ボールを持たない状況での攻撃側選手の動きを指す(スポーツイベント2013年9、10月号の保存版スキルアップシリーズで解説)。

オフェンス offense

攻撃の方法。攻撃する選手。

オフェンシブファール

攻撃側の選手が防御側の選手にぶつかるプレー。反則。チャージングと呼ばれる行為に同じ。

オフィシャル official

①試合におけるスコアラータイムキーパーを指す②チームの役員③公式記録あるいは記録が書きこまれた用紙④公式の試合。
オフィシャルランゲージ(公式用語)、オフィシャルスポンサー(公認スポンサー)などとも使われる。

オフィシャルサプライヤー official supplier

協会、チーム、競技者などと契約して用具などの商品を提供する主に企業。競技用具だけではなく食料、薬品、事務用品など業種、品種は増えている。

オフィシャルテーブル

テクニカルデレゲート、タイムキーパー、スコアラーのために用意された席。ジャッジテーブルと同意。

オフィシャル エリア official area

競技規則に明示されたコートと選手席、記録席、運営役員(ジュリー、テクニカルゲート、マッチバイザーなど)席などの全域、一般エリアと区別されている。ペナルティとして立ち入りを禁じられたチーム役員、選手は、その外側から区域内の関係者に声をかけることも認められないケースがある。
最近はADカード、IDカードの適用される会場全体を指す場合が増えている。

小笠原久郎

2003年12月の第16回世界女子選手権(クロアチア)で日本人初のレフェリーをつとめた。国際ハンドボール連盟のA級レフェリー資格の取得は94年2月。62年10月北海道生まれ。パートナーは浜田浩和

太田 智子(おおた・ともこ)

2012年11月、島尻真理子をパートナーに日本人で初めての女子国際レフェリーとして国際ハンドボール連盟から認定された。福井商高→筑波大。福井県生まれ。

岡本 大(おかもと・だい)

日本人で最初の外国代表チーム監督。06年4月から06年12月まで日本ハンドボール協会の推薦でタイ女子の指導を行ない、同国を06年の第1回世界女子ユース選手権に導いた。さらに同年の第15回アジア大会(カタール)女子代表の監督も務めた。08年4月より桐蔭横浜大学男女監督。73年11月茨城生まれ。

岡山県協会

1938年1月16日「岡山県送球連盟」が設立された。日本ハンドボール協会にさきがけること17日、国内最初の地方協会である。高等女学校を中心に活動が進んだが第2次大戦で43年初夏を最後に休止状態となり、46年4月「岡山県送球協会」が新発足した。49年岡山大学が活動を始め、そのあと高校OB、OGおよび教員や企業チームを主体とする社会人層などが中心となった。小学生への普及にも意欲を示す。

岡山県ハンドボール選手権

1937年11月28日に西大寺競技場で第1回が行なわれた国内最初の地方(県域)公式大会。高等女学校5チームが参加した(優勝・倉敷高女)。すでに小学校、中学、高等女学校、一般男子などにチームが発足していた。20年代から30年代前半に東京などでハンドボールの指導を受けた人たちが、岡山県内で“最初の成果”をあげたものだ。そのあとも女子を中心に着実な発展を遂げ、戦火が激しくなった43年5月、高等女学校による県内3地域大会が戦前“最後の公式戦”となった。東京、阪神両地域での活動に優るとも劣らぬ情熱は、特筆されるものがある。

沖縄県協会

協会の設立は本土復帰前の1965年7月、日本ハンドボール協会にも同年10月に加盟した。当初から高校、中学のレベルは高く、90年代以降は熱心な指導者の活動で小学生からほぼ一貫した普及・強化策が採られ、全国有数の強力ゾーンに成長した。04年1月、浦添市が全国初の「ハンドボール王国都市」を宣言した。クラブチーム「琉球コラソン」が08年日本リーグ(男子)に加盟、注目されている。

「沖縄特別国体」

沖縄県の本土復帰を記念して1973年5月4~6日開かれた国民体育大会の特別開催。ハンドボールはコザ市を会場に高校女子8チームによる競技が行なわれた。

オリンピック(付・日本のオリンピック選手名)

フランスの教育学者ピエール・ドクーペルタン(1863~1937)男爵が中心となって1896年4月アテネ(ギリシャ)で、古代オリンピック復活の旗印の下に始まった。「近代オリンピック」と呼ばれる。ハンドボールは1925年の国際オリンピック委員会総会で注目され、27年の同総会でジョン・ジョセフ・キーン委員(アイルランド)が正式にオリンピック競技とすることを提案。「選択型競技」としてオリンピックプログラムに加わった。36年のベルリン大会で男子11人制が初めて実施されたが、そのあと52年のヘルシンキ大会でデモンストレーションゲーム(男子11人制スウェーデン-デンマーク)が行なわれた以外、72年のミュンヘン大会での男子7人制まで36年間の空白となる。女子7人制は76年モントリオール大会で初実施。参加国数は男子のミュンヘンが16ヵ国のあと12ヵ国、女子はモントリオールから84年のロサンゼルス大会までが6ヵ国。ソウル大会(88年)からアトランタ大会(96年)までが8ヵ国、シドニー大会(00年)が10ヵ国、北京大会(08年)から男子と同数の12ヵ国になった。
日本の出場は男子が、ミュンヘンモントリオール、ロサンゼルス、ソウルの4回、モスクワ大会(80年)は出場権を得たが不参加、女子はモントリオールの1回だけ。

【日本のオリンピック選手】
◇男子・ミュンヘン=有永修二、近森克彦、早川清孝(故人)、本田洋、氷海正行、飯田誠行、木野実、中井武三、新実俊夫、野田清、佐々木健一、下里敏彦、コーチ/竹野奉昭(選手登録)。
 ・モントリオール=藤中憲二、蒲生晴明、花輪博、本田洋、穂積豊彦、菊池悟、木野実、松原光三、中井武三、佐々木健一、佐藤要二、柴田正章、監督/竹野奉昭、コーチ/東嘉伸。
 ・モスクワ(日本オリンピック委員会認定名簿者)=福井秀人、蒲生晴明、穂積豊彦、池之上孝司、井藤英忠、中本満明、大原真造、大畑孝広、斉藤幸司、斉藤将一郎、関健三、志賀良弘、津川昭、山本伸二。
 ・ロサンゼルス=蒲生晴明、池之上孝司、生駒靖夫、井藤英忠、松井幸嗣、中本満明、西山清、大畑孝広、佐々木伸男、関健三、志賀良弘、高村誠一、田口勝利、上村幸彦、山本伸二、監督/市原則之、コーチ/野田清。
 ・ソウル=藤井泉、橋本行弘、井藤英忠、宮下和広、荷川取義浩、西山清、奥田新治、首藤信一、立木浩二、田口隆、高村誠一、玉村健次、山本興道、山村敏之、矢内浩、監督/野田清、コーチ/佐藤要二、津川昭、塙敏。
◇女子・モントリオール~5位入賞~穂積美保子、加藤美紀子、河田栄子、紀野奈々美、小森久里子、古佐原ひろ子、久保徳子、藏田照美、松下仁美、島田夏枝、和田祥子、山下恵美子、監督/井薫

オリンピックオールスター

国際ハンドボール連盟が、88年ソウル・オリンピック以降、地元組織委員会などの後援で選出するベストセブン。表彰は行なわれない。ソウルからアテネ(04年)まで女子で毎回、韓国選手が選抜されているのが光る。

オルソン Olle Olsson

オレ・オルソン。1997年熊本での第15回世界選手権に備えて全日本強化のため日本ハンドボール協会が史上初めて起用した外国人監督。最終順位は15位だったが選手の体重増加を図っての“多食合宿”など、これまでにないトレーニングで注目を浴びた。96年1月~97年6月まで在任。スウェーデンのミュンヘンオリンピック代表選手。日本のあとサウジアラビア代表、ドイツ、スウェーデンなどの有力クラブのコーチをつとめている。48年6月スウェーデン生まれ。

「オリンピックハンドボール」

ハンドボールが普及されはじめた国での名称。現在ではアイルランド、かつてはカナダ、オーストラリアなどが使用している。

オリンピックオーダー Olympic order

国際オリンピック委員会が1975年に制定した顕彰制度。オリンピック運動への貢献や国際スポーツ交流に功績のあった人に贈られる。日本のハンドボール関係者では、95年に故・荒川清美が銀賞、98年に故・斎藤英四郎が金賞を受けている。

オリンピックソリダリティ Olympic solidarity

国際オリンピック委員会が国際スポーツ組織や各国オリンピック委員会の事業を助成してオリンピック運動の連帯を高める活動。国際ハンドボール連盟も活発な連携で、日本では89年と94年の2回日本ハンドボール協会によって研修会が開かれている。

オリンピック予選

原則としてハンドボールなど球技(ボールゲーム)は大陸別に参加枠が設定される。国際ハンドボール連盟は2012年ロンドン大会まではオセアニアを除くアジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの各大陸に男女1ヵ国ずつを配分、2016年リオデジャネイロ大会からオセアニア大陸代表のアジア予選参加を男女とも認めた。残る枠は世界選手権の優勝国と開催国に当てられ、そのほかの男女6ヵ国を決めるため北京大会(08年)から「IHF予選会」が新設されている。

オムロン Omron

国内を代表する女子強豪チーム。1961年熊本で設立された大洋デパートを74年2月受け継いで発足した。当時のチーム名は立石電機、85年社名(チーム名)が現在のものとなった。つねに全日本女子の主軸を占め、国際レベルの選手を多数輩出している。立石以降14年3月までに全日本総合選手権17回、日本リーグ17回、東アジアクラブ選手権3回の優勝を飾っている。ホームタウンは熊本県山鹿市。

オン・ザ・コート

コート上で競技する7人のうち、特定の人数の資格を規制する場合の用語。代表的なケースは、日本ハンドボール協会が07年度から外国人選手を1人(試合エントリーは2人)としている。現役+OB(OG)、年令別大会、ビーチ競技の男女混成チームなどでも、それぞれ大会の目的で定められる。

ワン・ドリブル

コート上で競技する7人のうち、特定の人数の資格を規制する場合の用語。代表的なケースは、日本ハンドボール協会が07年度から外国人選手を1人(試合エントリーは2人)としている。現役+OB(OG)、年令別大会、ビーチ競技の男女混成チームなどでも、それぞれ大会の目的で定められる。

ワンマン・ダッシュ

自陣でボールを味方が得たと判断すると同時に1人が勢いよく相手陣へ向かいパスを受けて攻撃すること。相手のシュート動作とともにその成否を待たず仕掛けるケースも多い。

ワン・パス

ダッシュして相手陣内へ入った選手へ送る1回(1本)のパス。

ワンサイデッド・ゲーム onesided game

どちらかのチームが一方的な優勢で大量得点をあげた試合、あるいはそのような展開で進行中の試合。実力が段違いの試合もこう呼ばれる。

大分県協会

1962年3月設立。その14年前、県内の男女各1高校によって県協会前史的な活動が行なわれていたが発展せず、60年代に入って本格化、高校男女に有力チームが育った。2015年4月、第12回東アジアクラブ選手権を別府市で開催。

大阪体育大学

1965年浪商学園(大阪、1921年11月建学)によって設立された。同時に9人の部員によってハンドボール部が誕生、66年関西学生ハンドボール連盟に加盟、68年春2部で初優勝、70年秋から1部に定着、72年春初優勝から10シーズン連続優勝して「西の雄」の座を不動とした。82年宿願の全日本学生選手権制覇を遂げた。
14年秋までに関西学生リーグ72回、全日本学生選手権9回の優勝を誇る。西日本学生選手権では71年に初優勝、90年から9連覇の快記録を立てている。
女子は1967年にチームが結成され68年の関西学生女子対抗戦で優勝、そのあと本格化したリーグでは71年春に初優勝し14年秋までに28回の優勝を遂げている。全日本学生選手権では大阪教育大などとともに「関西時代」を告げる活躍を示し始めた。11年、13年、14年、15年に優勝。

大谷 武一(故人、おおたに・ぶいち)

1922年7月24日、日本にハンドボールを初めて紹介した教育者。東京高等師範学校の体育教官としてヨーロッパ・アメリカの視察から帰国直後にドイツで見聞のハンドボールを体育指導者に伝えた。そのあと学校体育、競技スポーツ両面で普及に情熱を注ぎ、日本ハンドボール協会設立(38年2月)にあたって副会長となり42年度までつとめた。66年1月78才で他界された。

OQT

Olympic Qualification Tournamentsの英語略記、略称。IHFオリンピック予選会に同じ。

おりひめジャパン

日本女子代表チームのニックネーム。2013年11月、第21回世界女子選手権(セルビア)出場を前に日本ハンドボール協会が全国公募し集った1106点の中から選んだ。
「おりひめ」は琴座の首星ベガ(Vega)の和名「織女星」の七夕伝説による仙女。日本協会は「華麗・優美なプレーで天の川を渡り世界にはばたく願いを込めた」としている。

大阪協会

1939年4月「日本ハンドボール協会関西連盟大阪支部」として設立されたのを前身とする。その業務を第2次大戦直後に引き継ぎ「大阪協会」となった。「大阪協会」の名称は47年4月から。戦前は指導者を得た高等女学校が、戦中から戦後にかけては理工、医学系学生が中心となり活動、関西学生界発足の原動力となって、しだいに高校界へ普及、全国有数のトップゾーンを築いた。全日本高校選手権をはじめ多くの国内公式大会の“初開催地”となっているのは、関係者の情熱、運営組織力を物語る。国際大会の開催経験も数多い。

大阪イーグルス

大阪を本拠とした日本体育大学OBによる教職員クラブ。1962年創設以来、目標を国内最上位に据えて活動、大阪教員クラブ、大阪教員団を経て、64年チーム名を日体伝統のイーグルスとした。76年日本リーグ発足と同時に加盟、話題を呼んだ。同リーグには7年在籍(4位1回、5位4回、6位2回)。全日本教職員選手権では抜群のチーム力を誇り、71年から10連覇(通算優勝16回)。現在は活動を休止している。

「08年大阪オリンピック」

2000年1月大阪市が日本オリンピック委員会の承認を受けて立候補、計画では「08年7月18日から8月3日まで。ハンドボール(男女)は大阪市中央体育館(大阪市港区)を主会場とする」とされた(注・当初案のハンドボール会場は大阪府立体育会館と舞洲アリーナ)。
01年7月モスクワでの国際オリンピック委員会総会による開催地決定投票は5都市によって争われ、大阪市は最初にふるい落とされた(得票6)。この年の開催地は中国の首都・北京に決定。
大阪市の立候補を前に国内では、横浜市を中心とした1都7県にまたがる「08年首都圏広域オリンピック」も名乗りをあげ、日本オリンピック委員会は97年8月、両案を票決(大阪29、横浜17)し、大阪に一本化した。「首都圏」でのハンドボールは千葉市の幕張メッセと千葉ポートアリーナ、川崎市のとどろきアリーナが会場候補地にあげられていた。

大阪府立体育会館

1952年12月3日に開館した大阪の代表的な室内スポーツ施設。この時に記念行事として行なわれた大阪クラブ-関西学生選抜(男子)戦が日本における室内(7人制)ハンドボールの初試合。改修などのあと現在メインホールの(第1球技場)はフロアが3010㎡、固定席3131を持つ。第2球技場は913㎡。

大阪アジア女子ジュニア選手権

1998年8月31日から9月4日まで大阪・舞洲(まいしま)アリーナで第5回大会が5ヵ国の参加で行なわれた。優勝は韓国、日本は3位。

大阪歯科大学

第2次大戦直後に設立された関西学生界の伝統校。1946年までは大阪歯科医学専門学校としての活動で、同年11月第1回国民体育大会学生東西対抗に西側代表として出場、早稲田大学を5-1で下し、名をあげた。47年6月、現在の校名となり関西学生リーグの上位で活躍した。

大崎電気工業

1960年4月東京で、全日本上位と国際進出を目標にスタートしたチーム。その意気込みどおり創部4ヵ月後に第12回全日本総合選手権を制し、早々と「大崎時代」の開幕と、球界待望の「実業団時代」到来を告げた。
積極的な強化でつねに全日本の代表的選手を加え、最高レベルの陣容で精度の高い攻防を展開しつづけた。近年は契約選手の導入など新たな路線を求めはじめている。「大崎オーソル」のチーム名を正式登録する試みを採ったことがある。
14年までに全日本総合選手権優勝12回、日本リーグは2004-05年シーズンに優勝。2010-11シーズンはレギュラーシーズンのみの成績で2度目の優勝を手にした(東日本大震災でプレーオフが中止になったため)。97年1月国際ハンドボール連盟による国際クラブ選手権・第1回スーパーグローブにアジア大陸代表として出場している。

大崎電気工業・女子

前掲の男子を追って61年4月に男子と同様の高い目標のもとにスタート。翌年の第2回世界女子選手権代表に6人を送りこむなど日本女子の国際的な夜明けを告げる活動をつづった。81年韓国代表の強力デュオ李相玉、李京姫を迎え「外国人選手時代」の先がけとなる。99年シーズンを最後に休部したのは惜しんでも余りある。全日本総合選手権7回、日本リーグ8回の優勝。このうち全日本総合の64、88、89年の3回は「男女優勝」。

大崎企業スポーツ事業研究助成財団

96年4月発足。日本ハンドボール界のトップゾーン強化と国際進出に貢献された大崎電気工業社長・故・渡邊和美の遺志を引き継ぎ「実業団スポーツの振興」の研究事業助成などを目的とする。日本ハンドボール界への助成や企業とスポーツのさまざまな課題の分析など注目を集める事業を展開している。

オット Ojgen Otto

オイゲン・オット。1938年から42年まで在日ドイツ大使を務めた人。ドイツの“国技”とあって日本ハンドボール協会草創期の活動に関心を示し、「オット杯」などを国内試合に寄せたとされる。42年秋に帰国。

大塚クラブ

1937年11月、史上初の全日本選手権(男子、東京)で優勝したチーム。大会の10日前、初の公式大会となった第1回関東選手権2位の文理科大学のメンバーに卒業生やほかのスポーツとの“兼任者”が加わったメンバーとされる。このチーム名での活動は38年以降ほとんどない。

アウト・オブ・バウンズ out of bounds

プレー区域(競技場)外に出たボール。時に選手の状況。

アウトドア・ハンドボール

一般的には11人制を指す。屋外コートで行なわれる7人制は競技名としてではなく、会場(施設)を示すために「アウトドア」と呼ばれる。

アウターゴールライン outer goal line

コートの横20mのラインのうち、各ゴールの両外側の部分をいう。ゴールポスト間の長さは3mで、アウターゴールラインはその左右に各8m50ずつとなる。

アウトナンバー

①速攻で攻撃側の人数が防御側を上回っている状況 ②交代の混乱から規定の人数以上がコートに入っている状態。

オーバーステップ

コートプレーヤーがボールを持って「4歩以上」歩くこと。反則。

オーバータイム

①ボールを3秒より長く手に持っていること。反則②試合時間の延長。

オウンゴール own goal

コートプレーヤーが誤って味方のゴールへボールを入れてしまった時やGKのパスが自チーム選手に当たってゴールインした時などは相手チームの得点となる。ただし、GKがボールをコントロール中にこぼしてゴールを入れてしまった場合にはならない。「自殺点」という表現は好ましくないとされる。
日本リーグはオウンゴールを「監督の得点」として記録する。

パシフィックゲームズ

Pacific games。南太平洋に浮かぶ島国を中心とした総合競技大会で1963年フィジー島で始まり現在は4年ごとに開かれている。34競技が行なわれているがハンドボールは含まれておらず、2013年、国際ハンドボール連盟にこの地域から多数がメンバー(オセアニア大陸連盟に所属)となったことで、15年パプアニューギニア、19年トンガでの大会から実施を働きかける。大会名は70年代までは南太平洋競技大会(サウス・パシフィックゲームズ)と呼ばれていた。

パン・アメリカンゲームズ

Pan american games。1951年アルゼンチンで第1回が開かれた国際オリンピック委員会公認の国際総合地域競技会。4年ごとに約30ヵ国が参加、20以上の競技が行なわれる。ハンドボールは男女とも87年の第10回から実施され、アメリカ、キューバが強みを示したが、90年代に入ってブラジルが男女で躍進、アルゼンチンも成長を示している。2015年トロント(カナダ)で開かれる第17回大会のハンドボール競技はリオデジャネイロ・オリンピック予選を兼ねる。19年はリマ(ペルー)の予定。

パン・アメリカン・チームハンドボール連盟

Pan american teamhandball federation。略称PATHF。正式設立は1977年5月23日(メキシコシティ)だが、アメリカ、カナダが中心となって「パン・アメリカン選手権」は1964年から(74年まで男子のみ)開かれ、70年代に入って愛好国が広がっていった。アメリカとカナダでは「チームハンドボール」と呼ばれ、そのまま連盟名となった。80年代以降、南米勢が拡充され、2015年2月現在、加盟国数は28。北・カリブ海、中、南の3地域に分かれ、各選手権が開かれている。会長はマリオ・モシア(アルゼンチン)、事務総長はエクトール・フェルナンデス(チリ)。

パン・アラブゲームズ

Pan arab games。1953年エジプト・アレクサンドリアで第1回が開かれ9カ国がハンドボールなど10競技を行なった。「パン・アラブ競技大会」と訳される。
65年から11年間、76年から9年間、99年から5年間など休会も再三あったが04年の第10回から3~4年ごとのサイクルを安定させている。15年の第13回はアンマン(ヨルダン)の予定だが詳細は未発表。

ペーパーテスト

審判員資格を取得する時に行なわれるルール解釈を主とした記述試験。

パラレル parallel

parallel。並んで“壁”を作っているディフェンスに対し、ゴールラインと平行(=パラレル)にボールを運びながら攻める動き。「ずらし」と呼ばれてきたプレー(スポーツイベント2015年2月号の保存版スキルアップシリーズで解説)。

「パラパン」

相手ディフェンスの前に攻撃側の選手が壁(パラパン=ルーマニア語)をつくるようにして並び、シューターのロング攻撃を助けるシステム。

パルティル・カップ

Partille cup。 スウェーデン協会がヨーロッパ連盟の支援を受け毎年イェーテボリ近郊で開くジュニア、ユースの超大型国際的サマートーナメント。
10才以下クラスから21才代表クラス(「ヨーロッパオープン」と呼称される)まで男子各9部門に合わせて世界各国から1000を越す参加があるマンモス大会で、06年男子21才以下クラスで日本ジュニアがヨーロッパの単独クラブをおさえ優勝している。
1963年、地元クラブが運営していた大会をスウェーデン協会がサポート、国際色も強まり70年代には台湾、韓国チームが積極的に参加、台湾勢は85、89年に5部門で優勝を飾ったことがある。50以上のコートが用意されるなど大会風景は壮観で2014年は41ヵ国から1023チームが参加している。

パス

味方のプレーヤーにボールを送ること。ハンドボール競技の基本であり、主体であり、魅力である。

パスワーク pass work

パスの技術、てなみ(腕前)。

パッシブプレー passive play

攻撃側が積極的に得点を狙おうとせず、無用なパスやドリブルを繰り返す活気に乏しいプレーをいう。レフェリーが判定、相手のボールに変わるが、レフェリーは攻撃あるいはシュートしようとしない意図の兆(きざし)を察知した時、予告の合図を出して積極さを促す。
「時間かせぎ」のプレーは、ハンドボールを見る楽しさを失わせるものとして以前から課題とされ、テレビ界の発言力が強まるにつれいっそう問題となった。現代のボールゲームは「スピードと継続にある」とされ、この判定もその流れにそったものだ。
攻撃促進のため自軍のボールとなってからシュートまでの時間を限定しようとする動きも強く、「45秒ルール」の採用が確定的と報じられた時期もある。

P.A.T.H.F

パン・アメリカンチームハンドボール連盟の略称、略記。

北京(ペキン)オリンピック

中国の首都・北京で08年8月8日から8月24日まで開かれた夏季大会。中国でのオリンピック開催は冬季を含めて初。ハンドボール(男女)の会場は市北部に形成されるスポーツセンター「オリンピック・グリーン」内の新設ホールで優勝は男・フランス、女・ノルウェー。中国は男・予選リーグ敗退、女・6位。日本は不参加だった。ベイジンオリンピックに同じ。

北京(ペキン)オリンピックアジア予選再試合(再予選)

国際ハンドボール連盟は07年12月17日パリでの理事会で、07年8月アルマトイ(カザフスタン)で行なわれた女子、同9月愛知県豊田市で行なわれた男子の北京オリンピックアジア予選の全試合が担当した審判の資格、試合(大会)運営で著しく公平性を欠いたとして議論、採択(挙手)に持ち込み、多数決で両予選の結果を無効とする前代未聞の決議を行なった。
これにより男子クウェート、女子カザフスタンのオリンピック出場は白紙に戻され、国際ハンドボール連盟が「再予選」を実施するとした。アジアハンドボール連盟は激しく反発、「再予選」の開催を引き受けたり参加した場合、ペナルティを科すなどとした。
08年1月29、30日東京(国立代々木第一屋内競技場)で行なわれた「再予選」には男女とも日本、韓国のみが出場、いずれも韓国が勝ち、オリンピック代表権を手にした。
不当を訴え続けるアジアハンドボール連盟は2月中旬スポーツ仲裁裁判所(CAS、スイス)に持ち込み、3月19日ローザンヌ(スイス)で仲裁が行なわれた。その結果「再予選」の男子は有効、女子は無効と裁決されカザフスタンの北京出場が認められた。
「再予選」の異常さが内外メディアの関心を集め、とくに国内ではオリンピックイヤー初頭の事件として取り組まれた。かつてない「ハンドボール報道」が活字、電波メディアに躍り、フィーバーは1ヵ月以上に及んだ。
一般の興味も高まり「再予選」の女子は4206人、男子は10257人の観客が詰めかけた。

ペナルティ

ルールに違反した行為へ課せられる罰則。

ペナルティカード

審判員が反則を示すために掲げるカード。1970年FIFA(サッカー)ワールドカップで採用され各スポーツに広がったとされる。イエロー、レッドの両方カードが一般的でハンドボールも採用しているが、ブラック(フェンシング)、グリーン(ホッケー)などもある。

ペナルティスロー

7mスローの旧称。7mスローに同じ。

パフォーマンス performance

試合で示された技術、戦術。成果、実績などの意もある。

パフォーマンスプレース performance place

国際ハンドボール連盟が直近の大会の実績を基に大陸別に割り振る枠の数。実績出場枠前回実績出場枠に同じ。対比はコンパルソリープレース(固定出場枠)。

ペリメーターゴール perimeter goal

9mライン(フリースローライン)の周辺あるいはその後方(外側)から射ちこんだシュートによる得点。得点の形態、種類を表わす用語。

ピリオド制 period

非公式の試合で、競技時間を3つ以上に分けて行なう方式。1ピリオド15分~20分が標準的(インターバルは5分)。最近では地中海ジュニア選手権(男女)が3ピリオド制を採用、旧ソ連はユース大会で特定のピリオドを両チームとも「マン・ツー・マンDF」で行なうとしていた。3ピリオドの場合、第2ピリオドの終わったあと、第3ピリオドのスローオフを決めるトスを行なう。日本の小学生競技は2015年からすべて「10分3ピリオド制」が採用された。

PF

Prefecture Federationの略。都道府県協会を指す。

フィシオテラピスト Physiotherapist

マッサージや特別な運動などを施す理学療法士。チームスタッフに加えられる。

ピックアップチーム

複数のチームから有力選手を集めて編成したチーム。

「ピルエット」シュート

2004年エジプトの第1回世界ビーチ選手権でヨーロッパ各国が「2点シュート」として多用したジャンプシュート。ボールを持って空間へ踏み切り360度回転しながら放ち、成功すれば「2点」の評価が与えられる。09年のワールドゲームズ(台湾)から「スピン・シュート」の呼称に代った。
語源は「pilouette」(バレエなどでつま先旋回すること)とされる。最初に開発したチーム(国)は不明。馬術競技の用語に同名のテクニックがある。

ピストン・プレー

ボールを持つ選手に対し、守備側の1人がチェックし、ほかの1人がバックアップ(フォローアップ)する前後の動きによる連携プレー。

ピッチ pitch

ボールを投げ渡すこと。

ピボット pivot

①片方の足を基軸(ポイント)として動かさず、一方の足の動作で相手選手をかわすプレー②ポストに同じ。

ピボットシュート

ポストの選手がピボットプレー(=前掲)から左右いずれかへ方向を切り返しながら放つシュート。

プレースメント placement

順位、位置。

プレー

競技(試合)での動き。

プレーアブル playable

「プレーができる状況」「プレーに適した状況」の意で、個々の動きの基本的な狙いとする考え。攻防両面でチームが有利な展開となるため「プレーアブルであること」「プレーアブルになること」「プレーアブルに仕向けること」を心がける。「プレーアブルなゾーン(スペース)」といった意味を持つ。

プレーダウン play down

順位決定のための再戦。プレーオフ(=後掲)に同じ。

プレーヤー player

競技者、選手。

プレーイングコーチ(プレーイングマネージャー)

選手とコーチを兼ねている人。国内では「監督兼選手」などと呼ばれる。

プレーオフ play off

順位決定のための再戦だが、主に優勝を決定する場合に組まれる試合、日程を指す。本来は同点などで決着しなかった場合の再戦を指す。

プロンジョンシュート plungeion shoot

1958年からゴールエリアの“上空”におけるプレーが認められ、この空間に飛びこむ(plungeion)プレーが一気に開発、ハンドボールに立体的な面白さと、豪快、曲芸的魅力を生じさせた。野田清によるサイドからのダイビングシュートなどが代表的だ。倒れ込みシュートの技術も高度化している。

ポイント point

得点②プレーを再開するコート上の場所③大会や試合の見どころ④勝負の流れを左右した攻防の分岐点⑤講習、練習の要点⑥勝ち点、引き分け点、参加点。

ポイントゲッター

数多くの得点をあげる選手、和製英語。ゴールゲッター、メインスコアラーなどとも呼ばれる。

ポイントオーバー

スローを行なう選手が、踏み入れることを許可されない場所に入ってしまうこと。スローを行なう選手がスローする前に(ボールを手から離す前に)基準足がフロア(グラウンド)から離れること。

ポンポン pom-pom

応援用の玉房。

プール pool

大会の組み分けなどの1つのかたまり。グループに同じ。

ポジション

①選手が受け持つ位置(持ち場)。ゴールキーパー(GK)とコートプレーヤー(CP)の攻撃陣形では9mライン(フリースローライン)近くを「バック」としてセンター(=ミドルバック)、バックレフト、バックライト、6mライン近くの中央をポスト(=後掲)、レフトウィング、ライトウィングと名付ける。バックは国内では「45度」と呼ぶことも多い②2人のレフェリーのそれぞれの“位置”③チーム内の役職④順位。

ポスト

①攻撃側にとってゴール前のゴールエリアライン中央付近の“場所”から攻撃を行なう選手(=ポストプレーヤー)。ラインプレーヤーとも呼ばれる。②チーム内の部署、役職③後(あと)を表わす。

ポストシュート

ゴール前のゴールエリアライン近くから放たれるシュート。

ポストスタンプ

ハンドボールを図案に用いた内外の郵便切手や特別の消印。大会を記念して発行される場合も多い。ハンドボール切手に同じ。

ポストマッチファンクション

試合後両チームの健闘を讃え再会を約すため両チーム選手、OB、OGなど関係者、その試合の担当レフェリーなどが一堂に会して交歓するささやかなパーティー。定期戦などに多い。

ポストプレー

ポスト(前掲)を中心に攻撃するプレー。

ポストプレーヤー

ポスト(=前掲)から攻撃を行なう選手で、身長、体重とも大型選手を配置することが多い。同時に2人を配すセットプレーは「ダブルポストフォーメーション」

ポストシーズン(マッチ)

公式シーズンの終了後。レギュラーシーズンのあとに行なわれるプレーオフなどを指す場合もある。対比はプレシーズン

ポット pot

壺(つぼ)、鉢(はち)をいい、シード順別にこのなかへチーム名を記したカードなどをいれて抽せんする。シード数だけポットが用意されるが、1つを使い回すこともある。

パワーヒッター powerhitter

ジャンピングによるロングシュートなど豪快な攻撃を得意とする選手。和製英語。

パワーハウス powerhouse

強豪、強力チームのこと。

パワープレー powerplay

相手チームが反則退場によってコート上の人数が少なくなっている間の有利な攻撃状況。本来はゴールキーパーをコートプレーヤーに代えて総攻撃を仕掛ける捨て身のプレーを指す。

PRC

国際ハンドボール連盟の専門委員会(コミッティ)の1つ。競技規則・審判委員会。英文の正式名称はCommission of Playing Rules and Referees。委員は7人、委員長はマンフレッド・プラウゼ(ドイツ)。

プレイベント pre-event

大会などの前景気をあおるため行なわれる各種の催し。出場選手によるサイン会、撮影会、トークショーなどのほか、協賛の文化行事もいう。

プレリミナリーラウンド preliminary round

原則として「予選リーグ」を指す。あるいは決勝リーグ前の「予選試合」。順位決定のための「予備試合」。

プレ・オリンピック pre-olympic

国際オリンピック委員会は、この表現の大会やイベントを認めていない。ハンドボール界ではオリンピックの大陸別予選をこのように呼ぶときがある。オリンピックの前哨戦やリハーサル大会はプレトーナメント、テストイベントなどという。

プレシーズンマッチ

公式大会(公式リーグ)の開幕前に組まれる調整、親善、興行色の濃い大会、試合。

プレゼンター presenter

賞金、賞品などを贈呈(授与)する人。

プレジデントカップ(会長杯)

公式大会で決勝ラウンドに進出できなかったチームのため、大会期間中に主催者の会長が贈るカップ、トロフィ、プレートなどを懸けて行なう競技。国際ハンドボール連盟は2007年1月の第20回世界選手権(ドイツ)で採用。国内でも敗者トーナメントとして行なわれるイベントが多い。

プレス press

報道関係者、言論界、あるいはその関係者。

プレスカンファレンス press conference

記者会見。

プレスセンター

報道関係者の作業のために設けられる場所。記録の配付、記者会見、記者発表、インタビューなどが行なわれる。メディアセンターとほぼ同意語。小規模な場合は控室を兼ねたプレスルームと呼ばれることが多い。

プレスディフェンス

ディフェンスが攻撃側に近寄ってフリーの状態でプレーさせないようにし、ボールを奪うために圧力をかけるシステム。最近はプレッシャーと呼ぶことが多い。

プレスオフィサー

主催者側の報道対応担当者。プレスアタッシェ(フランス語 attache)とほぼ同意語。

プレスリリース press release

団体(日本ハンドボール協会など)がマスコミに対して行なう情報の提供。ニュースリリース、ハンドアウトなどと同意語。

プレッシャー pressure

圧力をかけること、重圧を感じさせること。詰めの早いディフェンスなど戦術面でも用いられる。「プレッシャーを感じた」などとも使われる。プレスディフェンス

プライベートトーナメント private tournament

クラブ、単独チームが主催して開く大会。ヨーロッパではフランスのUSイブリイによるシャレンジ・マーレーヌ、スイスのイエロー・ヴィンタースールによるイエローカップなど高名な国際大会が数多く行なわれている。
国内では県協会、市協会、日本リーグ加盟チームなどが主催する大会が増え、企業などスポンサーを得ているのが目立つ。

プライズ prize

賞。

プライズマネー

賞金。2015年の男子世界選手権では優勝国が50000ドル、2位30000ドル、3位20000ドルだった(13年の女子も同様)。プライベートトーナメントもヨーロッパでは賞金付き大会が多い。日本リーグは13年の第37回大会から導入。金額は優勝100万円。

プロフェッショナルプレーヤー

国際ハンドボール連盟は1994年の総会で、史上初めてプロ選手にも参加資格を与える画期的な決定を行なった。「プロ」とはハンドボール活動で報酬を得て生計をたてていること。ヨーロッパの有力国は男女ともシーズン毎にその数を増している。
日本ハンドボール協会は2001年2月、登録規程に「プロ競技者」の項目を設けたが、現在は削除されている。

プログラム

大会や試合の運営計画。日本ではあらゆる内容を収録したパンフレット(pamphlet、小冊子)を呼ぶ場合が多い。ヨーロッパでは記念品的な豪華さより簡便さが発行の軸となる。

プロジェクト、プロジェクトチーム project

特別な計画、企画。そのため編成されるチーム。日本ハンドボール協会は、オリンピック参加を目指す強化、事業開発のプロジェクトチーム常設を検討中だ。

「プロジェクト21」

日本ハンドボール協会が2003年6月に公表した「21世紀の日本ハンドボール像」構想。愛好者・ファンの拡大、小学生層への普及、地域での振興、競技者の増加、財源の確保、各分野での国際進出、代表チームの強化と世界的実績などが骨子。04年(2版)、05年に加筆が行なわれている。

プロロンゲーション prolongation

同点で競技時間を延長すること。延長戦エキストラタイムに同じ。

プロテスト protest

試合後の抗議、意義の申し立て。国際的な規定では試合終了後60分以内に文書で500スイスフラン(03年12月規定)を添えて申し出られる。

プ(パ)ニッシュメント punishment

罰則のこと。警告退場失格追放などがある。

プッシング pushing

相手を手や身体で押す反則。

プッシュパス

身体の前から両手で押し出すようにして投げるパス。

プッシュシュート

ゴールエリアの中に飛びこみ、両手でボールを胸の前から押し出すようにして行なうシュート。プロンジョンシュートの一種。

カタール

2015年1月、首都ドーハで開いた第24回世界男子選手権で、ヨーロッパの第一線で活躍した有力選手を数年がかりで帰化させ、その個人能力と第23回(13年スペイン)の優勝監督バレロ・リベラ(スペイン)を迎えた指導力で決勝戦まで駆け上がり、2位となって話題を集めた。1971年9月、イギリスの保護から独立しスポーツの国際活動もさかんとなり、天然ガス、石油など豊かな資源で財をなした富豪、首長制を支える王侯・貴族の社交の場として40年代に誕生していた「クラブ」が次々とスポーツに力を入れるようになった。ハンドボールはオリンピック復活(72年)に刺激され、各クラブがチームを持ち1978年に国際ハンドボール連盟に加盟。83年アジア選手権に初参加。91年広島でのアジア選手権で4位に進出したあたりから実力アップがめだってきた。 94年アジア・ジュニア選手権で初優勝、99年第12回世界ジュニアを、2005年第1回世界ユースを開催した。02年IHFによる世界クラブ選手権「スーパーグローブ」を主催、ヨーロッパの有力選手を短期移籍させた「アル・サード・ドーハ」が優勝、物議をかもした。 10年から再び「スーパーグローブ」を主催している。14年の第16回アジア選手権で初優勝を飾ったが、2010、12年にアジアジュニアと同ユースの“2冠”を飾るなど若手の国内強化の成果も現れている。

QF

クォーターファイナル(=後掲)の略称、略記。

クォリファイ qualify

予選などを突破した本選(本大会)への参加資格を得た(る)こと。失格はディス(dis)クォリファイ。

クォリフィケーション・マッチ(ゲーム)

本選(本大会)へ出場するための予選試合、同大会

クォーターファイナル quarter final

勝ち抜き戦での準々決勝。ベストエイトによる試合。日本では「8強」などと呼ぶ。4分の1ファイナルに同じ。

クォーター制

非公式の試合で、競技時間を4つに分けて行なう方式。強化や少年層の試合に多く、1クォーターは10分、15分、20分など。

クイックプレー

素早い動作をともなった攻撃。失点や反則直後、相手の態勢が整わぬ間の再開攻撃に用いられる。

クイックシュート

Quick shoot。相手ディフェンスが準備、対応する前に素早く放つシュート。

ラジオ放送

1941年1月19日、兵庫・甲子園南運動場で行なわれた第3回全日本東西対抗(男子)がNHKによって全国放送されたのが最初(注・当時はNHKという呼称はなく、大阪放送局が正式)。41年6月にはNHK岡山が第4回同県女子選手権を中継(県内)している。

ラフバル Raffball(ドイツ語)

近代ハンドボールのルーツの1つといわれるドイツのスポーツ。1890年代、スポーツクラブや学校で盛んに行なわれていたラグビーフットボールに似た球技。1チーム14人。raffは「ひったくる」という意味で「スナッチボール(snatch ball)」と英訳されている。1910年代に入ってベルリンの女性団体が女子用にアレンジ、「トーアバル(torball)」を生み、さらに19年、ドイツの体育教官カール・シュレンツがトーアバルを改良してハンドボールとした。いずれも屋外スポーツ。
トーアバルが女子向けの球技であったことから、ハンドボールは「女子の球技として発達した」といわれるが、正確ではない。むしろラフバルの勇壮さ、豪放さを持ち合わせているといってよい。この精神は室内(7人制)にも受け継がれている。

ランキング ranking

順位付け。

リスタート

反則のあとフリースローから攻撃再開すること。スローインやゴールスローからのシーンは当てはまらない。

リスタート

re-start。失点のあと相手が帰陣するよりも早くスローオフして攻撃を仕掛ける動き。

リバウンドボール rebound

放たれたシュートがGKゴールに当たってフィールドに跳ね返ってきたボール。

レッドカード

レフェリーによって失格を示される赤色のカード。カードの大きさは12㎝×9㎝と規定されている。イエローカードとともに「ペナルティカード」と呼ばれる。

レフェリー referee

審判員。現行では2人によって試合が進められ、全般の管理、ルール違反の判定を行なう。2人のレフェリーは互いにサイドを変えるため動き「コートレフェリー」「ゴールレフェリー」と名付けられた立ち場を受け持ちあう。2人の権限は同等。

レフェリーボール

レフェリースロー(=後掲)に同じ。

レフェリースロー

両チームがボールを奪いあい、どちらとも判定がつかなかったあと、両チーム1人ずつが向かいあい、レフェリーが、その中間にボールを投げあげ“最高点”に達した時、競技再開となる。

レフェリーウェア

レフェリーが着用する衣服で黒一色が望ましいとされているが、現代はそれ以外の色も認められ、世界選手権などでは独自のデザインが多くなっている。日本ハンドボール協会制定のウェアもある。

レフェリング

レフェリーが試合の管理を行ない、選手の行動を公平に“監視”すること。

レ(リ)ジョナルゲームズ regional games

国際オリンピック委員会が、4年にいちど、地域的な国際競技会として開くことを認めている大会。アジア競技大会パン・アメリカンゲームズアフリカンゲームズ地中海競技大会などがあり、いずれもハンドボールは正式競技として実施されている。

リージョナル登録

日本ハンドボール協会のチーム登録種別の1つ。都道府県内大会だけに参加資格があり、予選を含んだ国民体育大会には参加できない。

レギュラー

一般的にそのチームで常時試合に出場する主力選手を指す。

レギュラーシーズンマッチ

定められた期間に行なわれる公式試合。

レギュレーションマッチ

組織によって規定され義務づけられた特別の試合。「入れ替え戦」が代表的なケース。

リマッチ rematch

試合のやり直し。屋外コートの試合で荒天に見舞われ途中中止となり、改めて最初から再試合するケースが多い。北京オリンピックアジア予選の再試合でもこの表現が使われた。

連勝

1つのチームが公式戦で勝ちつづけること。国内で高い評価を得ているのは男子・芝浦工業大学(東京)による全国タイトル6個を含む47連勝(59年7月~60年11月)、女子・大洋デパート(熊本)による全国タイトル16個を含む51連勝(68年8月~72年12月。地方大会は含まず)。このほか、51年から52年にかけての名古屋市立桜台高校(男子11人制)の対高校チーム53連勝、日本体育大学女子チームの対学生89連勝(61年~68年)、大阪体育大学男子チームの対学生69連勝(92年~94年)などが話題となった。
いずれも日本ハンドボール協会やチーム側からの発表ではなく、マスコミによって調査、報道されたもの。引き分けをはさんでの無敗記録は「連勝」としない。

レンタル rental

チーム間の合意に基づく選手の期限付き移籍をいう俗語。

リプレースドプレーヤー制度

Replaced Player。オリンピックや世界選手権など参加人数が制限されている大会で、期間中に登録を入れ替えて出場できる選手をあらかじめ届け出ておく制度。
大会によって回数や人数は異なるが通常は最大2回、各回1~2人。届け出る選手数は25~30人が一般的。入れ替わった選手の再入れ替えはできない。登録・記録用紙などでの英文略称はRPL。

リザルト

試合結果のこと。

レトロオリンピック retroolympic

懐古調の総合競技大会として、2003年からドイツのスポーツ団体が始めた。2年おきに開かれている。ハンドボールは「男子11人制」が実施され、旧東ドイツ勢のクラブが多数参加する。

リターンパス

進んでいる(走りこんでいる)方向と逆の方向へ送るパス、そのプレー。

立教大学(東京)

第2次大戦直後、同大学体操部のなかで活動を行なう異色のスタートを切り、1946年11月正式に「部」として独立、47年3月発足した同大学の体育会の設立メンバーとなる。関東学生リーグ加盟は47年春で秋以降の2部制導入を促した。50年春1部で初優勝、51年秋の優勝によって東西学生王座決定戦へ初参加、学生界屈指の実力校となった。OBを加えた「セントポール」が52年の全日本総合選手権優勝を果たし、この流れは50年代の「全立教」へ引き継がれた。62年の世界学生選手権へ参加した選手が、ヨーロッパの最新技術を持ち帰り母校の充実に活かし、7人制(室内)の戦術・技術史上特筆されるべき足跡を残している。大学チーム全盛期の最後を飾る強豪だ。全日本学生選手権優勝2回、全日本(東西)学生王座決定戦制覇3回、関東学生リーグ優勝10回。

「陸軍戸山学校」

校内の体育実技として1930年代初期からハンドボール(11人制)が「投球戦」の名称で採用し、33年2月に規則書(ルールブック)を発行した。22年日本に伝来後、学校体育での実施以外で活動された貴重な記録である。
同校は1875年に独立し、1920年代から競技スポーツの導入に積極的な姿勢を示し、ハンドボールも「球入れ競争」型のスポーツの1つとして評価を得ていたとされる。

リマニッチ Ivica Rimanic

イヴィツァ・リマニッチ。06年4月から07年10月まで日本男子代表監督。クロアチア、ノルウェーの両国籍を持ちヨーロッパ、アジアで代表チーム、有力クラブを指導してきた。来日前はサウジアラビア代表監督。56年11月ユーゴスラビア(旧国家)生まれ。

リオ・デ・ジャネイロ・オリンピック

2016年8月5日から21日まで開かれる第31回夏季オリンピック。ハンドボール(男女)などの28競技が行なわれる。
「リオ」はブラジル南東部の州、世界的な観光地。南米でのオリンピックは初。ハンドボール会場はオリンピック公園に特設される「ホール4」の予定。16年大会は東京も立候補していたが落選。

ローリングオフェンス rolling offence

攻撃方法の1つ。コートプレーヤー全員があらかじめ打ち合わされている位置を連続的に移動しながら相手守備陣を揺さぶり、マークのずれを誘い攻撃チャンスを生み出しつかむ方法。

ルーキー rookie

新人選手。初心者の意味もある。

ロスター roster

登録選手名簿。一般的に名簿。

ラウンドロビン round robin

総当たり戦(いわゆるリーグ形式)のこと。駒鳥(robin)が木々を飛び回る姿から1チームが参加している各チームと次々に競技する意へ転じた。1回総当たりはシングルラウンドロビン、2回総当たりはダブル…、3回総当たりはトリプル…と呼ばれる。

RPL

リプレースドプレーヤーの英文略記。

ルール

規則、一般的には競技規則。原型は1946年7月、新結成の国際ハンドボール連盟によって作成され「47年版」と呼ばれた。11年ぶりの見直しだった。現行は「2010年版」。「国際競技規則」(rules of the game)はフランス語、ドイツ語、英語で発行され、解釈の相違が生じた場合は英語版を優先する。改訂は2010年までは4年ごとに国際ハンドボール連盟総会で承認されていたが、最近は総会を待たずに施行されるケースも多い。
日本で最初のルールは国際アマチュアハンドボール連盟制定の36年版。47年版の採用は50年秋。草創期の19年から約15年間は20年ベルリン体操連盟の手がけたルールを基本とし、学校体育向きに工夫されていた。日本で最初のルールブックは19年7月、日本陸上競技連盟によって草案として発表された。7人制(室内)ルールは1938年に全訳されたが、日本ハンドボール協会が正式に公表したのは1952年2月。

ルールブック

競技規則書。日本ハンドボール協会は30年代後半、設立の準備を進める一方、1937年4月に36年版の国際競技規則を翻訳し、全国の体育関係者へ領布した。それ以降、原則として2~4年ごとに発行、現在は「競技規則必携」(解説書)も刊行されている。日本最古のルールブックは35年7月19日、日本陸上競技連盟によって発表された。28年版の訳書という。それ以前は、学校体育用に要点を書いた簡単な配布物が多かった。最新版は電子版で2015年4月1日に発行。

ルーリング

ruling。会議などの裁定をいうが、スポーツ界では主にルール・審判分野の専門部会・委員会などの裁定、決定を指す。

ランナーアップ runner up

第2位のチーム。個人成績などで第2位の選手。次点。

ランニング・タイム running time

通算時間。試合開始からの経過時間を示す場合、日本では前、後半で分け「後半12分」などと表記(発表)し、マスコミの報道もそれにならうが、ヨーロッパなどでは「42分」とする。

ロシア

1991年、劇的なソビエト連邦(ソ連)の崩壊により独立した15共和国の1つとして“誕生”。93年国際ハンドボール連盟に加盟、ソ連時代のような挙国的な強化体制は弱まったが、男子は00年シドニーオリンピック、93、97年の世界選手権、女子は01、05年の世界選手権で優勝を飾り伝統の力を見せた。ソ連(ロシア)協会の設立は1928年。1909年ごろからモスクワ、レニングラード、ロストフ・ドン、クラスノダールなどで11人制、7人制ともに行なわれていたという。その歴史を引き継いで新・ロシア協会は2003年12月「75周年」を祝った。

佐賀県協会

64年5月設立。佐賀国体(76年)の誘致にあたって、ハンドボールの基盤がないまま組織の立ち上げが先行する異例の発足となった。60年代後半から高校界を中心に発展し国内を代表する有力選手も生まれている。

埼玉県協会

53年4月設立。県内の球史は古く40年代に女子球技として紹介され、戦後もその流れを汲んだ活動がつづいた。60年代以降は高校界の充実とともに大崎電気工業男女、埼玉教員クラブの活躍もあり国内上位の一角を占めた。

斎藤英四郎

77年から95年まで9期の長期にわたって歴代6人目の日本ハンドボール協会会長をつとめた。財団法人(81年3月)としての初代会長。新日本製鉄社長、第6代経済団体連合会会長、長野冬季オリンピック組織委員会会長など日本の財界、スポーツ界を代表するビッグネームだった。02年4月90才で他界。

酒井将

36年10月、それまで「手球」と訳されることの多かったハンドボールを「送球」と変え、名付けた体育人。30年代、東京高等師範学校(現・筑波大学)卒業後、文部省体育研究所などで日本のスポーツ振興に関わり、35年から1年間ドイツデンマーク、スウェーデンに派遣されハンドボール(11人制)の指導理論を学んだ。帰国後、ハンドボール競技規則(ドイツ協会版)の研究などを進め、38年3月東京オリンピック・ハンドボール強化合宿のコーチをつとめている。そのあと東京経済大学教授など。91年8月91才で他界。

佐久川ひとみ

日本女子代表選手として1997年から2009年の世界選手権(中国)まで12年間にわたり活躍した左腕。沖縄・浦添高から大崎電気に加わり、96年オムロンへ移籍。09年5月、韓国・大邱市庁入り、日本人女子選手として初めて同国のトップリーグで活動。08年3月、スポーツ仲裁裁判所(CAS、スイス)でアジアにおけるレフェリングなどについて“証言”を行なう貴重な経験をしている。13年富士大学(岩手)に入学、プレーもしている。1977年7月沖縄県生まれ。

サンプル

ドーピング検査で「A」「B」のマークと固有のコード番号が記入された蓋つきの尿ボトル(2本)と梱包、保管用の容器。この一式を正確にはsample collection kit と呼ぶ。

3:2:1ディフェンス

ユーゴスラビア(旧国家)が考案した防御システム。相手の攻撃がスピードに乗り切らぬうちや、ブレーキングスルーへの仕掛けを阻むために有効とされる。個々の防御範囲の広さからスタミナを必要とし、試合の要所で限られた時間、布かれることが多い。

3:3ディフェンス

3:2:1(=前掲)を東ドイツ(当時)が変型させたもの。ゴールエリアラインに3人、ほかの3人はフリースローラインのやや前方に位置し、1人が中央、2人が相手の左右各45度プレーヤーをマークする。

3大陸女子代表決定戦

モントリオールモスクワ両オリンピックの女子出場枠は6ヵ国と少なく、国際ハンドボール連盟は、アジア・アフリカ・アメリカ3大陸に、合わせて1枠を配分、そのための代表決定戦を行なった。第1回は76年ミルウォーキー(アメリカ)で開かれ日本が代表権を手にした。第2回は80年3月コンゴで行なわれ韓国が勝ったが、そのあと同国は棄権。現在は行なわれていない。

サンドボール

ビーチから発案された砂のコートでの4人制ハンドボール。フランス、ドイツの屋内スポーツ場や市内の広場などで行なわれ、低年齢層の体育として注目されている。ルールはビーチにほぼ同じ。ビーチの別称でもある。

3大プロリーグ

ドイツ(ブンデスリーガ)、スペイン(ASOBAL)、フランスの男子全国リーグ(トップゾーン=LNH1部)をヨーロッパメディアが指す。

参事

日本ハンドボール協会業務が円滑に運ぶため常務理事を補佐する役。

3冠王

同一シーズンに1つのチームが全国レベルのタイトルを独占すること。トリプルクラウンに同じ。日本では、トップチームは全日本総合選手権日本リーグ全日本社会人選手権(旧全日本実業団選手権)あるいは国体成年の部を対象とし、高校チームは全日本高校選手権全国高校選抜大会国体少年の部を指すことが多い。

佐藤八郎

「サトウ・ハチロー」の名で知られる詩人。「小さい秋見つけた」など多数の童謡の名作を発表しているが、式場隆三郎会長の推薦で、46年8月から4ヵ月ほどの短期間、日本ハンドボール協会理事長をつとめた。73年11月70才で他界。

セービング

①フロア(あるいは地面)に静止または転がっているボールに身を投げかけて確保するプレー。00年までは反則とされた。 ②GKが相手のシュートに対して身を挺して守ること。

シュレンツ(故人)

カール・シュレンツ。“近代ハンドボールの父”と呼ばれるドイツの高校体育教師。1919年ドイツ国立体育委員会のセミナーで、それまで同国内の女子ボールゲームとして行われていた「トア・バル」(tor ball)を基に男子にも競技できる新しい規則によるボールゲームを発